さあ、と頬を心地よい風が撫ぜてその感覚に目を細めた。 縁側に腰掛けてぽかぽかと陽の光を浴びながら、足をぷらぷらと宙に泳がせる。 姿は見えないし、みんなの言うように気配を感じることはできない。 けれどそこに居てくれるような気がして、少し迷った後に名前を呼んでみた。 「小太郎。」 すると、瞬きをした瞬間に赤銅色の髪をした男が目の前に立っている。 腕を組み、目許は前髪で見えないけれど真一文字にきつく結んだ唇は端正さを伺わせる顔ながらも人を寄せ付けない。 けれど私はそれが彼の標準装備だと知っている。だから別に怖くはない。 「えっと、命令とかじゃないんだけども、」 「・・・・・・・・・・・。」 「あ!ごめん!えっと、やっぱり命令、かな?」 そう前置きすると僅かに彼が動いた気がした。 ああきっとまた消えてしまうつもりなんだろうと察して慌てて呼び止める。 小太郎は命令がなければ全く動いてくれない。 けれど、逆であればこの人はどんな些細なお願いも叶えてくれる。 ・・・・・まあ、空を飛んでみたいと冗談交じりに言ってみたらいきなり城の屋根から突き落とされたのは死ぬかと思ったが。 「うーん、とりあえず、隣に座らない?」 「・・・・・・・・・・・。」 太い首を振って拒絶の意を表す。 北条のおじいちゃんに私を官兵衛さまと同じように丁重に扱うように、と彼は言われている。 それはつまり主人の盟友と同じように接するということで、きっとそんな馴れ馴れしい事はできないと言いたいのだろう。 「そっか、じゃあそのまま聞いてくれると嬉しいな。 ごめんね。命令っていうのはただ話を聞いてほしいだけなんだ。 下らない事で呼び出してしまって、本当にごめんね。何か用事があったらそっちに行っても大丈夫だから。」 「・・・・・・・・・・・。」 彼は首を縦にも横にも振らなかった。 つまり話してもいい、という事だと都合よく解釈して「ありがとう」と礼を言った。 「私って、記憶がないじゃない。」 私には、記憶がない。 この城に来る前、私は官兵衛さまに半ば引き摺られるようにして、誰かから何かから逃げるようにここに転がり込んだ。 その時の私は何故か酷く男性に怯えていて、死に物狂いで官兵衛さまに抵抗したのを覚えている。引っ掻いたり、蹴ったり。 それでもこの手を離さずにどうしてか山の中に倒れていたという私は助けられた。そして今も命を繋いでいる。 今でもあの時に手を離さないでいてくれたのをとても感謝している。そうでなければきっと私は死んでいた。 男性恐怖症はまだ残ったままだけど長い時間で官兵衛さまと北条のおじいちゃんと小太郎くらいになら触られても吐かなくなった。 それ以外は、まあここの城の人程度なら距離を保っていれば会話はできる。それ以外の以外は、知らない。私はここを出ないから。 「でも、最近夢を見るんだ。」 ここに来て、北条のおじいちゃんに迎えられて、私は幸せを感じている。 北条のおじいちゃんは孫のように身元不明の私を可愛がってくれるし、官兵衛さまも甘やかしてくれる。 小太郎は―――命令だからと言われてしまえばそれまでだけれど、でもとても優しくしてくれる。 それなのに、こんなに満たされて怖い思いなんかしていないのに、なぜか。 「私は夢の中で誰かの首を絞めている夢を見るんだ。」 身に覚えのない記憶が、私の夢の中で、誰かの首を、絞めている。 顔は暗くてよく見えない。 けれど首は女性のものよりも太く感じるからきっと男性、そして何よりぞっとするほど色が白かった。 私は無抵抗でいるその人の首を必死の形相で絞めている。 どう考えてもじゃれあいなどではなく、相手を死に至らしめるために両指に力を込める。 そして、こきりと呆気ない音と共に首の骨が折れる音が聞こえて、そして。 ―――私は初めて自分が涙を零していた事に気付く。 目的を達したことへの歓喜の涙ではなく、自分で殺しておいて何故か相手の死を、悼んで。 「相手を殺して、目が覚める。 初めは嫌な変な夢だと思ったんだけど、でも、何でだろう。何度も見る。」 何となく自分の手を見下ろしてしまう。 このひ弱な手がお世辞にも綺麗といえない指が、誰かを、殺す。 夢の中とはいえぞっとしない話だ。 私には眠れる殺人願望があったとしたら我ながらショックだ。 「何でだか、小太郎は分かる?」 「・・・・・・・・・・・。」 私の問いに小太郎は首を振りさえしなかった。 きっとくだらない問いに呆れてしまっているんだろう。 それも当然仕方がなし、と私も自分でやっておいて苦笑してしまった。 「それだけ。ごめんね、きっとこんな夢を見てるって言ったら官兵衛さまも北条のおじいちゃんも心配するから。 だから絶対に無反応を貫いてくれるであろう小太郎に聞いてほしかったの。誰かに、聞いてほしかった。」 それに小太郎だったら私が夢でこんな事をしてる、て言ってもひかないと思って。 へらりと笑えばやっぱり相手は無反応。ひいた様子もなし。 もう一度お礼を言って息を吐いた。 「―――小太郎は、凄い忍びなんだよね。私の記憶を探ってほしいと言ったら。 そう命令したら小太郎は私のことを調べてくれるのかな。」 記憶がないことに、不満はないが不安はある。 山の中で拾ったと官兵衛さまには言われたけれど、家族はどうしているのだろう。 私自身の記憶もないのだからどうしようもないのだけれど、でもどうして山の中なんかに倒れていたのか。 こんなに満たされているのに、私はそれをどこかで恐れているのだとしたら・・・それは何? 「・・・・ありがとう、小太郎。こんな与太話を最後まで聞いてくれて。もうしないよ。」 小太郎だって忙しい身の上だ。 なのに最後まで文句も言わず(というか彼は初めから口を利かない)付き合ってくれた。 見た目は怖いのに、でも中身はそれだけではない。 「小太郎は見た目はちょっと怖いけれど優しいよね。見た目と威圧感で損してるというか・・・・ ・・・・・あ、命令だからって言いたい?でも、私はそう感じてるよ。」 「・・・・・・・・・・・。」 彼はやはり反応しなかったけれど、私は自分の言葉が心の琴線に触れた気がして、ぽかんと口をあける。 「そういえば、私は、昔にも、あなたと同じような人と居た、気がする。」 ぴくり、とそこで初めて彼の手が動いた。 消えようと踵を返しかけていた足を留めて、前髪で隠れた端正な顔が私を見る。 「見た目は怖いのに、中身は繊細で子供っぽくて、それでいて美しい人だった。」 途中から小太郎とは違う誰かの特徴を挙げながら、私の唇は勝手に動く。 「私を理由をこじつけて何度も助けてくれた、普段は冷たいくせにいざという時は優しくしてくれた、あの人は、」 何かを思い出せそうな気がして、たどたどしく記憶の糸を引いていると急に視界が真っ暗になった。 一瞬何が起こったのか分からなくて口は止まり、糸が鋏で切られてしまうような感覚に陥る。 目を覆う何かが誰かの手だと気付いて、その誰かはきっと小太郎だと気付いたのは数秒後。 慣れている相手とはいえ男の人に触られているという事実に身体をびくりと大仰に竦ませる。 ゆっくりと手が引かれて目に光が戻ると、さっきまでの事なんてすっかり頭からとんでいた。 「――――あれ、小太郎、どうしたの?これ何かの遊び?」 「・・・・・・・・・・・。」 目をぱちくりと瞬かせて問いかければ、彼は黙って首を横に振った。 そして目を覆っていた手を今度は私の頭に乗せて、それが左へ右へとぎこちなく往復する。 これもまた身体が大仰に跳ねてしまったが相手は特に気にしていないようだ。 よかった、私は小太郎を拒絶しているとは思われたくないから。 反射的に内心びくびくしてしまうが、それでもしばらくそうしている内にその優しい感触に目を細める。 北条のおじいちゃんならまだしも、何でこんなに甘やかしてくれるのかは謎だ。けど滅多にないことだから嬉しい。 「何でだか分からないけれど、ありがとう。」 「・・・・・・・・・・・。」 それはしばらく続き、ああ昔も誰かにこうしてもらったような気がする、と呟くまで手の動きは止まらなかった。 →眠り姫は目覚めない ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- あとがき。 月下奇人設定。 記憶喪失・男性恐怖症・あと若干こどもがえり併発。 月下奇人設定って何ぞやって人は悲愴とその蛇足を読んでみてね! 小太郎は一度会ったことあるから彼女の問いの答えを全て持っている。 城の中で、家康の命で連れ出そうとした折に三成と一緒にいたいと言った彼女を知っている。 けれどそれを言わないのは命令だからかもしれないし、彼なりの優しさかもしれない。 もちろん官兵衛は彼女と小太郎が過去に会っていたなんて、知らない。 いつも通り、否、いつも以上に誰も得しない子話でフヒヒサーセン!! たまにはこういう邪気(?)のないのもいいよね!って思ったら首をうん☆たん☆言ってる時点で駄目でしたウヒョー!! 2011年 11月13日執筆 八坂潤