「―――――――」 執務の筆を止め、ちらりと部屋の隅に視線をやる。 こちらの目など気にも留めていない様子で、が一心不乱に鶴を折っていた。 一つ一つ丁寧に、まるで命を吹き込むが如く動く指は普段からは想像もつかないほどに働き者だ。 そうして作られた鶴はもはや小さな山となって我が部屋の一角を占拠している。 ―――この間、戯れにあの黒い硝子玉に我が包帯の下の爛れた素肌を晒してみせた。 好奇心で見ようとする輩と包帯を律儀に替えに来る三成を除いては初めて自分から肌を見せたのかもしれない。 ただのつまらない児戯だ。死の絶望など知らないアレがどんな反応をするのか、ただ試してみたかっただけだ。 世界の昏い所など知らなそうな純朴な瞳に我の醜さを映したらどう歪むのか・・・端的に言えば穢してしまいたかった。 案の定、酷く狼狽した様子で―――しかしすぐに泣き出しそうな顔をして見せた。 その表情に嫌悪の成分はなかったが、未来の人間といえど凡庸な反応だとすぐに興味は失せたのを覚えている。 そしてそれを見てどこか冷めてしまった自分にも気付いた。童のように、何を期待していたのか。 (・・・・・・・その頃から、か。) そのすぐ後の話だ。 今まで世話になっているであろう引け目から、自ら物をねだったことのないが初めて物をねだったのは。 珍しく真摯な表情で恐る恐る申し出るものだからどんなものかと思えば、ただ紙が欲しいと。 言われたとおりに手配してやるとあの目を輝かせて何度もお礼を言った。 それをすぐさま自分の持ってきた未来の紙と合わせ、更に小さく切って大量の紙を作りだした。 それからというものずっと、こうして我の部屋の隅で鶴を生み出している。 切り分けられた少し小さな紙で無機質な白の山を作り出している。 「・・・・・主はずっと鶴を折っておるな。」 「はい!目指すは千羽鶴ですからね、まだまだ目標は遠いですよ。」 「千羽鶴・・・・・?」 成程、千羽鶴ならばこの数も納得。 意気込むに興味を惹かれ、近付いて紙の鶴を一つ手に取る。 初めの内はやや不格好だったものも、数を重ねて綺麗な鶴へと生まれ変わっている。 しかし随分な数を折っているように見えるがどれも丁寧に丹精を込めて折られているのが分かった。 「千羽鶴って確かお願いが叶うんですよね!」 「ほう・・・・・ならぬしは何と願いを込める?」 「えー、と・・・千羽鶴って途中でお願いとか喋っても大丈夫でしたっけ?」 ぬしの考えることなどお見通しだがな、と続ければが苦笑する。 どうせ元の時代に帰してほしいだとかそんな願いだろう、分かりやすい女だ。 そもそも願いも何も、千羽鶴は七夕の短冊ではなく病気の平癒や平和を願うために折るものだ。 そのことは―――黙って完成した折に教えてやれば面白い反応が見られるに違いない。 平和ボケしきったこの女の困惑した表情は我のお気に入りの不幸の一つだ。 「吉継さまの病気が治りますようにって願いを込めてます。」 「―――――、」 予想外の言葉に手で弄んでいた折り鶴を落とすことになった。 かさりと紙の擦れる音は、人目につかぬようにと隔離したこの部屋に存外に響く。 「叶わないとかそんな夢のないこと言っちゃだめですよ?大丈夫です。 かつてないほど真剣に鶴を折ってますし、気合いも念もバッチリ込めてあるので!」 ふおおおおぉぉぉぉ、とまた一つ完成した鶴に謎の掛け声と共に手の平をかざす。もちろん何も出ていない。 こちらの心境など知らず、しかし自信に満ちたしたり顔で続ける。 「こっちでいただいた紙もありますが、ルーズリーフとかの紙も使ってるので殺風景な上に小さい千羽鶴ですけどね。 普段から私に1000枚くらい折り紙を持ち歩く変な癖があればもっと綺麗なのを作れたのに。」 「・・・・・ぬしの場合は、元の時代に帰ることが願いなのでは?」 湧き上がる疑問のままに、意地の悪い質問をぶつけてやる。 包帯の下では皮肉に口角が上がっているのをこの鈍感な人間は気付くはずもない。 ―――この未来の人間が柿の木に引っ掛かっているのを保護してから多少の月日は流れた。 しかしそれでも元の時代を恋しがり戻れぬ我が身を憂えているのは知っている。 平和に蕩けていた脳みそで戦乱の世に怯え、たびたび枕を涙で濡らしているのも聞いている。 そしてそれをぶつける相手もいないはただ腹の底にその不安の種を育て続け肥料を与えるしかない。 それこそが我の欲した不幸、愛でるべき対象であったというのに。 「えー、まぁそれも大事なんですけど・・・何て言ったらいいのか。怒ったりしませんか?」 「よい、言うてみよ。」 鶴を折っていた指を賢しげに顎の下に当てうんうんと唸る。 傷一つなかった姫のような指は紙で切った小さな傷がちらほらと見える。 思わずその手に触れようとしたが、この爛れた指で触れたらきっと我が身が溶けてしまうだろうと思った。 「私は、確かに帰りたいですが―――苦しくて痛いような、死に関わるような問題じゃない・・・から? むしろ馬鹿みたいに健康だしこっちに来てから異常に規則正しい生活を送ってるから更に調子いいですし。 だから・・・ううん、ともかく吉継さまのお身体が心配だけど私は医者じゃないっていうか、」 拙い理論で理由を並べるは本当に明確な理由など持っていなかったようだ。 そのくせ意志だけは無駄に強い、まるでそうするのは月が西へ下りるくらい当然だとでも言うように。 「ともかく、私は吉継さまに病気を治してもらいたいです。 元の時代に帰るのも大事なんですが、吉継さまに何かがあったら三成さま達が悲しみますよ。」 私もそんな風になるのは嫌です、とへらりと笑って行き場をなくした我の手に鶴を乗せる。 抵抗しないでいるとそのままどんどんと乗せられ、溢れた鶴で膝が占領されてしまった。 たかだか軽い紙の鶴に不思議と重みが加わったように感じられる。 「千羽鶴など迷信よ―――メイシン、メイシン。」 「いや、そうでもないですよ!世の中にはプラシーボ効果っていうのがあるんです!! あとなんとなく吉継さまを見てたらイケる気がしてきました!」 ぷらしーぼ、という耳慣れない言葉に首を傾げるがは自信に満ちた顔をしていた。 後半は我の力のことを言っているのやもしれぬが―――いずれにせよ、それで治るものならこの世は折り鶴で満ちておる。 「まだまだ数も少ないのでお恥ずかしいのですが・・・でも、私は信じてますよ。 そして吉継さまも信じてもらえなければ、プラシーボは完成しないのです。」 「何の呪いだ?その、ぷらしーぼというのは?」 「信じる心!っていうのはさすがにこの年になって言うのは恥ずかしいですね。まぁ、内緒です。」 はにかんだような笑みを浮かべてが頭を掻く。 実に間抜けな女だと思った―――三成と同じく。 自身の願いを込めればよいものを、多大な労力をかけてままごとのような不確実な呪いに心血を注ぐ。 しかも紙は貴重なのだと知って驚いていたはずだ、未来の数少ない持ち物まで無駄にして。 この調子では自分の千羽鶴を折ることはできまい。 それでもいいのだと、この女は笑うのだろうが―――・・・・ 「私が医者の勉強とかしていればよかったのに、私の時代なら治るかもしれないのに。 でも方法はあってもそれを知らない・・・・もっと勉強していればよかったのに。 今となっては後の祭りですけど、でも今までの生活とか考えるとそう思わずには居られないです。」 「・・・・・・。」 の瞳を伏せられ、常にはない自嘲するような笑みを浮かべる。 何かを言いかけ、しかし形にならずに手は自然と正方形の紙を持っていた。 「どれ・・・我も一つ折ってみるか。」 「え?吉継さまのために折っているのにわざわざ自分でやらなくても、」 「よい、我がそうしたいのよ。」 「はあ・・・・・。」 折り紙などいつからやっていないのか。 病で思うように動かなくなった指を駆使し、ぎしぎしと体が軋むのを感じながら折り目を入れる。 時折、の指導が入りながらも苦心して作り上げたそれはやはり不細工であった。並べてみると差は一目瞭然。 我ながら下らぬ事をした、と潰してしまおうと伸ばした指より先に女の手が折り鶴を拾い上げる。 「おぉ・・・やっぱり吉継さまは器用ですね。」 「何を言う、ぬしの方がよほどお上手よ。」 「そりゃあ私はここんところずっと折ってますもん。上手に決まってますよ!」 親に誉められた子供のように得意げに胸を張る。何がそんなに嬉しいというのか。 胸の内に久方ぶりに去来した何かを、かぶりを振って追い払った。 そんなものはこの身を不幸に侵されてからずっと、重しをつけて沈めてきたはずだった。 まだ枯れていなかったそれをたかが児戯に一瞬でも抱いてしまうなど我ながら吐き気がする。 「・・・・・我もぬしのように呪いを込めてみるか。」 「う、うわー・・・・吉継さまがやるとすごい威力が強そう・・・・・・」 が苦笑いを浮かべた時、襖が静かに開いた―――やれ、もうそんな時間だったのか。 「刑部、薬が――――何をしている?」 部屋の入り口で、襖を開けた姿勢のまま三成がに胡乱な眼を向ける。 それから折り鶴の山に目をやり、今度ははっきりと不愉快そうに眉を顰めてみせた。 大の大人も震え上がる凶王の眼光も、しかしこの女も慣れたもので以前ほど動じない。 「ままごとをしている時間があるのならその時間を、」 「豊臣に費やせって言うんでしょう三成さま。分かってますよ。 これは吉継さまの病気平癒を祈って作ってるんです。」 薬と湯呑を乗せた盆を床に置き、白い不健康な指が訝しげに鶴をつまむ。 きっとの企みはこの男の出現によって夢半ばに終わるだろう。凶王は無駄な振る舞いを好まない。 「千羽鶴、か・・・・・まったく、」 「はいはい効くかどうかなんて疑っちゃだめですよープラシーボ効果薄れるんで。」 「ぷら・・・・何だそれは?未来の技術か?」 「ま、そんなとこです。詳しくは秘密ですが。」 フン、と整った鼻梁を鳴らして三成の指が紙を取り鶴を折り始める。 てっきり無駄だ燃やせと癇癪を起すかと思えば、もこれには驚いたようでじっと見守っている。 二人して虚をつかれてただ見下ろす中、細い骨ばった掌の上に我よりも不格好な鶴が誕生した。 「・・・・・・・・・三成さまって期待を裏切らないですね。」 「黙れッ!!」 ぴしゃりと三成がの顔面に鶴を投げつけ一喝する。 しかし自らに投げつけられた折り鶴を取り、平生ならば怒り狂うもののは花のように微笑んだ。 「でも気持ちはすっごくこもってますねー。」 「フン・・・・そんな病はとっとと治して豊臣の為に身を尽くせ。」 乱暴な所作で立ち上がりそのまま勢いよく音を立てて襖を閉める。 いつものことだがまるで暴風雨のようだった―――しかしの行為は咎めず無駄だとは罵らなかった。 常人ならいざ知らず、普段のあの男を知る人間が聞いたら首を傾げるような・・・・実に間抜けな反応だった。 「―――ですって、吉継さま。三成さまも心配しているんですね。 しっかし・・・それにしてもあの人ってツンデレの化身か何かなんですか?素直じゃないっていうか。」 口では呆れたようなこと言いながらも、嬉々とした表情でが薬を飲む準備をする。 三成に否定されなかったばかりか、実質は肯定され企みに加担されたのが嬉しくて仕様のないようだ。 ああ、まったく。 「主は・・・色んなものを運んで来よるなァ・・・・」 愛でるべき不幸だけでなく、言葉にはしたくないが温かい何かを。 少し躊躇ってからその小さな女の頭に撫でると、少しの嫌がるそぶりを見せずにくすぐったそうに目を細める。 意外にも指先から光に溶けてしまうようなことはなく、予想していた痛みもない。生きている人間の肌だ。 久方振りに触れる三成以外の体温は包帯越しでも分かるほどに温かい―――あの男は体温が群を抜いて低いのだ。 動物にそうするように愛でてやれば、いつの間にか自分の口角が上がっていることに気付いた。 常のような不幸に蜜の味を覚えたわけでもなく、眩しい何かに当てられていると分かっても、今度は吐き気がしなかった。 「いや、もらってばかりで何もお返しできてません。 食事とか、着物とか、住む場所だとか、他にもたくさん。」 「だから私も吉継さまと三成さまには何かお返しをしたいです。」 何が面白いのか再びあの間の抜けた笑みを浮かべて、三成と我との折った鶴を並べる。 病に目までやられたのか、無機質な白のはずだったそれは不思議と極彩色に輝いて見えた。 →おわり ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- あとがき。 3人の関係性。大谷さんまじおかん。そして間抜けは誉め言葉! チロルチョコとかガムの包み紙とか、無性に鶴を折りたくなる。 けれど綺麗には折れない・・・何だろう、必ずどこかしら不満な出来になる。 大谷さんはラブじゃないです、あえていうならこう・・・ペットを愛でるような、あんな感じです。 いや悪い意味じゃないです。うーん、何て言うんだろう。親心、的な? プラシーボは思い込みっていうか偽薬効果のアレです。 砂糖水を霊薬だと言い聞かせて飲ませれば病が治ったという話の。 初めてその話を聞いた時は妙に感動したのを覚えてます。 本格的にシリーズっぽくしようと思って今色々と悩んでます。 バッドEDにするか、グッドEDにするかでシリーズの名前を悩んでましたがコレ連載じゃないし色々なED書いていいんじゃね!という結論に落ち着きました。 八坂は公式じゃないバッドEDは大好きです。公式がグッドEDだからこそのバッドEDなのです。妄想するなら確実に後者。 けれど苦手な人もいるだろうからグッドの方もちゃんと書く予定です、しかし何をもってグッドとすればいいのか。 シリーズ名は「天国へようこそ」に決まりました。 まさかここまで書いたりネタ浮かんだりすると思わなかったので、慌てて設定を練ってます。部屋もそろそろ作りたい。 ニート設定っていうのは佐助連載と被るから止めようかなぁ・・・小姓とかそういうのにしたいです。 とりあえず三成に起きぬけに踏みつけられて、ブチ切れて反論するけど「弱者がさえずるな」とピシャリと言われてショックを受けるところまでは妄想した。 なんか、こう、自分が何も持っていない生かされているだけの存在だというのを分からされて悔しい瞬間、的な。 そういうのに燃えませんか。あ、はい、ドMですみません。いや、二次元のイケメン限定なので三次元では支障ないです、はい。 2010年 11月15日執筆 八坂潤