とろりと垂らされた墨汁の夜が本丸を覆い、審神者(仮)の私と付喪神の少年が向かい合う。
まだ私達二人しか居ない屋敷は恐ろしく静かで、ともすれば世界に二人きりしかいないような不安もあった。

審神者(仮)になって数日。
二人で周囲を散策したり、本丸を冒険するままごとみたいな日々は終わる。
明日にはまた新しい刀剣男士を神降ろしし、本格的な戦が始まろうとしていた。

きっと今日が薬研くんと二人きりで過ごす最後の夜になるのだろう。


「できたぜ、大将。」

「おおーこれが刀装かーー!」


黒手袋に包まれた手が鈍色の玉を掲げ、薬研藤四郎が白い歯を見せて笑った。
差し出される玉に触れれば金属特有のひんやりとした冷たさが返ってくる。

こちらに来る前に教わった刀装作りとやらを薬研くんにお願いしていたのだ。
この宝珠が戦闘の折には刀剣男士達を守り、共に戦う道具になるという。

しかし私には、ただの自分の間抜けな顔を円に沿って歪曲に写す普通の玉にしか見えない。


「これどうやって使うの?」

「ん?よし、見てな。」


私としてはモン●ターボールよろしく地面に叩きつけるイメージしか浮かばないが。

自分の足元に広がっていた玉を拾い上げ、薄い色の唇からそっと息を吹きかけた。
神の息吹を受けた刀装が白く光り、それはすぐに小さな人間の形となって数人が躍り出てくる。

文字通り命を吹き込まれた彼らは、鍜治場や手入れ部屋で挨拶をしてきたのとは別の妖精達だった。
皆が各々に手に銃を持ち武装していて、周囲に敵がいないことを確認すると音もなく消えた。

戦場でない場所で見ている分にはミニチュアハウスの人形のようで可愛いらしい。
けれど彼らは刀剣男士と共に戦う兵士である―――その事にそっと目を逸らして平凡な感想を返した。


「なんかファンシーだったね。」

「刀装は使用回数には制限があるが、これが俺達や大将を守る武器になる。
 今のが銃兵、あと下に転がっているのが軽歩兵と軽騎兵、そして大将が手に持っているのが弓兵。」

「ふぅん・・・・」


試しに私も刀装に息を吹きかけてみるが、球体の表面を僅かに曇らせただけで何も起こらなかった。

神降ろしもそうだけど、審神者業には特別な呪文や儀式は全く必要ないらしい。
しかし子供じみた特別や非現実のへの憧れはいつまでも消えないようで、ちょっとだけほんの少しだけ残念に感じる。


(ただここに居ればいい、か・・・)


ただこの本丸に座すだけで私の霊力を吸って皆が戦ってくれる。
それだけで給料が入るのだから審神者も楽な仕事かもしれない―――戦の大将という重圧に私が耐えられそうにもないだけで。

人間には見分けがつかない球体の群れを薬研くんは手早く種類ごとに分類していく。
刀装作りでしっかり搾られていた霊力の消耗からか、手中の玉が重く感じて私も畳に置いた。

丸い体はその場に定まらず、先程まで夕飯のキノコ汁が入っていた椀に軽い音を立ててぶつかる。


「しかし、薬研くんがキノコに詳しいとは思わなかったなぁ。
 しいたけとかは知ってるけど、タマゴダケ?だっけ?あれすっごくおいしかった。」

「俺は薬研の名の通り医学を齧ってるからな。
 野草、薬草、毒草、それから茸にも少しは通じているつもりだ。」

「なるほど。じゃあ私が怪我をしてもすぐ診てもらえるね。」

「そもそも怪我をしねえように守るのが近侍の仕事だろ?」

「・・・・そうだね。」


私は転んだ程度の怪我を想定しての発言だったが、薬研くんは戦いでの怪我を危惧した発言だった。
その意識のギャップに少し驚き、しかし自分が仮とはいえ戦の大将をやるのだから当然だとかぶりを振る。

うう、少し考えれば分かる話だったのに自分の身の危険を感じて今更ながら怖くなってきた。
早く優秀な新しい審神者が見つかりますように、と自らの危険を誰かに押し付ける卑怯な願いを遠い空にぶん投げる。


「そういえば聞きたかったんだけど、きんじって何?」

「なんだ大将、知らなかったのか?」

「現代社会じゃなかなか耳慣れない言葉なもので・・・頭悪くてすいません。」


きんじ、漢字も浮かばないそれは未だに菌糸の言い間違いではないかと密かに疑っている。
いやしかしそうなるとあそこまで恭しく「あなたのキノコになりたい」というボケを連発されていた訳で、ボケ殺しもいいとこだな・・。


「近侍っていうのは、近くに侍るって書くんだ。」


私の頭の悪さに気分を害した様子もなくいつもの外見にそぐわない低い声で解説し、細い指が畳に文字を描く。
『近侍』と動いた指の軌跡にやっとそこから来る意味を飲み込んだ。当然菌糸ではなかった。


「大将の一番近くに仕える・・・まあ俺達にとっちゃ誉れだな。」

「誉れかぁ・・・・」


果たしてそうだろうか。

私にはそのお仕えする大将の駄目っぷりに辟易した薬研くんが近侍辞退を申し出る未来が見えた気がする。
そうならないようにせめてもうちょっとしっかりしようと心の中でこっそり誓った。


「ん?どうした?」

「あ、いや、えーと、薬研くんの前の主ってどういう人だったの?」


自分の間抜けな未来予想図を頭の中から払拭し、かねてからのもう一つの疑問をぶつけてみる。

敢えて審神者とは限定せずに前の主を問う。
その名は果たして前の審神者が挙げられるのか、それとも元の薬研藤四郎の持ち主の名前が出るのか。

本当に以前の記憶がリセットされているのか―――自分が前の主と比べられる事がないのか、卑小な私には気になったのだ。


「俺の前の持ち主か・・・有名な御仁だから知ってるかもな。」

「そんなに私頭良くないけど、分かるかな。」


どうやらこの問いを少年の付喪神は元の持ち主の事だと認識したらしい。

・・・・・本当に、忘れてしまっているのか。
あんな風に、前の主の傍を離れまいという強い意志さえ感じさせる程に強く刺さっていたのに。


(・・・・いやだな。)


歴史を守るためとはいえ人間が純朴な神々を一方的に利用しているようで気分が悪い―――しかし同時にほっとする思いもある。
そしてそんな利己的な自分に気分が悪くなった。嗚呼これぞ負の連鎖反応。四つ揃えたら消えればいいのに。


「織田信長公。」

「えっ?」

「俺の前の持ち主は織田信長公。俺達、粟田口の刀は縁起がいいとされてどの大名も持ちたがった。
 信長公もその一人、俺を一番の愛刀として肌身離さず持ってくれていた。」

「お、織田信長って・・・まじで!?本当に!!!?」


精悍な顔立ちで鷹揚に頷き、真実だと薬研藤四郎が肯定する。

思わぬ歴史の超有名人の登場に、暗澹とした心地など一気に吹き飛んでしまった。
いや刀剣男士は後世にまで轟く名刀・宝刀・神刀の付喪神なのだから私が知っている人間が居てもおかしくないのだが、それでも。


「はー・・・まじか・・・・・本当に、はー・・・・」


知性の欠片も感じさせない子供じみた感嘆が口から漏れる。

織田信長といえばご存知どころか小学生の歴史のテストでも出てくる超スーパーウルトラミラクル有名人だ。
そんな偉人の次にお仕えるのが小市民もいいところな私、というのに申し訳ない思いで胸一杯です。

・・・将来薬研くんが辞表を提出するという未来がいよいよもって現実味を帯びてきましたね?


「・・・・・なんかごめん。」

「どうした?」

「ううん、こっちの話・・・・」


別に、薬研くんが私と織田信長を比べた発言など今まで一度もしていない。
勝手に私が畏怖し卑屈になっているだけだ。相手に伝わらないのに謝っても意味がない。

矮小な自分の器を糊塗するように、真っ直ぐな忠臣に見抜かれないように、明るく取り繕って話題を続ける。


「ねえ、織田信長公ってどんな人だったの?」

「ううん、まぁ破天荒な御仁だったな・・・大体の事は、まぁ未来にも伝わっているだろうが。
 あとは・・・そうだな踊るのが好きで、あとは部下に変なあだ名を付けたりせっかくの凱旋の馬の上で爆睡してたり・・」

「予想以上にフリーダムだな第六天魔王・・・・。」


まさか後の世の人々によって美少女化されたりビーム出せるようになってるとは思っていないだろうが。
いや、それ以上に自分の愛刀が付喪神になり未来人に意外とお茶目な一面を暴露されるなど露とも考えないだろうが。

本来の目的も忘れ教科書には載っていない、歴史の偉人の意外な素顔に純粋な興味をそそられる。


「さすが、詳しいね。」

「そりゃそうさ。俺はずっと、信長公には最期までお仕えしてたんだぜ。」

「―――――、」


最期まで。

何でもないように発せられた言葉を受け止め、少し考えた後に呼吸が止まる。
織田信長の最期は明智光秀に本能寺で焼き討ちに遭い自刃し、その死体すら残らなかったという。

その彼に最期まで寄り添った薬研くんは、どうなったのだろう。
もし私の考えている通りの結末なら、彼は存在しない自分の未来のためにその命を懸けて戦うことになる。

それは、どんな気持ちなのだろうか―――それは、酷なことではないだろうか。


「・・・なんて顔してんだ、大将。」

「え?」


自分のくらーい気持ちがきっちりばっちりと顔に出ていたのだろう。

薬研くんは苦笑するような声と共に腕を伸ばし、私の頭を軽くぽんぽんと叩いた。
泣きわめく子供をあやすような、叱咤するような、しかし逆に泣きたくなる程の深い慈しみのある動作だった。


「俺の事なら心配するな。実はあの時、明智光秀が焼け跡から俺の事を持ち出してる。
 だから大将が悲観するような事にはなってない。」

「ほ、本当に?薬研君もどこかで生きてるの?」


主の胸の中の暗雲を振り払うように、薬研藤四郎は晴れやかで力強い清廉な笑みを浮かべる。


「生きてるってのはくすぐったい表現だし、大将に神降ろしされる前の記憶は曖昧だが、まあそうだな。」

「そっか、うん。そっか・・・そうなんだ・・・・よかった。
 薬研くんが燃えてなくて、本当によかった。」


例え後世で何と伝えられていようが、刀本人がそう言うのだからそうなのだろう。

返す私の言葉には打算などない、心の底からの喜びが滲んでいた。

まだたった数日、この本丸に来てから主従として出会っただけの交流関係。
けれど彼の言葉がなければ、審神者として活動する前から折れかけていた私の心は救われなかった。


「じゃあもし私が元の時代に戻っても、きっとまた会えるかもしれないね。」

「ああ、そうだな。大将が俺に会いに来てくれたら―――嬉しい。」

「うん。見つかったら会いに行くよ、絶対に。」


優しい声で返ってくる少年の言葉に馬鹿みたいにうんうんと頷く。

いつか新しい審神者が見つかったら私はここを去ることになるだろう。
その折には最もお世話になった刀に、薬研くんにはきちんと御礼を言いに行こうと思った。


「さて、ここからは真面目な話なんだが。」

「うん?」


胡坐から居住まいを正した神の深い紫の双眸が私を見つめる。
雷光のように直線的な視線に射抜かれて、私も慌てて姿勢を正した。


「これから先、大将の許には色々な刀がやってくるだろう。
 俺も腕には自信があるが、それよりも強いやつなんてゴロゴロいる。」

「・・・うん。」

「それでも大将は、俺を守り刀として、近侍として・・傍にずっと置いてくれるか?」


真剣な問いだった。
ずっと自分を傍に置いてほしいという、神様のいじらしいお願いだった。

そしてそれを断る理由など―――私の狭い世界のどこにも見当たらなかった。


「もちろん。薬研くんが辞めたいって言わない限り、ずっと、ずっとお願いしたいと思ってる。
 だって、私はあの時の言葉がなければ審神者になってなかった。」


戦の大将という重圧を共に背負うと言ってくれたからこそ、そこまで私なんかを必要としてくれたからこそ、私は審神者になったのだ。
その隣に張本人である彼が居ないという図は、最初から有り得ないことだった。


「あの時に掛けてくれた言葉が嬉しかったから。だから薬研くんはずっと私の近侍だよ。」

「・・・・そうか。」


そういって少年は心底嬉しそうに清潔な笑顔で笑い、私も一緒に笑顔になってしまう。

未だ、私の近侍という立場が誉れだとは到底思えないし実際そうではないのだろう。
けれどいつか自分がそれに値するだけの人物になれたらと思うのは、きっとよいことだ。


「じゃあ大将、俺にその刀装を大将の手でくれないか。」

「へ?なんで?」


薬研くんが指さした刀装は、私がさっきまで弄んでいた鈍色の弓兵の玉だ。
彼の近くにもいくつもの玉が転がっているのに、わさわざ私の手で自分にくれないかという不思議なお願いに首を傾げる。

さっぱり意味が分からないという主の顔に近侍は不敵な表情を浮かべる。


「俺の薬研の名付けのきっかけになった昔の主の・・・まあ願掛けってやつだな。
 信長公よりも前の持ち主が窮地に陥った時、盟友から弓具の鏑を送られて決起し、生きのびた。」


だからそれと同じことを俺も大将にしてほしいのさ、と繋げる。

たかがこの玉を渡すだけ―――たったそれだけの行為が途端に重みを増す。
これがきっと薬研藤四郎なりの私への忠誠を示す儀式なんだろう。


「・・・・・・・・・・。」


大きく息を吸って、吐いた。

弓兵の刀装を拾い、もう片方の手で鈍色の肌をそっと撫でる。
私の体温を吸って徐々に温くなりつつそれに、どうかこの優しい神様を守ってほしいと無力ながらに願いを込めた。

そして両手を添えてできるだけ仰々しく、拙い主に忠誠を誓う近侍に差し出す。

白皙の美貌が私をしばし眺め、そして彼もまた両手でそれを恭しく受け取った。
まるでままごとのように簡潔で、尊い儀式だった。


「――――ああ、これで。これで俺はどんな死地からも大将の許に戻ってこれる。そう、誓える。」


恋する少女のように純粋で、歴戦の勇者のように厳かな誓いの言葉だった。
まるで騎士が姫に忠節を捧げる物語の場面のように優しく、しかしそれには片方が役不足に過ぎると気付く。


「・・・肝心の大将がこんなんで申し訳ないけどね。」


我ながら乙女な思考回路に気恥ずかしくなり、嬉しいのに茶々を入れてしまう。
しかし騎士の少年は笑うことなく真摯に返す。


「そんな卑屈言っちゃいけないぜ。俺は大将のこと気に入ってるんだからさ。」

「えっどこが?」


自分の行動を翻ってみても、気に入られるに値することをした覚えが全くない・・・というのも悲しい話だ。
単なる主へのお世辞ともとれるが、この神が無意味におべっかを使うとは思えなかったのだ。

自分の内面に問い掛けても自慢できるような美点は見つからない―――あ、これ本当に空しくなるな。


「自分じゃなかなか気付けないもんだな。」

「ん?んん?・・・うん・・・ごめん図説付きの丁寧な解説を頼むわ。」

「自覚がないってことは自然にできてんだから、いいことだ。」


うんうん唸る私に謎めいた言葉を残し薬研くんは黙ってしまった。
もしかしたら神のみぞ知る魅力とやらがあるんだろうか・・・生意気を言うようで申し訳ないが、それは人類相手にも発揮してほしい。


「これからもよろしく頼むぜ、大将。」

「うん、こちらこそ是非よろしくお願いします。」


これからも―――優秀な審神者が見つかって私がここを立ち去るまでは。

そう考えてから、前の主と同じように私もいつかまた彼に忘れられてしまうことに気付いた。
きっと今日のこの誓いもこれまでの主と幾度となく交わしてきた儀式なのかもしれない。

私が去った後に彼は新しい審神者とまた同じ夜を過ごし、そしてまた等しく鏑を授けられるのだろう。


(私だけが特別という訳じゃない、か。)


自分の中に確かにあった、不釣り合いなまでの忠節に舞い上がっていた気持ちが冷静さを取り戻す。

取り戻すが・・・・しかし、先程の美しい誓いは彼自身の本心だとも思う。
例え無意識に使い古された言葉であっても彼にとっては初めての、そして私だけに尽くしてくれた言葉なのだ。


(それでも私は、今日の夜を忘れないようにしよう。)


私なんかを気に入ったと言ってくれる奇特な神様の言葉と、その優しい誓いを。
薬研くんが私を忘れる日は来る、そして私が審神者を辞める日も―――けれどその至誠だけは未来に持ち帰ろう。

二人きりで過ごす最後の平和な夜も粛々と終わりに近付き、戦の夜明けがそこまで近付いていた。







































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あとがき。
※明智光秀が薬研藤四郎を焼け跡から持ち出したとする説は、しかし信憑性が低いとされている。


2015年 4月12日執筆 八坂潤


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