「す、すごい、本物のあの服部平次くんだ。」

「お、姉ちゃん俺の事知ってるんか?握手したろか?」

「わーい是非!是非お願いします!!」


差し出された私よりも大きくて色黒の手をぎゅっと掴んでから、ほぅと息を吐く。
精悍な顔に快活な笑顔、人よりも濃い肌の色、そして大阪弁。あの服部平次が午後のポアロに来ていた。
コナン君、蘭ちゃん、そして和葉ちゃんの四人でテーブルに座っているのはなんだかいつもの集まりという感じがする。

女性が自分の想い人と握手をしているという状況が面白くないのか、和葉ちゃんが少しだけ頬を膨らませたのが微笑ましい。
断じて彼女が心配するような下心は全くないので安心してほしい。ただのオタク精神です。


「ちょっと平次、なーにエラそうな真似してん!」

「いやいや、ほんとファンなんですよ西の高校生名探偵。ほんと嬉しいなぁ・・・ありがとう。」


そのまま流れでトレーを抱えたままにこにこと四人の会話に参加する。
この後の遊びの計画を立てているのは微笑ましいが、選ばれた場所は何かしらの事件が起こる事を確信した。
なんせ名探偵が二人揃って何も起きない訳がない。せめて殺人事件じゃないといいな、でも根拠は説明できないので頭の中で合掌。

名探偵コナンという作品における推しは安室透だけど、服部くんの方が(一方的に私が画面越しに知ってるだけの)面識が長い。
毛利探偵社御一行も初めて目にした時も感動したのを思い出して自然と頬が綻んだ。
今更だが自分が子供の頃から知っている相手に会うっていうのはやはり胸に来るものがある。
それになにより初対面で銃を突きつけて尋問してきたりしないという点で非常に高評価だ。
私を最初に拾ったのが安室透というのは当たりだったのか外れだったのか。


「そかそか、じゃあボウズ達とも知り合いみたいやし今夜俺らとお好み焼き食いに行くけど姉ちゃんも来るか?」

「えっ是非行きた、ぐえっ」

「すみませんがさんはボクとの先約がありますので。」


憧れの人達との食事という願ってもないお誘いに飛びつこうとした私の言葉は、急に後ろから襟首を掴まれて強制停止させられる。
自分の喉ながら鶏を絞めたような間抜けな声が出て、げほごほと咳込みながら背後を見上げると『ポアロの好青年アルバイト店員の安室透』が立っていた。
色素の薄い瞳と髪に反して肌の色が濃い彼は、甘く整った顔に清潔な笑顔を浮かべているが私の背筋ににはすっと冷たいものが走る。
彼にとって不本意とはいえ恐らくここで最も近くこの男を見てきた私には分かる。これもしかしなくても怒ってるな?


「というかバイト中なんだからしっかり働いて下さいね。確か混んでくる前にバックヤードの整理をするって話でしたよね?」

「ごめんなさい安室さん、ちがうんです。私達が呼び止めちゃったから、」

「いいんですよ蘭さん。さんの場合は仕事をサボりたいだけなので。」


あ、これ演技とかじゃなくて怒ってますね。人前だから抑え込んでるだけで二人きりだったら確実に嫌味を言われているやつですね。
労働において可能な限り手を抜きたい私と違い、非常に勤勉である降谷零は例え仮の姿『ポアロのアルバイト店員の安室透』でも全く手を抜かない。
だから本職で出世したんだろうなと他人事のように彼を評した。
その上何をやらせても完璧で超有能なんだからまったくぐうの音も出ない。何かの手違いで私にもその才能の何割か流れて来ないかな。


「あ、安室さん、私、」

「ほら、僕も手伝ってあげますから早く済ませますよ。すみませんが梓さん、何かあったら呼んでくださいね。」


抗議する間もなく安室透の手は鉄の鉤爪となって容赦なく私を引き摺って連行して行く。
遠ざかるコナン君に視線で助けを求めたが、少年は困ったような笑みを浮かべただけだった。

さっきまで温和な好青年だったはずの店員からの露骨な妨害にきょとんとした和葉ちゃんは、隣の蘭ちゃんに何かを耳打ちされ納得した表情になった。
きっと私と安室透が恋人関係だと教えたのだろう、二人揃って「嫉妬したのねキャー(ハート」みたいな乙女の視線を送っているが断じて違うと声を大にして言いたい。

みんな騙されてるぞ。
しかしそれを口にすれば本気で殺されかねないので、バックヤードの扉が閉まる音を聞きながら説教モードに備えて身を固くしているとあっさり男の手が離れていく。
きょとんとする私を他所に安室透はとっとと在庫の整理を始めていた。手伝ってくれるのは本当らしい。


「あの、一応ダメもとで確認したいんですけど、お好み焼き食べに行っちゃだめですかね?」

「お好み焼きなら僕がいくらでも作ってあげますから。」

「だって関西の人が焼くお好み焼きなんて絶対おいしいに決まってんじゃん・・そっちの方が、」

「はいはい子供じゃないんだから聞き分けて下さいね。」


梓さんが部屋の外にいることを配慮してか、口調は『恋人にも敬語を使う礼儀正しい安室透』のままだ。
そしてこの完全に食い意地の張った子供を適当にあしらう態度である。私は元太くんと同列なのか。流石に女として悲しくなってきた。


「そもそもこの僕が恋人なんだから高校生相手にみっともなくデレデレしないでください。」

「いや、でもこれにはちゃんと理由があってですね・・・」

「へえ?一応言い訳は聞きましょうか。」


作業の手を止めて腕を組みながら私を見降ろす姿は完全に厳格な裁判官のそれである。片手に木槌の幻覚まで見える。私が被告人か。
そしてさっきの言動をみっともないミーハーだと決めつけていたらしい瞳がすっと細まる。長い睫毛が落とす影が綺麗だなと思った。
頭の中で言葉を慎重に選びながら、恋人(仮)に小声で弁解を始める。


「だって私、こっちじゃ知り合いなんてほとんどいないし・・・いざという時に頼りになる人は増やしておいた方がいいかなって。
 服部平次くんは頭が良くて顔も広い有名人ですし、そういった点では絶対に仲良くしておいてこの先に損はないと思うんですけど。」


現状の私は一見すると衣食住が満たされて多少の娯楽も許されている、自分の立場を考えると破格の境遇にいる自覚はある。
だがそれは裏を返せば安室透に見捨てられたら即アウトなので、いざという時の伝手はいくらあっても足りない。
最終手段としてはコナンくんと灰原ちゃんに正体を知ってることを迫って博士の家に私も居候させてもらうという手もあるがさすがに良心が咎めた。
良心以外の要素で言うならば上手くいく保証もない。


(そして何より、あの銀行強盗の事件で降谷零は私を助けないと明言されちゃったから、
 同じような状況にまた陥った時に手放しで私を助けてくれる人脈はほしい。)


服部平次に対する親愛の情はもちろんあるが、大人としての嫌らしい保身もある。
厳選したはずの言葉が彼の琴線に触れたのか、秀麗な眉がぴくりと反応したのを見逃さなかった。
あれ、私かなり真面目な理由を挙げたはずなんですが。今更こんなちんけな計算に対して文句を言う様な聖人ではないはずだが。


「だからあんなに避けてた最近コナンくんや少年探偵団とも仲良くしてると?風見からも連絡先を聞いたようだな。」

「その方が安室透にとって都合が良いんでしょう。あと、風見さんには頭を下げてきちんと業務連絡用として聞きだしたので、
 その、彼が浮気しようとしたとかじゃないですからね。そもそも正確には浮気にはならないけど。」


互いに声を潜めてやり取りをしながら、彼の腹心の部下である風見さんから何とか連絡先を聞き出した時の状況を思い出す。
自分の上司の恋人(演技であることは彼も知らない)と連絡先を交換するなど、真面目な彼としては気が引けるだろう。
それでも降谷零の安否確認用としてしつこく説得し半ば無理やりに教えてもらったのだ。
傷付く必要のない良心を傷付けてしまって本当に申し訳ない。


「だからですね、今からでもさっきの約束を、」

「意外にも君に考えがあっての行動だとは分かった。」

「今更だけど結構透さんって私の事をかなり低く見積もってるよね。実際その通りだけど。」


私の真面目な告訴を受けて怜悧な彼の脳は何かを計算しているようだ。
そして一度目を閉じて短く息を吐いて、裁判結果を告げる。


「―――駄目だ。僕は秘密が漏れる可能性が増えることを許可できない。」

「うーーーーーーーん・・・それを言われると確かに・・弱いんですけど・・・」


現にこの人は日常生活でボロが出そうだからって私が家の中でも降谷零って呼ぶの禁止している。
私が普段使っている透さん呼びも彼からの指定だ。
ちなみに本名で呼ぶと容赦なく罰金を科されることになっています。
もう何回か課金して懲りて、依頼私は頭の中でも意識的に『安室透』と呼ぶようにしている。

確かに自分が絶対に何があっても秘密を漏らさないと誓うのは意識をしていても難しい。
一応は他にも説得の材料を探してはみたが、駄目だ。彼を納得させるだけの反証と信頼がどうにも出てこない。


「分かりました。諦めますけど、おいしいお好み焼き作ってくださいね。」

「いいですよ。腕によりをかけて作ってあげますから。」


声の音量を元に戻して、これ以上の説得は諦めて私も在庫整理を手伝うことにした。いや私が手伝ってもらっているんだった。
雑多になったコーヒー豆の種類や料理の材料を整理し、ついでに在庫状況をメモしておく。砂糖の量が少し心許ない。


「しかし話を中断させるんならもっとスマートなやり方があったでしょうに・・・
 恋人関係なのはお客さんには隠してるとはいえ、露骨に嫉妬しましたみたいな真似をされると後で炎上の可能性が・・・」

「意外ですね、君は炎上とか気にするタイプではないのかと。」

「まぁ、梓さんほどに深刻に気にはしてないけど帰り道に刺されたらどうしよう位は考えますよ。」


個人情報が晒されるという点で深刻に悩んでいないのは、私の実態がこの世界にはないからだ。
もちろん怖いと思う感情はあるが、現実の私には関係がないからそこまで恐ろしくはない。
相変わらず夢だか現実だかは分からない状況だけど。


「大丈夫ですよ、そうならないように上手く調整してますし、過激な手段に走らないよう誘導もしてますから。」

「うっわあんたそんな事してんのちょっと引くわ。ごめん違ったありがとう。」


まるで今日の晩御飯はシチューですよと言わんばかりにさらっと告げられた言葉に寒気がする。
本人は何でもないような態度で作業を続けているが改めて恐ろしい人だと思った。
もしもこの人が正義の道を選ばずに、その有り余る才能と整った容姿で悪の道を全力で走っていたら―――考えるだけで恐ろしい。


「透さんほんと道を誤らないでくれてありがとう・・じゃなかったら世紀の結婚詐欺師になれたかも。」

「それはどうも。ところでさっきから無駄口ばかりで作業が進んでませんが。」

「喜んで今すぐやります。」


気付けば私が無駄話をしている間にすっかり作業は終盤に向かっていたらしい。
やっぱり仕事ができる人だなーと思いつつ、仕事ができない私でも流石に何かやらなければと目の前の段ボールの中身に飛びついた。


「でもやっぱ惜しかったなー・・・あの子頼れるタイプなのに。
 コナン君と同じくらい頭がキレますから透さんも仲良くなっといた方がいいよ。」

「まだ言いますか。でも仕方ないですよ、安室透の設定ならあの状況に嫉妬しますから。」

「そういうものかなー。めんどくさい設定だな安室透・・・・」


返って来たまたしても硬質な声と慇懃無礼な態度。
そういえば何でまだ機嫌が悪い演技をしているんだろう、と思ったがなんとなく口にできなかった。
部屋の外に梓さんが居るとはいえ、もう人前じゃないんだからそこまで設定に忠実にならなくてもいいと思うのだが。


(イケメン大阪人の焼くお好み焼き食べたかったなーこっそりついていけないかなー)


人脈作りとか保身とかそういったつまらない計算を抜きにしてもあの四人と楽しい食事に行きたかった。
こちらでの乏しい人間関係は心をささくれさせる。

どうにかして懲りずにやはり付いていけないものかと考えていると、とんと軽く身体押されて、気付けば私は壁に押し付けられた。
突然の事で硬直する私の顔の真横を手が付く。安室透の甘く端正な顔が、間近での直視に耐えうる造りをしていない私の顔を無遠慮に覗きこんでいた。
感情の薄い瞳と美しい顔はぞっとするほどの色香を纏い、声を失う。え、なんです?この状況?


「二人とも大丈夫?まだ時間がかかりそうなら、」


扉を僅かに開けた梓さんが状況を理解して固まる。はい、これは有名な壁ドンってやつだと私も思います。


「ご、ごゆっくり・・・」

「ま、待ってーーー!!梓さんこれはちがっ、もごごご」


安室透が私の口を自分の大きな手で塞いでからもう片方の手で人差し指を立てて口許に当てる。内緒ですよのポーズ。
普通の人がやると寒い所作だが彼ほどのイケメンがやれば抜群の破壊力である。もちろんそれは単なるバイト仲間である梓さんにとっても。

梓さんは頬を僅かに桜色に染めて足早に去っていった。きっと彼女的には嫉妬させてお仕置きだぞ的な場面だとでも思ったのかもしれない。違うから助けて。
闖入者が消えて未だ硬直している私を薄青の目が見下ろしていた。そこには嘲弄の色を孕み、居心地が悪くなった。
互いの吐息すら感じるような距離で、しなやかな蛇に睨まれた醜い蛙はじっと身を硬くする。


「そういうものだよ。君は恋人がいないから分からないだけで。」

「いやいますけど!?」


食い気味に反応してしまった事に少し後悔。しまったもうちょっと考えて返答しないと嘘に真実味が出ない。
自由な方の手が私の頬に伸びて、止まって、指通りの悪い髪に触れた。蛇に爪先から飲み込まれている気分。


「悲しくなる嘘はやめた方がいい。」

「いやーいくら私がかなり残念な部類に入るとしてもそういう決めつけはよくないと思うなーいたんだよなーこれがなー。」


美しい顔を間近で直視させられる事に耐えられず視線を天井辺りに彷徨わせる私に安室透は酷薄な笑みを浮かべた。状況を楽しむ悪い顔だ。
ほんと何でさっきから微妙に不機嫌だったり、『恋人にも敬語を使う礼儀正しい安室透』を止めてバーボンっぽいモードに入ってるんだろう。
マジで怖い。あとこうやって詰められるのは昔だったらご褒美だったけれど、今は最初の出会いを思い出して本気で身が竦む。


「そのわりには僕が出会い頭に制圧した時に他の男の名前を呼ばなかったようだが。」

「わーなるほど頭良いー。」


だめだ嘘つきとしての年季が違う。
つまり最初からそれを見越しての恋人関係(仮)の申し出だったわけだ。
別に秘密にしていた訳ではないが知られたくはなかった。なんとなく、女のつまんないプライドとして。


「ありがとうございます勉強になりました次回は適当な、」

「だから次にそういう機会があれば僕の名前を呼べ。」

「う、うん・・?」


素直に頷きかけてしまったけれど、でも、でもそれって前に言っていた事と矛盾してないか?
愚鈍な私が指摘するよりもずっと早く、頭の回転が早い安室透は自分の発言の誤りに気付いた。
あるいはそれを分かった上での嫌味の可能性もあると思ったが、彼の瞳は僅かに見開いている。あの完璧超人にとっても予想外の事だったらしい。


「―――いや、やっぱり忘れてくれ。」


数秒の沈黙が永遠に感じた後、そう言ってから彼は足早に部屋を出て行った。
扉の向こうの彼はもうすっかりいつも通りの『ポアロの好青年アルバイト店員の安室透』なんだろう。


「・・・・・変なの。」


緊張から解放されてぽつりとつぶやく。またしても彼にしてはらしくないミスだと思う。
そんな期待させることを言うのが不誠実か、それとも嘘でも「何があっても駆けつける」なんて甘い嘘を言わないのを誠実ととるべきか、
計りかねて考えるのを止めた。それ以上踏み込むのは互いにとってよくない気がした。



結局、夕飯は約束通り安室透が作ったお好み焼きだったわけだが、大阪人が焼いた訳でもないのに嫌味なまでに美味しかった。







































おしまい
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あとがき。
大阪人の目の前でお好み焼きを上から鉄板に押し付けたら、割とマジなトーンで怒られたのを未だに覚えている・・


2018年 10月28日執筆 八坂潤
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