「コレを見てくれないか?」
「?なにこれ、写真?」

いつもの夜。零さんと二人で作った晩ご飯を食べ終わって(今夜は魚料理だ)、家のソファーで二人並んでくつろいでいたとき。
神妙な面持ちで隣の恋人から渡された写真を見て、目を瞬かせる。

五枚の写真には全て違う女性が写っていて、素直に困惑した。
裏返したり光の当たる角度を変えてみても、じっと観察しても、何の変哲もない写真に見える。いったいなんでこんなのを見せられてるんだ?なにかの暗号?

「…反応に困る。どうしろと?」

相手の意図を探ろうと、じっと写真を眺めてみる。
正面から真顔で映る女性達は、顔つきも雰囲気も、服や髪型にもなんの統一性もない。お見合い写真を連想するが、実際は履歴書のような印象を受ける。
いったいなんなんだと首を傾げる私に、零さんは美しい眉を悩ましげに下げながら真剣な面持ちで言った。

「その中から僕が週末に一緒に出かける女性を選んでくれ」
「あ?なんだって?」

恋人のあんまりな言葉に、思わず写真を握り潰しそうになるのをすんでのところで堪えた。うーん私えらい。
趣味の悪い冗談だと訂正を加えられるのを期待したが、金糸の紗幕の下の青い瞳は真剣だ。心の底からデカいため息が出る。

よし。そうとなれば答えは一つ。

「私いま別れ話とケンカどっち売られてるんですか?──実家に帰らせていただきます」
「待て待て待て待て、君のいう実家は工藤君の家だろ。こんな時間に訪ねるな」
「誰のせいだと思ってんですか!?もう都合の良い女は卒業してやるって言いましたよね!?」

心の実家(工藤邸)に帰ろうとする私を、零さんが片手で力ずくで抑えこむ。しばしの無言の攻防のあと、無理やり自分の横に座り直させられた。この腕力お化けめ、まったく不服だ。
堂々とした浮気宣言、しかもその相手を恋人に選ばせようという悪趣味に、凄まじい不信の目を向ける。
しかしあのプライド霊峰エベレスト級の男がその黄金の稲穂色の頭を下げた。予想外の行動に固まる。

「すまない。僕の言葉が足りなかった。週末に仕事でとあるパーティーに参加するんだが、その、女性同伴でなきゃ潜れないとこなんだ」

だからせめて、君がムカつかない同伴者を選んでもらおうと思ったんだけど。
と申し訳なさそうに付け加えられて脱力。そんなことある?嘘ついて浮気してるんじゃないの?…と普通は思うところだが、いやあるんだよな今この目の前に。
しかもこの男の職業的に、嘘どころか信憑性すらある。

「じゃあ素直に最初からそう言えばいいのに…なんか聞き方が意地悪じゃなかった?」

私の鋭い指摘に、海色の目には苦笑が浮かぶ。このやろう。

「意地悪してごめんなさい」
「素直でよろしい。広い心で許しましょう」
「ありがたき幸せ」

あっさりとしているようで、しかし真摯な謝罪を受け入れる。
この内面複雑怪奇男との付き合いも長いもので、たまに見せるこの程度の稚気くらいは許せるようになった。
なによりも零さんがこういう面倒な甘え方をするのって、確実に自分くらいだから。

肩に回した逞しい腕で抱き寄せられて、こめかみにキスを落とされる。そのまま頬を私の頭の上に乗せて甘えてみせる。
この家から一歩外を出れば厳格かつ辣腕の公安警察官として恐れられる男のいまの姿を、他の誰が想像できようか。
それがちょっと気分がよくて、でもそれもきっと恋人の計算通りで、しかしそれでもいいと思ってしまうのだ。惚れた弱み。

「…まぁ、そういうことなら仕方ないけど、恋人の恋人を選ぶのって複雑な気分だなぁ」
「全員が公安関係者で、君が心配するようなことにはもちろんならないよ」
「ふふ、なったら許さん」

しかしそういう事なら黙って勝手にしてくれてもよかったのに、という言葉が喉まで出てきたが堪える。
本当なら黙っていたほうが丸く収まるところを、意地悪もあったとはいえわざわざ正直に言ってきたのだから、恋人としてはその誠実さと真面目さを買うべきだ。

あらためて写真を見比べながら、ううんと喉奥で唸る。正直言ってどれもムカつくのは変わりがない。

「いや、というか…それこそまんま恋人の私がいるんだから、私を使えばいいのでは?前にもこんなことあったし」

前までは騙し討ちに近い形で引き摺り込まれていたのでちょっと違和感。いや、私としても危険な目には遭いたくはないので、ぜひ自分がと立候補したいわけではないが。
しかし恋人が困っているのなら、多少の危険はあっても力を貸したいと思うのは自然なことだ。なんだかんだで零さんがいれば絶対大丈夫な自信がある。

私の提案に、長いまつ毛に縁取られた青い宝石に憂いの色。好きな女の身を案じる恋人の顔に、はっと息を呑む。

「あの時は恋人じゃなくて協力者だったし、」

真剣な声色と共に抱き寄せられて、首筋に高い鼻が摺り寄せられる感覚にぞくぞくと肌が粟立った。声と共に微かな呼気が肌を柔らかく撫でていく。

「今は一ミリでも君が危険に巻き込まれる可能性があるなんて、イヤだ」
「……」

一度は恋人が死んだと騙され絶望させてしまった男に、そう言われてしまうととても弱い。
ましてや自分がその詐欺の片棒を担ぎ、なんならそのまま消えてしまおうと本気で思っていたのだからなおさらだ。
それに、何もできない一般人代表の私よりも、プロの同職が一緒に行ったほうがずっと安全である。お互いのためにもそれが一番いい――複雑だけど。

「ちなみに恋人のフリとかするの?どこまで?」
「腕を組む程度は、さすがにね。でもそこまでだよ」

眉尻を下げながら返ってきた言葉は、確かにそれくらいが恋人としての最低限かつ妥協できるラインとしては妥当だ。しかし意地の悪い見方をすれば、どうとでも言えるともいう。
このトリプルフェイス様が本気で隠し事をしようものなら、名探偵でもない私はきっとその尻尾すら見えないだろう。

一度は許しながらも、内心ではぐだぐだとケチをつけてしまう自分の小心ぶりに辟易。
だめだ。普段の行いとさっきの言葉を信じないと。この男と付き合っていくという事は、そういうこともあるのだと諦めて受け入れたのだから。でも。

「もし浮気したら、すごく悲しいからしないでね」
「ああ」

冴え冴えとした月光のような美貌に真摯さを彩って、私の言葉を噛み締めながら頷く。

「――でもそんなのよりもなによりも、無事に帰ってきて」
「もちろん」

騎士が姫君に忠誠を捧げるように、あるいは子供が親に許しを乞うように、零さんの柔らかい唇が額に押し当てられる。
何度も落とされるキスのくすぐったさに身を捩ると、ぐっと腰から抱き寄せられて身動きを封じられた。

一度互いの身を離して、南国の海色の瞳と見つめ合い、今度は唇を合わせる。高い体温と注がれる快楽に脳髄の奥が甘く痺れた。
悔しいけど零さんのキスはとても気持ちよくて、終わることには大概のことはどうでもよくなってしまう。けれど意地でも抗議を絞り出す。

「キスが上手いのって、なんか、ずるくない!?」
「練習ならいくらでも付き合うよ」
「お前の経験値も一緒に増やしてどうすんだよ!もう!」

布越しでも分かる相手の逞しい胸板に頭を預け、忘れかけていた写真を広げる。もう迷いはない。

「さて、どれがいいったって言われてもねえ…正直言って誰でも面白い気はしないんだけど」

銀行でお札を数えるように扇状に写真を広げて、自分の心の中と相談する。
誰を選ぶのかが純粋に興味があるのか、零さんも興味深そうに恋人の裁定を待っている。――よし、決めた。
左から二番目の写真を抜いて零さんに手渡す。端正な顔がじっと画面の中の相手を見つめ、疑問を発する。

「ちなみに選んだ根拠は?」
「私の外見と雰囲気から、一番遠い気がする。……だって、むかつくじゃん…なんとなく」
「――なるほど」
「なにその嬉しそうな声、わっ」

前触れもなく、抱き寄せられたままソファーに倒れ込んで心臓が跳ねる。驚いて思わず手放した写真が紙吹雪のように床に散らばるが、恋人はお構いなしだ。
愛しそうに私に頬を寄せて、その美貌に春に日差しのように柔らかく微笑む。心臓が一瞬止まったかのような高揚感。

「っ、なになになに!?」
「君って、本っっ当にたまに可愛げのあることを言うよな」
「たまで悪かったな!?」

鼻歌まで歌い出しそうな勢いの恋人はこの上なく上機嫌だが、意図をしっかり見破られた側としてはあまり面白くない。しかもたまにってなんだ、たまにって。普段はどう思ってるんだこいつは。
憂さ晴らしにその逞しい腕を両手で掴んで、グッと力を入れてやるがまるで応えた気配がない。くそ、このフィジカルつよつよ男め。

「でもそんな、たまにしか可愛くない女を選んだのは零さんだからね!?ははんざまーみろ!」
「うん、そうだ」

私のしょうもない憎まれ口に、抜ける青空のように晴れ晴れとした素直な笑顔と、そのいっぺんの後悔もない声が返ってきて毒気を抜かれる。
あの公安警察のエリート様野郎が。なんでも手のひらの上で自在に転がしておきながらも、それすら悟らせない男が、私ごときの一挙一動に子供みたいに喜んでいる。
平凡な感想だが、それが可愛くて愛しくてたまらないと思う。きっと自分もまた手のひらで思うがままに転がされている自覚がありながら、それを悪くないと思う程度には。
つい手を伸ばして相手の頭を撫でると、黄金の髪が清流のようにさらさらと指の間を流れていった。零さんが気持ちよさそうに碧眼を細める。

「僕が君を選んで、君が選んだ男だよ」
「……まあ、それはそう」

こんな場面なんだから、もっと気の利いた返しができればいいのに。私の言葉は声もぶっきらぼうで、ちっとも可愛げがないと我ながら落ち込む。
でも満足そうに零さんは笑ったので、私も釣られて笑ってしまった。








































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あとがき。
子供の姿の時に散々お世話になった工藤邸は第二の実家的な存在。
赤井さんはこっちの世界に来てからの初めての友達なので、帰国の折には工藤邸で一緒にご飯を食べる。
お互いに恋愛感情はミリもないけれど、恋人が心配かつ赤井さんが色々と気になる降谷零も渋々来る。


2022年 6月12日執筆 帆立
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