やられてしまった。

血が、命が、魂が、自分の腹から零れていくのを感じていた。
それでも救おうと加州くんが綺麗に着飾った手で私の血を掬い、死に抗う。

けれどどうしようもないというのは素人の私でも分かってしまっていた。

凶器に貫かれた腹部が炎のように熱く、そして身体の末端から残酷に冷えていくのを感じる。
身体を這う激痛よりも急速に自分の命が終わっていく感覚が恐ろしかった。


(わたし、死ぬのかな・・・・・?)


段々と翳ってきた視界に、私よりも真っ青になった薬研くんが見える。
いつもの飄々とした表情はどこへやら、その顔には主を失う恐怖が色濃く張り付いていた。

加州くんが柘榴のような瞳から大粒の涙を零して私の頬を濡らす。
濡れたその場所が熱く、そしてまたすぐに冷やされていった。

一期さんが加州くんをどかして、自分のマントで私の止血を試みる。
何事かを叫んでいるが聞き取れない―――そういえば世界はやけに静かだ。

三日月さまが美しい海の衣を汚すことも厭わず私に触れる。
夜の果てに佇む三日月の瞳は主の死を目前に何を考えているのか分からない。


他の人もみな、思い思いの方法で消える命の灯火を支えようと必死になってくれている。
そのことが他人事のようで、けれど嬉しいと思い、そしてやはり死ぬのが怖かった。


(死にたくない・・・・・・・)


ぼろりと自分の目尻から大粒の涙が頬を滑る。
家族の姿、過去の思い出、幸せ、不幸せ、全てが脳の中を走りだそうと膝を撓める。

しかし、その走馬灯を切り裂くように伸ばされてくる白い手。


(鶴丸さまだ・・・・)


雪のように真白の着物と白磁の肌、ふとすれば女人とも間違える美しい細面。
長い睫毛に縁取られた黄金の目が一瞬眇められ、死にゆく私の目と合い、そして、
























「・・・・・・・・・、」


ゆっくりと目を開く。

霞みがかったようにぼんやりした天井は、いつもの本丸の私室で朝一番に眺める光景と変わりなかった。
複雑で美しい木目が私を見下ろし、いつもの審神者の朝が滞りなく始まる。

滞りなく・・・・滞りなく?
自分の言葉に奇妙な齟齬があるが――――はて、いったい。


「ああ、君。目が覚めたか。おはよう、気分はどうだ?」

「あ、おはようございます。気分は・・・別に、普通?」

「それはなにより。」


私の布団の傍に鶴丸国永が座っていた。
慌てて起き上がり、今更遅いが寝起きの髪を簡単に整える―――ええい、すっぴんの事はこの際忘れろ!!
僅かに残った乙女心が何の準備運動もしていない顔を直視するなと視線で訴えるが鶴は全く気にした風もない。

・・・・・・私ごときのすっぴんなど気にも留めないってことか。そうですか。

それにしても珍しい。
薬研くんが私の部屋に居るのはいつもの事だが、近侍の彼ではなく鶴丸さまがいるとは。
小さな守り刀の姿を探すが見当たらない―――きっと何か用事でもあるのだろう。特に気にしない。

寝起きでのせいかふらふらする頭と未だ覚醒しない意識を抱えて呆ける頭を白い手が撫でる。
そのたおやかな手が私の指通りの悪い髪を一往復するごとに記憶がはっきりしていく。

初めて体感した戦場の空気と緊張感。
刃が中を通る感触と、同時に自分から香る血の臭い。
徐々に冷やされていく体温と消えていく意識。

その回想の中心を鮮烈なまでの赤で染める私の姿。


「・・・・・・・・・・、」


悪夢の記憶が揺り起こされ、ざぁっと爪先と頭の天辺から血の気が引いていく。
その血は心臓に集められて早鐘のように打ち鳴らされた。


「わ、わたし!!」


男の人の前だという事も忘れて、ばっと勢いよく布団を跳ね除けて自分の腹部を確認する。
しかし予想に反しそこにはいつもの、傷一つない皮膚が外気に晒されていた。

恐る恐る触れるがそこに異変はない―――異常がない正常に戸惑う。
自分の記憶との相違に眩暈がした。あれは悪い夢だったのか?

夢であればそれでいいしかし信じ切れずに、夢の世界に居合わせていた鶴丸さまに真偽を問う。


「私、確か、さ、刺されたはずじゃ?」

「傷がすっかりなくて驚いたか?」


私の確認に対してのその答えは、あれが悪夢ではなく過去の現実だったと告げているようなものだ。

しかし記憶と相違しているのが当然のようなその答えは?
そして何よりどうして傷がなくなっている?
私がこうして生きていられるのは何故?

疑問が早馬となって答えを求め脳内を駆け回る。


「刺されてるのに・・・・どうして?」

「まあまあ落ち着きたまえよ、君。鶯丸じゃないが茶でも飲んで落ち着くか?」

「落ち着けないです!!!!だって私が刺されたの、本当なんでしょ?
 でも今は傷一つないし生きてるし、何で、どうして?こんなのおかしいよ・・・」


いや、傷跡なんて残ってほしくないし生きてるのは喜ばしい事なのだが、しかし。

動揺する私に対する鶴丸さまの反応はどこまでも普段と変わらないのが不思議だった。
――――正直、不思議さというよりも不吉ささえ感じる。

清浄な白い神が空恐ろしく、目を逸らそうとした時にはたと気付いた。


(あれ・・・・・何だろう、違和感が・・・・)


今度は記憶と自分の身体だけでなく視界の中にも違和感がある。
美貌の男越しに広がるいつもの自分の部屋には、しかし何かが足りない。

何だろう、と記憶を呼び起こすと―――そうだ、そこにはいつもの花が無かった。
神域である本丸の内部の、乱れた時間の流れを図る為に欠かさず活けている花が、私の日常の生命線がない。
あれで正確な時間を把握し通常の時の流れに身を置かなければ、よく分からないが大変なことになるらしい。

どれ位自分が寝てたのか分からないが誰かが間違えて下げてしまったのだろうか。
花を活けるという日常の動作でこの奇妙な不安を乗り越えようと立ち上がろうとする。


「花がない・・・・急いで活けないと、」

「ああ、あれはもう必要がないからな。捨ててしまった。」

「必要が、ない・・・・?」


何を言っているんだこの人は。

意味が分からず思いっきり不審を含んだ視線に、黄金の双眸が嵌る美しい細面が苦笑する。
理解の遅い子供を視線で嗜める教師のような笑みに居心地が悪くなった。

やがて色素の薄い唇がその答えを朗々と語り出す。


「君は神の鳥である鶴の血肉を喰らい長寿を得た。
 今更、その年月の前に少々の時間の流れなど気にする必要はないだろう?」

「長寿・・・・・?」

「うん?知らないのか?鶴と亀は長寿の象徴なんだぜ。
 なんせ俺はかつて長寿にあやかり墓から暴かれたこともあるからな。」

「それは知ってますけど・・・・・」


しかしなんじゃそりゃ。

鶴なんて食べたことがないし、いやそもそも食べられるものなのか?
まあ鳥肉なんだからもちろんいけるんだろうが―――しかしあの白い鳥にそんな効能があれば世の中は大騒ぎだ。
動物園からは姿を消すだろう・・・・違う、そもそも私達の世にまで絶滅せずにいられる訳がない。

純白の神が語るその意味が分かりかねてぽかんとする私に、鶴丸さまは自身の着物を捲りその白い腕を晒す。
滑らかな白磁の肌には、一点だけ噛みついたような醜い跡がついていた。

たっぷり数秒、いや数十秒ほど沈黙する。
やがてはその意味するところに気付いて、思わず自分の唇をなぞる。
そこにはかさついた口唇の感触があるだけだが、過去の世界では、そこには。


「あの時、刺されて致命傷に陥った君は錯乱して俺に噛みついた。」

「ご、ごめんなさい・・・」

「いや、それはいいんだ―――しかし君は俺の血肉を僅かながら口にしたことで呪われてしまった。」

「呪われた・・・・?」


神の下す不吉な言葉に背筋を冷たい汗が伝う。

普段だったら呪いなど心の底からは信じられなくても、目の前におわすのは神様だ。
その異常の存在が語る非日常は真実味を伴い私に襲い掛かってくる。

爪先から蛇に飲み込まれていくように冷たい恐怖がゆっくりと這い上がるのを感じた。


「鶴の別名は仙禽。仙禽の意味は仙界の霊鳥。君も知る通り、古くから長寿の象徴として尊重されてきた。
 しかし君はその鶴の名を冠する俺に噛み付き、僅かとはいえその血肉を飲んだ。」


教科書の例文を読み上げるようにつらつらと語られる文章は日本語なのに異界の言葉だった。


「これが他の刀剣男士だったらまだ問題はなかった。
 しかし故意ではなくても長寿の神鳥の名を冠する俺の身体を君は喰らってしまった。」

「わ、私は、そんなつもりじゃ・・・・」


つもりどころか身に覚えすらない。
しかし途中で意識が途切れたのは事実だし、死に瀕した人間がとる行動なんて私には分からない。

無自覚の罪に汚れた両手が事の重大さに震える。


「鶴は千年、亀は万年というだろう―――そう、故事の通り君は千年を生きる呪いにかかってしまった。」

「・・・・・せん、ねん?」


突然、突きつけられた膨大な年数の贖罪期間に眩暈がした。
御伽話で語られる結末が、現実に平凡な自分にそんな運命がのしかかっていることが理解できない。

しかしいつも飄々としている高貴な黄金の瞳が悲しげに伏せられるのは真実だった。


「すまない。俺がちゃんと君を止めていれば・・・」

「い、いや、私が、悪いから・・・・」


無意識に犯してしまったその罪の対価は凡庸な人間には理解が追い付かないほど重い。
鶴丸さまの悲しげなその顔を何とか慰めたくて口から薄っぺらい言葉が出るが、心は遠くにあった。

本当はどうしてもっときちんと止めてくれなかったんだと叫びたい。
お前のせいだとその細い首を絞めてやりたい。
私を異形の身に落としたこの男が憎い。

けれど自分を責める沈鬱な表情の前に私程度の怒りなど、風船のように萎んでいく。


「そ、それにほら、私が今生きていられるのもそのおかげ、なんですよね・・・・」


そうだ、この感情はそもそも生きてないとないものだ。
こうやって千年という長さに怯えられるのも、生きているから。
生きていなければこうやって恐れることもなかった―――でも、いつまでそう思えるのだろうか。

いつか死んだ方がマシだったと鶴丸国永を罵る日が来るのだろうか。


「だったらよかっ・・よか・・・・・・」


よかったとは、とても言えなかった。

生きてさえいればなんとかなると、よく物語の登場人物は笑う。
しかし現実にこんな年数を生きることが何の救いになるだろうか。

人魚の肉を喰らった八尾比丘尼はその生肝を喰う事で解呪されたというが鶴の呪いはどうなのだろう。
自然と彼の人の細い腹部へいってしまう目線を首を振って退ける。


「本当にすまない。だが、幸い俺達に寿命が無いからずっと君の傍にいてやれる。
 他の人間のように君を一人にしないと誓う。」


私の内情など知らず、伸ばされる白い手が私の涙を優しく拭っていく。
そして私の手を恭しく取り、親指に嵌る翡翠にその美しい唇を寄せる。


「俺達が千年の時を君に寄り添い、この身を主に捧げよう。」

















「可哀想な主だな。」

「ああ、可哀想な主だ。」


すっかり花の香りがしなくなった廊下に響く声。
落ちる影さえ美しい、天下五剣が一人三日月宗近が壁に背を預け立っている。
月光のように輝くばかりの美貌は、自らの言葉を面白がっているようにも見えた。


「あの時、嫌がる審神者に無理やり自分の血肉を喰わせたのはお前だろう。」


責めるような言葉にも全く悪びれることなく、鶴丸国永もまた同種の表情を浮かべてみせた。
翼のように両手を広げ笑う鶴丸の右腕の噛み後、とは別に左腕には包帯が巻かれている。

その布の下には右側とは比べ物にならないおぞましい傷があるはずだが、手入れをされてしまえばすっかり治るのだろう。


「しかしお前は止めなかったな、三日月宗近。」


春の訪れを喜び囀る鳥のように告げながら、長いその足は手入れの部屋を目指す。


「というよりも、あの場に居た誰も俺を止めなかった。」


つまりそういうことだろう?

微笑み振り返る神の鳥に静謐の月面もまた笑みを返す。
それは彼らにとってはただの微笑みであり、しかし人間の目から見れば傲慢な神の表情だった。


「さてしかし、千年の時が経ったらどうする?」

「そうだなぁ―――その時は浦島虎徹に協力を仰ごうか。」








































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あとがき。
元ネタはド直球にSIRENと、ハリポ●のユニコーンの設定「ユニコーンのように無垢な生物を殺すことはそれ自体が非情な行いであり、
強力な延命効果を持つその血を啜ると呪われる(うろ覚え」というやつからです。

BADエンドそのA「神の実」


2015年 6月15日執筆 八坂潤


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