家康さまが勝った。 関ヶ原の大戦で西軍の大将を東軍の大将が討ち取った。 三成さまが家康さまに殺されたのだ。 そして吉継さまもまた、忠勝さまに討ち取られて。 その知らせはすぐにここに届いて一気に城は騒がしくなった。 徹底抗戦を唱えるもの、降伏し受け入れるもの、自分の利益を守るために奔走するもの。 私のことは無視されたようで、東軍が訪れて気が付けば暗い牢屋の隅で膝を抱えて座っていた。 牢屋の外から伝え漏れる会話を聞くとどうやら私は殺されるらしい。 三成さまと最も、そして唯一近しい女ということで子供を身篭ってないかと疑われたのだ。 子供がいたらその血筋を理由に持ち上げられて再びこの日の本に戦乱が巻き起こるかもしれないと恐れられて。 自分が殺されるというのに私は抵抗する気も、子供なんて身篭っていないと反論し生きる気力も起きなくて牢の隅でぼうっとしていた。 知らせを聞いて以来、喉も胃も何も欲せずにいるのに未だどこからか涙が湧いて来るのが不思議だった。 そして明日。 私はいよいよもって処刑されるらしい。 夜の、四角く切り取られた空に浮かぶ白い月を眺めていると牢の外が少し騒がしくなった。 どうでもよくてその内容に耳も傾けずにいると、ぎぃという音を立てて扉が開いた。 のろのろと視線を寄越せば狭い扉を屈強な身体を屈ませて一人の男が入ってきた。 前までは毎日見慣れていた顔、私がこの時代で頼れる数少ない人、そして西軍の大将を殺した天下人。 ―――久しぶりに見る家康さまだった。 逞しい身体に精悍な顔つき、度量も深く慈悲深い、非の打ち所のない完璧な人。 私がいつも傍で見ていたあの人とは、まったく、正反対の太陽。 月の光に慣れてしまった私にはその眩しさを直視できなくて自然と俯いてしまった。 「・・家康、さま。お久しぶりですね。お変わり、なく・・・」 無難な言葉を選んで発した無難な挨拶。 核心と本心を覆い隠すための微温湯の台詞。 長らく音を発していなかったせいか、自分の声には驚くほどに生気がない。 老婆のようにしゃがれた声色にも家康さまは気分を害した様子はないようだった。 「・・・・ああ、久しいな―――は、少し痩せたな。」 「そうですね・・最近、何も食べてなくて・・・・人のこと、言えませんね・・・」 「・・・・・・・・・。」 ああしまった。思わず責めるような言葉になってしまった。 そんなつもりはないのだと、弁解したかったがこみ上げてくる嗚咽で意味のあるものにならなかった。 思いが、言葉が口から溢れてしまいそうになる。 そのどれもが家康さまを傷付けるような責めるようなものばかり。 本当に責を負わされるべきなのはこちらのほうだというのに、なんて私は醜いんだろう。 「すまない、・・・ワシは、」 「ちが、う、ちがうんです。あなたは、悪くない・・・悪いのは、私の方・・・・ 私が止めなかったから、止めようともしなかったから、私が何もしなかったから、」 あんなに傍にいたのに。 三成さまを諌める機会なんていくらでもあったのに。 けれど私はそうしなかった。 逆上して殺されるのが怖くて。 家康さまならきっと丸く収めてくれるだろうと勝手に期待して。 ――――何よりも、三成さまに嫌われるのが恐ろしくて。 私は結果としてあの人を永遠に失う羽目になったのだ。 何もしなかったばかりに何もかもを手に入れなかったのだ。 当然だ。当然の報いだ。どちらも手に入る未来なんて、私に見る権利なんてないのだ。 「・・・家康さまが悪いんじゃない、むしろあなたは正しい。いつだって、きっとこれからも。 生き残ったのが三成さまでも私はきっと同じくらい悲しい・・・だから、悪いのは私なんです・・・・」 何もしなかったくせに、こうして家康さまを責めるような言葉しか吐けない自分。 本当は身を呈してでも三成さまを止めるべきだった。 もしそこで殺されてしまっても、そうすればこんな惨めな自分を知らずに済んだ。 どうせ明日、取るに足らない理由で殺されてしまうのなら、可能性に賭けてあなたを助けるために行動して死にたかった。 けれどそれも今となってはどうしようもない話。 きっと家康さまは私を助けたりはしない。 自分の親友である三成さまを殺して、なお私を生き残らせる不平等など。 いい。それでいい。家康さまは、太陽は平等に輝かなければならないのだ。 私だけに手を差し伸べてしまうのは不公平だ。人々に、三成さまに、そして私に。 「私が、私が三成さまを・・・三成さま、三成さま・・・・・」 壊れた再生機のようにひたすら三成さまの名前を呼ぶ私に何を思ったのか、家康さまがわたしの首に触れた。 小動物を捕まえるように優しく、私の首を大きくて温かい―――三成さまを殺した手がそっと包む。 そして正面から見つめさせるような形でやっと家康さまの表情を見た。 何かを堪えるような悲痛な表情に、ああもしかしてこの人は、 「家康さま・・私も、殺すの?」 いつも優しい光を湛えていた瞳が見開かれる。 図星をつかれて焦っているんだろうか、私に申し訳なさでも感じているんだろうか。 ―――――そんな必要なんてないのに。ああやっぱり優しい人。あなたはいつだって正しい。 「・・・・・・ありがとう。嬉しい。」 自然と零れた感謝の言葉に家康さまの目が悲痛を堪えるように閉じられる。 そして少し遅れて骨が折れるような嫌な音が聞こえて、視界が一瞬で暗くなって意識も閉ざされて。 何もしなかった私は、何者にもなれないまま何も残さないまま、ぴったりな罰を受けて無意味に死んだ。 「――――――」 ぼんやりと、四角く切り取られた空から爪痕のような月を眺める。 牢の壁に背を預け、を自分に寄りかからせたままその黒髪を指で梳いたまま。 傍から見れば睦言を囁きあう微笑ましい男女に見えたかもしれないが、ワシがいくら言葉を尽くしてもは返さない。 苦痛に歪むでもなく悲痛に嘆くでもなく、ただ穏やかな表情では死んでいた。 首の骨を手折ったワシを責めることなく感謝の言葉さえ紡いで。 生きていると錯覚するような様子に、しかし身体は残酷に冷たくなっていく。 「・・・・。」 どうして、助けを求めてくれなかったのだろう。 ただ一言でもいい、助けを求めてくれればどんな手を尽くしてでも助けるつもりだった。 天下人の横暴だと罵られても構わない、ワシはそれを伝えるためにこの牢を訪れたはずだった。 はひたすらに三成の死を嘆いているようだったがそれも当然だ。 あの二人は一見険悪な仲だがその実は正反対だ―――ワシの誘いを断る程度に。 だからその死を悼んでいるのは当然でこちらを責める気持ちがあるのも仕方がないと思っていた。 そう思っていたのに、ワシを責めないといっておきながらも三成の名前ばかりを呼ぶ姿を実際に見て腹の底がどろりと膿んだ。 今まで目を逸らしていた感情、あの日がこちらに来ないと決めた時に疼いた醜悪な部分が、蓋を開けて。 感情のままにその細首に手を掛けて、そうすれば命乞いをしてワシを頼ると思ったのに。 『・・・・・・ありがとう。嬉しい。』 まるで死ぬ事に安堵するような笑みを浮かべて、その反応に目の前が真っ暗になるような心地で。 自分と一緒に生きてくれる事なんて微塵にも考えていない、三成と死ぬ事を望まれているようで。 そして酷く気分の悪い音と共にの首を手折ってしまっていた。 段々と熱を失っていくの身体に、自分の体温を分け合おうと思い切り抱き寄せる。 しかし温度を奪っていくばかりの小さな身体はこちらに何も返そうとはしなかった。 が明日に殺されるのはどうしようもない決定事項だった。 ワシが手を貸せば逃がす事ができたが、三成の血が残ってるかもしれないという不安は人々を恐れさせる。 だからもうどうしようもないことで、ワシがここで殺してしまうのは誰にとっても問題ではなく、ああだがそれでも。 大義のためと言い訳して愛する人間を殺してしまった。 それは―――それは最もなりたくなかったあの男と、自分は同じになってしまった。 「・・・ワシはお前を・・・・・」 愛していた。 この絆を大切にしたかった。 何からも守ってやりたかった。 けれどは最後まで自分を頼ることなく、三成ばかりを追っていた。 きっと今頃はあの世でも三成を探して彷徨っているのかもしれない。もう寄り添っているのかもしれない。 そう思うと先程の黒い感情が首をもたげてその魂を離すまいと強く腕の内に閉じ込めた。 薄い瞼に催促するように口付けてももうその瞳は瞬かない。 (大義のため?違う・・・ワシはもっと醜い。) 豊臣秀吉は自身の弱さを切り捨てるために愛する女を殺した。 ワシもまた天下の安寧のためにを殺した。 しかし後者は、この感情は・・・嗚呼なんてことだ。 ―――ワシは生まれて初めて嫉妬で人を殺してしまったのだ。 →美しい棺 ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- あとがき。 でも実際、たかが一般人がでしゃばったところで時代の流れを大きく変えるような戦の前ではどうしようもないと思う。 とりあえずクリスマスに更新する内容ではなかった。 あと松永さんどうして三成の背中を踏んでるんですかそこは頭から思い切り踏んで土の味を味合わせるべき。 ああでも背中だと家康がああなるのを目線で追えるんですねうはいいぞもっとやれ。 家康は神のように完璧な聖人であってほしい。 その内面を完璧さを崩すのが好きです。 ※最近は三成よりも家康のほうが好きですが私は元気ですそして疑いの目で見られます。 2011年 12月25日執筆 八坂潤