最悪の組み合わせだ。
列車の窓からは初夏に慶ぶ新緑の木々が時折通り過ぎるのが見える。過ごすのが屋内でも天気が晴れているとなんとなく気分がいい。
周囲からは歓談の声、他愛のない雑談、賑やかな笑い声、が聞こえるのに全てこのテーブルでは無縁だった。

『……』

白く清潔なテーブルクロスと青い可憐な花が生けられた机の上。交差する視線は眼鏡越しであり緑眼であり青眼である。
名探偵。FBI捜査官。公安警察。そして凡人。四人がけのテーブルに一堂に会することになった私達は、表面上だけはにこやかだ。
「ごゆっくり」と微笑み去っていく給仕さんは、私達が知り合いだからと気を回してくれたようだがとんでもない。しかし裏表のない好意を無碍にできない自分達の社会性が恨めしい。
私とコナンくんはまだいい。問題は安室透と沖矢昴である。さっきからずっと発生している見えない力場は私達二人の胃を順調に握りつぶしていた。死にそう。

「ボクちょっと、」

向かいに座る名探偵が逃げ出そうとするのを手を掴んで阻止。心底イヤそうな目をされるがこっちも必死だ。この状況で三人にされるのは絶対にムリ!
頼む何とかしてくれ名探偵、と目で懇願する私。それに対し、さすがに専門外だと返ってくる大きな黒檀の瞳。今この瞬間、私達は熟年夫婦のようにこの上なく通じ合っている。

(いや、でもそうだ。いくらコナンくんが頼もしくたって所詮は高校生。ここは大人の私が頑張らなきゃ)

ちょうどいいタイミングで最初の料理が来た。説明は全く聞いていなかったが、大きな皿には大小の白い身とキノコが和えられて中央に小さく身を寄せ合っている。
いただきます、と手を合わせて口に運ぶ。

(うっま…)

噛むたびに色々な種類の貝と肉厚のキノコの汁が口の中で弾けて頬が緩む。そう、私が何もせずとも美味しい料理は場と人の心を和ませる。この二人もこれでなんとかなってくれ!

「昴くん!おいしい!この、貝とキノコの、なんか!生きてて幸せ!すごい、おいしい!」
「それはよかった。貝とキノコのマリネだそうですよ」

姪の原始人みたいな感想を聞かされながらも、叔父の慈父のような微笑みは崩れない。
緑柱石の瞳に温和な色をのせ、あっという間に平らげてしまった私の皿と自分の皿とを交換する。

「そんなにおいしいのなら、僕のもどうぞ」
「…そうではなく!いや、嬉しいけど、そうではなく…そうじゃなくて…!」

食レポに熱を入れ過ぎておかわりを催促した女になってしまった。恥ずかしさに頭を抱える。
安室透はそんな私達のやりとりをどう思っているのか、自身も食事を口に運びながら油断なくこちらを見ている。全然和んでなさそうな表情だった。
むしろその美貌の険が深くなったように見えるのは、私に呆れているのだろう。誰か時を戻して。

「いや、これは昴くんにも味わってもらうとして」

喋りながら再度お皿を交換。

「メインは肉と魚のどちらかを選べるんだって。どっちにしようか今から迷っちゃうね」

諦めずに会話を続行する。頼む、なんとか和んでくれ!場!

「へぇーそうなんだ!ボクも迷っちゃうな」
「ここの食堂車、昨日からずっと楽しみにしていましたしね」
「ンン……」

それは言わなくていい。事実だけど。
コナンくんも笑顔を浮かべて会話に乗ってくれる。私よりもずっと長く小学生をやっている高校生の援護は頼もしい。

「迷うけど、ボクお魚にしようかな。明日小五郎のおじさん達と焼肉なんだ」
「えーいいなー…私はまだ決めかねてる。普段なら肉一択だけど、こういうお高いところだから魚も捨てがたい…」
「じゃあ僕が魚を選んで半分こにしますか?それなら解決でしょう?」
「え!?ホント!?やったー昴くん大好き!」

この世の全ての紛争を解決する最高の提案に手放しで喜ぶ。さすが天下のFBI様の頭脳!天才!

「お二人とも、仲が良いんですね」

薔薇色ハッピーな脳みそにぴしゃりと水打つ冷ややかな声。
ひゅっと息を詰まらせて声の主を見ると、大きな手をテーブルの上で組んだ安室透がニコニコと笑っている。言外に偽の関係のくせにと告げられて冷や汗が流れた。

「ええ、仲良しですよ。叔父と姪ですからね」
「そういえばそうでしたね」

自身を親の仇のように恨む相手からの一撃を、昴くんは微風のように受け流す。さすがである。
しかし空気は三割り増しで重くなった気がする。突然悪化した空気にその元凶を考えてハッとする。

(…あ、これ、もしかしなくても私のせい!?私が恋人の前で仇敵を大好きなんて言ったから!?)

気付かなければよかったかもしれないが、しかし自分の失言を超速理解してしまい内心で頭を抱える。
同じ結論に達したのか向かいの名探偵が重々しく頷く。私のバーロー…!

(自分の言動に、あの安室透が嫉妬…?してくれるのは…正直言ってちょっと、気分がくすぐったいような…しかしこの状況ではまずい!)

次いで美味しそうなバターと小麦の匂いのパンが運ばれてきたが今はそれどころではない。ついでにいえば、追加の料理が運ばれてきても和む気配は全くない。

「ところで、もう初夏に入るのにまだそのハイネック…暑くないんですか?緩めては?」
「気になさらず。寒がりなもので」
「見てる側としては暑苦しいんですけどね…」

私が頭を抱える間も見えない刃の攻防は続く。
はぁとこれ見よがしに憂うため息をつく恋人の、その青色の瞳の奥は真冬の海のように冷えていた。

(まさかご飯が終わるまでこの調子なのかな…)

不穏の種を蒔いたのは自分のせいとはいえ、想像しただけでげんなりする。
せっかくの列車の旅とそこでしか味わえない豪華な食事なのに、こんな形で終わってしまうのは本気で悲しい。どうしてあんなことを言ってしまったのか。
しかし、一通り自分を責めて悲しみ尽くすとふつふと怒りが湧いてきた。どうしてこんなに気を遣わなきゃならないのか?
はい、私のせいです。確かにそうなんだけど!

「もー昴くんも透くんも、私が謝る!ごめん悪かった!だから仲良く…いや、仲良くは無理でもとりあえずケンカはだめ!やめよう!美味しいご飯に失礼だよ!」
「……」

てっきり反論が来ると思ったのに、安室透の碧眼が虚をつかれたように瞬き沈黙した。
その後の様子も大人しく、あの安室透が赤井秀一関連で素直に引いたことに違和感。
仮の姿とはいえ、飲食店に勤める者として何か響くものがあったのだろうか。

(…よくわかんないけど、ヨシ!)

不気味なくらいあっさりとした引き際に戸惑いながらも、藪を突かずにパンをちぎる。
口に運ぶとさっきまでの粘土のような感覚とちがい、おいしいバターの味わいが広がって頬が緩む。味覚も戻ってきた。

「失礼します、お客様。メインは魚か肉かお選び頂けますが、どちらになさいますか?」
「あ、えっとお肉でお願いします」

給仕さんの質問に他の皆も希望を伝えていく。
楽しみにしていたメインディッシュが間もなく来ることに、年甲斐もなく期待に胸を膨らませるが、どこか引っかかった。

(…何か忘れているような気がする)

いつの間にか手に木の棘が刺さっていたことに気付くような、小さな違和感。はて、おかしいな。私は別に勘が鋭い方ではないのだけれど(むしろ鈍いくらいだ)。
乗ってすぐに確認した時に忘れ物はなかった。あっても、最悪スマホと財布があれば何とかなる――いや、小学生の財布の中身は心許ないんだった。まぁともかくそれも違う。
徐々に大きくなる不安にモヤモヤしていると、まさに狙ったかのようなタイミングで絹を裂くような女性の悲鳴が食堂車内に響いた。
弾かれたように私達は音の発信源を見る。知らない女の人が真っ青な顔で床を見下ろしていた。

「なになに?」
「突然倒れたみたい」
「うわ、あれ血…?」
「もしかして死んでる?」

状況が把握できない乗客の音の洪水を貫いて、コナンくんが弾丸のように飛び出す。続いて安室透が人混みを掻き分けてそれに続く。ああ、わかっちゃった。

(名探偵、公安警察、FBI捜査官…密室…何も起きないはずはない、か…)

推理漫画のセオリーとはいえ、すぐ近くて誰かが死んだことに悲しくて重たい気持ちになる。私としたことが、どうしてこうなる可能性を忘れていたのか。
一拍遅れて、隣の昴くんが動かないことに気付く。腰を浮かせることもなく、鋭い深緑の眼差しは周囲の乗客の反応を窺っているようだった。

「…昴くんは行かなくていいの?」
「姪の安全確保も叔父の仕事ですから。犯人が近くにいるのなら、次は誰が狙われるか分かりません」

美声を潜めて私に耳打つ。

「それに、この状況で君を放っていけば怖い人に怒られるだろう」

昴くんの視線の先には安室透がいる。青い瞳がこちらを一瞥し、また現場検証に戻っていった。

「お手数かけます…」
「ちなみに、相手は外傷がないようなので毒殺の可能性もあります――食事は諦めるしかありませんね」
「釘を刺さなくても、こんな状況で食欲なんか湧かないよ…」

さっきまでは輝いて見えた食事も鈍くくすんで見える。食材に罪はないがこればかりはどうしようもない。

「せっかく透さんと昴くんが仲直り…とまでは到底いかなそうだったけど、一緒に食事くらいはできそうだったのに」

近くに死体が転がっているという事実から気を逸らすために会話を続ける。
一昔前の私ならもっと慌てているか固まったまま口も手も動かせなかっただろうに、イヤな慣れ具合にげんなりする。

「ああ、それはですね――」

とっておきの秘密を共有するように。昴くんがこそこそと耳打ちした内容に、今の状況も忘れて「え」と声を漏らした。

















 

「あれ、珍しいね」

久々の降谷零の家の食卓の上には変化があった。白く清潔なテーブルクロスがかけられ、小さな花瓶には青い可憐な花が一輪活けてある。
はて、私が一緒に暮らしていた頃はこんな洒落たことはしていなかったはずだが。

「今日は気分を変えようと思ってね」
「あーたまにはいいよね、こういう丁寧な暮らしっぽいのも」

ご丁寧なことに、私が座ろうとするとウェイターがそうするようにわざわざ椅子を引いて座らせてくれる。見慣れたいつもの場所なのに高級レストランみたいだ。

「ではこちらから」

コトンという小さな音と共に目の前に置かれたのは、大小の白い身とキノコが和えられた料理。
料理に詳しくない私でもメニューを説明されるまでもない。貝とキノコのマリネだ。

「これ、この前の…」
「そう。あの後こっそりレシピを教えてもらった。さすがに材料は違うから完全再現とはいかないけど」

思わず聞き返したくなるような内容を、なんでもないように告げながら降谷零もまた席に着いた。
このハイスペック男相手に今さら動じないつもりでも、未だに新鮮な驚きを与えてくれるものだから恐れ入る。
恋人は白ワインで、私は麦茶で軽く乾杯してから手を合わせてご飯を頂く。材料は違うと本人は言ったけれど、あの時と同じ美味しさに満面の笑みになる。

「おいしー!零さん大天才では…」
「ありがとう。あのあとバタバタして食事どころじゃなくなったからね」

自身も料理を口に運び、味に満足したのか口元を柔らかく緩めてワインを飲む。――当然だけどあの時とは表情がまるで違う。
青い瞳は春の陽気のように柔らかく、表情も接客用ではない自然な笑顔だ。
雰囲気もリラックスしていて、ああ許されているんだなと感じる。恋人が自分にしか見せないこの仕草が嬉しい。

「ところでお客様。メインは魚か肉かお選び頂けますが、どちらになさいますか?」
「どうしようかな」

給仕がお客様に尋ねるような畏まった口調に笑ってしまう。相手のやりたいことが分かった。

「普段なら迷わず肉なんだけど、せっかくだから魚も捨て難くて迷っちゃうね」
「肉はチキンソテーのチーズクリームソース。魚は真鯛のポワレとなっております」
「なるほど。よく分からない」
「少しは理解しようとする努力をしろ」

即興の給仕とその客ごっこという戯れを切り上げ、フードカバーを外してメインディッシュを取り出す。
今の私の背からは見えないけれど、両手に持つ大きなそれぞれの皿からは既に美味しそうな匂いがした。見上げて疲れた首を回してあの言葉を待つ。

「じゃあ半分こする?」
「うん!ありがとう零さん愛してる!」
「君の愛、安過ぎて不安になるな…」

苦笑しながらも肉料理を私の前へ、魚料理を自分の前へ置いて取り皿を渡す。魚と肉を半分に、それぞれ切り分けて取り皿に乗せて交換した。

「ばかな。こんなこと言うのは零くんだけですよ」
「――、」

がたっと音を立てて相手の動きが止まる。予想通りの反応に私にしては珍しい、してやったりの笑みを浮かべてやった。

「イヤだったらやめますよ、零くん」
「…嫌じゃないけど」

おお、あの降谷零が照れてる。本人が色黒なので赤みは分かりにくいけれど、表情を作る各パーツの連携がうまくとれていないから丸わかりだ。

(昴くんの言った通りだ)

珍しく強気な立場になった私がいつまでもニヤニヤしていると、長い指が襲来して頬を摘む。痛い。

(ま、絶対めんどくさいことになるから本人には黙っておこ)

反撃として私も恋人の滑らかな頬に手を伸ばす、もリーチが足りなくて空を切る。そんな間抜けな様子を見て降谷零が笑い、手が届かないならばと言葉で戦う。
外見が小学生と大人という年齢の不釣り合いささえ覗けば、映画にもならない位ありふれた恋人達のワンシーンだった。








































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あとがき。
どうも列車に乗せがちで恐縮ですが、
しかしいつでも行けるレストランとかだと「じゃあもう一度行けばいいじゃん」となってしまうのでまたまた乗せました。
ベルツリー急行回大好きです。


2022年5月22日 帆立
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