ぱち、とアラームを設定した訳でもなく自然に目が覚める。
窓のカーテンから零れる日差しはまだ弱く、まだ十分に陽が昇っていないことに気付いた。
まどろみながら枕元に充電されていたスマートフォンを探って時刻を確認する。うん、いつも通りの時間だ。


(こっちに来てから健康的な時間に目が覚めるようになったなぁ・・)


今日はポアロのバイトもなく一日休日。喜ばしい事だがこっちでは誘われる友人も誘う友達もいないから出掛ける予定もない。正直寂しい。
布団の中で二度寝しようか少し迷って、もそもそと這い出る。確か今日の朝は安室透がいるはずだから挨拶くらいはしておくべきだろう。
小さな手鏡で簡単にぼさぼさの髪を手で梳かしてドアを開くと、寝起き姿の私とは違ってもう完璧に身支度を終えている安室透が居た。
陽光に透ける金髪と色黒の肌に甘い端正な顔、すらりとした贅肉のない身体は大体の女性と男性の理想だと思う。見慣れてるはずなのに惚れ惚れしてしまう。


「おはよう、透さん。いつも早いね。」

「おはよう。君もいつも通りの時間に目覚めたようで何よりだ。」


何より?まあいいか。安室透の謎めいた言葉を考えるほどまだ寝起きの頭は稼働していない。
初めの内は抵抗があったものの、イケメンに対し己の惨めなすっぴんを晒すことにはもう慣れた。だって恋人じゃないし今後なる予定もないので関係ない。
家主に挨拶ミッションを無事に終えたので、寝ぼけ眼のまま布のソファーに座ってゲームアプリを起動する。
お金もかからずリアルの友人も居ない私にとってソシャゲは絶好の暇潰しだ。そろそろイベントを走らないと狙っていた報酬が取れない可能性がある。


(いい年の女がせっかくの休日にやることがソシャゲってのも悲しいけど、無料で遊べるのはいいんだよね。あんまりお金使いたくないし。)


背を預けていたソファーの背もたれが沈み込む感触がして、見上げると安室透が手をついてにこにこと見下ろしていた。
自分の家で、私に対して、ポアロで働いている時のような好青年な笑みを浮かべている事に逆に警戒心が疼く。
何故なら安室透=バーボン=降谷零を知っている私に対し、彼はこんなご丁寧な対応をしないからだ。むしろ扱いが雑なくらいだと思う。


「で、キミの本日のご予定は?」

「えっと・・・私は特にないですけど透さんはポアロのバイトでしたっけ?」


頭の中で警鐘を鳴らしながらも視線を移動して冷蔵庫に掛かっている百均のホワイトボードの予定表を確認する。
いつも安室透の欄はえげつないほどびっちりスケジュールが埋められているが、私の欄はいつもスカスカだ。ほっとけ。


「じゃあ僕と外出しないか?」

「え?ポアロのバイトはどうしたの。」

「梓さんにお願いして代打してもらった。もちろん君の代打も不可能だと伝えてある。」

「ふーん手回しがよろしいですこと。で、どこへ?」


過去の経験から学ぶに、この男の誘いに対して簡単にYESと言ってはいけない。安易に頷けば(本人がその気でなくとも)危険な現場につられて飛び込む羽目になる。
いや、そもそも一応はこんな風にNOの選択肢を与えられたのはもしかしたら初めてだったかな?いつもは連行してから内容確認だったような。珍しい。
男の私への対応の進化に内心で感心しつつも、なかなか返ってこない回答に言葉を重ねる。嫌な予感がする。


「どこへ・だれと・なんのために・出掛けるの?」

「君も無駄に知恵を身に付けてきたな。」

「頭の良い人が近くにいるからね。」


青色の瞳が挑戦的に細められる。ああ、これは獲物をどうやって仕留めてやろうかという狩人の目つきだ。
対し私は竹槍を構え徹底抗戦の敗残兵の目つき。もう雰囲気で負けていることは言うまでもない。
この頭の弱い女をどうやって誤魔化してやろうかとでも言いたげな顔でしばらく思案していたようだが、やがて形の良い唇が動いた。


「とあるホテルの会場で、僕と君と毛利探偵社が、鈴木財閥の主催するパーティに参加するため。」

「突然過ぎない!?そういうのってもっと余裕もって伝えるべきじゃない!!?」

「昨日ポアロのバイトで園子さんと蘭さんが会話しているのを聞いてね、無理やりねじ込ませてもらったんだ。」

「ねじ込めなくていいのに・・鈴木財閥の財力め・・・」


仕事の性質上、野次馬根性とは真逆の位置にいるこの男が無理を言ってまで晴れやかなパーティに参加する理由など、きっと彼にとって何らかの実利があるのだろう。
そして彼にとっての利益とは大体が自分の本職である公安の内容に直結する。つまり犯罪の匂いがするということだ。


「へー大変だねいってらっしゃいお土産は気にしなくていいからね。」

「君も来るんだよ。」


またか、またこのパターンか。口の端を引き攣らせて心底嫌そうな顔で透さんを見上げる。
そこにはさっきまでの好青年な笑顔ではなく、同じく笑顔だが私を威圧するものに切り替わっていた。
無駄な抵抗であると分かっているが、私の舌はそれっぽい理由を取り繕うべく活路を求めて必死に回る。


「いやー残念ながらワタクシお綺麗なお洋服なんてお持ち合わせてございませんのオホホ。」

「安心しろ灰被り。ヘアメイクもドレスも向こう持ちだ。」

「はー随分威圧的なフェアリーゴッドマザーですこと。魔法じゃなくて腕力ですべて解決してくれそうね。」


合わせていた視線をスマホに移し、会話の為に中断していたゲームを再開した。
絶対にここから動かないぞという強い意志を見せつけていく。


「残念ながら君も出席すると伝え済みなんだ。」

「申し訳ないけど体調不良とか適当に言っておいて。大体、そこまでして透さんが出席したがる理由って何?」

「公安としてマークしているお偉いさんが出席すると聞いてね―――情報を探る絶好の機会だ。その為に僕の手駒となる人物が少しでも多いと助かる。」

「手駒ねえ・・・。」


形式上は女をパーティに誘うという話なのにこの実利一辺倒の色気のない言葉にはさすがに大仰な溜息が出る。
オフでも恋人として常に扱われたいとは厚かましくて思わないけれど、でもたまには一人の女として扱ってくれてもいいんじゃない?


「じゃあ私がその気になるように説得してみてよトリプルフェイス様。」

「・・・・・ほう?」


露草色の瞳がすっと細められ腕も組む姿に少し気圧される、が、引かない。しばし無言の睨み合いをしたのち、今度は安室透の口から大仰な溜息が出た。
自分がめんどくさい事している自覚はあるがそんなに露骨にめんどくさそうにされると少し傷付く。
じゃあやめろよって話なんだけど、変に意地になってしまう。度重なる弾圧にささやかな乙女心が反旗を翻した。


「パーティの御馳走食べ放題。」

「私は元太君か!?それにどうせパーティなんてマナー気にしてお腹いっぱい食べられないよ!」

「じゃあ僕が家で君のために作る満漢全席。」

「うっ確かに魅力的だけどさっきと釣り方が似てるし、ねえマジで私って元太君的なポジなの?そんなことないよね?大丈夫だよね?ねえ!?」


ま、まさかこの男の中で私は元太君に次ぐ食いしん坊キャラとして確立しているのか。いやそんなはずは。
確かに透さんの美味しすぎる料理を残さず食べるせいで体重の増加が気になり始めたけど、こ、これは夢だからノーカンだし。うっ色々と怖い。


「あとは怪盗キッドが予告状を出したと聞いている。」

「えー怪盗キッド!?どうしようかな、それなら行きたいけど・・いやでもこれは逆に映画レベルのやばいことが起きる可能性が・・・?」


服部平次くんクラスの有名人の名前に露骨に声は上擦りテンションが上がる。
以前に山奥のお屋敷に宝探しで強制連行された時も来ていたらしいけど、その時はバタバタしていてしっかりと目撃できてないし。

でも映画レベルの災難が本当に起こったら割と本気でまずい。
前みたいに死なない程度に透さんが助けてくれるとは思うけれど、万が一の可能性もあるし。うーん悩みどころだ。


「うーん、怪盗キッド、でもこんな機会めったにないし、でもでも、うーん・・・」


露骨に怪盗キッドの名前に食いつく私の様子に呆れたような溜息をついて安室透が自分の部屋に消えていく。
自分の子供のような我儘に相手を失望させてしまったバツの悪さ。完全に自分のせいで教師に叱られた生徒の気分。


(どうせ断るつもりなんてないのに少し調子に乗り付ぎたかな。)


どうせ返事は決まっているけれど、でも少しだけ逆らってみたかっただけなのだ。
いつも何でもハイ分かりましたとこの男の言う通りになるのってなんだか癪じゃない?私だってたまにはこの鼻面に甘いニンジンをぶら下げられてみたい。
とはいえやっぱり罪悪感に耐えきれなくなって、ソファーから身を乗り出したところで安室透が白い袋を片手に提げて戻ってきた。


「あのさ、ごめん。どうせ断るつもりなんてなかったから、」

「少し黙っていろ。」


普段よりも硬質な声に内心で縮み上がる。やっぱり怒らせてしまったのかもしれない。
どうやって謝ろうか考えていると、すっと安室透が深窓の淑女に拝謁するように私ごときに跪いた。あの、プライドの、お高い男が。
自然と見下ろす形になった男の顔はやっぱり必要以上に美しくて、長い睫毛に縁取られた青い瞳は彫像の宝石のようでドキドキしてしまう。
ぼんやりと見惚れている前で安室透はさっきの袋から両手で何かを、繊細な細工が施された美しい青色のパンプスを取り出す。


「・・・綺麗。」

「これは君のために作らせた君だけのものだ。いずれ渡そうと思っていたがまさかこんなに早いとはな。」

「わ、私のため!!?い、いいいいいいいいよ、そんな気を遣わなくて、お金なら払うから、」

「君は本当に欲も色気もないな。」


そういうとこだぞ、と本人は至って平然と言いながら私の足の甲を指先でつつっと撫でて、あろうことか頬を摺り寄せた。
爪先に感じる人の体温と肌の柔らかさに今度こそ完全に思考も身体も停止してしまう。え、これ、何が起こってるの?現実?目は覚めてる?

それ幸いにと私の足を丁寧に持ち上げて靴を履かせ留め具をぱちんと鳴らせば、鳥肌が立つくらいにそのパンプスのサイズはぴったりだった。
新しいぬいぐるみをもらった少女のように目線の高さまで足をあげると、安いグレーのスウェットに不釣り合いなその靴はきらきらと輝いて見えた。
足元で小さく笑う気配がして、もう片方の足も同じように恭しく持ち上げられてデザインの靴を履かされる。お姫様みたいな扱い。


「あ、あのさ、」

「もう少し黙っていろ。」


次は私の顔に伸びてきた指先に思わず身を引いてしまうがソファーに凭れているので大した距離を稼げない。あの綺麗な顔が迫ってくる。
あっという間に捕まって、まだ少し乱れの残る髪の毛がそっと耳に掛けられた。無防備に晒された耳に少し重量感のあるアクセサリーが引っ掛けられる。


「どうか私めとパーティにご参加願えませんか?」


そしてトドメと言わんばかりに、安室透が再び跪いて片手を胸に当て目尻を少し潤ませて切なげな顔で懇願する。
イケメンが自分に傅くという倒錯的な光景に、高揚感で背筋がぞわぞわした。ああ、これ、やばい。
安室透と私はそういうのじゃないと分かっているのに、最高になけなしの乙女心に刺さってくる。トリプルフェイス様の本気すごい。


「・・・・よ、よろこんで・・」


お姫様とは程遠い間抜けな返事と同時に、甘ったるい空気を壊すようなピッという無機質な電子音。
一気に浮ついた高揚感から現実に引き戻されると、安室透が腰から取り出したのはスマートフォン。画面には録音終了の文字。
現状を理解し口から文句の言葉が出る前に抱きしめられる、と思ったら肩に担がれていた。私は米俵か!?


「ちょっと!!!!!!」

「言質はとった。―――ああ、風見か?協力者は確保した。手筈通りに進めてくれ。」

「クッソーーーー!!!分かってたけど嵌められた!ちくしょう!!!!」


さっきまでの甘ったるい空気はどこへやら。事務的な言葉に戻った安室透に肩に担がれながら、せめて降ろしてくれと身じろぎするがびくともしない。
その間も安室透は平然と片手で出掛ける準備を進めていく。諦めて逞しい背中を堪能していると上から透さんの上着を掛けられた。


「その靴には発信機、さっき付けた耳飾りには通信機能が付いている。女性向けに作らせたからデザインも怪しまれないだろう。」

「か、可愛いけど可愛くない機能!!」

「だが君のものだ。大事に使ってくれ。」

「・・・それは、その、アリガトウ、ゴザイマス。」


まるで私の重みなど感じないかのように平然と抱えたまま玄関のドアに手を掛ける様子に違和感。
このままお出掛けしますとでも言いたげな空気に慌ててストップをかけた。


「ちょちょちょっと待って透さん私このだっさいスウェットにお綺麗なパンプスで外歩くの??」

「君が無駄に駄々をこねるから待ち合わせに遅れる。会場までは車で行くから安心しろ。」

「いやいやいやいや会場で着替えるとしてもこれじゃ生き恥でしょ!!やっぱりちょっと怒ってない!!?」


やっぱり無駄に駄々をこねたことはまずかったか。せめて着替えだけでもお願いしますと懇願したが無情にも玄関は施錠されてしまった。
それならばと同じ建物の住人の注意を引いて目立たないようにとカタツムリのようにじっとする。悔しいが安室透の背中は広くて温かくて心地良い。


「でもやっぱり事件が起きそうな予感がするなー。私に大したことなんてできないけど大丈夫なの?」

「それでも僕にとっては貴重な協力者だ。靴の発信機と連絡用の耳飾りは手放すなよ。僕からの連絡はもちろんだが、いざという時に助けに行けなくなる。」

「気持ちは嬉しいけど前にも似たような言葉を聞いたよ。」


前に山奥の屋敷に強制連行された時の事を改めて思い返す。


「まあ、前みたいに事後承諾の強制連行じゃないだけ少しは進歩したと思っておく。」

「―――ああ、そうだな。」


最初から行き止まっているだけと思っていた私と彼の関係は意外にも好転しているらしい。
安室透も同じことを思ったらしく、本業の仕事の前だというのに雰囲気は柔らかいように感じた。

車の側でやっと降ろされて、いつも通り助手席に座ってシートベルトを着用する。視線は足を伸ばした先のあの青いパンプスに吸い寄せられる。
もう私達の間にはもうさっきのような甘ったるい雰囲気なんて微塵もない。いつも通り恋人らしさなんてない糖度の低い空気感。


けれど私達はこれでいいのだろうと、欠伸を一つしてから大人しく目を閉じた。







































----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
あとがき。
贈ってもらったアクセサリーはイヤーフック的なものだと思ってください。


2018年 11月25日執筆 八坂潤
inserted by FC2 system