三成さまと大谷さまが城を空けてから数日になる。 たぶんどこかへ戦に行ってるのだろうが、それに対し深く突っ込んだり考えたりしないようにしていた。 向こうもとやかく言われたくないだろうし、私としても戦には全く関わり合いになりたくないし、不興も買いたくない。 それにいつも一緒に居る二人がどこかの戦場で人を殺しているなんて、私の愛する現実からは離れすぎている。 (というか、そもそも私がタイムスリップもどきしている時点で現実離れしているんだけど・・・) こんな風に一人でいると、色々な事を考えてしまってどうにも駄目だ。 特に普段は考えないように努力している元の時代の事を考えてしまう。恋しがってしまう。 どうやったら帰れるのか、いつになったら帰れるのか、今向こうではどうなっているのか。 普段は考えないようにしている痛みと孤独に苛まれ押し潰される。 もうこの辛さも何度目かわかりやしない。その度に心の何かがどんどん摩耗していく。 (・・・・・・・今回も、二人とも無事に帰ってきてくれるのかな) 実際に戦場に立っている姿は見たことないけれど、二人がとても強いというのは家康さまから聞いていた。 確かに鍛錬をしている時の三成さまは私なんかじゃ理解の及ばない程にすごい剣術を見せてくれる。 吉継さまは訓練している姿とか見たことないけれど、前に謎の力で宮兵衛さまに数珠をぶつけているのを目撃した。そもそも浮くし。 でも、この時代にはあの二人くらいに強い人はたくさん居て、その人達とぶつかったら。 必ずしも無事に帰ってきてくれるとは限らないんだ―――・・・・ (あ、駄目だ。更に気分が沈んできた。これ以上怖いことを考えてどうする・・・) この不安も、辛さも、怖さも、二人の前ではとても言えない。 言葉にするのも伝わってしまうのも、この感情を幼稚だと斬って捨てられたら反論できなくて。 そして他の誰でもないあの二人にそう言われてしまったら、何かが壊れてしまう気がして只管に恐ろしい。 (・・・・あ、もうこの花が生けられる時期なんだ) 城の廊下で綺麗な花瓶を見つけて、そこに生けてある花をじっと眺める。 2人と家康さまがいなくなったこの城は酷く退屈で、ついに耐えかねてぶらぶらと城の中を探索している。 迷路のようなこの城はしばらく飽きないだろうし、女中さんや他の人は私に対して必要以上に関わらないから誰も文句を言わない。 不気味だ目障りだとちょっかいを出せば城主に怒られる(実際にそんな事件もあって死にかかった)。 まるで存在しないように扱われる私は幽霊みたい。 一度、勇気を出して女中さんに話しかけたが華麗にスルーされ切なくなった。 それなのに三成さまの命令に従って空気に律儀にご飯を出すのはどんな気分だろう―――まぁ、いいものじゃない。 (早く帰ってこないかな・・・暇で死にそう・・・・・) 三成さまの口にご飯を突っ込んだり布団に放り込んだりするのが勝手に決めた私の仕事だ。 しかしその相手が居ないといよいよもってただ飯食らいの役立たず。 家ならまだしも、赤の他人に世話をやかれるだけとは我ながら憂鬱になる。 もうずいぶんと長いこと廊下を歩いていると、いつの間にか自分の知らない場所にまで来てしまった事に気付いた。 こんなに自室から離れたところにまで来るのは初めてだ―――人通りもまるでない。なんとなく肌寒い。 ぞわぞわと嫌な予感がして踵を返そうとすると、微かな歌声のようなものを耳に捉えた。 まるでホラー映画に迷い込んだかのような感覚に不安を掻き立てられるが、何故だろう。この歌に惹かれてしまう。 (誰が歌っているの?何で歌っているの?) 小鳥が囀るような音色。その綺麗な声で私の中の何かを掻き立てる。 さっきまでの帰ろうという気持ちはあっという間にどこかへ行ってしまって、ふらふらと音のする方へ歩を進める。 発信源に近付くにつれてその音の羅列はただ美しいというだけではなく、とても悲哀に満ちたものだと気付いた。 歌う誰かを哀しませる原因が知りたくて、できるなら傍に寄り添って慰めてあげたいという気分になる。 足の歩みは誘蛾灯に引き寄せられる虫のように止まらない。ああ、身を焦がされる。 「あなた、誰ですか・・・・?」 声の発信源の部屋の襖に手をかけて、おそるおそる声をかける。もし返事がなければ逃げようと思った。 しかし歌声は止み、隔てられた向こう側からは微かに微笑む気配がした。全身の鳥肌が立つ。 このままUターンして帰ってしまえと本能が赤信号を発信するがどうにも抗えない。 なんとなく自分が危機に立たされているという感覚はあるが、それを冷めた目で見ている自分がどこかに居た。 「私は市・・・ねえ、あなた寂しいの?」 「さびしい・・・・・さびしい?」 今現在、三成さまも吉継さまも居ないから―――ああ、そういえば人と会話するのが久しぶりだ。 そもそもあの二人にしたってまともな会話が成立しているかどうか曖昧だし。特にあのツンギレ。 人間らしい会話をしていないのはいつからだったか・・・・家康さまが居た時はもっと楽しかった気がする。 でも、本当にしたい会話はコンビニのお菓子だったりテレビの内容だったり、そういうとりとめのない―――元の時代の、 「可哀想にね・・・・市が慰めてあげる。おいで、さぁこっち・・・・」 誘われるがままに襖を開ければ、そこには妖艶に微笑む美女がこちらを見ていた。 座っている床に散らばる髪は漆を塗ったように黒くて艶やか、肌の色は閉め切られた周囲の薄暗さに映える白。 蝋燭に照らされた顔は今までに見たことがないほどに美しくて思わず呼吸を忘れた。 形の良い、しかし血色の悪い唇がゆるりと微笑み骸骨のような指が手招きをする。 「こっちよ、こっち・・・」 伏せられていた瞳が上げられ、その底の見えない深海色の瞳を見た瞬間、 「あっ・・・・・・」 身体から力が抜けて無様に床に転がったのを感じた。 立ちあがる事さえできずに、そっと労わるように抱き締められる細い指にも抵抗できない。 「そう、いい子ね・・・・市がずっと傍にいてあげる。 寂しくないように、ずっと、ずっと・・・・抱き締めていてあげる・・・・・」 子守唄のように囁く声に意識が闇へ溶けていく――――けれど私を包んだのは恐怖よりも圧倒的な安心感だった。 「・・・・・・・・・・。」 こちらの勝利だというのに不機嫌さに秀麗な眉を歪め、石田三成は自分の城に帰還していた。 この誉れを捧げるべき相手は既にいないとなっては高揚感も何もあったものではない。 秀吉様のいない戦場などただの慣れ切った雑多な作業の一部に過ぎない。ひどくもどかしい。 いつものように自室に戻り、腰を落ち着ける訳でもなく溜息を吐く。 しばらくそうしていたがいつものように出迎えに来るあの気配が感じられない。 別にアレが会わなければならない用事など持ち合わせてはいないが、全く姿を見せないのも癪で部屋に赴いた。 しかし部屋には誰もおらず、素っ気ない空間に出迎えられただけ。 自室以外にあまり赴こうとしない彼女にしては珍しい現象だった―――違和感。 「やれ、三成。はどうした?」 「刑部・・・・・」 ふらりと音もなく(輿に乗っているから当然だが)刑部が現れ、からかうように声をかけられる。 大事な友を邪険に扱うこともできず、苛々とした所作で抜きかけた刀を収めた。 「居ないのか・・・・では、アレのせいかもしれぬな。」 「アレ、とは?」 「我が以前の戦より連れ帰った不幸がここしばらく上機嫌と聞く。 女中には襖を開けるな、目を合わせるなと言ってはあったが――――はそもそも存在を知らぬからなァ。」 「・・・・・・っ」 気付けば、何かに駆り立てられるように恥も外聞もなく廊下を駆けていた。 背後から呼び止めるような声がしたが委細構わず、開ける手間すら惜しんで目的地の襖を居合いで斬り裂く。 音もない抜刀だったが、部屋の中央にいるあの女が緩慢な動作でこちらに振り向いた。 「だぁれ・・・・?」 相手の問い掛けには答えず、壊れものを扱うように大事に抱え込んでいるそれに目を奪われる。 女の腕と地から生える何本もの黒い手に抱き締められるようにが眠っている。 しかしその姿は数日前よりもすっかりやせ衰え、以前の健康的な面影は感じられない。 一応は生きているという事実に思わず息を吐きはっとする―――今、私は安堵したのか? しかし黒い手が数を増してこちらに戦闘の意思を見せつけ、を私から遠ざけようとする。 感情は反転、沸騰する怒りのままに反射的に抜きかけた刀を包帯に包まれた手に押さえられた。 「刑部ッ・・・・!」 「まぁ待て、三成。我に任せよ。―――ぬし、それをどこで拾った?」 「ああ・・・この人?寂しがっているみたいだから、市がこうして抱きしめていてあげてるの・・・」 ぎゅう、と子供が手にした玩具を愛でるようにあの女がを抱き締める。 動作には慈しみが満ちているが、それが相手の毒になっていることは火を見るよりも明らかだ。 しかし何より気に喰わないのが見たこともないような安らかな寝顔でがそれを受け入れているという事実。 だが女の意外な言葉に思わず武器から指を離してしまった。 「寂しがっている・・・だと?」 「そう・・・この人、元は違うところに住んでいたのね・・・・・ そして今、帰りたくて帰りたくてたまらないの。」 頭を鈍器で殴られたかのような衝撃によろめきそうになった。 すぐ後には地を這うような怒りがこみ上げてくる――――寂しい?帰りたい、だと? 私の知る限りではそんな仕草は微塵も見せてはいなかったというのに、この女の戯言ではないか? しかしこの女に対しが違う時代の人間であること、そもそも存在すら知らせていない筈。それなのに知っているというのは、 「しかしそれは三成のもの故、返してやってはくれぬか?」 「そう、この人・・・既に巣があったのね・・」 ざんねん、と呟いたと同時に女の腕からひったくるようにしての身体を抱きあげる。 それが以前よりも軽く冷たくなっている事実に腕の中の重みが一気に増した。 謝罪するわけでもなく微笑む女に指を刀に這わせたが、刑部に免じて引き下がった。そして何より抱えている荷が落ちてしまう。 「貴様・・・・次にコレに何かしてみろ・・・・・その時は貴様を斬滅してやるッ!」 「市が呼んだんじゃない、その人から来てくれたのよ? 寂しくて来たの・・・・市とおんなじ。うふふ・・・」 が自ら望んでここに来た。 この女と同じように己の身を嘆いて。 それ以上不愉快な言葉を聞きたくなくて、刑部に場を任せて足音も荒く部屋を後にする。 道行く女中たちが怯えたように一歩退くのを忌々しく見送る―――こいつらにしたっての不在は気付いていたはずだ。 しかしあえて放っておいたのだ、見ないふりをして見殺しにした。 自室に辿りつき、自分用に敷かれていた布団にの身体を乱暴に放り投げる。 普段だったら何らかの反応が返ってくるものの、すっかり衰弱しているのか無反応でぴくりともしない。 予想と違う反応に内心で舌打ちしながら爪先でひっくり返してみると、生気の失せた顔から涙が零れている事に気付いた。 いくつもの痕になっているそれは、ずっと泣き続けていた証拠だ。 そっと拭ってやっても後からとめどなく零れるそれに頭の奥がずきりと痛む。 ――――裏切られたような気分だった。 が他の陣営に、ましてや家康の元へ行くと言ったわけではない。 前者は彼女自身の特殊な背景から叶わず、後者は私の目の前で家康の誘いを断ったからあり得ない。だから安心していた? 言葉にも形にもできない、昏い渦が腹の内でのた打ち回っている。 この感情が何なのかもわからないから整理も処理もできず、ただ悲鳴をあげるそれは気持ち悪くて目眩がしそうだ。 復讐のみを考えていたはずの頭には酷く煩わしい。いつから?どうしてこうなっている? 「おとうさ・・ん・・・おかあさん・・・・」 夢うつつに吐き出される望郷の言葉に涙を拭っていた指を離す。 湿った感覚に顔を顰め、乱暴にそれを布でふいた。 『寂しくて来たの』 『そして今、帰りたくて帰りたくてたまらないの』 ・・・・・そういえばコレはこの時代の人間ではない、帰る場所が別にあるということをすっかり頭から抜け落ちていた。 そしてそこが自分の傍ではなく、天下中に手を伸ばしても決して届かない場所であることも。 近くにいるのが当たり前で、呼べば答えて飯と食事を抜けば鬼の形相で乗り込んでくる。 それが当たり前ではないことなど愚かにもすっかり忘れていたのだ。 「・・・貴様は、私の前から消えたいのか・・・・・?」 布団の上の黒髪をひと房掴めば、指の間をすり抜けるように音もなく落ちていく。 はっきり言って、がいなくても自分の目的にも生活にも何ら支障はない。 美しさも色気もなく頭は悪い、平和ボケで役にも立たず媚びず卑屈で不躾。 いざとなれば自分を顧みず、偽らず裏切らず受けた忠義を忘れずに返す。 居ても居なくても問題はなかったはずなのに―――今はどうだ?消えた時の事を思うと目の前が暗くなる。 「・・・・・・・・・」 認めたくはなかった。 自分がすっかりを刑部と同じように、いや、それとはまた違う扱いをしていることを。 秀吉様と半兵衛様と刑部に囲まれた私の内にすっかり入り込んでいる事を―――それを自分が由としている事も。 (勝手に私の世界を窮屈だと罵り広げておいて、最後は余白を残して消えるのか?) そう思うと目も眩むような怒りに襲われた。 このままが未来の世に帰れば、二度と自分とは交わることなく生涯を終えるのだろう。 平和な世に蕩けきった脳味噌の男と結ばれ家庭を作るのかもしれない。 戦に慣れた自分ではなく、いざとなればを守ることもできないような人間の手をとって幸せだと微笑むのだ。 想像しただけで胸の内に巣食う病が更に重みを増したように思える。 この醜く無様な感情などかつての自分にはなかった。 こんな惰弱な精神では秀吉様に顔向けすることもできない。その事実が何よりも私自身を苛む。 「貴様のせいで・・・・」 いっそ殺そうと思った。 が死ぬのではなく元の時代に帰り、誰かと幸せになるのならいっそ今ここで死んでしまえばいい。 そうすれば引き摺ることもなくここですっぱりと諦めることができる。 これ以上に煩わされず、ねね様を殺した秀吉様のように自分も孤高の強さを手に入れられる―――それはなんと誉れなことか! 存外にほっそりとした首筋に両の指を這わせて力を込めようとする。 しかし万力に挟まれたようにそこから先は動けない。 いつでも妙な真似をすれば斬滅してやるつもりだったのに、を殺すことはもうできないのか?ただ矮小な存在のはずなのに? 「・・・・・・・・ッ」 ではこの爛れた傷をどうすればいい? まだ存在もしていないのだからその未来の男を殺すこともできない。 あの男のように枷をはめても心までも束縛することはできない。 ―――が未来に帰ろうとするのを止めることができない。 その事実が自分にとって何よりも度し難い。 「・・・・目を開けろ。」 生まれたばかりの赤子のようなその眼で戦に塗れた私を見ろ。 元の時代の事など夢みているのなら今すぐその瞳でこの戦乱の世を見ろ。 他の事に現をぬかしている暇があるのなら、この世を、私だけを見ていればいい。 そうでなければ―――― 「ん、ん・・・・・・?」 固く閉じられていた睫毛が震え、ぼんやりとした黒い目がこちらを見つめ返す。 その黒い世界に私自身の姿が映り込んでいる事に、不覚にも少し心が凪いだ。 →つづかない ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- あとがき。 続き、多少は書いてた(むしろ長すぎるから分割した)のにうっかり消しちゃって泣きたいです。うん、また書く・・・ 三成は恵愛には絶対に無自覚だと思う。敬愛は十分すぎる程。 (追記)中途半端に書いた続きは没頁に沈めておきました。 2010年 10月31日執筆 八坂潤