車の四角い窓から流れていく光景は、当然ながら白黒でもなくアニメ塗りの単調な色使いでもない。
青々とした木々の葉と澄んだ青空が高速で後ろに流れていくのを私は子供のように眺めていた。

指はしっかりと組んで祈りの形をしておきながら。


「寝ててもいいって何回も言っているだろう。それとも僕の運転が信用できないのか?」


相手も変わり映えしない景色とどこまでも続く単調な高速道路に飽きているのだろう。
しかし退屈そうに告げながらも男の薄氷色の瞳は正面から逸らす事なく、両手はハンドルから離されない。
ハンドルを握る手は普通の人よりも色が黒くて、そして圧倒的に逞しい。それでいて顔付きは年不相応に幼く、そして無駄に整っている。
紙や画面越しに何度も見てきた顔だが実物はぐうの音も出ないほど格好良く、何度見てもドキドキしてしまうのが実に癪である。

安室透。またの名を降谷零。もしくはバーボン。
かなりの女性達の熱い視線を一身に集めたあの人が、実体を伴って自分の隣に座っているというのは未だに受け入れ難い事実である。

実は自分が定番のトラックにでも轢かれて病院のベッドで長い夢を見ているのか、それとも実際に来てしまったのか、前後の記憶が曖昧で未だに分からない。
どうして自分が漫画と認識していた世界にいるのか。そして何故よりによってあの圧倒的に殺人事件が頻発するこの世界が選ばれてしまったのか。

貧相な脳みそを絞れど絞れど未だに答えは出ず、この訳の分からない状況に身を置き続けている。
いつかこの謎をいつもの殺人事件よろしくコナンくんがスパッと解決してくれることを真剣に願っているが―――さすがに無理だろう。文字通り次元が違う。


「ははっ眠れるわけないでしょうこの状況で・・いつ事故るかカーチェイスが始まるか分からないのに。」

「失礼だな。僕の安全運転にケチをつける気か?」


確かに。安室透の運転は厭味ったらしいまでに快適で静かで殆ど揺れも感じない。
いっそタクシードライバーにでも転職すれば?という言葉が喉まで出かかったが飲み込んだ。
こいつの車に一般人を乗せてはならないという事を私は画面越しに嫌というほど学んできた。
現に今もいつ非常事態が起こってしまうのか、恐ろしすぎて信じてもいない神に祈るのを止められない。いや、この場合は誰に祈るのが正解かは分からないけど。


「それにレンタカーでそんな無茶な運転をする訳がないだろうに。」

「そうですね。今透さんの愛車は修理に出てますもんね。」


私のチクリとした嫌味に安室透は小さく鼻で笑って、それっきりだ。
運転席に男、助手席に女、二人きりで高速道路にのって遠くへお出かけという露骨な恋人シチュエーションにも関わらず我々の会話は素っ気なく声色は平坦。

それも当然の話で、世間には私達は同棲中の恋人同士という事にはしてあるが実態はセックスはおろかキスもしないドライな共生関係だ。
安室透は自分の正体を知っている私を手元に置いて変な真似をしないか監視しておきたいし、私はいきなりの漫画世界での生活基盤がない。
そして男女が一緒にいるなら恋人同士を装うのが一番自然であるという塩味と実利と合理性のたっぷり詰まった結論だ。

世の女性ならそれでも涙が出るほど喜べると思うが、私としてはやはり漫画の世界というのが引っ掛かってしまい妙に冷静になってしまう。
が、たまにその冷静さを欠かせてくるのだから安室透の魅力はつくづく凄い。私もこの平静さを手放さないように気を付けないと。


「あの、やっぱり次のサービスエリアで運転代わりません?透さん徹夜明けで心配だし、」

「君の運転の方が事故を起こしそうで嫌だ。それに徹夜明けの僕よりも朝が遅かったくせに何を言っている。」

「ぐぬぬぬぬぬ・・・」


警察官学校元首席の的確過ぎる指摘にぐうの音も出ない。
確かにポアロのバイトを連勤した程度の私と公安の連勤徹夜明けとじゃ疲労の密度は全くの段違いだろうが。
でも私だって本来は休みのところをずっと安室透の分の代打していてあげていた訳で、久々の休日をぐっすり寝て過ごす位の権利があってもいいと思うのだ。


「そもそも、この車ってどこに向かってるんですか?訳が分からないまま連れて来ちゃいましけど。」


米花町から高速に乗って小一時間。
健やかに惰眠を貪っていたところを携帯のアラームを大音量で鳴らされて叩き起こされて、寝ぼけまなこのまま強制的に準備させられたので何も聞いていない。
乗ってからしばらくは”あの”安室透の運転する車に乗るという事実に色んな意味で恐ろしくてそれどころではなかったのだ。
行き先を告げないながらも「一応は恋人らしいことをするか」という彼の言葉に少し期待してしまった乙女な自分も居た訳だが。


「ああ、言ってなかったが今日は毛利探偵社と宝探しの依頼だよ。なんでも、山奥の館に眠る財宝を探してほしいらしい。」

「いかにもありがちな導入ですね・・って、毛利探偵社と?あの毛利探偵社と!!!?」


毛利探偵社=江戸川コナンも付いてくる=殺人事件が起こる=死
(なお、この方程式に『財宝』と『山奥の館』というワードを加味するものとする)

私みたいな弱小推理力でも導き出せる不穏な結論に、緩みかけていた気が一瞬で警戒態勢に入った。
いや、でも待ってほしいもしかしたらそれはただの思い過ごしかもしれない。一縷の望みを懸けて言葉を続ける。


「それって、コナン君も来たり、する?」

「もちろん。」

「引き返しましょうもしくは今すぐ私だけでも降ろしてーーー!!!」


衝動的にシートベルトを外して飛び降りようとする私を、安室透は事もなげに片手で押さえこむ。
こっちは二本の腕で全力で抵抗しているのにびくとも動かないのは圧倒的ゴリラ力の賜物の賜物だろうか。
隣の攻防にも涼やかな顔で目線すら寄越さず、もう片方の手は淀みなくハンドルを切っている。ああ腹が立つ!


「コラ、警察の前で道路交通法を堂々と犯すな。ちゃんとシートベルトを着用するんだ。」

「やだーー!!だって絶対に何か、殺人事件とか起きると思う!!!死にたくない!!!!」

「何を根拠に言ってるんだ全く・・」

「いや、でも絶っっ対に何かは起きるって!!助けてお巡りさんこの人誘拐犯です!!!」

「君のベタなボケに付き合うなら僕がその警官だ。」


ここが生死の分かれ目だと言わんばかりに抵抗を続けてはみるが、いかんせんやはり腕力で勝てそうにもない。
しかも私が痛すぎないようにと絶妙に手加減されているのが不覚にも嬉しい、いややっぱり怖いので逃げたい。唸れ私の筋肉ここが見せ場だ。


「あの毛利探偵社と一緒なら最初から言ってくれればよかったのに!わざと黙ってましたね!!?」

「だってそう言うと君逃げるだろう。外には恋人同士で通しているのにその恋人がいないんじゃ怪しまれる。」

「普段の透さんのパーフェクト演技で大丈夫ですって・・二人の時とあまりにも違い過ぎて正直こわ・・いたたたた!嘘ですごめんなさい!!」


徐々に腕に力を込められて根性なしの私はあっという間に白旗をあげる。
そして茶番は終わりだと言わんばかりに手が離れ、私も観念してシートベルトを着用し直す。
久々の遠出に少しだけ浮かれていた気持ちはすっかり消沈し、この世界で自分が死んだらどうなるのかという問いに頭がシフトしてきた。
事実、どうなるのだろう。もしかしたらそれがきっかけでこの夢から覚めたりするのだろうか、それともそのままおしまいなのだろうか。


「君がコナン君達と接すのを避けているのは分かるが、仲良くしておいてもらった方が僕としては都合がいい。」

「避けてるって分かってんならそのままにさせてくれませんかね。」

「そうはいかない。君みたいな素人になら彼も隙を見せるかもしれない。僕としてはコナン君から収集したい情報もあってね。この機会に是非親交を深めてくれ。」

「はあ・・・・私に死ねって言うんですか・・」


互いに相手を利用し合うドライな関係だと理解はしているが、あまりの気の重たさに恨み言の一つも吐きたくなる。
でもそれも手かもしれない、と自分でも聞こえるか聞こえないかのギリギリの音量で呟いた。
もしこのまま元の世界に戻るもしくは夢から覚められないっていうんなら、いっそ。

私の恨み言にてっきり反撃が飛んでくると身構えているのに、不気味な沈黙を返ってきた。
不審に思い隣を見ると、視線はやはり前を向いたままではあったが―――青の瞳は僅かに見開いていた。
どんな時も余裕綽々のスーパー有能超人がまさか私の死を匂わせた言葉に動揺しているのだろうか、いや、まさか。うん。

私の視線に気付いて表情はいつもの余裕のある端正な顔にすぐに戻る。
何となく視線を外して私はそれを見なかったことにした。車内には再び沈黙が舞い降りる。


「―――安心しろ。もし本当に何かが起こったとしても僕が君を守ってやる。恋人だからな。」


次に目を見開くのは私の方だった。
それがただの世間に向けた演技でも、ただの役割だからとしても、そう言ってくれるというのか。

今度こそ本当に心の底から脱力して、ずっと組んでいた指を解いて助手席に身を預ける。
これから起こるかもしれない何が解決したわけでもないのに安心してしまった。
うん、そもそもコナン君が関わっているからと言って確実に殺人が怒ると決めつけるのはよくないかもしれない。
何も起きずにスムーズにそのお宝とやらを見付けて解散。うん、そんなパターンがあってもいいはずだ。


「ああ、それと黙っていたが少年探偵団のみんなも来るらしいからそちらの方もよろしく。」

「それを黙ってるなんてあんたそりゃ確信犯じゃないですか。」


やっぱり今すぐ飛び降りた方がましだ、と再びシートベルトを外す攻防を始めた私を誰が責められようか。
案の定、連続殺人事件は起こったし最後は館が炎上したのだが―――結局私は傷一つ負う事はなかったのだった。




































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あとがき。
短い後日談みたいのはいつか書きたいなーと思ってます。


2018年 10月8日執筆 八坂潤
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