まだ体力と霊力の回復が追い付いていないのだろうか。 気を抜けばうつらうつらと笹舟に乗って意識がとどこまでも流れていってしまいそうな。 昼下がりの自室でノートPCに向かいながら眠いと営業終了しそうになる瞼を擦った。 無機質な文字列を目で追い、頭の中でそれを反芻していく。 (稀代の刀工である三条宗近が打った至上の宝剣、天下五剣の一つ、最も美しいとされる刀、三日月宗近。) 一昨日、自分の神降ろしに応じて現れた玲瓏たる神を思う。 どんな刀かと調べれば調べるほど、自分のような駄目審神者には望外の戦力だった。 力ある審神者でも降りてくる神は複雑な合縁奇縁が絡み予測できない、とはいえこれは。 (どうして私なんかのところにそんなすんごい神様が来てくれたんだろう・・・謎だなぁ) きっと隕石直撃レベルのラッキーなんだろうが、審神者同士の交流は禁止されているためその希少さがピンとこない。 曰く無駄な諍いを避けるためというが、演練の時も顔を隠し言葉を交わすのも禁止されているのはどこか空寒いものがあった。 まあ、全く関わりがないのは元NEETのコミュ力としては有難いのだが・・・こんな時は困る。 (一応、私の霊力も高まっているらしいしそのおかげなのかな・・・) 月に一度の報告を兼ねた健康診断では(どう計算を弾いているのか知らないが)一応は霊力の数値が上がっている。 最初の頃みたいに、本丸の季節を変える為に入念な準備をしてもなおぶっ倒れることもなくなった。倒れなくなっただけだが。 丸く世界を切り取った窓から見える畑も庭も随分と豊かになったと思う。 「主、調べ物かな。」 「あっえっと、三日月様。こんにちは。」 天気がいいからと開け放していた襖の横から、鷹揚な声と共にひょこと長身を屈めた美しい顔が覗く。 溜息が出るほどの美貌に柔和な笑みを浮かべ、濡れたような黒髪、海を思わせる紺碧の装束、優雅な反りを見せる三日月宗近。 その存在だけで周囲の空気が清浄に変えてしまったような錯覚に、知らず居住まいを正す。 やっぱりというかなんというか、普段から色々な刀剣男士と接しているのにこの方は別格だと思わせた。 「入っても?」 「どうぞ。あ、お茶とか淹れましょうか。」 「いいや結構だ。先程、鶯丸と茶を飲んできたところでな。」 あなたのことをこっそり調べてました、となんとなく言えずさりげなくパソコンの蓋を閉じた。 が、三日月様にはしっかり画面を見られていたようで美しい顔がくすくすと悪戯っぽく笑う。 テスト前にそのカンニングを企んでいたことがバレたような気まずさを感じる。 「俺についての調べ物かな?わざわざ他の手を借りずとも直接聞けばいいものを。」 「あー、まあ、それはそうなんですけどね・・・あはは・・・・いや、なんか申し訳なくて・・・」 いくら主とはいえ、神の依代である刀の知識が全くないですフヒヒサーセンというのはさすがに憚られる。 実際ゼロなので、こうして来てくれた翌日にはきちんと調べておくようにはしているのだが。 ちなみに前から私がこんな殊勝な心掛けをしていた訳ではない。 前の主の因縁など全く知らなかったばかりに、以前に陸奥守さんと和泉守さんの喧嘩に巻き込まれて散々な目に遭ったので、いわば最低限の自衛だ。 近侍の薬研くんがSECOMを発動して仲裁(物理)をしてくれなければ、本丸の修復でしばらく寝込むことになっていただろう。 あの時の私の守り刀の頼もしすぎる背中を思い返すと心臓がきゅっとなる。きゅん、じゃなくてきゅってなる。 あれ以来、薬研藤四郎には逆らわない侮らないという暗黙の了解ができたような気がします。 「そんな事はない。主に興味を持ってもらえるのは主の刀として嬉しいぞ。」 「・・・・・・・・・・・・・主か・・・」 「ん?どうした?渋柿を食べたような顔をして。」 誉れ高き天下五剣がさらりと凡人を主と呼び、自然と持ち上げることに顔の筋肉が渋面を作る。 「まあ、なんというか、三日月様まで私なんかを主なんて持ち上げなくていいんですよ。 私なんて一応は審神者やらせて頂いてますけど、(仮)ですし主らしいこともできるほど力も強くないですし。」 皆から主と呼ばれるのにも未だ畏れ多いのに、現状確認されている付喪神の中で最も霊格と神格が高い三日月様にまでそう呼ばれると、なんだか申し訳なくなる。 私の言葉にその不思議な色合いの瞳を瞬かせてから口元に袖を当てて静かに笑う。 深窓の姫君のような古典な仕草もまた彼の美しさを引き立てるもので、ますます一般人Aの私は恐縮してしまう。 「ほら、三日月様と私なんて月とテナガザルもいいとこというか、ただ流されるだけのクラゲもいいとこというか、」 口は更に卑下の言葉を重ねようとして、やめる。 これ以上は自分という存在がむなしくなりすぎて辛い。 静かにこちらを見つめる巨視的な眼差しから逃げるように話題を変える。 「・・そういえば、三日月様の目は不思議な色合いをしてますね。 金とも青ともとれるような・・・実際のところ、どっちの色なんですか?」 刀剣男士達の瞳はまるで宝石の博覧会のように、様々な色の目を持っている。 薬研くんは紫水晶、一期さんは琥珀、山姥切くんは翡翠、翆玉紅玉青玉、色とりどりの綺麗な瞳に主と慕われるのは、正直ちょっと重い。 三日月様の瞳はその中でも一層不思議な色合いをしていて、しかし未だにその美しさを直視できずにいた。 「―――それこそ、実際に実物を自分で見てみた方がいいだろう?」 「へ?」 美しい男が座る私の目の前に跪き、私の両手を細い指先がそっと握る。 硬直したようにふりほどけないそれを自身の滑らかな両頬に当てさせて、ぐいと距離を詰めた。 品のある香が鼻先を擽り、それを嬉しいと思うよりも背中の毛穴という毛穴がが開き冷汗が溢れ出る。 「う、わ・・・・」 「どうだ、こうすれば見えるだろう?」 「いや、むりむりむりむりむりむり!!こんな綺麗なものにわたし耐性なんてないって!!!!」 間近に迫る暴力的なまでの美に圧倒され、弱い心臓が竦みあがる。 人は本当に美しいものを目と鼻の先で見せつけられると呼吸の仕方を忘れるのだと、今更ながら思い知った。 自分を守るために眼を閉じて手を振りほどこうとするが、拘束とまではいかない力加減で指が動かない。 「はっはっは、主も俺を美しいと褒めてくれるか。いやぁ嬉しいな。」 「くっそ!!散々言われ慣れてんだろこのおじいちゃんめ!!!」 「主と他の有象無象の言葉など比べるまでもないだろう。」 自分と他の有象無象。 自主だと、特別な存在だと、自尊心を擽る神の傲慢な言葉に優越心がぞくぞくと背中を這い上がる。 そしてすぐさまにそんな事ではいけないと首を振って自分の思い上がりを正した。自惚れるな。 「と、いうか肌が私なんかよりもすっごくすべすべでとても羨ましいんですけどどうすればそうなれますかね!!?」 「上質の砥石で磨かれれば簡単に。」 「人類に置き換えた方法で言えよ!!!それ参考にならねえよ!!!!」 ぐぬぬぬぬ、と自分でも結構な力を込めているつもりなのに男の拘束は全く揺るぐ気配がない。 どうやら本気で自分の目の色を確かめさせるまで離すつもりがないらしい。 く、口で言えよ色なんて!言葉を伝える為に人間には言葉という文明の利器があるんだぞ!!完全に主で遊んでるだろ!!! (うっ駄目だこの美しさで精神が死ぬ・・・!) 無言の攻防の末、観念してそろそろと目を開いて三日月様のお顔を拝謁する。 予想以上に近い距離に息を詰まらせながらも見た、その瞳の秘密を。 「すごい・・・目の中に三日月がある・・・・・」 長い睫毛に縁取られた瞳の中には、潤んだ青い海の中に金の三日月が静かに浮かんでいた。 美しい顔が近くにあるという羞恥も忘れて、そっと目許に触れれば擽ったそうに細められる。 なるほど、確かに天下で最も美しい刀だ。 こんなに綺麗な瞳は生まれて初めて見たし、今後もこれ以上のものが見られる事はないだろう。 「海に月が浮かんでいるみたい・・本当に綺麗・・・・」 「そうか。俺は海というものを見たことがないが、どんなものだ?」 「え、えーと、海、海って・・・うーんと、」 海なんて空と同じくらい当たり前の単語を説明しろと言われると言葉に困る。 ノートPCを開いて写真を見せてあげれば済むだろうか、だが三日月様の手がそれを許さない。 頭が悪いなりに考えて、拙い言葉を重ねていく。 「分かりやすく言うとおっきな湖というか、けど水は塩辛くて、色々な動物が住んでて・・・って、 私と皆ってある程度は神降ろしの時に知識を同期してるんだから三日月様も分かるんじゃないんですか?」 「うん。まあ、知識としてはある。だが主の口からそれを聞きたかった。」 「なんじゃそりゃ。」 にこにこと擬音付きで私に観察される神の思考は凡人には分からない。 水面に映る典雅な月は飽くことなくいつまでも眺めていたい、が、その綺麗な瞳の中には冴えない地味な自分が映っている。 そこで初めて自分もまたこの月の男に観察されていたのだと気付いて恥ずかしくなった。 そう、例えるなら画面がブラックアウトした時に自分の顔が映ってしまったようなアレ。 陶酔感が急激に冷めて思考が現実に戻る。 「す、すいませんずっとじろじろ眺めたりして。」 不躾な視線を謝罪し、指を動かせば今度はするりと抵抗なく離れていった。 詰めていた三日月様との距離も離れ、心の中でほっとする。 「いいや、鑑賞されているのは慣れている。」 「うわぁすげー台詞・・・」 凡人代表選手権の出場資格を持つ自分には一生縁の無さそうな、いや無いと断言できる台詞だ。 しかし真に美しい人間から出ると嫌味にも聞こえない。不思議。 「それに俺も主を鑑賞できて楽しかった。」 「・・・・・それって、テレビの珍プレー好プレー集を眺めてるのと同じ感覚とか、そういう・・・・?」 神の視点の審美眼というのは地を這うだけの人間には全く分からない。 つまらないだの地味だの、自覚していることを指摘されるよりはずっといいけど。 「そういえば主、さきほど自分をくらげと言っていたが、くらげとは海の月と書くのだろう。 先程の俺の三日月の打除けといい、なかなか素晴らしい例えをする。」 「へ?え?・・・・・あっ」 悪戯っぽく笑う三日月様の言葉で、無意識とはいえ狙ったような、気恥ずかしい例えをしてしまったことに気付いた。 「えっあ、いや、それは、そうじゃなくて、すいません私なんて海月じゃなくてナマコでいいっす!!」 「俺もいつか海に行ってみたいものだ。」 喚く愚民の言葉を総スルーして月の麗人が窓の外を見る。 そこには本丸のいつもの光景が広がっているだけだが、彼の目にはその先にある海が見えているのだろうか。 海を見るなんて現代ではすぐに叶う願いも、そういえば三日月様には難題だったと気付いた。 「かつて刀の身であったときは潮風が毒だと近付けさせてもらえなかったが。 主にもらったこの人の身であれば見ることもできるのだろうか。」 「この時代の海なら、きっと綺麗で青いんでしょうね。 未来だと環境汚染だのなんだので、汚れていると言われてますから。」 この間、絶滅危惧種のトキが平然と空を飛んでいるのを見てびっくりしたものだ。 彼らはいつか人の手によってほとんどが乱獲されることも知らず、悠然と群れを成して飛んでいく。 その姿に一抹の悲哀を感じるのはさすがに傲慢だろうが。 「休暇か、もしくは遠征に行った時にでもついでに海を見に行ってみては? 別にそんなことをサボりだとか責めるつもりないので好きにしても大丈夫ですよ。」 せっかく自由に動かせる手足を得たのだ。 戦いの為に呼ばれた存在とはいえ、それだけではなく色々なことをしてほしい。 会社みたいで申し訳ないが、実際に週二で休みをとって自由に過ごしていいと設定しているので是非。 しかしその提案に月の男は静かにその細面を横に振り、海原の月の瞳が真摯な色を宿す。 「いいや、俺は主と共に海を見に行きたいのだ。」 「は・・・・・・、」 どこか懇願めいたその言葉に呼吸が一瞬途絶した。 現状、私はこの本丸を離れることはほとんどできない。 というのもその日ギリギリの霊力で動かしているこの本丸に霊力の貯蔵はできないので常駐していなければならない。 頑張ってもこの本丸を離れることができるのは現世に帰る数時間くらいだろうか。 この時代の交通手段で遠くの海を見に行こうなどとは、どう考えても無理な時間だった。 「そう、ですね。いつか行けたらいいですね。」 自分の不出来を理由にささやかなお願いを無下にもできず、曖昧な笑みと言葉を返す。 私がもっと霊力を高めることができればそれも叶うだろうが、それまで審神者をやっていられるかどうか。 どうやっても自分と三日月様が並んで海を眺めているというイメージがつかない。 「それは違う。俺が主を海に連れていくのだ。」 「?」 たおやかな手が私の手を恭しくとり、そっと掲げる。 「主に武勲が必要だというのならいくらでも俺がとってこよう。 それでもなおその座を引き下ろされるというのなら、そんな輩は俺が斬ろう。」 「斬るって・・・」 冗談でしょう、とは口にできない圧力があった。いや冗談だろう、うん。 姫君に愛を囁くように、穏やかな口調で苛烈な忠誠の言葉を紡ぐ。 自分が審神者だからこその言葉だと冷酷な指摘をしても、頬はきっと赤く染まっているだろう。 ―――そういえば、明日は三日月様の初陣であることを思い出した。 「だから主、いつか俺と共に夜の海と海月を見よう。」 「・・・楽しみにしてます。」 神の託宣と受け取る巫女のように、三日月様の言葉を受け取ってしまった。 果たせない可能性の高い約束をするなと小学生の道徳の授業で口酸っぱく言われたにも関わらず、だ。 私の約束の言葉を引き出した月は満足そうに頷いた。 いまだ海は私達から眩暈がするほどに遠い。 ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- あとがき。 水族館でめちゃくちゃ足が絡まってる海月を見ると何考えて生きているのかなと思います。 2015年 5月17日執筆 八坂潤