「ねぇねぇ、安室さんとはどうやって知り合ったの?」

「ちょっと園子、いきなり何聞いてるの!」


午後のポアロのカウンターから身を乗り出して勢いよく質問してくる茶髪の女子高生。
鈴木財閥のご令嬢が期待に目を輝かせて私を見るのを、隣の黒髪の少女が宥めようとしている。
だが、賢しく窘める蘭ちゃんも本当は話題に興味津々なのを隠せていない。年頃の少女の恋愛への関心の高さに内心で苦笑した。うーん若い。


「だってあのイケメンな安室さんと恋人になるなんて、きっと刺激的な出会いだったんだわ!」

「だから園子、声が大きい・・梓さんみたいに炎上しちゃうわよ。」

「だーいじょうぶだって、ホラ今日は安室さんいないからそもそも女子高生がいないしお客さん少ないし!で、どうなの?」

「あはは・・・・・」


そりゃ、まぁ、確かに仰る通り刺激的ではありましたよ。
出会い頭に関節キメて制圧されて、本物の銃を頭に押し付けられながら正体を厳しく詰問されたのは未だにトラウマレベルで恐ろしかった。
今までに経験したことのない本当の敵意を向けられて本気で恐怖し臆面なく泣いて、そして百年の恋が敗北した。百年は嘘だけど。

なーんて、恋バナに目を輝かせる純粋な女子高校生に正直に言う訳にもいかず、曖昧な笑みを浮かべて頭の中で筋書きを思い出していた。
自分達が恋人同士であることを装う時に決めた設定、と言っても私が口を挟む余地はなくほぼ安室透が考えたのだが。


「うーん、期待させて悪いけどそんな刺激的な出会いでもないよ?ただ、昔近所に住んでいただけ。
 それを偶然再会して、盛り上がって、付き合うことになったの。」

「はぁーーやっぱり幼馴染って強いのねえ。どこかの誰かさん達みたいに。」

「もう!ほら、今日は図書館で読書感想文の本を探す予定でしょ。早く行こ!」

「はーーーーーーい。」


桃色の期待とは真逆のつまらない返答に容赦のない感想を返し、気のない声と共に会計を済ませドアに向かう。
喫茶店のドアに向かうその制服の後姿は眩しくて、どこか郷愁を掻き毟られるような光景だ。
やっと園子ちゃんの関心が逸れた事に内心でほっとしていると、入口付近でくるりと蘭ちゃんが私の方へ振り返る。


「じゃあすぐ戻りますので、コナン君の事を少し頼みます。」

「はい、何かあればすぐに連絡しますね。いってらっしゃい。」


会計後のレジから離れてすっかり静かになった店内をぐるりと見渡した。
気が付けばちょうど喫茶店の隙間時間なのか、私ともう一人のお客さん以外は誰もいない。
そのもう一人とはカウンターの椅子でぷらぷらと細い足を揺らす眼鏡の少年、もといあの超有名人の江戸川コナン君がアイスコーヒーに口を付けていた。
小さな口がストローから離されて、こちらをじっと見上げてくる。全てを見透かすような視線に居心地の悪さを感じた。


「ねえ、さん。安室さんと恋人同士ってウソでしょ?」

「―――――、」


こちらを責める要素が一切含まれない、普通の声色で発せられた少年の告発にごくりと唾を呑む。
いや、思いがけなくはないはずだ。だって目の前の少年はテレビのお茶の間で漫画で銀幕で数々の難事件を解決してきたあの名探偵なのだから。
野暮ったい伊達眼鏡の奥に潜む理知的な瞳が私達の嘘を解明しようとこちらを見ていた。


「やっぱりコナン君にはバレちゃったね。ちなみにどうして分かったの?」

「安室さんは完璧だけどさんはもっと恋人らしい演技をした方がいいよ。だいじょうぶ、他の人にこの事は言ってないから。」

「ごもっともです・・・申し訳ないけどそのまま他の人には内緒にしてね・・・・」


君達みたいにその場で完璧に猫を被れる方が珍しくて凄いんだぞ一般人に無茶言うな、と内心で言い訳する。
だが的確過ぎる指摘に溜息を吐き、口止め料としてアイスコーヒーのお代わりを注いで差し上げた。
どう見ても小学生にしか見えない名探偵はガムシロップやミルクを入れることなく飲んでいる。ブラックがお好きらしい。


「ずいぶんあっさり認めるんだね。ボク、てっきりはぐらかされると思ってたよ。」

「透さんからコナン君に聞かれたらバラしていいよって言われてるからね。あの子は鋭いから気付くだろうってさ。」

「じゃあ本当の出会いはどうだったの?」

「・・・・それは秘密。」


出会いについて話そうとすると漫画の事とかうっかり余計なことまで喋ってしまいそうで、色々とややこしくて面倒くさくなる。
それにもし私がコナン=新一について知っているとバレると無用な詮索と不要な不安を呼ぶだけだ。
物語の蚊帳の外にいたい身としてはこれ以上あまり主人公と深く関わりを持っていたくない。
別にコナン君の人間性が悪いわけでは決してなく、だが死ぬのも事件に巻き込まれるのもごめんだと声を大にして主張したい。


「心配しなくても、私は透さんの仕事には一切関わってないよ。今日だって何をしてるのかも知らない。」


知らなければ、知らされなければ、情報を漏らすことなんてない。信用されていないと言われればそれまでだが、私はそれでいいと思う。
手持ち無沙汰にストローでコップの底をつつきながらコナン君は会話を続ける。氷が擦れてカラカラと涼やかな音がした。


「でもお仕事のことは知ってるんだ。つまり、ゼロの事も。」

「どんな立場かを知ってるだけで内容は知らないし知らされない。だから私から聞き出そうとしても駄目だよ。あと盗聴器とかも付けるのは勘弁してね。」

「やだなぁ僕はそんな事しないよ。」

「はっはっはっはっはぬかしおる。」


さすがに映画みたいに私に対してそんなんでよく公安が務まるな、なんて腕を捻られる事はないだろうが。そもそも公安じゃないし。
だが嫌味は確実に言われるだろうし、本当にそういった事情に私は関わりたくないのだ。関わって生き残る自信がない。それだけ自分の無能さの自負はある。

なんとなく窓から外を眺めて同じ空の下に居るであろう安室透について思いを馳せた。
少し曇った空を頭上に彼は今も労働に励んでいるのだろうか。安室透として、あるいは降谷零として、はたまたバーボンとして。
できれば怪我せず危ない目に遭わないで頑張ってほしい、私にできるのはそんな事を思うくらいだ。


「・・・・コナン君のことは頼りになるって言ってたから、これからも透さんとは仲良くしてあげてね。
 たぶんコナン君はあの人が寄りかかれる数少ない人だと思う。」


だからだろうか、そんなお節介な言葉が出てしまったのは。まるで恋人を気遣うかのような言葉に自分でびっくりした。
けれど今もどこかで苦労しているであろう彼の姿を思い浮かべたら、自然と口に出てしまう。私にできないことを年下の少年に求めてしまう。
私の発言に大きな目をぱちぱちと瞬かせて、少し考えてから少年は言った。


「そう言うさんだってそうでしょ。こうやって傍にいるんだから。」

「あはは、私はそんな能力というか資格?なんて無いよ。頭も悪いし運動神経もダメダメだし、」


本音を言えばこっちに来た時に都合よく特殊能力とかに目覚めていたらラッキーだったのだが、そんなに都合よくはいかないらしい。
もしもこれで私が原作全巻を全て読破済みの筋金入りのファンであれば私は稀代の預言者としてこの世界に君臨できただろう。

そうしておかなかった自分を悔やんでもしょうがない。
今日もこれからも殺人事件がどこかで起こるのを私は止められない。その過失からそっと目を逸らす。


(ほんと、そうしておけば少しはあの人の役にも立てただろうに。)


私はどこまでも普通―――よりもむしろ低能なまま、その事実を受け止めさせられてあの安室透の隣に立たされている。
正直言ってそれは太陽の傍で身を焦がされるように劣等感が刺激され苦しく思う。誰も恨めない身勝手な言い分だ。


「可愛くもないし、かと言って何か得意な事も浮かばないし、性格だってそんなに良いとは思わない。ほーんと役立たずなんだよねー。」


自らの無能さと不足を糊塗するように自分をなじる言葉だけが口をついて、最後は茶化すような口調でしめる。
いくらずば抜けて利発とはいえ自分は小学生相手に何を言っているんだ。いや高校生か。それでもずっと私よりも子供である事に変わりはない。


「だから透さんにはいつか本物の恋人ができればいいな、とは思う。頭が良くて、強くて、優しくて美人の。」


そうなったら自分がいよいよもって不要になると理解しながら言葉を続ける。
私とは正反対に高スペックな彼女なんて、それこそ彼が望めば簡単に手に入るだろう。
そうでなくとも彼がただ一言『要らない』と言ったら私はどうなってしまうのか。
悲しいくらいに頼る伝手がない。そうなる前に何としても現実に帰りたい。


「・・・・ボクは別にさんでも充分に、その、役に立ってると思うけど。」

「あはは・・そう言ってくれてありがとう。コーヒーもう一杯オマケしとこっか。」

「いやあのね、その、なぐさめてるとかじゃないんだ。」

「え?」


少年の意図が分からず間抜けな声が出てしまう。


「安室さんってお仕事上、演技が多いでしょ?
 だからお姉さんみたいに全部知ってて、演技をする必要がない相手がいるってそれだけでも気が楽っていうか・・救われてると思うんだ。」


それは、コナン君自身も?安室透に負けず日常を演技で着飾り続けている少年が言う。
漫画の長期連載ですっかり感覚が麻痺していたけれど、私はそこに元高校生探偵の悲哀を見た気がした。


「そっか、ありがとう。」


でもそうか、コナン君の言葉を信じれば私でも全く役に立っていない訳ではないのか。
それはなんだか嬉しくて、少しだけ自信が出る。自分が受け入れられたような、そんな。


「それにそこまであの安室さんがさんに話してるってことは、信頼されてる証拠じゃない?」

「―――――、」


ひゅっと呼吸が止まる。
少しだけ思い上がろうとしていた心が瞬間冷却され、再び地面に転がった。全ての動作が止まり表情までも凍らせた私に名探偵は露骨に訝しむ。


「・・・・さん?ボク、何か変な事言っちゃった?」

「ううん、何でもない。ありがとうね。」


それは、違う。違うんだよコナン君。私はキミのように名推理で真実を突き止めた訳でもなく、また降谷零からの信頼を得て彼の秘密を知った訳ではない。
本来なら背景のモブにすらならない私は偶然にも劣る手段で本人の同意もなく一方的に知っていただけだ。

だから、だから、

















だから、この状況も仕方がない。
手足をガムテープで縛られて身動きができず、無遠慮に頭に圧し掛かる足の痛みに呻いた。
床に転がされた状態で見上げれば銀行強盗の男が銃を片手に大声でわめくのを、他人事のように遠く感じていた。

視線を戻せば小五郎さんが犯人の説得を試みて、蘭ちゃんが凍り付いた表情で私を見ている。
コナン君は焦った表情で何かを考えているようだが名探偵でもこの絶体絶命の状況をひっくり返せるかどうか。


(どうしてこうなったんだか・・たまたま入った銀行でコナン君達と会ってすぐに強盗とか、
 そしてよりによって人質に選ばれるとか、米花町の犯罪率とコナン君の事件ダイソン力をナメてたな・・)


そして視線の更に奥には安室透が居た。安室透なら銃を隠し持っていたはずだからこの場を何とかできるかもしれない、が、しない。
もし銃を出せば何故そんなものを持っているのかを説明しなければならない。
だってそれはつまり安室透の正体を、降谷零の存在を、毛利探偵社その他諸々に明かさなければならなくなるということだ。それがどれだけのマイナスか。

私と目が合い、彼の指がぴくりと動いたがやはりそれまでだ。
自分の命の危機だっていうのに、あの朝の湖沼のように冴え冴えとした瞳が暴風雨に打たれた水面のように揺れるのを、私は何故かざまーみろと思った。


(本当は、助けてほしい。正体だのなんだの全て諦めて、私を助けてほしい。)


助けて。その一言をさっきから口にしようとして、でも呼気として唇から無意味に抜けていった。
彼が安室透を維持するためにどれだけ苦心してきたか、執念を燃やしているか、色々なものを犠牲として支払ってきたのか、私は知っている。
知識として知るだけでなく、近くでその懊悩を目にしてきた。理解してしまった。だから言ってはならない、でも助かりたい。


(いっそここで私の言葉から全部ぶちまけてやろうか)


どうせこのまま何もせずただ死ぬんなら全部言って、そして降谷零が私を助ける可能性に賭けたい。
公安だとか黒の組織だとか知ったことか、人の命が懸かってるんだぞ早く助けてほしい。
だが、しかし、それでも。何度かの葛藤の末、私の口から出たのは自分でも予想だにしない、意外な言葉だった。


「気にしなくていいよ。」


銀行強盗の大声に掻き消されながらも呟いた言葉は、しかし正確に彼の耳に届いたらしい。
あの湖面のような瞳が大きく見開かれるのと、説得に失敗し冷静さを失った犯人が爆発するのはほぼ同時だった。

そして銃声と共に私はまるでゲームの電源を落とすようにぶっつりと意識が途切れてしまった。



















「――――、」


ぱちっと目を開いてゆっくりと体を起こす。
周囲を見渡すとそこは私が安室透から間借りしている自分の部屋であり薄いせんべい布団の上であり、ついで頭が痛い事にも気付いた。
どうして頭が痛いのだろうと考えると、連動してここに寝かされる前の記憶が甦り、今更ながら体が震えた。死ぬところだった。

いやもしかしてすでに死んでいるのか?手の甲を少し抓るとちりりと痛みがやってくる。


「・・・生きてる・・・・・?」


てっきり、確実に、死んでしまったものだと思ったのに。
ぺたぺたと自分の頭に触れてもやはり穴は開いていないし血に濡れた様子もないので、生き返ったとかではなく本当に生きているだけだ。
あの状況でどうやって助かったのだろう。こちらの世界に来てからここ一番のピンチだった気がする。今更ながら身体が震えた。怖かった。


「生きてる・・・・・」


助かった原因として思い浮かぶのはあの小さな名探偵とスーパー超人公安様だが。
でも後者は私をあのまま助けないという選択を選んだのではないか、まさか、でも。
もし私のせいで彼の正体がバレていたら、今までの彼の苦労を水の泡にしていたら。

あんなに助かりたいと思っていたはずなのに、いざそうなると自分の軽い命との釣り合わなさに恐くなった。こんなの、助かったから言えることのくせに。
暗澹たる思いに沈んでいると、コンコンと扉をノックする音がして「どうぞ」と返す。
ここで部屋をノックする人物なんて一人しかいない。安室透がマグカップを片手に部屋に入ってきた。

無言で温かいお茶を差し出し受け取ると、背を向けて近くに座った。
物理的に表情が読めない。一度は命を見捨てられた女と見捨てた男というものすごく気まずい沈黙と空間が生まれてしまった。
別に喉は乾いていなかったが、手持ち無沙汰に紅茶を飲むと口の中に温もりが広がる。


「えっと、助かってよかった。割とマジで死を覚悟したんですが、あの状況から私ってどうやって助かったの?まさか透さんが?」


最後の言葉に広い背中がぴくりと反応し、自分の口の迂闊さに頭をぶつけてもう一度気絶したくなる。
しまった、最後の言葉は余計だった。ちょっと嫌味っぽくなってしまっ―――いや、でもこれくらい許されてもよくないか?私死にかけたんだし。


「恐らく赤井秀一が君を助けた。犯人の銃を狙撃してね、その隙に僕が犯人を制圧した。」

「恐らく?」

「あの狙撃の腕と、狙撃ポイントと思われる場所に誰もいなかったそうだから恐らくそうだろう。」


ああ、なるほど。あの赤井秀一に助けられたからこんなに不機嫌なのか。
安室透のファンであれば彼との確執の話は避けて通れない。
そんな相手に、自分が諦めた命を目の前で救われた事が腹立たしいに違いない。
そこには私の人権だとか感情だとかそういった目に見えない大事なものが勘定されていない気がするが。まあ部外者の私じゃあ二人の関係には叶うまい。


「しかしてっきり自分が撃たれたもんだと・・・あの後意識が途切れたし・・」

「赤井の銃声を君は自分が撃たれたものだと勘違いして気絶しただけだ。その後僕が家まで運んだ。」

「アッハイ、なるほどですね・・・」


つまり私が間抜けであったと。うーん、でもこういう不穏な事態というか荒事に慣れてないんだから仕方がないよね。
誤魔化すように再び紅茶に口を付ける。いつもながら甘さも濃さも精密に私好みに計算された完璧な一杯だ。
だからと言って簡単に今日の事は許せそうにはないが。


(コナン君はああ言ってくれたけど、やっぱり私ってその程度の存在だよなぁ)


分かっていたし恋人(仮)の立場になっても何度も自分にその事実を確認してきた。
だが実際に体感させられると胸が苦しい。仕事と私のどっちが大事なのよ!と化石時代並みの男女のやり取りが頭を過ぎり苦笑する。
まさか自分が似た様な事を考えるとはね。しかも漫画のキャラクター相手に。


(そりゃ仕事でしょ。にわか知識の私でもこの人がどれだけ苦労してるんだか知ってるんだから。
 それにもし私を選んだとして、その損害は?この人が黒の組織に正体バレることによって何人が死ぬ?私にそんな価値がある?)


いや、ない。私にそこまでしてもらう価値はない。
誰しも命の価値は平等だという欺瞞を裂いて名探偵でない私でも簡単に分かってしまう。
昼間にコナン君に話した通り、私には誰かの―――降谷零の役に立つような要素がまるでない。

もし私が最初からこの世界の人間だったとしたらまるで興味を持たれることもなく、ただ通り過ぎるだけの存在だっただろう。
だからこうして認識されて、傍にいるだけでも凡人には身に余る奇跡なのだ。恋人役をさせて頂いてるだけでも感謝しろ、自分。


「君は、僕を責めないのか?」

「えっ?」


こちらに背を向けた安室透の表情は相変わらず読めない。けれどその硬い声色から察するに落ち込む位はしてくれたらしい。
さすがにそれくらいはしてくれなきゃ困るけど、今度は別の意味で困る。
せっかくこちらが割り切ろう許そう水に流そうと内心で戦っているのに、そんな事を言わないでほしい。口汚い素直な罵声が出そうだ。

口を開き、閉じ、また開いて、また閉じて、しばらく繰り返して諦念の溜息が出る。
賢しくなりきれない私は素直な気持ちを白状することにした。


「100%の気持ちで許すと言ったらさすがにそこまで人間ができてないですけど、
 だからと言ってここで許さないって言っちゃうほど物わかりが悪くないです。」


それにもう既に自分が悪いと思っている人間を追撃して罰しても気分が晴れる訳ではない。
もしかしたらこのしおらしい様子も私を納得させる為だけの演技かもしれない。
でもそれを信じるちょろい自分でいてあげよう。うわー都合がいい。


「おぶっ」


安室透が振り返った、と思ったら自分の顔が熱い胸板に押し付けられていた。
突然の動作に紅茶が少し跳ねて手を濡らし、それを長い指が拭っていくのを感覚だけで感じる。
あれ?これ抱きしめられてる?そしてやんわりとマグカップを取り上げられて床に置く小さな音がしてからしばらくして、細く長い息を吐くのを聞いた。
それをきっかけに飛びかけていた意識を取り戻す。


「おおおおおおおおおどうした?どうした!?えっこの状況なに!!?」

「経緯はともかく、君は僕の正体を知る数少ない人間だ。それでいて仕事とは一切の関係がない、そこに僕が安らぎを得ているのは事実だ。」

「ちょっと待って無視か?」


私の動揺など置き去りにして進む会話はまるで昼の会話の続きみたいだ。
どうしてあの場にいなかった安室透がそれを知っているのだろうと疑問に思い、さすがの私も理解した。

こいつ聞いてやがったな。
だがそれを追及する場面ではないことくらいさすがの私でも分かる。後で問い詰めてやろうと決意しつつ流れに身を任せることにした。
今は大人しくコナン君からの言葉ではなく、安室透―――いや降谷零からの言葉を聞いていたかった。


「だけど、もう一度同じことがあっても僕は君を助けない。」

「・・・・うん。」

「君がもし、これから先に組織に捕まって拷問されても僕は君を助けない。むしろ僕はそうされる位なら君の口を封じる必要もあるだろう。」

「・・・・・・・・うん。」


事実確認のような平坦な声色にただ頷くしかない。
私がここで縋ろうが泣いて懇願しようが覆さない残酷な決定事項だと分かってしまった。そして私はそれを物わかり良く受け止める。
実際にそうなればお行儀よくいられる自信はないが、彼にしては珍しく演技のない誠実な言葉が聞けて―――今はそれでもいいと思えた。


「なんか安室さん、珍しく頭が悪いですね。そんなこと言わずに適当に甘い言葉でも使っとけば私なんてころっと騙せたのに。」


凡人の私と違って公安の怜悧な頭脳がらしくないミスをしているのをなんだか笑ってしまった。
こうして隙を見せることも計算かもしれない、でもやっぱりそれでいい。私は名探偵じゃないんだから。
されるがままだった手をおずおずと背中に回してみる。服越しでも筋肉が分かるくらい逞しい背中なのに、なんだか今日は小さく感じた。


「まあ、あの時も言ったけどその時は『気にしないで』いいですよ。」


こんな風に抱き合っていてもここに優しい愛はない。始まりも不誠実で、そこから時間が経っても不毛なまま。
私は安室透の助けがなければ生きていけないから頼り、降谷零は私を手元に置いて管理し、いざとなれば切り捨てると明言した。
どうやっても飾り気のない利害関係。


恋人を装うにしてもあまりにも不実な関係だが、それだけが私達を繋ぐ唯一のものだった。







































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あとがき。
何故都合よく赤井さんが助けてくれたかというと、実はその場に哀ちゃんもいたからです。
哀ちゃんはバーボンから身を隠すため息をひそめていたので、コナン君しかその事を知りません。


2018年 10月20日執筆 八坂潤
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