「うー、さすがに冷えるなぁ。」


素手で玄関のドアノブに触ってあまりの冷たさに思わず手を引っ込める。一気に出勤の気合が削げたけどそこは我慢。
そういえば今日の天気予報のお姉さんは今夜あたりに今年初の雪が降ると言っていたか。いつの間にか雪が降る季節になっていたことに微かな感慨が湧く。
冷えた指先を擦り合わせて温めていると、首元にふわりと柔らかいものが巻きつけられた。温かくてほっと息が漏れる。


「マフラー?これ借りていいの?零さんの分は?」

「男物で悪いけど今日はこれ使って。僕はもう一つ予備があるから大丈夫。ほら、じっとして。」


わしゃ子供か、と思いつつも甲斐甲斐しくお世話を焼かれるのは悪い気はしないのでぐるぐると紺色のマフラーを巻かれるに任せる。
すらりとした長身を屈め、骨ばった大きな手に整った甘い顔を持つ目の前の男は降谷零。
長い睫毛に縁取られた青い瞳に見惚れていると、こんな綺麗な人が自分なんかの恋人だなんて信じられなくなる。まあそこに至るまで色々あった訳だが。


「どうした?」

「あ、いや、改めて見ると本当に綺麗な顔してるなって・・その、思って。」

「今更僕の顔なんて見慣れてるだろう。」

「そ、それはそうなんだけど・・・・」


マフラーを巻くてを止めてずいと顔を間近に寄せられる。こんな至近距離でも見ても零さんの顔は綺麗で、気恥ずかしさで逸らしてしまう。


「分からないかなーガラス越しに眺めていた美術品の、ガラスケースがなくなるとすごく気後れしちゃうっていうか、」

「・・・まあきみのその例えに乗っかるのなら、きみだけがその美術品にいくらでも触っていいんだから」


擦り合わせていた手をとられ零さんの頬に触れさせられる。今まで遠目に眺めるだけだった美しい名画は人肌を伴って温かく、柔らかい。
当たり前の話だが彼は美術品なんかではなく人間なのだ。それも、私だけが触れていいと彼は甘く囁く。
絹のように滑らかな肌の手触りに指先が攣れると、逆に擦り寄るように私の手に頬を寄せた。


「どんどん触って今の内から慣れてくれ。」

「は、はひ・・・」


間抜けすぎる返答に微かに笑う気配がして、さっきよりもゆっくりとした動作でマフラーが巻かれる。
指先に微かに掛かる金糸にくすぐったさを感じながら、けれど海の瞳が柔らかく凪いで細められているのに私も少し笑った。


「とりあえずこれでよし、今度防寒具を一緒に買いに行こう。」

「・・・うん、そうする。さすがに今の靴じゃそろそろ寒いからブーツも欲しい、というかちゃんとした冬服を買わなきゃそろそろきつい。」


防寒具を買う。私物を増やす。今までだったら何だかんだと理由を付けて先伸ばしたり断ったりしてきたけれど、今はそれを素直に受け入れた。


「結構バイト代も貯まってたし、いい機会だから色々と新調しようかな。」

「そんなもの、僕がいくらでも買ってあげられるけど。」

「いいの。元々このお金は―――私がいなくなった時に零さんに渡そうと思ってたお礼用のお金だったから。」

「それは、」


私の言葉に露骨に零さんの表情が曇る。感情の制御が人一倍上手いこの男が素直に感情を漏らすのがなんだか嬉しくて、軽く頬を掴む。柔らかい。
いつか自分が現実に帰った時、少しでもお世話になった恩を返しておきたくて溜めていた貯金。
別にこの人にお金なんか必要ない事は分かっていたけれど、それ以外に返せるものが自分にはないと思っていたから贅沢を我慢していただけ。


「でも、これからは自分の為に使おうかなって。ああでもお世話になった御礼がしたいのは本当だから、何か欲しいものがあったら言ってみて。」


私の言葉に先程とは打って変わって春の湖沼のように穏やかな目をした恋人が腕を組んで考えるそぶりを見せる。
大体の物は自分で買えるだけの財力を持つ男だがどうやら心当たりがあるらしい。何だろうと待っていると徐に形の良い唇が動いた。


「―――じゃあ、腕時計が欲しい。」

「腕時計!!?い、いや、もうちょっとカジュアルな値段で買えるもんにしてよ・・さすがに29歳男に腕時計贈れる程稼げてないよ!」

「いや、値段は関係ないんだ。きみが僕に贈るという意味を贈ってほしいだけだから。」

「意味?」


腕時計を贈る、意味?ちらりと彼の手首を見るとしっかりと腕時計が巻かれてるし壊れた様子もない。
今朝は安室透としての出勤だから普通のグレードの時計に見えるが、スーツを着た時の彼の腕時計が流石に高い物であることくらい分かる。
露骨に訝しんで考え込む私を零さんは猫科の笑みを浮かべて眺めている。これがかの有名な名探偵なら答えも分からろうが、一般人の私には難題だ。


「知らないのなら仕事が終わったら答えを教えてあげる。」

「ええ・・・今教えてくれればいいのに。何なら調べるし、」


スマホを取り出そうとした手をやんわりと阻止されて、そのまま手首をするりと彼の指が掴む。まるで腕時計を嵌めるように。


「今日一杯どういう意味か考えてみて。大丈夫、僕もきみに腕時計を贈るから。」

「それって結局私ももらってるからお礼にならないよ。」

「お互いに贈ることに意味があるんだ。」

「うーん、でも分かった、冬服買いに行く時に一緒に見よう。」


頭の良い男の考えることはよく分からないけれどこの美しい恋人は私から腕時計をもらうという意味が欲しいらしい。
値段は関係ないとは言われたが流石にあんまりな安物を贈る訳にはいかないし、まあそれ位のものはもらってるんだからいいか。
男の人の好みはよく分からないから今度一緒に買い物に行った時にでも選んでもらうということで。


「手袋は―――さすがに男物だと大きさが違い過ぎるな。」


私の手首に触れていた指が自然と私の指に絡められる。いわゆる恋人繋ぎというものが正直言ってかなり気恥ずかしい。
恋人ごっこの一環として周囲にアピールするために人前ですることはあったけれど、でも誰もいないここでそれをするのは改めて特別に感じる。

我ながら成人女性のくせにどうかとは思うが喪女にとってはこんなイケメンと手を繋ぐことすら刺激が強すぎる。
借りて来られた猫みたいに縮こまる様子に零さんは青い瞳をぱちぱちと瞬かせてから、精一杯目を反らす私と目線を合わせて少し悪戯っぽく笑った。


「これからもっとすごいことをするのに今からこれで大丈夫?」

「ングゥッッッッッ!!!!!」


変な声が出た。
彼の言う、すごいこと、の意味が分からないほど純情でもない。いやでも考えると付き合う過程すっ飛ばして同棲もしてるし当然の流れか。
そ、想像ができない。いや悔しい事にこのイケメン様は慣れっこなんだろうけど、その相手が自分というのがミスマッチ過ぎて申し訳なさすら感じる。今すぐ美貌が欲しい。


「・・・?それとも、僕としたくない?」


その聞き方はずるい。まるで拾われるのを待つ子犬のように悲しそうに、そして愛を請うように言われては堪らない。
そして心の隅ではむくむくと感情が育っていく。恋われる立場である彼が真摯に自分を恋う嬉しさと、それに応えたいという愛情。


「あ、いや、あの、その、したくない、わけではないんですけど、」

「そう、よかった。無理強いはできないから。」


私の言葉によくできましたとでも言うようににっこりと微笑んでからもう片方の手で私の耳に触れる。あれ、これ言質とられたのでは。
皮膚の厚い指が肉の薄い耳をゆっくりと弄ぶのを、別に直接胸や尻を触られた訳でもないのそわそわしながら何となく逃げられずにいる。
微かに身を引けばつかさず獲物を追う蛇のように食指が伸びて逃がさない。私の視線に彼は気付かない振りをする。


「えっ、というかですね、私相手にその、零さんは、いけるんですかね?」


恋人関係になってからもキス以上の手出しをしてないもんだから、このままなあなあでプラトニックラブが続くのかと思っていた。
それでもまあいいかと密かに考えていた訳だが―――私の幼い言葉に零さんはふっと大人びた笑みを浮かべ顔を近付ける耳元で甘い声が囁く。


「本当は今すぐにでもきみを抱きたいんだけど、休みがまだとれないから。」

「や、休み?」

「うん、3日くらいほしい。」

「・・・・・・・・何で3日間も?」


いや、その、私も全く詳しくはないんですけどセックスってそんなにお時間が掛かるものでしたっけ?え、これ常識なの?初心者なので分かんない。


「セックスするの久しぶりだから止まらないかもしれない。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いやそれは嘘でしょ。前に女の人とそういう雰囲気で夜の街に消えてったの目撃してるんですが。」

「あれはバーボンの『仕事』だから『セックス』じゃない。」


その意味するところは、人としての倫理観に照らし合わせればなんとも酷くて、なんとも舞い上がらせる言葉だった。
反射的に引けた腰を素早くぐっと抱き寄せて顎を持ち上げて目線を合わせられる。青い瞳の奥は露骨な熱を伴って、熾火のように燃え盛っていた。


「逃げてもいいけれど僕は捕まえるの得意だよ。これでも警察だからね―――大丈夫、約束は守るよ。」


でも優しくしたいからどうか逃げないでね。
縋るような言葉でありながら、その実態は決定事項のように絶対的で反論の余地はない。
逃げる気持ちなんて最初からないのだけれど、黙っておいた。言葉にし難い高揚感のようなものが背筋を静かに這い上ってくるのを、誤魔化すように言葉を紡ぐ。


「そ、それにしても3日って犬じゃないんだから、」

「僕はしばらくはきみにとって忠実な忠犬だから安心して。」


恭しく私の手をとって頭を撫でさせる。飼い主が犬を撫でるように、なんとなく手を左右に動かすと柔らかい金の稲穂が指先で揺れた。


「しばらく?」

「忠犬のままでいさせるのも、駄犬にするのも。狂犬にするのも、きみ次第ってこと。」


狂犬ってどういう、という言葉は合わせられた彼の唇の奥に吸い込まれていく。
触れるだけのキスが最後に私の唇を舌がなぞって離れて、少しの間の沈黙。間抜けに呆けた私に自称忠犬は微笑む。


「ああでもさっきの防寒具を買いに行くって話だけど、手袋を買うのはやめておこうか。」

「・・・・・・・え?何で?」

「だって手袋があるときみ手も繋いでくれないだろ?」


挑発的な言葉にぼんやりしていた頭がはっと覚醒し慌てて彼の指を強く握り返す。


「そ、それくらいできるわ!!!」


今度は自分から指を絡めてしっかりと手を繋ぎ、力強く玄関のドアを開ける。
鍵を閉める間も離れない彼の手を見ながら、あれもしかしてこれ嵌められたのではと気付いたけれど、そのままにしておくことにした







































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あとがき。
腕時計を贈る意味は、
@男性から女性への場合 「同じ時を歩んでいこう」
A女性から男性への場合 「貴方の時間を束縛したい」
B親から子への場合 「勤勉に」
だそうです。

地の文での降谷零の呼び方がフルネームではなく零さんとなっているのは、
夢主が彼を漫画のキャラクターとしてではなく一人の人間として受け入れているからです。

これで降谷零、バーボン、安室透とそれぞれで話を書きましたが関係性としては、
・安室透とは恋人ごっこ→薄氷の上でメンタル殴り合い
・降谷零との恋人関係→主従関係。降谷零が忠犬になって夢主が手綱を握っている
(というのも夢主が恋愛クソザコ経験値なため、相手が手綱を握っていると思わせた方がスムーズに進むと降谷零は理解している)
・バーボンとの監禁ごっこ→耐久値高い安室透のメンタルを夢主が一方的に滅多刺しにしているけれど、
彼を監禁という凶行に走らせたのは夢主のせいであり実際に行動に移してしまったのは彼である。
という感じです。よろしくお願いします。

2019年2月1日執筆 八坂潤
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