本日は絶好の休日日和。
本丸は穏やかな平和と春の陽気に包まれ、庭で私はせっせと短刀の子達と健康的に体を動かしていた。

と、その緩い空気を打ち破るように、遠くからどたどたと荒馬が駆けてくるような音が近付いてくる。


「たいへんですあるじさま!せいふのひとたちがやってきました!!」

「な、なんだってーーーーーー!!?」


巌のように頑健で背の高い岩融さんと、その彼に肩車された小柄な少年の体躯の今剣くん。

忠義の主従のそのまた主従の発する緊急事態宣言に、慌てて愉快な音楽の流れるノートパソコンの電源を切る。
同時に遅れて付いて来た燭台切さんが今の私の格好を見てその炯眼を思いっきり不満そうに歪ませた。
動きやすいジャージと適当に縛った髪はさぞ彼の高い美意識を逆撫でした事だろう。


「主・・・僕、普段から適当な服を着るなって言ってるよね?
 ああもう、スーツは用意しておいたから急いで着て!髪は僕が整えるから!!」

「だってようかい体操踊るのにスーツ着てたらおかしいですよ!?」

「ねえ主、ボク前から疑問だったんだけどこの動きって何なの?」

「未来の日本国民は皆踊れる舞いの一種。運動会の定番。インディアン嘘つかない。」


何事だろうとざわざわする短刀の子を置いて、思いっきり不審の目を向けてくる伊達男は正義的に無視して、靴を脱いで縁側へ上る。
そのまま廊下を行こうとして脱ぎ散らしたままの靴を思い出して戻ろうとすると、既に燭台切さんが爪先まで完璧に揃えていた。

ウッ違うんですちゃんと私もお行儀よく揃えようとしてたんです、だからできない子を叱る寸前のお母さんみたいな目はやめて。


「でも何で連絡もなしに急に・・・」

「ううん、そうだね・・・この間主が報告に戻った時の内容に関連している、とかはどうかな?」

「・・・・考えてみます。」


季節の花が一定間隔で香る長い廊下を、最大の急ぎ足で自分の私室に辿り着く。
襖の近くにかかっていた、糊のきいたスーツを引っ掴んで部屋の中に引っ込んだ。


(やっぱり、特に粗相をした記憶はないんだけどな・・・むしろ三日月さまを迎えた事ですごく褒められた位だし・・・)


三日月宗近―――天下五剣の一人、最も美しいとされる刀から降ろされた付喪神。
玲瓏とした美貌に柔和な笑みを浮かべ、海のように深い紺の着物に典雅な反りを魅せる刀を提げた青年。ただし中身は好々爺。
その神降ろしは難易度が高く、君のような審神者が成功したのは奇跡だと気持ち悪いほどに褒められた。


(普段は道端の石っころみたいに邪険な態度をとるくせに。)


まあ実際のところ、数多いる審神者の中でも私の本丸の成績はさほどよくはない。
まして次の優秀な審神者候補が見つかるまでのつなぎなのだ、扱いも適当になるだろう。

次の優秀な審神者候補が見つかるまでの、仮の主。
見つかってしまえば審神者の特権は全て剥奪され、あらゆる刀剣男士の記憶から私に関する記憶は消える。


「・・・・・・」


軽く汗をかいた身体を拭いて、用意してもらったセンスの良いスーツに着替えて化粧を整える。
髪の毛は適当に櫛で整えて部屋を飛び出せば、待ち構えていた本丸のファッションリーダーに神経質に髪や襟を直された。

携帯しているらしい手鏡に姿を映されると、うん、随分とマシに見える。


「ありがとうございます。」

「うんうん、僕の主なんだからちゃんとしてもらわないとね。」

「はは・・・・」


とびっきりの宝物を披露する前の子供のように胸を張る燭台霧切さんに乾いた笑みが漏れる。
正直、この冴えない顔はどう頑張っても豚に真珠という風はあるが―――まあ、失礼に当たらなければそれでいいのだ。

あまり待たせてはいけないと、もう一度廊下に出て急いで応接の間へ向かう。


「で、思い当たる節はあったのかい?」

「いや、駄目ですね。特にこれといって・・悪いことは特にしてませんし。」


事前連絡なし、報告はつい先日に行ったばかり、そして本丸にも特に何か悪影響を及ぼすことはしていない。
なのでむしろ胸を張ってもいいくらいなのに、頭の中は不安とプレッシャーで塗りつぶされそうだ。

正直、嫌な予感しかしないので急にお腹が痛くなったりないかなと思う。胃は既に痛い。


「変わった事件と言えば三日月さまが来てくれたことくらい、」

「あ、おじいさまもです!おじいさまもよばれています!!」

「へっ??」


三日月さまも一緒に呼ばれている?どうして?

燭台切さんの長身の陰からひょっこり顔を覗かせた今剣くんがまたも衝撃の事実を告げ、足が再び止まってしまう。
先程からもう十分に騒ぎになっているのだろう、さして広くない廊下に何事かと皆がそれぞれが心配そうに顔を出してくる。

まだ何も言われていないのに皆を不安にさせてはいけないと思うのに、せっかく直した化粧も不穏の色で翳っていく。

こわい。
政府の人は私に何をさせに、告げにきたのだろう。


「そう不安そうな顔をするな、主!この俺が追い返してこよう!!」

「いや、それだと余計に事態が悪化する気がするし先延ばしにするだけのような・・・」

「主命とあらば、何でも斬ってご覧に入れましょう。」

「主命があれば何でも物騒なことしてもいいと思うなよ。」

「暗殺と闇討ち、どっちにしておきますか?両方とも特技です!」

「とりあえず待機でよろしく。あと爽やかに怖いこと言わないでくれるかな?」

「あっ馬糞用意してきますね?」

「ほんと黙ってれば美少年なのに馬糞好きだよね。クビになるわ。」

「大将。」


思い思いのまま挙げられる物騒な提案の数々の間をすっと刃が通るように、最も頼りにしている声が耳に入る。
小柄な体躯に濃紺の軍服を着こみ、白皙の美貌に意志の強い紫電の瞳―――近侍の薬研藤四郎が私を見ていた。


「俺も一緒に連れて行っちゃくれないか?なに、邪魔にはならん。」

「薬研くん・・・・」


正直、一緒に行ってほしい。
いつも不安に押し潰されそうな時、もしくは潰れた時にいつもそっと手を引いてくれるのはこの小さな手だった。

自分の親指に嵌る翡翠の指輪に触れながら、しかし指定外の人間を連れて行っていいものかと迷う。
かえって心証を悪くしてしまったら、それこそ事態は好ましくない方に傾くのではないか。


「おや、俺が一番出遅れたかな。」

「三日月さま・・・・」


背後から私の両肩に大きな手を乗せながら、深い湖面に映る三日月の瞳がこちらを覗き込んでいた。
平生と変わらない鷹揚な声色に私の緊張が揺らぎ、自然と止めていた息を吐いた。

絹糸のような黒髪を垂らし、整った顔に柔和な色を浮かべ、海よりも深い紺碧の貴族の服を纏い、一番美しいと讃えられた男は静かに微笑む。


(さっきまで縁側で甚平着てそばボーロ食ってだらけてた男と同一人物とは思えないなこれ。)


つい先刻までは休日を満喫するおじいちゃんのようにだらけきっていたのに、もはやその痕跡など微塵もない。
誰もがその美しさに焦がれてやまない、天下五剣の一人がそこに立っていた。


「さあさあ皆の者。主が心配なのは分かるがここはこのじじいに任せて皆仕事に戻れ。」


退散の号令に皆からの伺う様な視線を感じるが、その優しさにぐっと踏み止まる。
さっきの提案だって、内容こそは物騒だったけれど本当は嬉しかった。

だからまだ、頑張れる。

すぅぅぅうううううっと大袈裟なまでに大きく息を吸って、腹の底から空気を吐いて手近な廊下の壁に頭突きをする。


「よっしゃ行くぞ!!!」

「あ!ちょっ、せっかく髪を整えたのに!!」


気合の儀式で痛む頭を押さえ、燭台切さんの自分の作品が崩れた事への不満は無視して適当に手櫛で髪を整えれば悲鳴が追加された。


「薬研くん!本当は、本当はすごく付いてきてほしいけど、でも、頑張ってくる!」

「―――ああ、大将。その意気だ。」


以前、御守りにともらった翡翠の指輪が嵌った親指をぐっと立てる。
少し虚を突かれた表情をしてから薬研くんは私の親指をそっと握り込んだ。

予想外の行動に少し戸惑って、けれど祈るような表情で最後に指輪を一撫でしてから名残惜しそうにその指を離す。
・・・・まるで小鳥が親鳥の庇護を離れるような心境になってきた。いや、あながち間違ってないのが残念だ。


「大将を頼んだぞ。」

「ああ。この天下五剣が一人、三日月宗近が暫し主の近侍を預かろう。」


紫電の瞳と月の瞳が暫し交錯し、細い顎を引いて何事かを肯定する。


「三日月さま、行きましょう。」

「あいわかった。」


応接間へ急ぐ歩みを再開させれば、三日月さまは主の後を半歩退いて付いてくる。
たかが政府の人と会うだけだというのに随分と贅沢な近侍だと思った。


「主。気を引き締めよ。刃の飛び交う戦場では主はあまりに無力だ。」

「はは・・まさか、斬り合いになるんじゃないんだから、」

「ふむ。それはどうかな。」

「えっ」


歴史修正軍ならともかく、政府の人と斬り合いになるかもしれないとは、どういう意味だろう。

怪訝な表情を向けれるが三日月宗近は巨視的な眼差しを遠くに投げるだけだった。
幾星霜の年月を重ねた刀はこの廊下の先に何を見通しているのだろう。


「三日月さまは、何故呼ばれたのか分かっているのですか?」


何時の間にか男の笑みは先程までの柔和なものではなく、どこか冷淡なものへと変わっていた。
平生の好々爺とした雰囲気はそこにはなく、この人はこんな真剣な空気も纏えるのかと今更ながらその凄みを知る。

別の不安に駆られる私を勇気付けるように、まだ乱れが残っていた髪をそっと耳に掛けてくれる。


「そんな不安そうな顔をするな。俺が居てもなお不安かな?」

「不安なんて、」


誉れ高い天下五剣の一人に対してとんでもない、残像が残るレベルで勢いよく手を振って否定を示す。
そんな私ににっこりと微笑んでから、視線は目先の襖へと向けられる。

何時の間にか私達の足は目的地に辿り着いてしまっていた。
校長室に招かれる悪戯好きの小学生の面持ちで、しかしやましいことはないと首を振り深呼吸する。


「主よ。俺の主は主だけだ―――それだけ胸に留めておけば、よい。」

「はあ・・・・・?」


深く謎めいた言葉に失礼ながら思いっきり首を傾げるが、やはりそれ以上語るつもりはないらしい。
長い睫毛を縁取る三日月は放たれる前の矢のように引き絞られた。





















三日月宗近をこちらへ渡して欲しい。


「は?」


政府の関係者だという正面の男から告げられた言葉は予想外で、しかし嫌な予感としては癪なほどに当たっていた。
横に座す三日月さまの顔を窺うが、秀麗な眉一つ動かしていない――もしかしたらこうなる事を彼は予想していたのだろうか。


「あの、何ででしょうか?」


私の当然の問いに、そんなことも察せられないのかと失笑するような声。
最初からこちらを馬鹿にしていることが分かり切った態度に内心では怒りが湧く。

ただ小心者なばかりにそれを表に出せないだけで。


「三日月宗近はまだ神降ろしの成功例が少ない、貴重な戦力となるものだ。君のような審神者の手には正直余る。」

「・・・・・!!」


君のような、君程度の―――言外に滲むこちらを嘲弄するような悪意にこっちの内面は怒り心頭だ。
表面上では愛想笑いを作ってはいるが、頭の中では目の前の男の顔面にストレートパンチが綺麗に決まっていた。

しかしまあ私を馬鹿にされた程度など、いい。
問題は、この男の言動が最も気に食わないと思ってしまう原因は。


「申し訳ありませんがそれは、本人の意思もなくいきなり決められません。」

「本人?・・・・はは、本人、本人とは・・・・いやこれは失敬。」

「な、なんですか・・・・」


こちらとしては太陽ののぼる方角を説くほどに当たり前の事を言っただけなのに。

平和ボケした軽量型脳みそでもやっと先程の三日月さまの言葉を理解しつつあった。
この男は私にとってはまぎれもなく敵で、戦を仕掛けに来たのだ。

賞品は栄えある三日月宗近―――しかし、しかしそんなものは最初から勝負になっていない。


「いやなに、ここの審神者どのはまるで刀を人のように扱うのかと――いやはや、失礼。まあ・・・」


分厚い瞼の肉の下で男の目が下衆く光り、私の心情に不快な成分と少しの恐怖がプラスされる。


「元は道具とはいえこのように美しい姿をとって主人と慕われればどんな小娘でも舞い上がるか。
 これは失礼した。はは、ここの審神者は貞操が固いと聞いたがその様子では・・・ねえ?」

「・・・・っ」


見目麗しい神々に主人と傅かれ舞い上がる、自分でも常々自覚している醜い自尊心を引き摺りだされ顔に朱がのぼる。
そんなのは自分でもわかっている、わかっているけれど、その醜悪な私をよりによってこの美しい男の前で晒されたくはなかった。

無遠慮に暴かれた自分の暗い感情に目の前が真っ暗になる―――ああ、三日月さまはどう思ったのだろう。


「さて、譲っていただけるね?」


謙虚な問いと見せかけての傲慢な命令だった。

まるで確定事項のような声に華麗に反論すべく舌を動かそうとしたが、うまく動かない。言葉が浮かばない。
肯定の言葉が出るかと言えば陸に揚がった金魚のようにはくはくと口を動かすだけで、とてもそんなことはできない。

本物の刃が交わる戦場でも言葉の刃が飛び交う戦場でも、私はあまりに無力だった。


(三日月さまは、どう思っているんだろう。)


先程から、私達のやりとりの内容に関して三日月さまからは一切のリアクションがない。
傍で聞いていてこの麗人は一体何を思っているんだろう。

刀としてはやっぱり私の元なんかではなく、ちゃんとした主の元で戦いたいと思うのだろうか。


(もしも、もしも向こうに行くのが嫌だと言ってくれるのなら・・・・言葉が欲しい。)


この戦場を打破する言葉の刃を、どうかその美しい唇から発してほしい。
しかし月は軽く瞑目したまま黙して語らない。

膠着した空気の中で散々逡巡し、そしてやっと振りかざす刃が決まった。


「いや、です・・・」


絞り出した答えは政府も三日月さまの事情も意思も考慮しない、私自身の意思で我儘だった。
子供のように稚拙で脆く、頼りのない刃に敵は浅慮だと嘲笑う。


「審神者どの、いったい何の不服が?あなたたち審神者がここに送られている理由は?」

「・・・理由はそう、歴史の改変を防ぐためです。」

「そう。正解だ。」


沈鬱な声で当然の事実を告げれば、男が勝ち誇ったように口の端を上げる。

私の返事にはもっともらしい理由や正当なと要請を断る力など微塵もない。私の振るった刃にはなんの力もない。

けれど例えそれが無意味に終わってしまうとしても、振るわずにはいられなかった。

厳然たる大義の前でただ地べたを転がり駄々を捏ねているのは分かっている。
三日月さまのその凄い力は目的の、歴史の為に世界の人々のために他で有意義に使われるべきだ。そうするべきだ。


「でも、」


全体から見れば確かに戦の道具だろう、しかし三日月さま達を道具として扱われるのは我慢ならない。
励ましてもらったことも助けられたこともない分際で、そんな考えで、本人の意思とは関係なくどこかで使われるなんて。

しかしそれも大儀の前に結局は反撃の刃としては何の意味もない、ただの子供の我儘とさして変わらない―――もっと強い言葉が欲しい。

けれど非力な私には反論の意思を示すのがやっとで、それ以上の攻撃の手段が浮かばない。
もっと頑張らなければ三日月さまが連れていかれてしまうというのに・・・私を忘れてしまうのに。


(・・・・・そういえば、三日月さまは?)


先程から沈黙する彼自身は何を想っているのだろう。
私の我儘など浅ましいと鼻で笑っているのだろうか、それとも新しい有能な主について懸想しているのだろうか。

古代の人類がただ月を仰ぎ見ることしかできないように、その美貌からは何の感情も読み取れない。


(けれど、こんなの、無駄な抵抗だけでどっちにしても意味はない。)


相手はもう連れていく気満々で正当な理由もある。
一方私はしがない審神者、しかも正式なものではない仮の立場である。

権力の差は歴然だった。
私とこの男は最初から蟻と巨象のように、最初から勝負のレベルにすらなっていなかったのだ。


「―――して、政府の使いよ。」


ともすれば永遠ともとれるような長い夜の沈黙を裂いて、月は静かに語る。
その声色からはやっぱり感情を窺い知ることはできない。


「俺を他の審神者の戦力に迎えたいという事だが。」

「ああ。君のような貴重な戦力は、ぜひ他の審神者の元で有意義に使われて欲しい。」


三日月さまは彼の申し出に同意するのだろうか。

賛同するなら私には言うべきことなど何もない―――そしてよくよく考えたら私のところに残るメリットも見当たらない。
どうせ連れていかれてしまうのなら何も言わなければよかったと、そんなやさぐれた思考さえ芽生えてくる。


「それはできぬ相談だ。」

「「は・・・・・?」」


揃って間抜けな声をハモらせる人間など露も知らぬと言わんばかりの気品のある笑顔。
ぐいと横から肩を寄せられて三日月さまに凭れかかると、焚かれた上品な香が鼻先を掠めた。

慌てて離れようとする私の腰にするりと腕が絡みさりげなく拘束する。に、逃げられない。


「俺の主が行くなと言うのでな。いやぁすまん。はっはっはっは!」

「・・・・こちらはその主の主からの使いだが?」

「しかし俺の主はここにいるもののみゆえ。」


大きな手が私の頭を軽く撫でそれだけで何かを許されたようで泣きそうになる。
醜い心を引き摺りだされ、ご丁寧に並べられてもまだ私を主と呼んでいてくれるのか。


「俺の見初めた主はこの方のみ。ゆえに他の命を聞く気も、ましてや他の主を戴くつもりも、毛頭ない。」

「みそっ・・・・」


見初めたって、それはさすがに話を盛り過ぎでは。思わず声をあげようとした口を自然な動作で塞がれる。
黙って見ていろという明確な意思に物理的に沈黙させられて、もごもごと唇を動かすしかなかった。

三日月さまの鋭い斬り込みに男の表情が僅かに揺らぎ、すぐさま返しの刃を放つ。


「ではその審神者を解任すると政府が決めれば問題ないと?」

「それなら確かに問題はないが・・・そもそも、問題になる前に事が済むな。」

「どういう意味だ?刀。」

「なに、そちらが考えている以上にこの主は慕われているようでな。」


静かな音と共に、完全に図られたようなタイミングで襖が開く。
華奢な体躯に目の覚めるような水色、春のせせらぎのように柔らかい笑みでお茶を持ってきたのは堀川くんだった。

粗茶です、とまだ残っていた男の湯呑みを新しいものを交換する。


「問題はそもそも発生しなかったことになる。」

「・・・・・・・。」


初めて、私と対峙していても顔色一つ変えずに余裕綽々としていた男の頬を汗が一筋伝った。
超ド級の馬鹿でもない限りどうやら不穏な会話をしているという事は分かる、がやっぱり馬鹿なので具体的には分からない。


(なんだろう、あのお茶こわい。)


見えない刃の応酬に弱卒の私はただ事態の推移を見守るしかできない。
堀川くんの目が一瞬だけ永久凍土のように眇められ、私と合うと雪解けの春にように柔らかくなる。

ご、ごめんなさいばっちりさっきの冷たい目を見てるからそれ却って怖いんですけど。


「―――そうか。なら、暗くなって道が見えなくなる前に引き上げるか。」

「お茶はよろしいので?」

「いいや、結構だ。」


深々と頭を下げる堀川くんを尻目に男が立ち上がり、一瞬見えたその表情は恐怖を糊塗しているようだった。
お客人の退室だというのに未だ情けなく拘束され見送りの挨拶をする口はしっかりと塞がれたままだ。


「主は気分が優れないようなので、俺達が見送りを。」


音も無く現れたのは加州清光くんと薬研藤四郎だった。
夜の黒と曼珠沙華の朱の隊服と、海の紺の制服と雪花石膏の肌の小柄な背。
少女のように可愛らしい顔には酷薄な笑みを貼り付けて、精悍な顔付きに嵌る双眸は油断なく男を見据える。

その気配はまるで戦場のように張り詰めていて、戦っていたのは私だけではなかったと何故か安堵した。
二人に送られて男が姿を消してもなお、しばらく放心状態のまま襖の奥を見つめる。


「主よ、生きているか?」

「・・・・・・・・・なんとか。」


塞がれていた三日月さまの手がやっと外されてぶはっと息を吐く。
私を抱き寄せたままの男を見上げると、いつもの柔和な笑みが私を迎えた。


「いやなんつーか、見初めたって、盛り過ぎでしょ話・・・・」


軽い酸欠に喘ぎながら真っ先に口を突いたのはどうでもいい言葉だった。
あの時はそれどころじゃなかったけど、改めてその言葉の気恥かしさに顔が熱くなる。


「いや俺は嘘は言っていないぞ?」

「嘘でしょうよ・・・あの出会いのどこに見初める要素があったんだよ。」

「確かに。様々な主の手を渡ったがあのような迎えた方は初めてであったな・・・・はて」

「思い出さなくていいからね!?」


そのまま記憶の海に飛び込んで思い出してしまいそうな意識を呼び戻す。
自分としては申し訳なさと恥ずかしさが先行する出会いなのであまり触れて欲しくない。

話題を変えるべく、こちらの湯呑みもてきぱきと片付け始めている堀川くんに声を掛ける。


「堀川くんありがとう、いやーベストタイミングで焦った。」

「いやぁ僕って隠蔽行動は得意なんですよね。あ、そのお茶飲んじゃだめですからね。すぐ下げます。」

「そのお茶って本当に何か入ってるの・・・?」


『ど』から始まって『く』で終わる一文字の感じが頭を過ぎる。いやまさかね?
堀川くんはその可憐な顔に茶目っ気ある表情を浮かべてお盆にお茶を乗せてそそくさと退散していった。

―――冗談や脅しの類だったと思いたい。
ベストタイミングの入室の件といい、私の刀のはずなのに色々と謎と闇が深くて怖過ぎる。


「・・・・すみません三日月さま。結局何もできなくて、助けていただいて。」


きっと主として打って出るべきだった戦場でも結局、私は役に立たずだった。
私の戦いだったはずなのに誰かの手を借りなければ勝利を掴めない、自分の無力さを痛感する。


「いやなに、俺は俺の戴いた主の命に従ったまで。あそこで主が頷けば俺は刃を抜くつもりはなかった。」

「そう、ですか・・・」


それならば、あの私の我儘が三日月さまの感情を揺り動かしたというのなら。
あっけなく敗れてしまったとはいえど私の言葉なんかにも、ちゃんと意味はあったのだ。


「・・・・・・、」


無意味じゃなかった。

色々なものが熱い涙となって言葉の代わりにぼろぼろと溢れ、それを長い指先がそっと拭う。
手袋の布地をじわじわと水気が侵食していくのに、けれどしばらく止まりそうにもない。

不細工な泣き顔を見られるのが辛くて顔を伏せるが、すぐに顎を掬い上げられ強制的に目を合わせられる。
男の瞳には心の底からの慈しみと優しさがあった。


「あの、」

「主が離れるなと言われれば彼岸まで、」


どこまで走っても変わらず存在する頭上の月のように、逃げられない。


「――主の側に。」


恭しく捧げ持った指に軽く唇が触れ、リアルに頭の奥でぷつんと何かが切れたような音がした。
大きな瞳に映る自分の間抜け面はいっそ永久保存したいレベルだった。

今世紀最大傑作の放心状態の彫像を作った麗人は美しく笑い、やっと私の指と身体を解放してくれる。
生まれたての小鹿などと可愛い表現は使わない、不思議動物のような動きで這うようにして三日月さまから距離をとる。

い、いや、違うんだ、これはすごく嬉しいことだ、しかし私の旧石器時代並みの処理能力をすっ飛ばしている。


「では主。参ろうか、皆が待っているぞ。」

「お、おおおおおおおおう・・・・・・?」


今のこと、突っ込んでもいいんだろうか。
いやでもさらりとやられたし本人全く気にしてないし、あれっこれ喪女の過剰反応かな?昔は皆こんなものなのかな??あれ、わからないね???


(いやいやいやいやいや待て、これは藪蛇だしそもそも私が主だからやってくれたリップサービスだ、そうだ!
 おーちーつーけー!そう、自分だけが特別などと己惚れるなこのクソ喪女め、そうビィークゥゥゥウウウル・・・・)


天井彼方遥かまでふっとんだ理性とテンションを押さえるべく、子供の頃からの黒歴史を一生懸命に頭の中で羅列する。
そしてその素晴らしい商品陳列を家族から果ては親戚、否世界中の人々に同時配信までしたところでやっと心拍数が落ち着いて来た。

止めにここで舞い上がって勘違いした行動をとれば更に銀河の歴史が刻まれるところまで思い至って、完全に終了。


(とりあえず役得だったから黙っておこう!!!)


これから先二度と転がってこないであろう幸運をゆっくり噛みしめ、心の中で感激の涙を滂沱と流す。

遠くから聞こえてきた複数の足音に顔を上げる、ああきっと短刀の子達が心配して私達を迎えに来たのだろう。

主を気遣ってくれるその優しさにまた涙腺が緩む。
立ち上がった三日月さまがさり気なく私の手を引いて立たせてくれた。


(こんな風に気遣ってくれて、優しくしてくれるなんて、十分に人間だと思うけどなぁ・・・)


私はきっと、おかしくはない。

それが主という立場への無償の優しさだと分かっているが、でもやっぱり嬉しいものは嬉しい。
私が審神者をやる理由の一つにちっぽけな自尊心を満たす為ということに否定はできないが、けれどそれだけではないと確かに言える。
単なる就職口の確保の為だけに動いているのではないと、もはや分かっている。分かってしまっている。


「三日月さま。私、頑張りますからこれからも―――どうぞよろしくお願いします。」

「うむ。こちらこそ、よろしく頼む。主よ。」


瞳の三日月が美しく揺らぎ笑みのその深奥に消えた。
それとほぼ同時に複数の足音が近付いて、開け放たれた襖から顔を覗かせる。


「あるじさま!」

「無事ですか!?」

「お加減は!?」

「いやまあ、無事だよ。おかげさまで。」


すぐさま飛び込んできた軽い体重に、せっかく立っておきながらすぐに押しつ潰される、がその重みが何よりも愛おしく。
埋もれる私を岩融さんがひょいと掲げて救助してくれるのをへらりと笑う。


(私も、頑張らないといけない。)


多くの喜びの中では冷静に頭の隅に嵐の予感があった。

政府の命令に対し逆らってしまった以上、きっと私の審神者業には何らかの圧力がかけられるかもしれない。
できるだけ図々しく長くこの場所に居座りたいと思うのなら、願ってしまったのだから、次回は私が毅然と戦わなければならない。


(こんな優しい人達に忘れられるのは、とても辛い。)


決意を新たに息を吐いた―――今度は怯えるばかりではなく戦う刃を研ぐ為に。








































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あとがき。
SQ2のリメイク版まだやってません(そもそも買ってすらいない
1の第五層のダンジョンとその雰囲気、BGMどれをとっても最高でとても好きです。


2015年 4月19日執筆 八坂潤


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