目が覚めると知らない天井だった。
病室の清潔なリノリウム張りの白さではなく、黒と見紛うような深いワインレッドの天蓋つきベッド。
一般的な家庭である私の部屋には当然そんな豪華な家具なんてご縁はない。寝起きの頭ながら、すぐに自分の部屋ではない事に気付いてしまった。

次に違和感を感じたのは全身だった。
肌触りの良いビロードの布を押しのけて起き上がると肌寒い。それも当然。なぜなら全裸だからだ。
昔の有名な女優が「寝ている時に身に着けるのは香水だけよ」みたいな洒落たことを言っていた記憶があるが、私は当然そんなオシャレ文明人ではない。むしろ逆だ、逆。


「ーーー!!、!!!」


慌てて飛び起きそうになって、堪えて、なるべく自然な動作で布団の中に潜り込む。もし誰かが室内にいたらまずい。というか、なんで!?なんで知らないところで全裸!!?

さっと顔が青ざめていくのを感じる。私が可愛い側の人間ではない事は自分が一番分かっているが、でも年頃の娘が全裸といえばさすがに危機感が募る。犯罪の気配だ。
なるべく布団の上から察知されないよう最小限の動きで自分の身体をぺたぺたと自己点検してみる―――うん、痛みも違和感も、ないな。とりあえずあれこれされた様子はなさそうだ。そこは本当に心の底から安堵。

しばらくミノムシのようにじっと身を潜めていたが、一向に何も起こる気配はない。いや、そもそも人の気配みたいものすらない。気がする。素人意見だけど。
こそこそと手を動かして、いつもなら枕元に置いてあるはずのスマホを探ってみる。が、ない。
まぁ私でも誰かを攫ってきたら連絡手段は真っ先に奪うから当然だ。まぁ私にそんな物騒な予定はありませんけど!


(どうしよう。このままじっとしてるのはさすがにまずいよね・・・殺されたり、犯されたりとか?)


最悪の想像にさっと顔から血の気が引く。私の家に人質をとるほどの資産も、ここまでされるほどの恨みも買った覚えはないが、それで全て説明できるなら通り魔という言葉は世の中にないのだ。
目が覚める前の記憶はいつも通りの日常で終わっている。特に事件が起こりそうな気配も心当たりもない。

だが、これからも何もないとは限らないわけだが―――いや、むしろ何も起きないはずがない。


「・・・・・・」


おそるおそる、勇気を振り絞って布団の中から部屋の様子を伺う。電気は付いていないが、月明りのおかげで全く見えないことはない。
幸いなことに誰の姿もないが、監視カメラくらいは仕掛けられているかもしれない。迷う。だが意を決して、シーツを裸身に巻きつけながらベッドの上から這い出る。
天井にそれっぽい装置は見当たらない。でも何かに隠されていたらお手上げだ。もうどうしようもない。開き直れ、自分!でもネット配信されてたら社会的に死ぬ!!


(・・・・本当にさっぱり見覚えがない部屋だ。調べれば何か分かるかな)


とりあえず可及的速やかに解決したい問題として真っ先にクローゼットを開けてみる。中にはドレスが一着だけ掛かっていた。
自分の今の状況と鑑みて、まるでこれを着ろと指示されているみたい。全く知らない誰かの服を勝手に着るのはあまり気分が良くないし、気が引けるけど、こんな状況だから仕方がない。

袖を通してから、クローゼットの扉に備え付けられていた大きな鏡に自分の姿を映してみる。
上半身から下半身に向かって黒から赤へ変わっていくグラデーションカラーがきれいで、胸元と肩に散りばめられた銀とラインストーンの花の模様は素直に素敵だと思う。普通に着る想定の話なら。
フィッシュテールの後ろ側の裾は引き摺る程に長い。サイズが合わないのか元々からこういうデザインなのか、分からないけれどとりあえず全裸行動を免れただけで安心する。人は布一枚纏うだけでこんなにも心強い。


「ん・・・?」


いつの間にか四角い小さなカードが落ちていることに気付いて、屈んで拾い上げる。
白い紙片には『Happy Birthday Dear』と洒落た筆記体で書かれていてゲッとなった。
ドレスを着た後に落ちていた、となるとこのバースデーカードはこの服に付いていた?誰かの誕生日プレゼントとか?もちろん今日は私の誕生日ではない。


(でもこのバースデーカード、宛名がないや・・・)


表面と裏面をひっくり返してみても『Dear』に続く後は空白で、それに該当するような名前もない。渡す直前で書く予定だったのだろうか。ちょっと申し訳ない気持ち。
でも今さら脱いで全裸に戻るのもイヤなのでこのまま着ていこう。もしこの状況に悪意がなかった場合、クリーニング代もしくは弁償金が発生する事になるかもしれない。その時は素直に謝ろう。


(ドレスがあって鏡台があるってことはここは女の人の部屋なのかな?)


暗紅色の天蓋がついた豪華なベッドに、優雅な飾り枠の棚には時計やガラス細工の人形が並べられている。どれも厚い埃が積もっている―――部屋の主は長いこと不在なのかもしれない。
繊細な細工が施された美しい箱を何気なく開けてみると、中には大粒の赤い宝石が光るアクセサリーが輝き慌てて閉める。本物かどうかはともかく、悪い事をした気分だ。
近くの木製の写真立ての写真には黒髪の少女と母親らしき女性が並んで椅子に座っている。部屋の持ち主だろうか。


(かわいい女の子と綺麗な女のひと。・・・特にこの女の子の方はオッドアイだ)


オッドアイは大体の中学生が一度は憧れる設定だし、カラコンを入れれば誰でもなれる。けれど実物を見た事はない。あんまりそういうのを装うタイプには見えないし。
印象的な赤と青の瞳から目線を外して、写真立てを元の場所へ戻す。埃が舞うのを軽く咳き込みながら手で払った。

部屋の隅の観葉植物は天井まで伸びて窮屈そうに身を屈め、その隣の窓には鬱蒼とした木々が枝葉を伸ばしている。
空は曇り一つなく黄金に輝く満月のみ。私の気分の問題かもしれないが、なんだか不吉に感じられて気分が暗くなった。
遠くまで観察しても民家はなく、どこぞの森の中に建てられた洋館らしい。


(本当にどこなんだろう・・なんだか日本じゃないみたい。それどころか現実じゃないみたいだ)


古典的手法として自分の頬を引っ張って、手の甲を強めに抓ってみる。割と痛い。残念ながら夢ではないらしい。
そして不気味な洋館といえば。世界的に有名な、ゾンビが出てくるタイプのあのホラーゲームの名前が頭を過ぎる。駄目だ、私ってばどう考えても冒頭で死ぬモブの役だ。
今すぐ窓から飛び降りて脱出したくなったけれど地面まではなかなか遠く、創作でよくあるようにシーツでロープを作って脱出するのも考えたが運動神経と体重に自信がない。特に後者。


(これ以上、部屋にいても多分どうしようもない、気がする。・・・・出るか、そろそろ)


出たら犯人に殺されるんじゃないかとか。・・・・非現実的な話だけど、出たらゾンビに襲われて殺されるとか。この状況なら真剣に検討してしまう。
武器の代わりとして机の上の銀の燭台を握る。もっとリーチがあるものがよかったけど、持ち運べて威力がありそうなものがこれしかない。


(何も悪いことが起こりませんように・・・ドッキリとかイタズラとか、そういうのでありますように)


現実問題として。私にこんな凝ったイタズラをしかける財力があるような人間なんて周囲にはいないのだけれど。TV番組とか、そういうので。

意を決してドアノブを捻り、扉の隙間から部屋の外の様子を伺う。物音は一切なく、廊下の端から端を見ても人の姿はない。
恐怖と心細さで泣きたくなるのをぐっと堪えて、燭台を握りしめて外へ出た。今の情けない顔も誰かが、もしくはカメラが見ているのかも。だとしたら悪趣味だ。


「すみませーん、だれかー・・・いませんかー?」


自信のなさと不安から自然と小さくなる声で呼びかけながら、これまた電気のついていない廊下を歩く。
途中、いくつかある部屋をノックしても覗いてみても誰もいないようだった。しんしんと雪のように心細さが積もっていく。
見つけた電話には手当たり次第に飛びついてはいるが、意地の悪いことにどれも不通だった。ますますホラーゲームめいている。


(とりあえず建物の外に出れば何とかなる。近くの家を探して、その誰かに助けを求められればそれで、どうにか)


そうこうしている内に廊下の端、大きな階段が左右に広がる大広間にまで辿り着いた。壁に掛けられたいくつかのランプの灯が頼りない明るさをもたらしている。
いくつもの柱や絵画が飾られた空間はだだっ広く、天井から月光を透かして通すステンドグラスは荘厳な雰囲気を与えていた。のかもしれない、普段なら。今は何でも不気味に思える。

こんなに広い屋敷なのにやっぱり人の気配も物音もしない。安全かもしれない元の部屋に戻りたいという誘惑を振り払い、慎重に階段を下りて玄関の大きなドアに手を掛ける。


「うそ・・・・」


開かない。引いたり押したりしようとしても、まるでドアノブも鍵穴も飾りみたいに動かない。そんな馬鹿な。
不吉さと恐怖と不気味さが私の感情のキャパシティを越える。泣きそう。怖い。これがドッキリなら、夢ならばさっさと終わってほしい。


(よし、知らない建物だからってもうなりふり構っていられない。ドアを壊してでも外に出てやる!弁償代なんて知ったことか!)


頑丈そうな扉は手持ちの燭台では破れまいと新たな武器を求めて周囲を見渡すと、視界の端に人影を捉えた気がした。
真っ暗な階段をゆっくり降りてくるのは、間違いない、人間だ!もうこの際ゾンビでもなんでもいいから人類に会わせてくれ!


「あ、あの!すみません、わたし・・・」


救いを求めて飛び出した言葉は最後まで続かず強制停止。
確かに人がいる―――いるが、全裸だ。なんで?羞恥心が死んでらっしゃる?それとも海外スタイルってワケ?

目を疑う。凝視する。しかし金髪の美少女はじっと佇んだままだ。胸も乳首もへそも、そして足の付け根のそれもバッチリ外気と私の視線に晒しているのに隠そうともしない。
まるで人形のように剥落した表情は、その美しい顔立ちもあってより一層不気味に思えた。待望の第三者の登場だというのに、喜びよりも戸惑いが勝る。
近付こうとした足が自然と止まった。頭の奥がじりじりと焦げ付いて、背中の汗がぶわっと噴き出たような錯覚。あ、これ、たぶんやばいやつ。


「もしもし・・・・?あの、聞こえてますか・・・?」

「・・・・・・」


こういうのって、よくあるシーンだ。ジャンルはホラー。画面越しに何回か見た事がある。その度に思うのだ、とっとと逃げればいいのにと。
でも今になって分かった。彼らは彼女らは、そうできなかったのだと―――だってほら、私だって今、何もできずに同じ道を模倣しているじゃないか。


「    」


相手の血色のない唇が小さく動き、何かを呟いたようだった。その意味を聞き取ろうと、素直に私は耳を傾けようとする。
そして緩慢な動作で私に向かって歩いてくる。これまたテンプレートにオーソドックスに、何かを求めるように両手を伸ばして。
親しい距離の詰め方に思わず身を引くも、掠めた指先の冷たさにぞっとする。あれ、これ、やっぱり、もしかして。


「ちょ、ちょっと!!」


本能から大きく退く私に、追い縋るように両肩を掴まれる。気のせいじゃない、やっぱり両手が冷たい。冷蔵庫の鶏肉みたいだ!
相手への気遣いなど捨て去って全力でその手を振り払おうとするがびくともしない。こいつ、見た目以上に力が強い!
イヤな予感そのままにその美しい顔面に遠慮なく両手を押し付けながら、状況を打開する手段を求めて周囲を見渡す。


「うっそ・・・・・」


気が付いたら。
私達の周りにはたくさんの人間がいた。でもみな一様に顔は青白く、むしろ顔が赤黒い何かの肉の塊みたいになっている人がいる、と気付いた瞬間に意識が一瞬飛んだ。
その隙を見計らうかのように床に押し倒される。床と同じ目線になると、足がなくて地面を這っている女の子がいるのにも気付いた。


(あ?これ、やっぱりゾンビだ)


目がある場所が黒い穴になっている女の子が私の眼球に触れる。乾いた感触がした。
片手がない美女は私の腕に頬を寄せ、足がない少女は私の両足に残った手で縋りついて来る。
まるで砂糖に集る蟻の群れのように、鼻も、唇も、胸も、腹も、指先も足先も私の身体で触れられていないところはなかった。

気持ち悪くて寒くて怖くて恐ろしくて、逃げ出したいのにまるで意識と体が切り離されたように動かない。死を感じる。


「   、   、」


返してほしいと、誰かが言った気がする。哀願するように、まるで私が悪い事をしているように、責め立てる。

でも私は何かを盗んだりしていないし、いや、このドレスは盗んだと言えなくもないがきっとそれじゃない。謎の直感。
相手に殺意があるのかは分からないが、現実として複数人に圧し掛かられた身体は苦しい。圧死という言葉が脳裏を掠める。
潰された肺で呼吸をするのが苦しい。のしかかられて重い身体は純粋に辛くて、手足は全く動かせない。冷たい体温に密着されて凍えるように寒い。歯の根が合わないのはそれだけじゃないけれど。


「だれ・・か、たすけ・・・・・」


そのまさに見計らったかのようなタイミングで。観客が最高に望むまさに瞬間に、主人公は舞い降りた。

ガラスが割れる大きな音と、驟雨のように降り注ぐ色とりどりの欠片が月明りを受けてきらきらと光る。
肉の塊から見えた僅かなスキマには赤い人影。そいつは文字通りバンジージャンプのように私の視界に飛び込んで、ぴったりと合った青い瞳が不敵に笑う。
そして映画やドラマでしか聞いた事のいない音(それが一拍置いて銃声だと気付いた)がたくさん響いて、驚いている間に強く腕を引っ張られて肉の群れから脱出する。


「はじめまして、シンデレラ」

「――――、」


何言ってんだこいつ。

謎の高身長の男は猫にそうするみたいに、私の片手を掴んでぶらりと吊り下げている。地味に自分の体重がかかって辛い。
モデルみたいに長い足、素肌に直接赤いコートを着込んだ身体は彫刻刀で彫られたかのように筋肉質で、逞しく割れた腹筋と胸筋に驚く。うわ、すごい肉体美。
そんな素晴らしい肉体の上に載っている顔ももちろん美しく、月明りを受けて静かに光る銀髪、その下にある海色の瞳、甘く整った輪郭と鼻梁は私に呼吸を忘れさせた。


「・・・・、・・・・・・・、」


でも、なんだろう。この感覚。背筋がぞわぞわして落ち着かない。自然と体が後ろに下がろうとする。
頭の中の警鐘が激しく掻き鳴らされているような感覚に戸惑う。この人は私を助けてくれたのに、なぜ?

不信感。警戒。恐れ。助けられたはずなのに、むしろ捕まってしまったかのようなマイナス感情。


「こんなとびっきりの色男に見惚れるのは無理ないか。あー、見たところ東洋系だが言葉は通じてるか?えーと、你好?コンニチハ?」


いや、そもそもこの人は何でここにいるんだろう。こんな、ゾンビだらけの洋館なんかに。・・・まぁそれで今は助かった訳だけど。

目線は恐る恐る片手に提げられた銃を追ってしまう。私の顔と同じくらいかそれ以上に大きな銃身は黒く鈍く光った。
あんな大きな銃で撃たれたらどんなやつらもひとたまりもないだろう―――私だってそうだ。どうもさっきから怖い想像ばかりしてしまう。


「ひッ・・・・」


男の後方で私に圧し掛かっていた女ゾンビの皆さんがのろのろと立ち上がるのを見て身が竦んだ。
いや、腐っていないから性格にはゾンビじゃないのかもしれない。ゾンビの定義って何だ?いやそんなことどうでもいいか!


「うし、後ろ!立ってる!う、撃って!!早く!!」

「なんだ、通じてんのかよ。そりゃよかった」


ちら、と青い目が背後の恐ろしい光景を一瞥して、高い鼻をすんすんと動かす。
表情はさっきまでのギラギラした獰猛な笑みからすっと無表情になって、不機嫌そうともつまらなそうともとれる顔になった。


「・・・・だが気乗りしねえな」

「はぁーーーーーー!!!?」


ゴリゴリと銃口を頭に押し付ける、もとい命知らずな頭を掻き方をしながら気だるげな返事をする男は本気でやる気がなさそうだ。
さっきは撃ったくせに、いや自分だってこの状況だと襲われるかもしれないのに、どうしてこんな返事ができるのか。いや、待てよ。

女ゾンビを撃たない=敵対していない=相手の味方である?=私の、敵である?


「うわぁぁあぁあ!!!」


さっきは頼もしくさえ見えた王子様が、一転してイカれた殺人鬼に見えて、自由になった足でめちゃくちゃに暴れる。
途中、何度か相手の身体にも蹴りをくれてやったはずだが、まるで家の柱を蹴ったかのようにびくともしなかった。嘘でしょ!?

そうこうしている内に女ゾンビが相手の男に抱き着く。薄氷色の瞳が厭わしげに伏せられたが、それでも銃を撃つ気配はなかった。
その隙をついて相手の綺麗な顔を引っ掻く。中指の爪の間に肉と皮が入り込んでいく感覚が気持ち悪い。けっこう深くいったみたいだ。ちょっと罪悪感。


「っ、待て・・・!」

「!!」


相手の支えを失い、床に落とされて尻もちをつく。しかし、すぐに立ち上がって近くの大きな扉の中に飛び込んだ。
扉を後ろ手で必死に抑えながら周囲を見渡す。白い清潔なテーブルクロスが掛けられた長い机にたくさんの椅子が目に入った。


(落ち、落ち着け、私が押さえててもすぐにドアが開いちゃう、だめ、そんなのは、ドア、ドアを塞がないと、塞ぐ、塞ぐ、塞ぐもの、)


悩んでいる時間はない。手を離すのも怖いけれど、もつれそうになる足でなんとか近くの椅子を掴んでドアに押し付ける。バリケードだ。こういうの、映画でよくやってるイメージがある。
そうして一拍置いてから、背もたれのデザイン的にドアノブに引っ掛けて即席の閂にできることに気付いた。苦労して何とか上手く引っ掛けることに成功する。


(これで大丈夫、かな?意外とできるな、私・・)


我ながら危機的状況にこんな俊敏な動きができるタイプだと思わなかった。絶対にゾンビ映画では真っ先に死ぬタイプだと思ってたのに。
むしろそういうパニック映画を見た事があるからこその経験か。神、いや映画監督よ、ありがとうございます。面白そうな映画があったら見に行きます。


(とはいっても、咄嗟に逃げ込んじゃったけど、別にここも安全って訳じゃないよね・・・)


落ち着いてから改めて周囲を見渡すと、高い吹き抜けの天井と、風景や人間の絵画が飾られた壁に、十人くらいは余裕で並べそうな大きな机。
その終点には食器と料理が置いてあるようだが、当然口をつける気にはならない。大きな柱時計の振り子の音が外の喧騒など知らず規則正しく時を刻んでいる。

意外にも、ドアに向こうからこじ開けようとする気配は感じられない。
そろそろと離れて、部屋の反対側に行く―――やっぱりあった。もう一つの扉を同じように椅子で塞いでから周囲を確認する。
窓は見当たらないからもう他に出入り口になるようなところはないだろう。仮の安全地帯だが、逆に言えば私も出られなくなってしまった。


(大きくて長い机に椅子がたくさん、そして料理・・・食堂、なのかな)


そういえばまるで胃の中がまるで空っぽみたいに猛烈にお腹が空いている。水でもいいから何かを口にしたい。
好奇心で近くにあったクローシュをとると、中からは湯気を立てる美味しそうな料理が現れて、あまりの不気味さにすぐさま戻して視線から隠した。
他の大小様々な覆いの下にも同じような料理が置いてあるのだろう。こんな、殺人鬼とゾンビだらけの館に出来立ての料理?空腹の私をおちょくってるのか?


「なんなの、もう・・・・・」


いくらお腹が空いていてもさすがに口をつける気にならず、清潔なテーブルクロスの下に潜って身を潜ませる。
毛足の長い絨毯の感触が柔らかく、足には少しくすぐったい。―――こんな子供みたいな隠れ方をしたってす見つかるのに、ここを出ても逃げ場なんてないのに、どうすればいいんだろう。


(もうやだ、ついてなさすぎる。これがドッキリなら早く家に帰りたい。夢であるのなら目を覚ましたい)


古典的手法として自分の手の甲を強めに捩じってみるが、赤く腫れて痛くなっただけで現実は変わらない。
徒労感と痛みはますます私を惨めな気持ちにさせた。もういっそ、この部屋を出てあいつらに食べられてしまった方が、いや、そうなる前にいっそ自分の手で死んだ方が。


「・・・・・・」


















―――10分くらいはそうしていただろうか。


「!」


頭上から響く金属の音に身体全体が跳ねる。恐る恐る視線を動かすと、いつの間にか誰かが椅子に座っているようだった。
黒い革のブーツを履いた足は大きく、男の人だと分かる。直感で、さっきのあの男だと分かった。
どうか自分の居場所がバレていませんようにと、指を組んで祈りながら息を潜める。・・・ああ、でも。


(どうせ死ぬんならゾンビにめちゃくちゃびされるよりも、あの人の銃で頭を撃ってもらった方が、痛くないのかな。もしかしたら死んだら目が覚めるとか、そういう可能性もなくはないし、)


それでも躊躇ってから、恐る恐る机の下から顔を出してみる。
予想通りさっきの男がいた。というか、食事をしていた。青い瞳が私を映すも、さほど興味なさそうに逸らして近くの大きなカニを鷲掴みにする。
そして硬そうな真っ赤な殻ごと真珠色の歯で噛み砕いで、器用に中の白い身と肉汁だけを引き摺り出してむしゃむしゃと食べる。近くに置いてある木槌と鋏なんて無視だ。

ごくんと大きく飲み込んでからも、私の事が見えているはずなのに無視して新しいカニに手を伸ばした。おい!


「何やってんの」

「見りゃ分かんだろ、メシだよメシ。いやー助かった、実はツケ払うまでピザは運ばねえぞって今朝言われてから今まで何も食ってねえんだ」

「・・・・ピザね・・・」


こんな美形の殺人鬼(?)でも宅配ピザを食べるとは、なんとも庶民的なことだ。ピザハット派かドミノピザ派か聞いてやろうか。
それにしてもツケを使うなんて、生活に困っているのかもしれない。この顔なら喜んで投資しそうな女の人なんてたくさんいるだろうに。

相手にしてみればせっかく獲物がノコノコと目の間に出てきたというのに、お構いなしに次の食事に手を伸ばす。
豪快に焼かれた飴色の子豚の丸焼きの太もも肉を遠慮なく毟り取り、鋭い犬歯で噛み千切っていく。
マナーもへったくれもない野生動物が飢えを満たすだけの野蛮な食事風景だが、美形がやると一幅の絵画のように映えるから世の中は不思議だ。

あんなに自分が警戒していた料理を、目の前で何の躊躇いもなく食べられたら私も釣られてみたくなってしまう。理性は、空腹の前にはあまりにも無力だ。
男の目の前の椅子に座って、手近にあったパンを掴んで色々な角度から慎重に検分する。


「・・・・これ、誰が作ったか知ってるの?」

「さぁな」

「嘘でしょ!?こんなところの、こんな、誰が作ったかもわからない料理なんて、食うか普通!?毒とか入ってたら、」

「変なにおいはしねーし、腹減ってたし。ったく、文句言うなら食うなよ」


この美形、思春期の子供を持つお母さんみたいな事を言う。

言われるまでもなく、普段の私ならもちろん食べない。食べないが、何故だか異様にお腹が空いている。
最後に食事をとったのはいつだったか―――といっても寝る前の記憶がないんだから考えたってどうしようもないし、記憶があるのなら私がこの屋敷にいる理由も思い出しているだろう。

柔らかそうな白パンを割って中身を確認する。不審そうな点はないように見える。
・・・いや、そもそもこの男に殺されてもいいやと思って出てきたんだから今更なんだけど、でも毒で苦しみながら死ぬのは・・・ええい、ままよ!


「・・・・うまっ」


意を決して齧ったパンは、空腹という最強の調味料で天にも昇る味だった。
知らない相手の前で行儀が悪いとは思いつつ、粉が付いた指先を舌で舐めてからもう一口、次は大きく齧り付く。味覚って最高。


「それにしても、窓はないし、扉は塞いでおいたはずなのに・・・どうやって入ってきたんですか。秘密の抜け穴ですか?」

「秘密でもない抜け穴ならそこに空いてるぜ」


ぺろりと平らげた骨を空いた皿に放りながら、もう片方の長い指が扉を指す。
視線で追ってみると、なんと壁に四角い大きな穴が堂々と空いていた―――いや、空けられていたというべきか。
さっきまではそんなのなかったし、綺麗にくり抜かれた壁材がそっくりそのまま前に倒れ込んでいる。毛足の長い絨毯が音を吸って気付かなかったのだろう。

どうやって、という疑問はすぐに解けた。
男の横の椅子に掛けられた長い銀の刃。時代錯誤にも大剣としか言いようのない武器が立て掛けられていたからだ。マジかよ。あれホンモノ?


「・・・・その、私を殺すんですか?」

「思春期抜けきれない自殺希望なら適当なビルの屋上でやってくれ。でもその前に俺のお願いを聞いてもらいたいね」

「お願い?」


あれ、なんだか話がおかしいぞ。気のない返事に眉をしかめる。
筋肉バキバキのガタイに大きな銃と剣という、分かりやすい危険人物のアイコンを持ちながらもどうやら私を殺そうという気持ちはないらしい。

どうやらすぐに死ねという展開ではないらしい―――少し気持ちだが前向きになって、手近にあった貝のクラムチャウダーの皿を近くに引き寄せる。
けれど相手も同じことを考えていたらしく、皿の両側をお互いに引っ張り合うことになった。気まずい。

しかし意外にも大きな手がぱっと離れて、別の皿の大きな海老を掴む。これまた硬そうな殻を片手で剥がして食べた。


(・・・譲られちゃった)


突っ返すべきかとも思ったが、素直に好意は受け取っておこう。冷静に考えるとそこまで恩に感じる必要もない気がするが。
千切ったパンを浸して口に運ぶ。スープは少し冷めていたが美味しくて、こんな状況なのに少し頬が綻ぶ。男はそんな私の様子を頬杖をついて観察していた。


「アンタを連れてきてくれっていう依頼で俺はここに来てる。気前のいいことに前金も出てる。素直に来てくれると助かるんだが」

「連れてくる・・・つまりここから出られるってこと?いや、そりゃ、まぁ・・どうしてくれるのなら私としても助かるけど、一体誰がそんなこと頼んだんですか?いくらで?」

「報酬は400万ドル。依頼主は知らねェ。仕事を引っ張ってきたエンツォのやつも分かってねえみてえだったし、まぁアイツはあのビールっ腹に酒を詰められりゃ満足なんだろ」

「よ、よんひゃくまんどる・・・ドルってええと・・・・」


日本円換算で弾き出した金額に顎が外れそうになる。それなのにそんな適当でいいの!?

雲行きのあやしい流れに顔が渋くなる。お金を払ってまで一般人の私なんかに会いたい人なんて怪しさ満点じゃないか。
しかも匿名希望だなんて、依頼主が家族や知り合いだったら素直にそう名乗ればいい。つまり赤の他人確定だ。
それにこんな状況だから正直「助かった」という感情もなくはないけれど、逆に言えば私がこの状況に陥る事を分かっていたみたいで、気味が悪い。


「それ、私が行きたくないって言ったらどうするんですか?」

「どうすると思う?」


薄氷色の瞳が悪戯っぽく笑いながら、組んだ長い指の上に顎を乗せて私を見る。
何でもない動作のはずなのに、まるで猛獣と直に対面した獲物の気分になって不安になる。


「―――いいか、アンタが選ぶのは行くか、行かないかじゃない。荷物みたいに雑に運ばれるか、姫君のように優しくエスコートされるかだ」


肉汁と脂の滴るフォークを私に向ける。まるでこれから自分が料理になって相手の胃に運ばれるような錯覚。
流れでつい普通に会話をしてしまったけれど、依然として相手は私を殺せる武器を持った殺人鬼かもしれないことにかわりはないのだ。


「さあ、どっちがいい?」


どっちも嫌過ぎる。連れて行かれるのは確定事項のような口ぶりで、いや実際に頑張って抵抗しても勝てそうにないけれど。

でも、私はちょっとだけこの人が悪い人じゃないんじゃないかと思い始めている。
一緒に食事をした。スープを譲ってくれた。ピザをよく食べるらしい。しかもツケでも食べたいくらいに―――そしてそれくらいお金にも困っている。こんな美形なのに?その顔を悪用しないと思わないのか。

どれも善行とするには取るに足らないほど些細で、相手の言った事も全部嘘っぱちで親近感を持たせるための罠かもしれない。


「・・・分かった。行く」


渋々、嫌々、両方の気持ちを全面に出して頷く。
もろもろのプラスとマイナスと差し引いても、壁を剣でぶち抜いてくるようなあらゆる常識外れの相手から逃げられないという現実的な判断だった。相変わらず怖いし。

全てを諦めきった獲物の従順な答えに、目の覚めるような美貌の狩人は満足そうな笑みを浮かべる。


「そりゃ結構。素直で俺としては良心が助かる」

「良心ね・・・・。ほんとは、行きたくないよ。何されるか分かんないし、相手が不明なのも、怖いし。でもここにいるのも、むりやり連れて行かれるのもイヤ。だから仕方がなくだよ」

「ま、そりゃそうだな」


切実な訴えに心を打たれた相手が心変わりして「じゃあいいよ」と言ってくれるのを期待してみる。
だが、返ってきたのは予想とは違う言葉だった。


「安心しろ。アンタの悪いようにはしねえ、相手がどうであれ守ってやるよ。俺の仕事は会わせるまでだからな」

「――――、」


気取る訳でもなく、含みもなく、嫌味もなく、真顔で言われた言葉に息が止まる。
守ってやる、なんて実際に言われるのは初めてで、ましてや相手は知り合って一日も経っていない赤の他人だ。
そんな相手に陳腐な台詞を言われても素直にときめくほど純粋な心は持っていない。

でも、この人はその言葉を決して反故にはしないだろうという謎の確信があった。なんとなく私が気恥ずかしくなって頭をぽりぽりと掻く。


「えっと、ありがとう。その・・よろしく、お願いします。・・・・あとさっきは暴れてひっかいたりしてごめんなさい」


もしかしたら敵対して無駄になるかもしれないけれど、礼儀として頭を下げる。
そういえば、顔面を思いっきり引っかいてやったはずなのに、相手の綺麗な顔にはそんな形跡は残っていない。
気のせいだったのだろうか―――いや、中指の爪の間は赤いし、目立たないところだったのだろう。美形の顔に傷が残らなくて本当によかった。

長い指が鶏の骨を放り、皿に着地した音がこの奇妙な晩餐の終わりを告げる合図だった。


「そういえば、依頼って言ってましたけど普段は何の仕事をしてるんですか?ええと、」


はたと気付く。そういえば相手の名前も聞いていなかった。向こうだって私の名前を知っているか怪しい。


「俺はダンテ。お前を連れてこいってのは表向きやってる便利屋の方だ」

「便利屋・・・表向き?」


なんかフィクションみたいなワードがさらっと出てきたな。いや、今更この状況でフィクションだのノンフィクションだの論じるつもりはないが。
ただ確実なのは、リアルの世間一般に溢れるベッドの組み立てや部屋の掃除を代行する便利屋ではないってことだ。ちょっと詳しく話を聞いてみたい。


「俺の本職はデビルハンターでね」

「またまた・・・それ何かの比喩でしょ。せめてハローワークで紹介される職業で冗談言ってよ」

「冗談?あんたもじゅうぶんワンダーランドの住人だろ」

「私は一般人部門代表の一般人だよ」

「一般人、ね・・・」


ダンテが隣の椅子に立て掛けられていた剣を掴み、獰猛な笑みを浮かべた次の瞬間―――派手な音と共に何かが目の前を横切った。
一拍遅れて響いた、陶器が割れる派手な音でやっと鼻先スレスレを掠めて机が吹っ飛んでいったことを理解する。

振り上げられていた長い足がゆっくりと地面に下ろされる。・・・蹴り飛ばした?こんな長くて重そうな机を、食器ごと?片手で?

突然の横暴に驚きながら後ろを確認すると、趣味の悪いドクロの仮装をした誰かが机で壁に磔にされていた。壁に刺さった食器の破片が悪趣味なアートに彩りを加える。
両手で大きく掲げられていた鎌が落ちて、絨毯の音に吸われて力なく転がった。・・・この光沢、質感って、まさか本物?あと私にそれ振り下ろそうとしてた!?


「な、ななななな、なにして、」

「見りゃ分かんだろ?悪魔退治だよ」

「悪魔って、ホンモノの悪魔のこと言ってる!?そんなのいる訳が、」


どう考えても中の人は無事には済まない、背骨とか大事なものがぽっきりいってそうなドクロの人を助けようと手を伸ばす。
が、私が触れるよりも早く相手は消えて、支えを失った机も地面に落ちた。・・・消えた?いや、自分で言って信じられないが、確かに消えたのだ。
スーパー映像技術や幻にしては出来過ぎている。なにより、壁には人型の赤黒い染みがしっかり残っているし、足元には黒い砂が積もって小さな山ができていた。


「いる訳が、なかった・・・ような・・・」

「ははッ今回もつまんねぇ仕事だと思ってたが、なかなか俺好みの仕事になってきたな!」

「俺好み!?俺好みってなに、この状況で、今、わたし、殺されそうになってたって、こと!?」


怯える私とは正反対に、まるでセミを見つけた夏の少年のように目をらんらんと光らせて、デビルハンターが立ち上がる。
片手にはあの大きな銃を、もう片方の手にはあの大きな剣を握って、手慣れた動作で。まるでこの非日常が日常茶飯事だとでもいうように。

部屋の壁や床が赤く光り、ダンテが私の首根っこを掴んで自分の後ろに庇った。広くて逞しい赤い背中を見ると少し安心する。
光は円の中に複雑な模様を描き、まるで魔法陣みたいだという感想を抱いていたらその中から骨が生えてきた。絵やレントゲン写真でしかみたことがない、人間の骨のような手。
続いて這い出てきたのはボロ布を纏った、これまた骨。理科の授業で見た人体骨格のようだった―――学校の教材は大きな鎌なんて握らないけれど。

骨ドクロ、彼の言葉を借りるなら悪魔があちこちから現れて、私達を追い詰めるように円状ににじり寄ってくる。
とりあえず足元に落ちていたフォークを掴んではみるが、あの大鎌に比べてなんと頼りのないことか!
あっちは人間の首なんて容易く刈り取れそうなのに、せいぜいこっちは鶏肉をつつく位が限界だろう。怖すぎる。ここで死ぬのか?


「ちょっとこれ何とかできんの!!? なんかすごい事になってきたけど!?」

「俺は専門家だっつったろ。俺の邪魔にならないようにその場で大人しく丸くなってな」

「~~~~ッ、死んだら!うらんでやるーー!!」


自称専門家の言葉は自信に満ちていて、言われるがまま大人しくその場に丸くなる。自然と指を組んで祈りの形。
いま自分の人生の中で一番真摯に神様に祈りを捧げていた。いや、そもそも神様が本当にいたらこんな状況にはならないかもしれない。


「そりゃ怖い。食いもんと女の恨みはロクなもんじゃないもんな」


そう思わないか、というちっとも怖がっていない声を合図に銃声が断続的に響く。
自分のすぐ近くで銃が発砲されている事実が恐ろしくて耳を両手で塞いだ。それでも聞こえる音に身が竦む。
続いて響く盛大な破壊音は家具が壊れた音だろう。時折聞こえるダンテの笑い声だって、なんでこんな状況を楽しんでるのか理解できなくて怖い。絶対あいつ頭がおかしい。


(これは夢だ、夢じゃないとおかしい、きっと私はまだ眠っていてイヤーな悪夢でも見てるんだ、だってだって、そうじゃなかったら、)


こんな恐ろしい現実を受け入れなきゃいけなくなる。


「ひッ・・・」


一瞬ぼうっとしていた間に自分の足元にあの赤い魔法陣が出ている事に気付かなかった。
反射的に立ち上がろうとして、いま立ち上がると危険なのか迷って、その間に何かに足首を掴まれる。
人間の感触とは違う、冷たくて乾いている固い感触。ああ、あの骨だ―――、


「っ・・・・!」


私の異変に気付いたダンテが銃を撃つが、続いて伸びてきた無数の白い腕に両肩とでを掴まれて仰向けに押し倒される。冷たい感触に心まで凍えた。この感触には覚えがある!

まるでまな板の上の鯉みたいに地面に転がる私目掛けて悪魔が鎌を振り下ろそうとする、いや、振り下ろした。
けれどその刃は私の肉には届いていない。痛みはなかったが安堵もなく、目の前の光景に目を見開く。


「うそ・・・・・」


さっきの女ゾンビが私の上に覆いかぶさって、悪魔の刃物に貫かれていた。
刃物ごとゆっくりと身体が引き上げられて、振られた刃で壁に叩きつけられて床に落ちた。壁に散った赤い染みは、子供が絵具で悪戯をしたようだった。

白い別の手が私を守るように悪魔に伸びて、刃のひらめきと共に肉が飛び散る。私の頬に飛んできた血は冷たかった。
女達は無言で悪魔に立ち向かっていく。また別の誰かが私の上に覆いかぶさる―――悪魔から守るように、全身で庇う。


「・・・なんで、」


頭が混乱する。さっきまでお前達が私を襲ってた側だったくせに、どうして私を、守ろうとする。何でだよ、おかしいだろ。
悪魔の出現以上の混乱と理解不能さに呼吸が荒くなって、頭が混乱して、そして。

ぱちん。


「――――!」


誰かの指の鳴るような音が脳の奥で響き、私はカーテンの幕を引くように意識を落とした。








































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あとがき。
14年ぶりの再走です。旧作とか旧旧作と読み比べると楽しいかもしれません。前の方が好きだったなという方はごめんなさい。

読んでも困らないけれど、読むとちょっと楽しい小ネタ
(ちゃんと回収するか分からないこの連載の設定や伏線も大体バラしていくやつ)→
・DMC3の漫画ネタが少々と、元々バイオ4として開発されてたという小ネタでバイオ1風味の始まり。
 以降は特にバイオ要素ありません。バイオシリーズはコードベロニカが一番好き。

・ドレスのサイズが合わない→
どんな人間ができるか分からないから用意されたのはフリーサイズ。靴はサイズが厳しいのでナシ。

・箱の中の宝石→
相手の善性を図るためのトラップ。もし盗んでたら呪いで即死(悪人はダンテ達を誑かせないので)過去にそれで死んだ人はもちろんいる。

・ダンテが怖い→
(自発的ではなく・無自覚とはいえ)夢主も向こう側なので、ダンテとバージルは天敵として本能が認識している

・お腹が空いている→
実際に胃の中は空っぽ。生まれたばかりなので。

・お誕生日おめでとう→
正しい意味

・指パッチン気絶→
電源をオフにした。普段は複雑な思考をする人間を操る事は無理だが、夢主が精神的に極度に不安定になると、ある程度操れる。


2021年9月26日執筆 八坂潤
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