鮮烈なまでの赤の紅葉が優雅に舞う秋の気候。
外からの冷気に満たない空気が肌寒く、閉めようと立ち上がった時に足音がこちらに近付いて来た。

さらりとした長い黒髪と誠を示す黒い隊服、紅葉のように赤い瞳に中性的で整った顔。
加州清光が手元の自分の爪を弄りながら私に話し掛けてきた。


「ねえ主ー、俺の爪塗ってよ。」

「ええ?また?なんか出陣の度に塗り直してる気がするんだけど。」

「でも主のやつって安物だから戦闘したらすぐ剥げるんだもん。」

「ぐぬぬ。まあ確かにドラッグストアの安物だから仕方ないけどさ。」


了承を得る前にさも当然のように部屋に入って座り、それが必然のように私に向かって爪を差し出す。
王女様のように傲慢で可愛らしいお願いに、今日もまた棚からマニキュアと綿棒と適当な紙を取り出して、彼の前に座る。

恭しく白い手を持ち上げて差し上げれば、彼は満足そうに微笑んだ。女子か。


「ま、主がケチって安物買うおかげでこうやって何度も塗り直してくれるからいいんだけどね。」

「ケチとか言うな、ケチとか。・・・・まあ、ありがとう。」


加州くんはこうやって恋する少女のように可愛いことを言ってくれるからなかなか憎めない。

彼の爪を検分しながら、いつもの赤いマニキュアを手に取る。
地味な私に似合わない派手なその色は、私が彼の為に買ってきた専用の代物だ。


「色はいつものでいいの?たまには気分を変えて青とかどう?」

「青はあいつと被るから嫌。それに俺の可愛さを引き立てるのは赤だと思うんだよね。」

「違いない。加州くんには赤が似合うよ。」


どこか蠱惑的な色香を放つこの少年には、それを引き立てる紅が似合う。

赤の小瓶から色を掬い、慎重に綺麗な白い指先に落としていく。
親指、人差し指、と順調に続けるが中指でうっかり色が爪のキャンバスからはみ出てしまう。


「ええーー?またはみ出てるよ主。」

「う、うるさいなぁそれなら自分でやればいいじゃん。」


予め修正用に用意してあった綿棒ではみ出た部分の色を拭って直す。

不器用な私は度々こうして失敗するが、それでも彼は私にマニキュアを塗ってくれとせがむ。
その為の道具もいくつか譲ってあげたりはしているのだがあまり使っていないらしい。

私のジト目に加州くんはその端正な顔に少女めいた笑みを浮かべる。


「それじゃ駄目。主が俺の為にやってくれてるから価値があるの。
 この人に大事にされてるって思えるから俺は戦場に立てる。」

「・・・・乙女だね、加州くんは。」


言うなればこれは彼にとって自分が戦いに赴くための儀式のようなものらしい。
それならば私に口答えする権利などなく、召使が如くその爪を着飾って差し上げなければならない。

それが死化粧にならなければいいと暗い感情が首を擡げ、息を吐いて追い出した。


(ほんっと可愛いよねこの子・・・外見もそうなんだけど、その中身も)


それにしてもその動機のなんといじらしく、そして恋する乙女のように純真なものか。
気怠そうな雰囲気に合わず、彼の思考回路は下手したら女の私なんかよりもよっぽど可愛らしい。

主従関係になければ秒速で自惚れるような先程の台詞は敢えて深く考えず、再び色を塗る作業を開始する。


「加州くんは美に拘るよね。いつも疑問なんだけど、あのピンヒールですっこんだりしないの?」

「主じゃあるまいし、俺がそんなヘマする訳ないでしょ。
 それにそっちだって自分の刀がカワイイ方がいいんじゃないの?」

「うーん・・・加州くんは何もしなくても十分に既に可愛いからなぁ。」


改めて自分の目の前に座る少年剣士を観察する。

夜の河を流れるような美しい髪に陶磁器のように白い肌、整った鼻梁に色のある顔、そしてそこに嵌る熟れた柘榴のように紅い瞳。
付喪神である彼は、日頃の彼の努力も成果もあり十二分に非人間めいた美しさを放っている。

そう考えるとこのマニキュアを塗るのも、まるで着せ替え人形を着飾っているようだなとぼんやり思った。


「なにそれ、やる気落ちるなぁ。」

「難しい年頃かよ。」


女性の化粧に関するコメントはどう繕っても角が立つが、どうやら彼に対してもそれは当て嵌まるらしい。

ごめんごめんと口だけの謝罪をすれば加州くんは頬を可愛らしく膨らませて不服を示す。
それを見てやっぱり何をやっても可愛いなぁと言いそうになり口を噤んだ。


「さ、右手終わったよ。左手を出してね。」

「・・・・俺がお洒落をする理由だけどさ、」

「うん?」


赤を塗り終えられた右手がくいと私の手を引き、内緒話をするように声を潜める。


「俺が死体になっても主にブサイクなんて言われたくないからって言ったら主は泣いてくれる?」

「―――――、」


どうか自分の為に泣いてほしいと言外に語る赤い双眸は、ないものねだりをする子供のような真剣さを帯びていた。
その発言の内容もさることながら、その恋うような言葉と視線に背筋が総毛立つ。

目の前でこうして会話をする加州くんが死体になって戻ってきたら。
そんな事は想像するだけで息が止まるほど悲しく、恐るべきものだった。
日常なら笑い飛ばしてしまうような冗談でも、この非日常の世界では現実味を伴う問いになる。


「・・・・ごめんね、冗談だよ。」

「冗談でも泣きたくなるわ。」

「というか、本当は冗談じゃないんだけど主がそんな表情をしてくれたからとりあえず充分。」

「心配しなくても、加州くんが死んだらすごく悲しいしお葬式では号泣するしお墓参りでも泣くし、ほんと、やめて。」


彼の時折人の感情を試すような言動は心臓に悪いし、健全な人付き合いの仕方としては間違っていると思う。
けれどその度にきちんと真摯に返さなければ壊れてしまうような危うさを、気弱な私は邪険にすることができない。

私の手を引いていた加州くんは私の言葉に少し満たされたのか、大人しく左手を差し出す。
先程と同じように恭しく、再びその白魚のような指先に色を染めていく。


「主さぁ、最近可愛くなった?」

「ブッ!!!!??」


まるで世間話をするような気軽さで放たれた、予想の斜め上を行く言葉に思いっきり着地点が逸れて指の部分に色が落ちてしまった。
それに留まらず、行き場をなくしたマニキュアの滴は敷いてあった紙の上にぼたりと血痕を残す。


「わーーーーーー!!わーーーーーーー!!!!」

「慌て過ぎじゃない?」

「いやいやいやいや原因が何言ってんだびっくりした!!ああもう、加州くんが突然私を誉めるから・・・
 お世辞ならもっと真実味の溢れるものにした方がいいよ!?」

「いやさぁ、お世辞じゃなくてさ、」

「えっじゃあ眼科かな?薬研くん呼ぼうか?というか薬研くんって眼科カバーしてる??」

「主って謙虚通り越して卑屈だよね。山姥切のこと言えない気がする。」

「いや私の卑屈はあそこまで強烈な個性を放つものじゃないから大丈夫。」


ぼろ布で美しい容姿を隠し、頑なに自らを貶める別の付喪神のことを考える。
私は自分が無能だと自他共に自覚するがゆえの謙虚さだがあそこまで突き抜けていない、一般人の範囲内だ・・と思う。

一度肌に付いてしまったマニキュアは中々落ちず、仕方なく除光液を垂らして少し強めに拭う。
液体特有のつんとした匂いが部屋に薄らと漂い、それは開け放したままの襖から外に抜けていった。


「加州くんが私を一目見て『うわなんだこのもっさり地味女は』っていうがっかりした顔を地味に引き摺ってる話する?」

「え?俺、そんな顔してた?」

「してたよ!きょとんとした可愛い顔するな!!・・・まあ、その通りだから別にいいけどさ。」


無垢な少年のように瞳を瞬かせてあっさりと自己欺瞞を見せた彼に怒る気力もない。

実際、悲しいことに自分が冴えない地味女だという自覚はある。
だからこその驚きなのだが・・・頭を捻って真面目に加州くんの言葉に対する返答を考えてみる。


「いやまあ諸々はさて置き、私が可愛くなったように見えるのなら加州くんのおかげかもね。」

「それ、どういうこと?」

「加州くんって美とか可愛さとか・・・女子力が高いこと好きでしょ。
 だから色々と教えられるように私も少しは勉強して試したりしてるんだよ。今まであんまり興味なかったけどね。」


まさか書店に行けば漫画コーナーに直行していた自分が女性誌を買う時が来ようとは。こいつは驚きだぜ。

そしてその努力が公表する訳でもなく褒められたのは、素直にというか正直言ってとても嬉しい。
部屋の鏡に写る自分の表情が可愛いとは相変わらず思えないが、今度いくつか加州くんにも教えてみよう。


「それって俺の為ってこと?」

「そうだよーだから感謝して。・・・さ、終わり。あんまり動かさないでね。」


左手も小指から親指までを塗り終わり緊張の時間が終わる。

お姫様のご要望を無事に叶え、息を吐いてマニキュアの小瓶の蓋を閉めた。
感謝の言葉も反応もなく、私に手を差し出したまま動かない彼を訝しんでその表情を伺う。

当の本人は頬を薄紅色に染め大きな瞳を燦然と輝かせ、喜色満面といった顔で私を見ていた。


「俺の為?本当に??」

「う、うん・・・・・」


予想以上の反応に驚いた直後、がばっと抱き着かれて私は後方に押し倒される。
しっかり背中を畳に張り付けた私を覆うように加州くんがニコニコしながら私を見下ろしていた。

ふわりと鼻孔をくすぐる微かな甘い香りに、ああ彼は香水まで付けていたのかと今更ながら気付いた。


「ちょっ、加州くん、」

「どうしよう、すげー嬉しい。」


蕩けるように甘い笑顔を浮かべて、紅く着飾った指先が私の頬に触れる。
自分の為の努力だと言われたその成果をしっかりと目に焼き付けるように、私の顔をじっと見つめていた。

そして褒めるように私の髪をくしゃりと柔らかく撫でて何度も何度も往復する。


「嬉しいから、俺も主の為に頑張れる。」

「おおおおおおおおうううう、ああ、ありがとう頑張って・・・?」


私としては美少年に組み敷かれるという今の体勢が喪女的にいっぱいいっぱいなので早いところ解放されてほしい。
いや、正直とってもおいしい状況だとは思ってるんですけどね!くそ!!主従関係でなければ己惚れるぞ本当に!!!

しかし性的な意味を含まない抱擁とその喜びをそう邪険にもできず、ぽつりと呟いた。


「・・・・なんか、加州くんが悪い審神者に引っ掛からないか心配だなぁ。」


加州くんはちょろ過ぎるという皮肉を含んだ、それは私にとっては照れ隠しの何気ない言葉だった。

落雷に弾かれたように加州くんの身体が強張り、瞳には見たこともない極大の恐怖。
先程までの喜びは嵐に攫われたように消え失せて、代わりにその赤い双眸は深い悲しみを湛えていた。

ああ、やばい、間違えた。


「主、どうしてそういうこと言うの?」

「えっあ、いや、」


しまった迂闊だった、と自分の言葉の選択ミスに気付いた時にはもうとっくに遅かった。

加州くんの綺麗な瞳にはもう決壊寸前のダムのように水分の膜が潤んでいる。
親に、世界に、自分を否定された子供のが浮かべる絶望がそこにあった。


「俺の事捨てるってこと?」

「捨てないよ!!捨てないけど、ほら、私も審神者(仮)だから何が起こるか分からないし、えっと、だから、」


あああああ私の馬鹿、この場を収めるような綺麗な言葉の一つも浮かばないなんて!!

ついに涙の関が決壊し、清流のようなに美しい涙が静かに白い肌を伝っていく。
それは私の頬にも静かに落ちて温かい温度と共に私の肌を滑っていった。優しい熱だった。


「お願いだから、俺の事捨てないで、忘れないで・・・・」


自分を捨てないでくれと世界に請う涙。

美しい付喪神が卑小な自分に向ける心の底からの慕情に、背筋にぞわりと醜い感情が伝う。

ああ、駄目だ、加州くんは本気で怯えているのにそれを―――嬉しいと思ってしまうなど。
ここは悲しませてしまって申し訳ないという気持ちが先行すべきなのに、私にそんな美しく涙される価値はないのに。


「ごめん、ごめんね、もう言わないから。」


謝罪と共にその涙をそっと拭った。
私の指に温度と安堵を求めるように、その白い頬をそっと寄せてくるのにまたぞわり。
清廉な涙に触れた傍から自分の醜い指が溶解していくような錯覚。


「ずっとそばに居るよ。」


嘘をついた。

ずっと傍になんて居れない、だって私は仮の主なのだから。
いずれこの場所を蹴り出されて私は現実に戻される日がきっと来る。

私の次に来る審神者が自分よりももっと有能で清冽な人物であることを祈った。


「うん、俺、主の為にもっと頑張るから、本丸の成績上げるよう頑張るから、」


震える声ですんすんと鼻をすすりながら、そっと私の肩口に顔を埋めて静かに嗚咽する。

たかが喪失の可能性を示唆しただけで、過剰なまでの恐怖の反応に内心では戦く。

彼らが忠誠心が高過ぎる故に、新しい主を戴くことができない。
残酷だとあの時感じたこんのすけの言葉が今では違う意味にすら感じる。


「俺を捨てないで、忘れないで・・・・」

「うん。捨てないし、忘れないよ。」


だって忘れないでと請う君がいつか私を忘れるのだから。
前の審神者と、そのまた前の審神者と同じように、私もまた。

だからなるべく綺麗に私を忘れてほしいと願いながら、黒髪を優しく梳いてあやす。
やっと顔をあげてくれた柘榴の瞳には心の底からの安堵があった。


君がいつか私を忘れても、私だけはこの美しい涙の事は忘れないでいようと思った。








































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あとがき。
加州清光の目に審神者が魅力的に見えるのはまた別の理由があるのですが、いつか書けたらいいなと思っています。
ちなみにこれを描いた翌日位に加州くんのレベルカンストしました。


2015年 4月27日執筆 八坂潤


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