頭上を仰げば曲刀のように細く反れる白い月。 静々と頭上から等しく光を照らすその下では、熾烈な夜戦が繰り広げられていた。 冷たい夜の世界の加護を受けて、白銀に輝く短刀を手にした少年が戦場を駆ける。 「そっちへ行ったよ!!」 燭台切光忠の声に薬研藤四郎は伏せていた顔を上げ、武器を逆手に構えて息を整え、自らに突撃してくる敵を睨む。 残酷な炎を両目に宿した異形の敵に対し、彼もまた残忍な光を両目に灯して迎え撃つ。 「夜は俺達の世界だ―――来いッ!!!」 凛と張り上げた声は自らと味方を鼓舞し、敵を怯ませるため。 夜の冷気を裂いて突き出される白刃を掻い潜り、空いた懐に飛び込み自らの武器を振るう。 他の刀種とは違い短く頼りない刃も、ここまで間合いを詰めれば充分に死の射程距離。 敵の首筋を精確に冷たい刃が通り抜け、一瞬の静寂ののち遅れ皮一枚で繋がっていた頭部が重力に引かれ地に落ちた。 巨体が倒れその足元の血溜まりに沈み、濡れた音と共に少年の足元を朱に染める。 また一つ積み重ねた死体に、功績に、主への武勲に、薬研藤四郎は知らず口の端を上げて笑みを作った。 それは相対したものを後悔させる戦鬼の表情。 「・・・・・新手か。」 味方の屍をものともせず乗り越え、前進してくる大きな影。 大気の温度を狂わせるほどに殺意を纏った緑の燐光が編笠の奥で炯炯と冴える。 自身の分身でもある薬研藤四郎を強く振って血を払い、再び鋼の切れ味を取り戻し構える。 新たな闘争の予感は彼に恐怖ではなく高揚感を与え、迷わず逆手に短刀を構え直し新たな首を刈る為に自らも進軍。 互いの着弾点に剣戟の火花を散らし、それが戦闘の合図となった。 渾身の敵の横薙ぎの一線を受け止めるのは危険と判断し、弾かれたように一歩退く。 その一瞬前の空間を死神の鎌が撫でるが不発、逃れきれなかった黒髪が数本尾を引いて舞う。 「血が滾るな!!」 小柄な体躯に合わぬ壮絶な表情に敵は気押されるように一瞬動きを止め、それが彼の命取りとなった。 死の指先が伸び、編み笠から垂れる髪を一部千切れるのを厭わず引き寄せれば緑の熾火に驚愕が浮かんだ。 敵が防御するべく振られたもう片方の手には小刀が握られ、薬研の白蝋の肌に振り下ろされる。 引けば好機を失う。引かねば喰らう。 薬研藤四郎の闘争本能と生存本能が彼に選択を迫り、そして後者が拒否された。 「―――――!!!」 次に少年が指してきた一手に、かの異形はさぞ驚いただろう。 小刀を振るう自身の手を薬研の犬歯が食い止める。 歯は黒豹の牙となって指を食い千切り、予想外の攻撃とその激痛が彼を怯ませた。 口に残った肉片と血を吐き捨て、隙ができた相手に必殺の一撃。 「柄まで通ったぞッ!!」 武器を手放した敵になす術なく、その眼窩を冷たい刃が通過した。 後頭部まで突き抜けた刃は月の光を受け鈍く輝き、すぐに引き抜かれて血に染めた。 敵の肉を穿ち熱を持った白刃はすぐに夜に冷やされた。 束の間の静寂が舞い降りて、紫玉が油断なく周囲を警戒する。 「・・・・・これで最後か。」 ぐい、と頬の返り血を無造作に拭うが、かえって朱の面積を広げただけだった。 知らず吊り上がっていた口元にやっと気付き、勝利の昂揚感と共に自らに仕舞い込む。 彼のか弱い主がその表情を見てしまったらさぞ怯えただろうと内心で苦笑しながら。 今頃その主は自分の兄弟である厚に近侍が交替していることも知らずに夢の中だろう。 自分がこうして夜な夜な戦に出ていることを彼女は知らない。 また妙に上がっている戦績を眺めて首を傾げ、記憶違いだと思い直すだろう。 「さすがだね、薬研。」 「ああ、燭台切の旦那か。」 かつては織田信長公の刀として共に戦った時代もあった友人。 隻眼の男が軽く賞賛の拍手をして近寄ってくる。 無論、その服も返り血に塗れ数々の敵を屠ってきたことを示していた。 「夜は俺達、短刀の世界だからな。燭台切の旦那にも遅れをとらない活躍だろう?」 「まさか。君だったら夜だろうが昼だろうが大活躍でしょ。」 「・・・・わっかんねえ奴だなぁお前。」 話す二人の間にもう一人の声が割って入る。 無骨さを体現したような男―――同田貫正国が雷光のように鋭い目に疑問を宿して憤然と息を吐く。 彼もまた血臭を戦装束として身に纏い、足元の敵の屍を踏みしめながら合流した。 「そんなに戦うのが好きなら近侍をやめて戦う側に回ればいいじゃねえか。 今みたいに主のことは厚のやつに任せておけばいいだろ?」 「まァ・・・そうなんだが、あいにく俺は戦うのも好きだがそれ以上に大将が好きだ。 だから昼は大将の守り刀で夜は大将の戦果稼ぎ、それでいいのさ。」 「身体がもつのかって聞いてんだよ。人間の身体は脆いだろ。」 「問題ない。俺が好きでやってることだからな。」 愛を唇で語る少女のように、少年は刃で忠誠を語る。 全く似て非なるものでありながらそこに捧げる熱量は等しい。 もし主が夜戦のことを知れば働き過ぎだと近侍を解いて自分を休ませようとするだろう―――しかしそれは彼には耐えがたい事だった。 「欲張りな野郎だぜ全く・・・短刀にしておくには惜しいな。」 「同田貫の旦那に言われるとは光栄だな。」 兜割りの成功譚を持つ男からの賞賛に白皙の美貌の少年は笑った。 どうでもいいことだけど、と隻眼の色男が首を傾げる。 「けれど実際、主の近侍は薬研か厚か・・・うーん、短刀ばかりだよね。 もちろん君たちが強いのは確かなんだけど、どうして僕達は任命されないんだろう。」 「・・・・・なあ、何で俺がずっと大将の近侍をやってられるか分かるか?」 「え?実力と約束があるからじゃないの?」 疑問を返した燭台切の言葉に薬研は口の端をあげた。 儚げな美貌の少年には似合わない肉食獣の笑みが隻眼を見つめ返す。 それが先程敵を屠った時と同種のものであると誰が気付いただろうか。 「違う。まあ、約束もあるだろうがそれだけじゃあそこまで俺の接近を許さないだろう。 警戒心と危機感は薄いが、人並み以上には貞操観念の強い御仁だからな。」 「まあ、確かに。主って男慣れしてないよね。」 「だろう?でも俺にずっと近侍を任せているのはこの外見がガキだからだ。」 短刀の付喪神は一般的な傾向として少年の姿をしていることが多い。 逆に太刀や大太刀は一部の例外を除いて大人の姿をとっている場合が多い。 例に漏れず薬研藤四郎もまた、年端もいかない少年のような姿をしていた。 「俺がこんなナリだからこそ、大将は俺を男と意識しないから、俺に同じ部屋で寝ることも許す。」 「・・・・・・えっ寝てたの?」 「最初の頃はな。何が起こるか分からんから、警護の為に。」 あっけらかんと告白された事実に燭台切は困ったように頭を掻く。 「うわぁ・・・中身は700年越えて主よりずっと年上なのにね。」 「大将は思いっきり外見に惑わされるからな。」 「確かに・・・僕や和泉守さんはさん付けなのに今剣くん達はくん付けだからね・・・。」 俺が麦焼酎を煽った時に驚いた表情をしていたのは忘れられない。 大将が自分に向ける信頼は純粋なものだけではない。 この齢の外見の男がまさか自分に劣情を持つなど思いもよらないという侮りだ。 いくら警戒心や危機感が薄いといってもそれを警戒する程度の小狡さがある。 しかしそこがまだまだ甘い。 「まあ、俺がいつまでもその立場に甘んじていると思ってもらっちゃ困るんだがな。」 「うん、まあ、君はそういう男だよね。」 「俺達の主も大概難儀だな。」 苦笑する燭台切もどうでもよさそうに欠伸を噛み殺す同田貫も、しかし薬研の主の意に反する言葉を咎めない。 全く気にした風もなく思考を切り替え、示し合わせたように互いの獲物を抜き放つ。 遠くではまた歴史修正軍が時を乱そうと暗躍を始める気配を察していた。 先程までの笑みを仕舞い込み、戦鬼の表情を取り戻した薬研藤四郎もまた進行方向を睨む。 「――――さ、他の連中拾って進軍するぞ。まだまだ夜は長い。」 それにここを落とせば大将の功績にもなる。 あのか弱い主が俺達の主でいてもらう為にはもっと多くの武勲を積まなければならない。 主に捧げる贄の羊の群れを求めて、狼達はその牙を打ち鳴らし進撃する。 夜戦の翌日。 頭上を仰げば真円を描く輝く太陽の下。 盛大に頭上から等しく光を照らすその下で、本丸の縁側に目当ての人物を見付ける。 「主に報告に来たんだけど・・・。」 「これは燭台切殿。すみませんな、主と薬研はこの通りでして。」 苦笑する粟田口の長兄の肩にはその弟が寄りかかり、そしてその薬研の膝を枕に主が横たわっている。 規則正しい微かな寝息が漏れる主の身体を抱き寄せるようにして少年もまた眠っていた。 昨日までの血生臭い痕跡など一切主に悟らせないのはさすがというべきか。 例によって近侍がまさか夜の間に戦いに出ていたことなど知る由もない、平和な寝顔だった。 「一応聞くけど二人とも、具合が悪いとかじゃないよね?」 「主は本丸の季節の変更で疲れてしまいまして、初めは薬研が護衛をしていたのですが。 しかし薬研も昨日の夜戦の疲れが出てしまったようでして、この有様です。」 「なるほどねえ・・・・」 暖かい日の光を受けて主もその守り刀もよく眠っている。 数日前から主は準備をしていたようだが、それでもやはり彼女にはその消耗が激しかったようだ。 その労をいたわるべく伸ばし掛けた手は、しかし引っ込めておいた。 ―――余計な事をして傍らの眠れる獅子を起こすのは面倒だ。 「そろそろ季節が秋に変わるでしょう。皆にも伝えなければ。」 「ああ、じゃあ僕から皆に伝えておくよ。 秋は実りが多いから僕も腕を振るうのが楽しみだな。」 「私も薬研も主も燭台切殿の作る食事は楽しみです。」 「よかった、そう言ってもらえると作り甲斐があるってものだね。」 報告の書類を一期一振に渡し、自分の主を眺める。 何かを食べる夢でも見ているのか口をもごもごと動かし、時々開く―――女性にしてはあまり色気のない寝顔だった。 右手でその主を抱き寄せるようして眠る薬研の左手はさりげなく自身の短刀に手をかけている。 眠っている時にもし襲撃があれば即座に反応できるようにだろう。 なるほどこれ以上に安全な寝床はない―――傍から見る分には。 (ぱっと見るとただの仲の良い兄弟のようにも見えるんだけどねえ・・・・) しかし燭台切は、それが見たままの図でないことは分かっている。 主に信頼されその身を守るその刀は、忠実な犬ではなく狼でもあることを。 その主はそんなことを露とも知れずに穏やかな寝顔を晒すのだろう―――いつかその柔肌に牙が突き立つ時まで。 「主も大変だよね・・・」 「そうですな・・今回も石切丸殿と入念な準備をしていたようですが。」 「うーん、」 そうじゃないんだけれどね。 見当違いの心配で主の頭を撫でる一期一振に内心で苦笑しながらのどかな光景を眺める。 しかし燭台切光忠にそれを指摘するつもりなどさらさらなかった。 赤ずきんは未だ狼の腹の上とも知れず安らかにその寝息を立てて眠っている。 ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- あとがき。 ツイッターにかつて投下したものを加筆したものです。 刀剣男士は審神者が自分達に可愛がられるのが一番の幸福だと思っているので、例えそれが主の意思と相違していても悪びれる要素は全くないです。 2015年 6月21日執筆 八坂潤