前略。色々バレた。

「・・・・・」
「・・・・・」

列車の個室の中、椅子に伝わる微かな振動と流れる景色だけが時間の流れを教えている。
窓の外の風景を楽しむという列車の楽しみに一瞥もくれることなく、じっとこちらを睨めつける青い視線に自然と目を逸らしてしまう。
こわい。浮気なぞ生まれてこの方したことはないが、こういう気持ちなんだろうか。

(まぁ・・・降谷零的には、自分が蛇蝎の如く嫌っている天敵の元に、私が転がり込んでるのは死ぬほど気に食わないよな、そりゃ)

そう、相手がこんなに怒気を発しているのは赤井さん絡みだからだ。そこのところを自惚れてはならない。

「その、透さんは、元気でしたか?」

重い沈黙に耐えかねて、当たり障りのない挨拶でなんとか場を繋ごうとする。私は影で様子を伺っていたから、相手が元気かどうかなんてわかっているのに。
こちらの言葉に透さんの指先が攣れたようにぴくりと動く。そして端正な顔に人好きのする柔らかい笑みを浮かべた。

「こっちへ来て」

隣に座るなんて恐れ多くて普段なら躊躇うところを、黙ってた負い目もあり大人しく言葉に従う。
安室透の隣の空間に腰を下ろすと、当然のように相手の腕と自分の肩とが触れ合う。服越しでも伝わる体温の高さが少し気恥ずかしい。

しかしそんな淡い感情はすぐにフルスイングされたバットで遠くに吹っ飛ぶことになる。

「君がいなくなった部屋に帰る僕の気持ち、少しでも想像してくれた?」
「──ごめん」

静かな声と言葉で武装した重い一撃。砂の山を少しずつ背中に垂らされるように罪悪感が肩にのしかかる。
当然だ。向こうは私が死んだものと思っていたのだ。生きているにも関わらず連絡せず、むしろ死を偽装して多大な迷惑と心配をかけた。その負い目はとてつもなく大きい。

長い指が紗幕をあげるようにそっと私の前髪をあげる。そこにはあの時の傷痕が残っている。
医者からは消えないと言われ、ふと鏡を見た時に憂鬱にさせるもの。辛い記憶を思い出させるもの。

居た堪れない気持ちになって、右手の指で左手の爪に触れる。ついでに視界に入った時計がそろそろ目的地に到着することを示していた。

「・・・あの、」
「君をここからどうやって連れ出そうか考えてる」

淡々と告げられた声色の、しかし物騒さを感じさせる内容に内心で白目を剥く。
慌てて相手の顔を見上げると、美しい顔に象嵌された海色の瞳は深海のような暗さを伴ってこちらを見下ろしていた。氷の手で頬をなぞられるような悪寒。

「君を僕の家に連れて帰りたい。あの家には君がいてほしい」
「いや、分かってるだろうけど、それ完全に事案ですよ。警察関係者がお巡りさんに迷惑かけちゃだめでしょ。そもそも、どうやって私をここから連れ出すの?」

熾烈かつ堂々とした誘拐宣言に、冗談にすませようと粘つく舌を動かす。考えすぎかもしれないけれど、一応。

「君の両足を折って、荷物を捨てたトランクに詰めれば誰にも見つからない」
「・・・そんなことしようとしたら暴れるし、透さんのこと嫌いになると思うけど」
「でもこれから先ずっと、一生恨み続けられるほど君は強くない。お姫様のように大切にするし、陥落させる自信もあるよ」

そんなチョロい女扱いするな、と言いたいが否定できない。怒りの感情を持続するには並々ならぬエネルギーと意志が必要だ。私には両方ともない。
最初のうちは許さなくても、この男以外に話し相手もいない状況でずっと大切に傅かれればいつかは絆されてしまう。自分の心の弱さを正確に測られるのは悔しいけど、きっとそう。

「ずっとあの家に居ればいい。毎日、君の好物を作るし好きなことをしてていい。ただ傍にいてほしい──赤井のいる家じゃなくて、僕の家に」

あの降谷零が、安室透が、バーボンが、脅迫している。否、懇願をしている。私ごときに。
内容にも驚きだがその行為にもっと驚く──いや落ち着け、赤井さん絡みだから冷静さを失ってるだけだ。どうどう。勘違いするなよ、私。

「透さんは、そんな酷いことしないよ」

大きな手に自分の手を重ねる。自分の手はあまりにも小さくて頼りなくて、逆に安室透の手は大きい。
本人の宣言通り、私のことなどどうとでもできるだろう。優しくすることも、それこそさっき言ったような酷いことも。

「どうしてそう言い切れるの?僕はバーボンでもあるんだよ」

残忍な笑みを浮かべるその目の奥は、勘違いかもしれないけど揺れている。朝の空気に揺蕩う水面のように。

「いや、私が大好きで、応援したくて、幸せになってほしい推しの男はそんなことしない」

たぶんかっこよく決める場面だったのにこんな台詞しか出てこない自分の締まらなさ。
でもそれゆえのストレートな混じり気なしの本心。仕方がないのだ、私は漫画の登場人物じゃないんだから。

「・・・・・・」

安室透の長い睫毛が影を落とし、重ねていない方の手が私に伸ばされる──が、逃げない。じっと相手の出方を見守る。
私の低い鼻先で攣れたように指が止まり、握られ、そして一瞬の間の後に抱き寄せた。宝物を抱えるように優しい手だった。

「来週の水曜日、ポアロに来て。新しいケーキを作るから」
「うん」
「その次の週の日曜日、休みだから僕の家に来て。君の好きなものをたくさん作るから」
「うん」
「・・・君、さっきの僕の話聞いてた?」

しばしの沈黙のあと、呆れたような声が頭上から下りてくる。顔は見えないけど穏やかな雰囲気だった。

「聞いてましたよ。久々の透さんの手料理、楽しみだなぁ」

「・・・・うん」

それから到着までしばらく私達はそのままだった。
時折、自分の罪を再確認するように長い指が私の額の傷跡に触れるのを感じながら、ああやっぱりこの人のこと好きだなぁと、不謹慎にもそう思ってしまった。


































日もすっかり暮れ、夜の気配がすっかり周囲を包んだ頃。

「──どうやら何も仕掛けられている様子はないようだ。安心するといい」
「・・・っはーー!よかった!!」

緊張で詰めていた息をやっと吐いて、沖矢昴が差し出す自分のスマホを受け取った。
念のために服も鞄も点検してもらったが異常なし。自分の心配が杞憂であったことに心の底から安堵する。

あれから、あの列車から降りて安室透と別れて、待ち合わせていた昴くんと一緒に工藤邸に戻った。
再会してすぐにあらかじめ紙で書いたメモで盗聴の可能性を示し、お行儀の良い日常会話を続けていたが、ようやくその煩わしさから解放されたわけだ。

広いダイニングテーブルで向かい合って座り、緊張の糸が解けてぐんにゃりと机に突っ伏する。ひんやりした木の感触が頬に当たって気持ちいい。

「で、コナンくんとの悪巧みはうまくいったの?」
「小さな協力者のおかげでな。礼を言う」
「そりゃよかった。私も無駄に脅され縛られ損じゃなかったのね。・・・あ、詳細はいいです聞きたくないので」

我が身に関係あろうがなかろうが、余計な情報はそもそも知らないに限る。無知こそが最大の防御というのは、こっちに来てさんざん思い知らされた大事なことだ。
この世界で好奇心を持つ事を許されるのは探偵と主要な登場人物くらいなもので、自分はその両方ともに当てはまらない。

(にしても、何も仕掛けてなかったんだなんて、意外だ)

世界観的には現実に寄せているはずなのに、この世界では妙な技術力で盗聴と変装がカジュアルに猛威を振るう。
てっきりあの安室透のことだから沖矢昴こと赤井秀一の動向を探るために私を利用して何かしら仕掛けてくると思ったが。

「・・・無駄に疑っちゃった。悪いことしたな」

いざ何もないとなると無実の相手を疑った罪悪感がじわじわやってくる。しかしそれでも言い訳をさせてもらえるのなら、安室透の素行と素性を考えれば仕方のないことだと思う。
気が引けてもちゃんとそういう可能性も疑っていかなければならない。訳ありの友人との再会を無邪気に喜ぶほどもう純真なままではいられないのだ──左手の薬指の爪を親指で擦る。

「──君の罪悪感をひとつ拭うとするなら」

信頼する命の恩人の言葉にのろのろと顔を上げる。
亜麻色の髪の下、柔和な印象を与える眼鏡の奥の緑眼は意外に鋭い。彼の正体を考えれば当然の話だが。

「彼はきっと君から疑われることも織り込み済みだろうな」
「・・・・・・」

まさかとか、そんなはずない、という類の言葉は出てこない。代わりにでかいため息をひとつ。

「なんで分かるの」
「俺もそう考えるからだ」
「まぁ昴くんがそう言うんならそうなんだろうけどさぁ」

基本的に私からは敬語を使わない。呼び方は昴くんで統一する。それが私達のルール。
演技が下手な私のためにかの大女優が考えた法則は正直いまだに慣れない。

「警察関係者と付き合うのってこんなに大変なの?いや、ありがたい話だけど正直言って気を遣うよ・・・!」
「これは手厳しい」

面と向かったストレートな苦情にFBI捜査官が苦笑する、が、本心だ。高木刑事とその周辺以外は信じないぞ私は。
もちろん彼らがそうしてくれるからこそ今日の平和があることも分かっている。感謝もする。が、私みたいな一般人が付き合うには手に負えない。

「だが、俺も彼も君のそんなところが好ましいと思っている」
「・・・どうとでもなりそうなちょろいところが?」
「ではなく、その誠実さだ。安室君に気が引けても君は俺の秘密を優先した。その気遣いが嬉しい」
「誠実や気遣いっていうか・・・私のせいで何か起きるとかはイヤなだけだよ」

叔父(嘘)の慈父のような言葉と眼差しに、しかし口を尖らせる。
もし何かが起きた時に、その原因として自分の迂闊さを責められたくないだけだ。評価されるような綺麗な理由じゃない。

気を取り直して晩ごはん用に買っていた肉まんを電子レンジにセットしてボタンを押す。
昴くんは冷蔵庫のお茶をコップに注いで私の前に置き、自分は酒瓶とグラスを取り出す。

「それに、これは俺の推理だが・・・彼は君に盗聴器を仕掛けることはないだろう」
「いやーどうかなぁ。今まで何回か経験があるっぽいけど」

あの恋人ごっこを始めた当初なんか特に。他にも私が気付かないだけで、もっと回数があったと睨んでいる。
そうされても仕方がない身分だったから諦めてたけど、まー気分はよくない。

「彼は君から俺の情報を得たいのではなく、君に会いたいのだから」
「──、」

電子レンジが回る静かな音に、テレビが点いて賑やかな笑い声がリビングに響く。
唯一あの安室透と同じ目線に立てるであろう男はいつも通り柔らかい笑みを浮かべるだけだ。対する私はどんな顔をしているのだろう。

「・・・それでも、私は疑うけどね」

来週の約束。ポアロで新作のケーキを食べるだけという、一見すると平和なだけのイベント。
でもその帰り道も私はこうして盗聴器を疑うだろう。あの赤井秀一が推理するのだから、たぶんそれは杞憂に終わるだろうが、それでも。

「それでいい。彼は気にしない」
「・・・・・」

沈黙。再び大きなため息を吐いたのはもちろん私。

「いや、やっぱ皆さん面倒くさいよ・・・」
「おやおや」








































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あとがき。

安室透が最初にあの言葉を吐いたのは、罪悪感を煽ることで相手に自分の要求を断りにくくする心理的な駆け引き的なアレ
別世界線では監禁してたやろがい!っていうのは、なんというか、同じ人物同じ舞台なのにボタンの掛け違えで全く違う展開。
みたいなのが好きで…この場合の夢主は安室透を信用しましたが、あっちのは信用しなかったのがルートの分かれ目。自分への信頼を見せられてすんでのところで思いとどまっただけ

赤井さんとの間にはガチで恋愛感情はないしお互いにこれから芽生えることもないのでご安心下さい。共犯めいた共同意識
表向きの関係は姪とおじ。昴くん呼びの理由は「この年でおじさん呼びは悲しくて」という建前
夢主は赤井さんの溢れ出る長男力オーラに甘えてるし、それを赤井さんは気にしてない


2022年 5月1日執筆 八坂潤
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