出勤の憂鬱な溜め息が白く煙る冬。いつもの午後。
喫茶店ポアロの在庫確認から店内に戻ると、梓さんと蘭ちゃんと園子ちゃん女子三人組がなにやら盛り上がっているようだった。他に客はいない。

カウンターで顔を突き合わせている女性陣と目が合うと、私の名前を呼んで自分たちの傍へ招く。
こういう時の話題はだいたい安室透絡みだ。気を抜いてヘマをしないようにと気合を入れて臨むまなければならない。
制服姿の女子高生二人からの出題を期末テストの答案を受け取る時のような粛々とした気持ちで待つ。やや憂鬱。


「その、参考までにお聞きしたいんですけど、安室さんへのバレンタインのチョコはどうされるんですか?」

「へ?」

「とぼけちゃってー!もちろん、安室さんに渡すんでしょ?手作り?それともどこかで買うの?」

「えーーーっと・・・そうですね・・」


バレンタインチョコ。バレンタインチョコ?私が、安室透へ?
いや、私とて原始人ではない。それがどういう行事でその行為にどんな意味を持つのかくらい、一般女子としてもちろん把握している。
しかし異性への恋愛感情を持つ事すらご無沙汰だった身の上としては、せいぜい珍しくて美味しいチョコを自分のご褒美に買うくらいのイベントでしかなかった。この時期の百貨店には夢が詰まっている。


(正直、カレンダーが二月に変わった時点で薄々考えてたんだけど、やっぱり渡すべきなのかな・・・)


恋人としてではないが、お世話になっている身としては日頃の感謝のお礼として渡すのが自然だと思う。
でも、相手とその立場が特殊過ぎるものだからなるべく考えないようにしていた。目を逸らしてきた問題をストレートで投げつけられた気分だ。顔面デッドボールだよむしろ。


(しまった、マジでノープランだ。どうしよう)


でもそういう目的ではないとはいえ、自分があの100億の男で全国のハンコ屋からその苗字の印鑑を在庫切れにした超絶モテ男にチョコを渡すのには勇気がいる。
しかも本当は部下や知人からのお土産も素直に受け取れない事情も知ってしまっている。

そう、率直に言ってチョコを渡しても喜ばれるイメージが全く湧かないのだ。
それどころか「ありがとう」と表面上はにこやかに受け取ってもらえるけど、こっそり処分される図のほうが鮮明に浮かぶ。
相手だって鬼じゃない、贈り物を無下にするのはちゃんと良心が痛むタイプだ。つまりお互いに不幸になるだけ。・・・想像だけで憂鬱になる。

まぁいい。ともかくこの場では自然な受け答えをするべきだ。


「どこかのデパートで買ってこようかなと思ってます。この時期はそういうイベントも多いですし」

「えーーー?それでいいの?手作りの方が気持ちがこもってるっていうか・・・他の女に負けちゃわない!?」

「負けるって・・・言わんとするところはわかるんですけど、ほら、あの人に手作りのものを渡すのってハードル高くないですか」


私達の視線は自然とカウンターの上に置かれた食べかけのケーキの上に集合する。
安室透の考案した半熟のケーキは喫茶店ポアロの人気商品だ。私も何度も試食に付き合ったからわかる。あれはおいしい。
他にもサンドイッチを始めとする軽食、甘いデザートにお土産用の焼き菓子・・・あいつ本当に何でもできるな。前にテレビ番組で見たおいしそうな料理もしれっと再現してたし。

恋人の料理上手に白旗宣言をあげる言葉に、三人の黒い瞳が納得と理解と共感の色を示す。


「それは、確かに・・・」

「気持ちはわかるわ・・・・」

「で、でも、大事なのは気持ちですよ!ね!!」

「あはは・・・ありがとうございます。でも、相手の好みや喜ぶ顔を想像しながらチョコを選ぶのも楽しいですよ」


今までに見た恋愛コンテンツパワーを総動員して、楽しそうな笑顔を作ってそれっぽいことを言う。
まぁ想像しているのは食べられることなくこっそりゴミ箱にボッシュートされた姿なんですけど。あいつのせいで私もとんだ嘘つきになったもんだ。

でも本当に気が重い。どうするのが正解なんだろう。ゲームみたいに3択画面が欲しい。
世の中の恋する乙女がチョコを渡すときはきっと相手に思いが届くかどうかを悩むんだろう。けど私ときたらその前のハードルで躓いている。


(・・・・悩むくらいならやっぱり礼儀として渡しておこうかな。ヤツには私のこの葛藤だって筒抜けだろうし)


お互いに打算コミコミとはいえ、自分のようなものを近くに置いてくれることに対する感謝の気持ちは示しておくべきだろう。何よりことらが無礼な立場をとった側になりたくない。
どうせ捨てられるんならそこら辺のスーパーで適当なやつを選んで渡せばいい。それなら捨てられてもお互いにそんなに心が痛まない。食べ物の粗末云々はこの際置いておくとする。

こちらの内心を知ってか知らずか、紅茶を飲み下した園子ちゃんが少し意地の悪い顔を浮かべる。
内心を見透かされていないかとドキリとする。まぁ結局杞憂だったわけだが。


「そもそも、安室さんが他の女からチョコをもらうのって恋人の立場的にどんな気持ちなの?ちょっとむかついたりしない?」

「え、だって、安室透がこの世に存在するほぼ全ての女からモテるのは自然の法則だし・・・逆に不安になる・・・この世の美的感覚が自分を除いて狂ったのかと・・・・」

「「「・・・・・・」」」


三人のやや引いた顔と室温の下がった空気。しまった、安室透がモテるなどあまりにも当然すぎてノータイムで気持ち悪い本音が出てしまった。
でも否定の声は出てこない。だって安室透がモテまくるのは公然の事実だからだ。

月が雲に隠れることを、花が風に散ることを。理不尽だと真剣に怒る人間が現代にどれくらいいるだろうか、いやいいない。それくらいなにも感じない。
あの安室透だし学校の下駄箱からチョコの雪崩が起きるくらいのポテンシャルはある。絶対。むしろその様子を見たかったくらいだ。


(しかし、どうせたくさんチョコをもらえるんなら食べきれない分は・・私にも少しくれないかな・・半分、いや一口でもいいから)


相手への贈り物をアテにするのは行儀が悪い。しかもバレンタインデーのチョコとなれば尚更だ。
ということは重々理解しつつも浅ましい期待はむくむくと育つ。安室透はどんなチョコをもらうんだろう?手作り?高級なやつ?質より量?すごく気になる。期待しちゃう。
言い方が悪いけど、どうせ捨ててしまうくらいなら私に譲ってほしい。そうすれば安室透も食べ物を粗末にせずに済むし私もおいしい。これこそ真のWin-Winでは?ヒュー!!


「「はぁ・・・・」」

「ええ、どうして二人してため息を・・・」


どうお願いすれば恋人(仮)からチョコを分けてもらえるのかを真剣に考え始めたところにため息の二重奏。
まさか今度こそ本心が見抜かれたのかと顔が引き攣る。未来ある花の女子高生二人に軽蔑のまなざしを向けられるのはさすがに避けたい。


「いえ、その・・・余裕があって羨ましいなって、思っちゃって」

「余裕?」

「そうそう、安室さんって死ぬほどモテるから競争相手多いじゃん。なのにぜんっぜん不安がなさそうっていうかさぁ・・・正妻の余裕ってやつ?」

「せ、正妻・・・・はは・・」


正妻って。そもそも妾ポジションにすらなってないんですけど。それどころかペットの位もあやしい。
さすがに友達くらいには昇格していると思いたいが、聞くような内容でもないしそもそも怖くて聞けない。もし正面から否定されたら立ち直れないし。

園子ちゃんの手がメニューを開いて、挟まれた付箋の文字を追う。
来る日に備えて急遽作られた注意書きに呆れた表情を浮かべた。そこにはポアロのバレンタインデーならではのお願いごとが書いてある。


「だって、安室さんのためにバレンタインデーの当日は席が時間制になるんでしょ?すんごい人気よね・・・アトラクションかっての」

「そういえば、安室さんが作るバレンタインデー限定メニューもあるんでしょ?いいなぁ、ちょっと食べたいかも」

「あ、それ私も楽しみなんです。きっとチョコレートにちなんだお菓子だと思うんですけど、当日まで秘密なんですって」

「・・・・・・・」


安室透のバレンタインデーの当日の動きと予想に盛り上がる三人。私としては、あの男がバレンタインデーの出勤に快く応じたことが意外だった―――てっきり理由をつけて断るかと思ったのに。
だって、仕事柄あんまり目立ちたくないはずだし、他人からの贈り物を素直に受け取るようなこともできないはずだし。
どうしてだろう。私ごときが想像できる理由やハードルなど、彼にとってはどうとでもなるという事だろうか。

ちなみに恋人という立場への配慮なのか、私のシフトは自動的に休みになっていた。出勤がないのはいいことなので異論はない。
相手が確実に帰ってこない時間で、最近セールで買ったゲームでだらだら遊びながら怠惰な一日を過ごすという計画が頭の中で確立している。ちょっと楽しみ。


(しかしなるほど、そりゃ安室透のことを真剣に好きな女だったら不安になったり嫉妬したりするよね・・・ちょっと反応が淡白過ぎたかー。
 でもそうはいってもやっぱりそういう気持ちが1ミリも湧き上がってこないし・・・恋人のフリって難しいな・・・)


頭の中で腕を組んで悩んでいると、ふと場が静かなことに気付いた。
頬杖をついた園子ちゃんの茶色い髪が空調の風にさらりと揺れる。小さくため息をつく蘭ちゃんの目もどこか遠い。

ふむ。そういえば二人のそれぞれの想い人といえば人類やめてるレベルで強いと噂のイケメン空手家と、世間を騒がすイケメン高校生探偵だった。
恋人が人類をやめている噂があって頭が良くて高スぺックという点では共感を覚えなくはない。私の場合は(仮)が付くけど。


(まぁモテますわな・・・でも二人とも園子ちゃんと蘭ちゃんのことガチLOVE勢なので心配はないんだけど)


そんな野暮なことは口には出さないが、でも相手が自分を好いていてくれるのか不安になる姿は不謹慎だけど眩しく見える。
不安の量に比例して相手への想いが強いのだ。これが本来あるべき姿。恋に悩む乙女の模範解答。私には一生頭を捻っても出てこないもの。胸の奥にゆっくりと温かい水が滲んで染み渡っていくような気持ちになる。

見えない場の流れを断ち切るように、ぽんと蘭ちゃんが軽く手を叩いて名案を打ち出す。恋する女の子の目はきらきらとしていて宝石みたいだ。


「あ、じゃあ今度みんなでチョコ買いに行きませんか?手作りでも市販品でも、参考になるかもしれないし」

「いいわねそれ!梓さんだってあげる相手いるんでしょ?」

「そうですね・・・私もまだ買ってないし、いい機会かも」

「私もそうしてもらえると助かります。まだこの辺慣れてないので・・・」

「やった!じゃあコレ見て!デパートのチョコのカタログ!」


園子ちゃんの鞄からずらりとチラシと小冊子が出てきて机の上を華やかに飾る。良い大人ではないので学校に持ち込んだのかコレなんて野暮なことは言わない。
様々な種類、色もふんだんに取り揃えたチョコレートは写真越しでも魅力的で、ぜひ自分こそを買えと視覚へ訴えてくる。
女子高生二人はお互いの好きな相手の好みや自分のお財布と相談して、真剣に議論している。大人がその財力で自由に買えるが子供はそうはいかない。とても尊い議論だ。


(いいなぁ。私も好きな人ができたらこんな風に眩しくなれるのかな)


ちょっとイヤな言い方をすると、一般女子高生である蘭ちゃんはともかく、鈴木財閥のご令嬢の園子ちゃんのお財布は強い。
そうでなくても家のシェフにでも頼めば誰もが満足するチョコレートを手に入れられそうだが、そうしない。真剣に相手の喜ぶ顔を考えて、眉根を寄せて悩んでいる。
二人とも何を買っても絶対に相手が喜んでくれるなんて慢心はしない。実際は喜ばれるだろうけど、でも心から好きな人に喜んでもらいたいから。


(・・・・チョコ、真面目に選んでみようかな)


例え、捨てられるとしても。どんなに真剣に悩んでも無駄に終わる可能性が高くても。
ひたむきに純粋で綺麗なものを見て、その恋するオーラにあてられて自分もそうありたいなんて。柄にもなくちょっとだけそう思ってしまった。






























なーーーんて、やめておけばよかった。

バレンタインデー当日。夜の帳が下りた窓の外には町明かりが遠く散っている。
テーブルの上に置いた黒い紙袋を睨み、天井を仰ぎ、でかいため息をついて顔をうつ伏せて、また睨んで、仰いで、ため息、うつ伏せ。意味の薄すぎるループ。
しかし当の本人としてはこの上なく葛藤し苦しんでいた。後悔するくらいならやらなきゃいいのに、といつも後悔するときに思う。


(・・・女子高生の恋するキラキラハッピ~オ~ラに浮かれて私もつい真面目にチョコを選んじゃった。どうするかなコレ)


あの想像を絶してモテる安室透のことだ。きっと高級チョコなんて飽きるレベルでもらっているであろう。
だから高くはないけれど本人の嗜好そのほか諸々を考えて、おそらく喜んでもらえる物を選んだつもりだ。正直いってちょっと自信すらある。でも。


(でもそれだけに断られたら、もしくはその場では受け取ってもらえるけど後でこっそり捨てられたら、すっごく落ち込む。うーーーわ泣きそう!
 あーーーーもうばか!やだ!!やっぱり適当にそこら辺のコンビニとかで買っておけばよかったんだって!それだったらダメージ少ないのに!!)


埃をかぶっていた乙女心回路を動かしてしまったことに深い後悔。ガラにもないことをするんじゃなかった。本当に。
でも実在する二次元の推しに実際にチョコを渡せるというまたとない機会に浮かれていたのも事実なわけで。

とりあえぜ後悔してもしょうがない。ポアロのバイトだってそろそろ終わる時間帯だ。今ならどうとでもなる。
この劇物をヤツが帰ってくるまでにどうすべきか真剣に考えなければ。


(・・・いっそなかったことにする?そうだ、渡さないでこっそり食べちゃええばよくない?どうせたくさんもらってくるんだろうし・・・。
 私が渡さなくたってなんとも思わないでしょ。受け取っても捨てられるかもしれないなんて、しんどい疑心暗鬼になるくらいなら・・うん、そうするべきだ)


どうそれっぽく言い訳をしようとも、結局は相手が喜ぶ可能性よりも自分が傷つかない可能性のほうを選びたいだ。
そんな己のチキンぶりに落ち込む。でも失敗するよりはずっといい。そういう選択肢を選んで生きてたし、これからもそうだろう。


「ひっ!!」


そうと決まればチョコは自分の部屋に隠しておこう。そう思った矢先、まるで神様が図ったようなタイミングで玄関の鍵が開く音がしてその場で飛び上がった。
マジか。予想よりもちょっと早い。今日の激戦区を労わって店長が早く帰るように促したか!?気遣い100点満点だけどこの場合は困る!!!


「・・・、・・・!!・・・、・・・・・・!!!!」


お世辞にも良いと言えない頭で煙が噴き出そうなほど迷う。
部屋に駆け込めば間に合う?いや、ギリギリ間に合うけど不審がられるかも。こんな事で相手から不信感を買いたくない。せっかく最近ちょっといい感じに交流できてるのに!

なけなしの脳細胞を全力フル回転させた結果、チョコは机の下にさっと隠した。
自分は何事もなかったかのように顔を澄まして腰を下ろす。ダメ押しで爪先で紙袋を移動させて相手から見えないであろう角度に寄せる。
よし、この場所なら床をわざわざ覗き込まない限り見つからない、だろう。たぶん。きっと。後でこっそり回収しよう。

足音が近付いてくる。まさかこんな形でトリプルフェイスに隠し事をする羽目になるとは、つくづく慣れないことはするもんじゃなかったと後悔を追加で大さじ一杯。


「・・・・・・」

「おかえりなさい、降谷さん。・・・あの、大丈夫ですか?」


珍しく無言で帰宅した降谷零の美貌には深い疲労の色が張り付いていた。獅子の鬣のような金髪はくすみ、あの海のように青い目も虚ろに感じる。いや、たぶんそう。
いつもは律儀すぎるくらいにただいまの挨拶をするのに、無言のまま私の前に座って長い指を組んだ。そしてあらゆる感情を押し殺したような長いため息が続く。

しばしの沈黙の後、彼にしては覇気のない声色で小さく呟いた言葉はもっと彼らしくなかった。


「―――疲れた」

「え、マジ?」


思わず素で返してしまった。でもそれくらいの衝撃だったんだからしょうがない。
どんな困難にも果敢に立ち向かう無敵の男。黒の組織と喫茶店員と公安警察というとんでもないハードスケジュールで生きている、あの降谷零が。

私の前で初めて弱音を吐いた―――その衝撃に固まる。

一緒に暮らし始めてからそれなりに経つが、こんなに弱りきった姿は初めて見た。いや、怪我をして肉体的にボロボロになった姿は何回か見てるけど。
でもその傷の痛みにも手がすべって消毒液をぶっかけた時にも、この男ときたら弱音の一つも漏らさなかった。どんなメンタルなんだと改めて恐れ入ったものだが。

ぽかんと自分の口が開いていたことに気付いたのは、口の中がかなり乾いてからのことだ。乾いた舌をゆっくり動かす。


「お、お疲れ様です・・・あの、やっぱり大変でした?バレンタインデー」

「今までのどんな任務よりも精神的に疲れた」


優美な曲線を描く顎を手に乗せて遠い目をする。残業明けのサラリーマンのように気の抜けた仕草だ。本当に珍しい。
しかし過酷な任務も誰にも漏らさず黙々とこなしている男にここまで言わせるとは、今日のポアロはどんな戦場だったんだろう。・・・梓さんも店長も死んでそうだな。


「やっぱり大変だったんですね。・・・だったらシフト断ればよかったのに」

「断るとお店やみんなに迷惑がかかる。それに後日押しかけられるだけだ」

「まぁ、それは、そうかもしれないけど」


私よりもずっと頭がいい男の言葉はどこまでも正論だ。凡人の反論の余地なんてないほどに。
それでもモヤモヤする。その原因はなんとなくわかっているが、でも本人が不満を言っていないのに私が悩んでもしょうがない。だからもっとモヤモヤする。

しばしの気まずい沈黙。
部屋に戻って早く寝るように促すべきか。でも、なんとなくだけど、今の降谷零は誰かに傍に居てほしいように見えた。目の錯覚かもしれない。
とりあえず冷蔵庫の麦茶をコップに注いで相手の前に差し出すと、短く「ありがとう」と返ってきた。


「・・・・・・・」


伏せた長い睫毛に縁どられた青玉がコップに浮かぶ氷をぼんやり眺めている。改めてじっと観察するとはっとするほど綺麗な男だなと思う。
ただの疲労の色でさえこの男にかかれば気怠げな色気を放っているとも言い換えられる。
女の私からしても本当に羨ましくなるくらい美しくて、でも今はあんまり欲しいと思わない天性の才能だった。

と、ここでやっと違和感に気付く。名探偵じゃないんだから今更でも仕方がない。


「あれ、そういえばチョコレートもらってこなかったんですか?てっきり1tトラック牽引レベルでもらってくると思ったんですけど」

「君な・・・僕のことを漫画のキャラかなにかと思ってないか?」

「ソンナコトナイヨ」


じと、とこちらを睨んで呆れた声を出す降谷零から全力で視線を逸らす。やべ、今の言葉はいやな意味でドキっときた。
だがそれ以上追及するつもりはないようで、艶っぽい唇が露骨に大きなため息をつく。平坦な声色で無感情を吐き出す。


「もらわなかった」

「え!?うそ!!?いや、だって、あの安室透が!!?」

「もらっても僕の口に入ることはない。だから全部断った」

「・・・・そっか、そりゃ、うん、そうだったよね・・よかったね、上手く断れて」


そりゃもちろんこの男が一個も渡されませんでしたはありえないか。・・・相手には悪いけどやっぱり近くで見たかったな、その漫画のようなモテっぷり。

視線は目の前の男に固定したまま、足元の袋に意識を向ける。
こんな様子だと渡しても贈り物どころか不幸の手紙でしかない。渡さずに隠しておいて正解だった。
覚悟はしていても相手のために選んだものを食べてもらえないのはやっぱり少し寂しいけれど、善意は押し付ける物じゃない。あとでこっそり食べよう。


「言葉で納得してもらえないだろうから、ちゃんと桃の実は用意したよ」

「桃の実?」


謎めいた言葉と共に、鞄から水色のリボンでラッピングされた透明の袋を机に出す。
中には茶色くて丸い見覚えのあるお菓子が二つ入っている。マカロンだ。ちょっとお高いイメージがあって、見た目が可愛いとくれば大体の女の子は喜ぶだろう。私も好きだ。


「マカロンいいですよね。買ってきたんですか?」

「いや、作った。それは君の分だから受け取ってくれ。君は僕のお菓子が好きだろ?」

「大好きだけど・・・作ったの?これ。売り物にしか見えないしマカロンって作るの難しそうなのに、・・・ってできちゃうか、安室透なら」


ぴらぴらと袋を引っくり返してみるが商品ならあるべきバーコードが見当たらない。
既製品をただ袋に詰め替えただけという手もあるが、この凝り性の男がそんなつまらない見栄を張ることはないだろう。うーん、さすがである。


(今日は私がお菓子をあげる日なのに、逆にもらっちゃった。いや、あげる予定はなくなったんだけど)


お言葉に甘えてリボンを解いて中のマカロンを取り出す。色々な角度から観察しても、ショーケースの中に並んでいても遜色ない出来だ。
そっと齧ると上品な甘さが口の中に広がって幸せな気持ちになる。だらしなく緩む頬で察したのか、降谷零も満足そうに柔らかく微笑んだ。

最初の一つはぺろりと胃袋の中へ。もう一つはじっくりと口の中で味わってから飲み込む。やはりおいしかった。


「おいしかった!これが例のバレンタイン限定メニューだったんですね」

「半分正解で半分違う。それは僕が個人的に作ったものだからお店とは関係ないよ。お金はもらわないし、材料も自腹」

「えっ」


さらっと返ってきた自己犠牲発言と全く苦に思っていなそうな様子に思いっきり顔が渋くなった。さっきは押し殺したモヤモヤがぐっと大きくなったのを感じる。
マカロンの幸せな余韻が口の中でぐっと苦くなった気がする。そんなはずはないのに。

私の苦い顔の知友を、この男にしては珍しく推理を外したようだ。聞き分けのない子供を宥めるように穏やかに声を掛ける。


「そんな渋い顔をするなよ。ちゃんとお店で出してた限定メニューのケーキもとっておいてある」

「・・・・・・・」


そうじゃないんだけど、それはそうとして嬉しいけど、また別の意味で複雑だ。この男は私を何歳児だと思ってるのか、たまに不安になる。

こちらの疑念たっぷりの視線に気づいているのかいないのか。今度は白い小さな箱を取り出して、その中身を見せてくれる。
箱の奥にちょこんと鎮座していたのは、チョコレートでコーティングされたシンプルなケーキだった。表面には星屑のような金粉が微かに散って上品さを引き立てている。
デパートの催事場で似たようなものを見たから正式名称が分かった。ザッハトルテだ。こいつ、こんなのまで自作したのか。たかがお店のために。


「降谷さんがウルトラ凝り性なのは知ってるけどここまでしなくたって・・・マカロンまで作る必要なかったでしょ。大丈夫?寝てなくない?」

「いや、必要だよ。イベント限定メニューを出すと店の売り上げが伸びるし、マカロンはチョコレートを渡されるのを断った時に渡す用」

「べつに、いつもみたいに『お店側の方針でそういうのもらえないんです』って断ればよかったのに」


私の真っ当な答えにさっきの疲労のため息よりも大きなため息が返ってきた。
綺麗な顔には現代日本においても石器を振り回す原始人を見るような呆れ顔が貼りついている。そこまで最悪か!?私の回答は!


「・・・君、本命の異性にチョコを渡したことないだろ」

「なっ・・・くは、ない、ある!・・・・いや、すみません見栄はりました本当はないですごめんなさい」


さっきは推理を外したくせに、今度は真理を突かれて動揺。ヒントもないのになぜ?
咄嗟に見栄を張ろうとするも、秒で諦める程度には賢明だった。・・・・最初から無駄に足掻かずに諦めていたらもっと賢明だったとも言う。人生はままならない。

恋愛幼稚園一年生の残念生徒に歴戦錬磨のベテラン教師が再びのため息交じりにご教授して下さる。


「バレンタインのチョコを断るのは簡単じゃないよ。だって、そういう意味で渡してくるんだから」

「・・・・あー・・・そりゃそうですよね・・」

「普通に断れば相手を傷付ける。場の空気が悪くなってお店の雰囲気にも影響する。だから、『これが僕からのバレンタインです』と申し訳なさそうに断って、渡せば、大体は諦めてもらえる」


ロープを辿って深海へ潜っていくように、昼間の記憶を思い出していくにつれて金糸の下の青い瞳は翳っていく。


「それでも何人かは食い下がる子がいる。それを説得して、宥めて―――疲れた」

「――――、」


降谷零の今日の一日を想像してみる。
朝方に喉が渇いて目を覚ました時にはもう玄関の靴がなかった。窓の外はまだ暗かったのに。今思えば、もうお店に行ってお菓子の仕込みをしていたんだろう。
そして開店すれば安室透目当ての女性客でお店は混雑し、チョコを渡したいと躍起になる女性陣への対応もしなければならない。

自分の好意を拒絶された相手は当然傷付く。傷付けた相手の心をフォローする。食い下がられる。より言葉を尽くして説得する。
よっぽどの悪人でもない限り、自分を好いている相手を拒絶し続けることに良心の呵責を感じないことはない。ましてや悪の組織に潜入してでも正義を為そうとしているこの男なら。


「ごめん。軽率だった」


意味のない謝罪。自分の頭の悪さと想像力の低さを恥じ入るが、降谷零は特に気にした様子もなかった。
異性にモテるなんて、生まれてこの方未経験の立場からすればとても羨ましく感じるのに、この男ときたらちっとも幸せそうに見えない。むしろ不幸にしているようにも思える。
普通の職業なら素直に受け取っていたのだろうか。いや、普通に生きてたらとっくに結婚して幸せな家庭を築いているんだろう。その道を捨ててまで正義を選んだ。


(警官なんて目指さなきゃよかったのに)


目指した理由は知らないが、でも続ける理由は知っている。
心身ともに傷付いても逃げずに立ち向かう降谷零の姿に心を動かされて、ファンは心のサイリウムを振り続けている。私もその一人だ。私もこの人が好きだ。


「・・・・・・」


一拍考えてから立ち上がって決意してから自分の部屋に移動する。
ベッドの下というベタな隠し場所からあるものを取り出して、何事かと見守る降谷さんの前にそれを置いた。細長い白の紙袋の中にはお酒が入っていた。


「よし!!!酒飲んで忘れましょう!!!!」


相手の返事を待たず、食器棚から栓抜きとガラスのコップを二つ取り出す。
次に紙袋から取り出したのは細い瓶のワインだった。降谷零の目が興味深そうにラベルの文字を追う。


「へえ、アイスワインか。珍しいな」

「試飲させてもらったらすごく甘くておいしくて・・・お値段は結構張ったんですけど、一目惚れしてつい買っちゃいました」


本当は一人でこっそり飲む予定だった。もっと言えば安室透がもらってくるであろうチョコレートに合うお酒として買った。というのが真相だが黙っておこう。

振り返ってみれば、この人の前でお酒を飲んだことがない。しかもこのアイスワインは度数が高いから少し引っ掛かる。
自意識過剰なのは重々承知だが、恋人(仮)でしかないのに酔った勢いで・・・などという事になるのは万が一にも避けたい。特に相手に申し訳ない。

でも降谷零の傷付いた姿を見て私も何かしたいと思ったのだ。その手段が酒というのもどうかと思うが。


(降谷零には気持ちよく酔っぱらってもらって、私が理性を手放さなければいい。ヨシ!)


慣れないコルク栓に苦戦していると、横から大きな手がワインと栓抜きをさらっていく。
降谷零は慣れた手つきでポンとコルクを開けて、まるで上流レストランのウエイターのように洗練された動作で琥珀色の液体をグラスに注いだ。
室内にぱっと広がるアルコールと葡萄の芳醇な香りについ頬が緩む。そういえば誰かとお酒を飲むのって久しぶりだ。


「手慣れてますなぁ」

「仕事柄ね。・・・うん、いいワインだ。独り占めしてもよかったのに」

「いいワインだからこそ、一緒に飲みたくなっただけですよ」


初めて一緒にお酒を飲むこと、どうして今まで一緒に飲まなかったのか、その両方に聡い彼はきっと気付いている。でも何も言わない。
私と目線が合うとふっと目許を緩ませてから立ち上がる。腕まくりをして台所へ向かう背にゲッと内心で目を剝いた。


「ちょっと待った何しようとしてるんですか」

「いや、軽く何か作ろうかと、」

「いいの!疲れてるんでしょ!!アテならあるから座って!せめて今日くらいはもう働くな降谷零!!」


疑問顔のワーカーホリックを強引に机に座らせてから内心で頭を抱える。アテはある。嘘はついていない。確かにあるが・・・仕方がない。
机の下に隠していたチョコレートをなるべく時間をかけてゆっくり取り出す、その僅かな時間で考える。考えた。後付けの理由を。


「えーと、これは、私が自分用に買ったチョコレートなんだけど・・・その、降谷さんも、食べませんか?」

「自分用に?」

「うん。独り占めしようと思って買った。ほら、この時期はおいしいチョコがたくさん売ってるから。自分用にいつも買ってて、それで・・・」


ここで目を逸らしたら負けだと分かっているので敢えて視線を逸らさないようにしているが、けっきょく目がスイミングしてしまえば意味はないのではないでしょうか。
実際、今まで自分用にチョコを買ってきたのは本当のことなので、さして大きい嘘でもない。よかった、恋愛偏差値低くて。

自分用という嘘をついてしまった手前、自分の手で包装紙を破って箱の中身を開ける。
中には細かい仕切りに収められた丸いチョコがすらりと並んでいる。私が降谷零が喜ぶと思って選んだバレンタインのチョコだ。


「日本酒と焼酎のボンボンです。試食もおいしかったし、降谷さんもこういうのたぶん嫌いじゃないと思うんだけど」


僕の恋人は日本です、なんて言っちゃうくらいだから外国産のおいしいチョコよりもこっちの方が喜ばれるのでは?という単純なチョイス。
降谷零のことを考えて選んだものだから、私が食べたいと思って主体的に選ぶものではない事はバレるかもしれない。
だからといってさっきの話を聞いてからでは、正直にあなた向けに買ってきましたなんて言えるはずもない。私までその肩の重荷になりたくない。


(やっぱり買わなきゃよかった。最初からなければコンビニでお菓子買おうぜで済んだのに)


軽い気持ちで恋する乙女の真似事なんてしなければよかった。この憂鬱な緊張はその罰で、彼女たちはもっと苦しんでいるだろう。
断られるかもしれない。もしくは断らないけれど、内心では迷惑だと思われるかもしれない。後者の方が嫌だ。じわりと背中に嫌な汗がにじむ。

自分の行動にこの上なく後悔し架空のバレンタインの神を祀り謝罪の舞を脳内で捧げていると、長い指がチョコを摘まんで口に入れた。
あっと声を上げる間もない早業に驚いて目を丸くしている私に、降谷さんの口元がほころぶ。


「おいしい」

「お、おいしい?本当に?これ、好きな味だった?」

「ああ。まさにちょうど僕も好きな味だよ」


降谷零は、たぶん私が言外に隠したものを全て分かっているのに余計なことを言わなかった。チョコを受け取った。そして食べた。

自然と浮かしていた腰を下ろして、詰めていた息を吐く。なんとかチョコを受け取ってもらえたことに心の底から安堵して、すぐに罪悪感。
私はいま、自分のチョコだけがこの人に受け取ってもらえたことに確かな優越感を感じたのだ。―――最悪。


「よし、飲もう。乾杯して、・・・はい、おつかれさま」

「こちらこそ、ありがとう」


酒が必要なのはどうやら私も同じらしい。
軽くグラスを合わせてから酒を煽ると一気にアルコールが頭に回るのを感じる。罪悪感も、優越感も、全てふわふわになる。度数が高いアルコールって最高。

いそいそとザッハトルテを自分の方へ寄せて、ボンボンチョコの箱はさりげなく相手の方へ寄せておく。
一級の芸術品のように箱の中に収まるケーキに遠慮なくフォークを刺して口に運ぶ。予想通りの美味しさについ頬が緩む。


「悔しいけどおいしい・・・おいしいよー・・おいしい」

「それはよかった。喜んでもらえて嬉しいよ」


酒の力もあって、子供みたいに素直に「おいしい」を連呼して自作のケーキを食べる私を降谷零は心なしか満足そうに見ていた。
自身もグラスを煽りながら、酒の種類のリストと照らし合わせながらボンボンチョコを食べている。


(うん、よかった)


本当は思うところもある。相手が喜ぶ姿を純粋に嬉しいと思う心。その反面、優越感に浸る自分とそれを自己嫌悪する自分。
現実で普通の生活を送っている時よりもずっと心が忙しい。この男がいなければ知ることはなかったはずのそれはいいことばかりじゃない。


(・・・恋愛ってたいへんだなぁ)


改めてあの女子高生二人に心の中で敬意を表しながら、アルコールと共に面倒な感情を押し流す。
恋愛が今の自分とは縁遠い存在であることを心から感謝した。良いも悪いも関係なく、この小さな頭にこれ以上の感情を抱えるのはごめんだからだ。





















「あ、やばいまた出てきしかも敵多いんだけど!死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!」

「落ち着け。さっきのとこまで逆走して壁を背にして迎え撃てばなんとかなる」


正面のテレビには私が握ったコントローラーに操作された女工作員が恐竜の群れに追われている。
半ばジャングルと化した研究所内を走り、指示通りに壁を背にして銃を乱射すると恐竜たちはバタバタと倒れていった。これぞ文明の利器。銃社会最高。

場面はソファーに移動して、私の前には小さなテーブルとテレビが置かれている。
どこから取り出したのか、机の上には空になった日本酒やらワインやらの酒瓶とチョコとコップ。そしてゲーム機。

的確な指示を出した降谷零は私の肩に頭を置いて体重を半ば預けながら同じ画面を見ている。
たまにチョコを食べるから体が揺れるし、正直言って重いからどいてほしい。しかしイケメンと密着するこの図は役得なのか不幸なのか判断できずに放置している。これには陪審員も渋い顔。

いや、どういう状況?これ。なんで私がゲームしてるのを降谷零が横で眺めてんの?


(なんか流れでこうなったけど、降谷零は楽しいのかなこれ・・・)


恋人たちのような甘ったるい雰囲気はこれっぽっちもないけれど、かつてないほど密着している。

ちらと横目で相手の様子を見る。いつもより―――否、いつにないリラックスした表情をしているようだ。
その様子からは退屈だとか不満だとか、そういう風には見えない。その童顔もあいまって学校の友達と一緒にいるような緩い時間が流れている。
自分でゲームを操作するのも楽しいけれど、誰かのプレイをだらだらと眺めているのも楽しい。この人にもそういう時間があってもいい。問題は私のゲームの下手さ加減だけど。


(酔ってるからなんだろうなぁ。じゃなきゃこんな事しないよね。・・・しかし酔ってるこの人の姿ってレアリティ高いな)


収穫を待つ稲穂の群れのような金髪。その前髪の下の青い瞳、その端はうっすらと赤くなっている。
この角度から見ても高く整った鼻梁と、色々な女に羨望された唇の端はわずかに緩んでいた。服も脱いでいないのにすごく煽情的な姿だ。

改めて自分の横にいる男の姿を直視してしまい、どっと背中に熱い汗が噴き出た。気持ちの悪い表現かもしれないけど、女の人の裸を初めて見た男の子ってこういう気持ちなのかもしれない。


「ゲッあーーー!やば!!うわーーーー!!」


そんな浮かれポンチな私の横っ面を殴りつけるように、画面から厳しいアラート音が響いて現実に戻った。
ぼんやりして操作を誤ったのか、女が黄ばんだガスの中で苦しんでいる様子が見える。どうやら毒ガス的なトラップを踏んだらしい。
慌てながらもすぐにそれっぽく光る柱時計を調べるが、どうやら長針と短針を使ったパズルがあるらしく適当に動かしても当然解けない。


「どうしよう、これセーブしたのいつだったっけ、えっと、短針がこうで長針が、・・・・、だめだわかんない!」

「・・・・・」


やばい、マジでセーブした記憶がない。どこまで戻されるんだろう。
無慈悲にして当然のゲームオーバーを覚悟してため息をつくと、その隙をついて大きな手がコントローラーのボタンを蜘蛛のように素早く操作する。
すると罠が解除されたような音と共にアラート音が止まり、画面の女工作員が苦しむのをやめた。どうやら助かったらしい。


「すごい・・これが日本の公安警察の頭脳・・・かっこいい・・・」

「ここでそれを引き合いに出して感心するな」

「えー、でもすごいよ。360度365日かっこいい最高の男。日本警察の希望。あとそれから、いだだだだだ!ごめん、ごめんって!」


無防備な脇腹に固い肘を押し付けられて慌てて謝罪を連打する。
もちろん、この男が本気を出せばこの程度では済まされないことを重々承知しているので笑って受け入れる。本気なら脇腹が爆散している。


「でもさ、今のはゲームだけど現実ではたくさん人を救ってるじゃん。本当にえらいよ」

「・・・・・」


アルコールでいい感じに蕩けた脳みそと舌は、敬語をすっかり忘れて童心じみた言葉を紡ぐ。
相手が無言なことに付け込んで、いつも触ってみたいとこっそり思っていた頭をわしゃわしゃと撫でてみる。うわー同じシャンプー使ってるのにこっちはサラサラだ。いいなー。


「まぁさっきは不安になったけど」

「不安?」

「うん、だって降谷零って死ぬほど頑張れちゃうじゃん。表向きは何ともないふりをして、でもしっかり身も心も削ってて、心配になる」


酒精に身を任せながらもなお恥ずかしい自分の素直な感情の吐露を、相手の頭を撫でるという迷惑行為で誤魔化そうとする。最悪である。
典型的で最高に面倒くさい酔っ払いムーブだが降谷零はされるがままだ。・・・・・申し訳なくて冷静になってきた。あとで絶対に後で自己嫌悪するやつだ。

猛省しつつ手を離すが、ため息交じりの相手の言葉がそれを止める。


「そのままでいい」

「え?いいの?えっと、では僭越ながら・・・・」


許可(?)を得て堂々と降谷零の頭を堪能する。この薄皮と頭蓋骨の下にすごい脳みそが埋まってるんだから丁重に扱って差し上げなければならない。
・・・・いや、これどういう状況?でもなんとなくやめにくい空気だ。待機中の女キャラクターは手持ち無沙汰に銃を弄っている。


「ねえ、もしかしてホワイトデーも同じことするの?」


酒で滑りがよくなった口は言葉にするまでのあらゆるフィルターを素通りしてそんなことを聞いてしまう。
普段だったらしないのに。後悔する気持ちもなくはなかったが、圧倒的ふわふわ感に包まれている私は言葉を撤回しなかった。
突拍子のない質問にも必ず大人は答えてくれるよ期待すす子供のような傲慢さで、じっと答えを待つ。


「するよ。来月は何がいいと思う?」

「・・・・・はぁーーーー」


これ見よがしのでかい溜息に、緩慢に男の顔が上げられ、金糸の下の瞳とかち合った。
いつも思うけれど、降谷零の目は宝石みたいに綺麗だ。青い宝石といえばサファイアか―――ぱちんと頭の中で思考の小さな火花が散る。


「なんか降谷零って『幸福な王子様』みたいだね」

「君にしては詩的な例えだな」

「はいはい。どうせ私にはそういうポエミ~なセンスはないですよ。忘れて」


幸福な王子様。
ツバメに願って王子様の像が我が身の宝石や金箔をを差し出して町の人を救うも、その善行は誰からも顧みられることなく。そしてツバメは死に、自分も溶かされた。
最後は天使によってツバメともども天に召し上げられて褒められてた気がするが、それがなんだと思う。二人とも死んでるのに今更だ。

何でその話を思い出したかというと、確かその王子様の瞳はサファイアでできていたのだ。それでなんとなく連想しただけだが、意外と合ってるかもしれない。
幸福な結末とはいえない童話に例えられた男は、何かを考えるように長い睫毛を伏せる。自分で招いた微妙な間に、酒のバフがあっても死にたくなってきた。言わなきゃよかった。


「―――じゃあ君は僕のツバメになってくれるのか?」

「えっイヤ過ぎ。なんで王子と共倒れにならなきゃいけないの、私は旅に出るよ」

「そりゃそうか」


私のストレートかつ即座の拒絶に安室透がくつくつと笑う。
・・・・あれ?今もしかしなくてもすごいこと言われた?・・・まぁいいか、お互い酔ってるんだし。寝れば忘れるだろう。


「そもそも、あの話キライだもん。だって王子様があんなに身を削って誰かを助けたのに、誰からも気付かれなくて捨てられるなんて腹が立つ」


口にしてますますイヤになる。酔った勢いでしかなかった例え話が、ますます目の前の男と重なってきたからだ。
もっとみんな降谷零に感謝してほしい。この人に幸せになってほしい。でもどうすればいいのかなんて、考える前にこの男はそもそもそれを望んでいない。
私が勝手に相手を不幸せだと感じて、望んでもいない自分の想像した幸福の姿を押し付けようとしているだけだ。なんて傲慢。


「・・・でも、共倒れになるのは絶対嫌だけど、話をして頼み事もちょっとくらいなら聞いてあげるツバメならいいよ。季節が変わったらまた会いに来るよ」


何度かは合いに行っても、いつかは遠い異国の地で果てて王子の元に帰らないのも私向きだ。元の世界に帰るのだから。

気を取り直して、すっかり放置されていたコントローラーを握り直す。画面の中の女工作員が再び走り出す。
今の会話はきっとこの謎状況を終わらせるタイミングだった気がするが、降谷零が寝るまでは付き合うべきだろう。

再びしばしの沈黙。ゲームの銃声や足音と会話だけが私達の間に流れている。


「来年はちゃんと降谷さんもチョコをもらえるといいね」


そんな本心が口をついて出た。本心というよりも祈りなのかもしれない。


「もうもらったよ」

「そうじゃなくてさぁ・・・」


穏やかな声で青い瞳が指先のチョコを見つめる。気付けば箱にはもう残っていないから最後の一粒だ。
その視線が愛しいものをみるような優しさを孕んでいるのに、気付いたような気もするしただの都合の良い願望のような気もする。


「これで十分だ」


最期の微かな咀嚼音がゲーム音に紛れて消える。
しかし降谷零に動く気配はない。眠る様子もない。ただこのゆったりした何でもない時間に身を浸らせていたいようだった。まだこの時間は続くようだ。

そういえば15の仕切りがあるチョコの箱の中で、結局私が食べられたチョコの数は3つくらいしかない。
・・・もし私が来年もここにいるようだったらまた買ってくるよなんて、口には出さずに勝手に約束しておいた。








































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あとがき。
翌朝、しっかり昨日のことを覚えている夢主はしょぼしょぼしながら降谷零の様子を窺うけれど、何も覚えてないと言う。
あーーーよかった!なんて安心すえるとまたお酒を飲もうなんて誘われて、ちょっとためらうけど相手はどうせ忘れるんだしと了承する。
もちろん降谷零は酒で記憶を飛ばすようなタイプではないのでバッチリ内容を覚えている。

桃の実は日本神話ネタだけど、夢主には当然通じなかった。リリックセンスと知識が足りないので。
遊んでたゲームは、バイオハザード的なものにしようかと思ったけど、
ゾンビゲーこわいよ!って人が多そうなので間をとってディノクライシス的なものです(とれてる?間?大丈夫?)(同じゲーム会社だし・・)



2021年4月10日執筆 八坂潤
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