『よう大将、俺が薬研藤四郎だ。よろしくな。』

『う、うん・・・よろしく。』


俺に、薬研藤四郎に新しい生を与えたのは暗い顔をした女だった。

自分を神降ろしした際は縋るような期待と隠し切れない喜びが浮かんでいたのに、挨拶をした途端にその表情は曇った。
それ以来、大将は誰と話すにしても何をしてもずっと浮かない顔をしている。

以前からの古株に話を聞くと、大将は別の薬研藤四郎に近侍をずっと任せていたらしい。
―――今は襲撃の際に審神者の窮地を救ったという鶴丸国永がその任を拝命している。


「ここにね、前の薬研くんが埋まってるんだよ。」


摘んできた青い花を質素な花瓶に活けながらぽつりと告げた。
傍らの盛り土はまだ柔らかく、つい最近作られたものだと分かる。

この本丸の庭の隅には墓場があった。
ずっとその必要性はないものと、作るという発想すらなかった平和の地。
しかしいつまでもその平穏は続かず今では審神者が毎日欠かさず立ち寄る場所になっていた。

自身の服が汚れることも厭わず膝をつき、目を閉じて両手を静かに合わせる。
その横で俺は以前の薬研藤四郎の刀身が埋葬されているという墓を不思議な心地で眺めていた。


「ずっと助けてもらってたんだよ・・・・」


風の前の灯火のように消え入りそうな声で呟き、やがて背が震える女の背にそっと触れる。
嗚咽が漏れないのは自分を逃がし、そして折れた薬研藤四郎に対し泣く資格がないと耐えているのか。

それでも数滴、音もなく零れて地面に吸い込まれていく。

きっと薬研藤四郎でなくてもこの主は折れた刀剣男士の為に涙を流すだろう。
でもこの涙は間違いなくこの墓の下にいる者にのみ捧げられたもので、それを尊いと羨ましいとも思った。


(気にすることなんてないんだがな・・・)


声を掛けようと口を開きかけ、しかしやめた。

本当は気に病むことなどないと伝えるべきだ。
たかが俺達の生き死に如きでそこまで深く思い悩む必要など―――こうして薬研藤四郎は再び主の前に現れたではないか。

そもそも俺達は歴史を守る戦争の道具として呼ばれたのだから、それくらいは想定の範囲内。
この身は神降ろしされた瞬間から葬列に加わることを覚悟している。


(しかし、嗚呼、これがなるほど人間か。)


だが、例え偽物でもがらくたでも愛情を注いでしまう人間だからこそ。
刀剣男士が自分と同じく人の姿をとっているから過剰に反応しているだけなのだと分かっていても。

俺達は人間を―――ましてや自分の主を愛さずにはいられない。


「薬研くん、やげんくん・・・ごめんね、ごめんね・・・・」


祈るように組まれた手の親指には緑の美しい翡翠が嵌った指輪がある。
以前の薬研藤四郎が贈ったという指輪を、審神者は自分の身体の一部でもあるように大切にしている。

もはや無意識なのだろう、いまもこうしてもう一方の親指が石の表面を撫でる。

途端にこの主が愛しくなった。


(とりあえず、このままだと大将が押し潰される。)


しかし不思議と気休めの言葉は口から出ない。
頭はこの硝子細工のように脆い心を救う代案を求め冷静に思考する。

ただ平和と平凡だけを与えられて生きてきたらしい審神者には、非日常と異常に抵抗する力がない。
身近な存在が自分の為に死んだという物語のような美談に心が耐えられないのだ。本来なら褒章ものだが。

そしてこのか弱い主の心を苛むのは自分だけではない―――もう一つある。


「なあ大将、ここらへんをもっと俺にも案内しちゃくれないか?」

「・・・・・どうしたの?急に。」


蹲っていた姿勢からやっと顔を上げ、怪訝そうな目がこちらを見る。
その目の周りが僅かに濡れていたことは敢えて黙っておいた。


「大将がこの本丸を離れられないのは知ってるから、周囲を散策するだけでいい。
 今の時期だったらすぐ近くの山に入ってキノコ狩りをするのも悪くないと思うがどうだ?」

「う、うん・・・・」


膝小僧の泥と草を軽く払い立ち上がり、主に手を伸ばす。
以前と同じく躊躇い、握り返してきた手を壊れ物を扱うかのようにそっと引く。

主の手は引かれるがまま抵抗はなかった。
だったらこのまま連れ出してしまえばいいだけだ。

あの鬼に見つかってしまう前に。


「ああ、君。こんなところにいたのか。」

「・・・・鶴丸さま。」


―――鬼が来た。

がさりという音と共に近侍の鶴丸国永がそこに立っていた。

女性のような細面と微かな風にも揺れる銀糸、そして白無垢のような衣装には―――斑に染まった尊い血。
長い睫毛で縁取った黄金色の瞳を柔らかく細め、生白くたおやかな手をそっと差し出す。

ともすれば忠誠を捧げる騎士のように、しかし俺にはあの世へ招く死神の手に見えた。


「こっちにおいで。」

「あ、えっと、その・・・・」


女の顔が明らかに強張るのをこの場に居る誰もが見ていた。
恐らく、自分が外に誘った段階からもうすでにこの男に会話は聞かれていたのだろう。

聞いたうえでなお、こうして主を誘っている。
薬研藤四郎ではなく自分を選べと言外に囁いている。
強制するのではなく敢えて自身で選ばせることで、その逃げ道を捨てろと宣告している。


「今から薬研くんが、あのですね・・・」

「行こう、大将。」


弱々しくも抗おうと主が理由を述べる。
それに乗じて手を少し強めに引いて強引にでも連れ出そうとする。

俺が無理に連れ出した風に装えば、この主の罪悪感も多少は軽減され案にのりやすくなるだろう。

そんな俺達を鶴丸は眺め、一瞬だがその夕焼けの稲穂のような黄金の瞳が血よりも深い緋色になった。
あまりの不吉さにぞっと背筋を冷たい手がなぞったような錯覚――――どんな強大な敵でも勇猛果敢に戦いぬけると自負する足が止まった。

なんだ、今のは。


「こっちへおいで――――俺の主。」


まるで子供に言い聞かせるように柔らかく、少しおどけているかのようないつもの声色で。
しかし明らかに何かが気味悪く変質した声が静かに響いた。

効果は絶大。

途端に大人しく引かれるがままだった主の手が勢いよく振り払われる。
思わず振り向いて見た主の顔は恐怖と、そして罪悪感がありありと現れていた。

しかしそれはすぐに全てを誤魔化すような追従の笑みへと塗り替えられる。


「ご、ごめんね薬研くん!今度!また今度行こう散歩!!」

「たいしょ、」


歪な笑顔を浮かべたまま犬のように従順に鶴丸国永の傍へ駆け寄る姿が哀れだった。
それを主人のように出迎えながら、さもそれが当然であるかのように共に去っていく。

追い縋ろうと伸ばした手が躊躇い、大きな溜息と共に力なく下ろされた。
今この場で食い下がっても余計にあの主の心労がかさむだけだ―――それだけは避けなくては。


(それにしてもあの目の色は何だった・・・?)


あの鮮やかな赤い瞳は、一体。
嗚呼、もはや正常な神の目などではなく、アレは――――
















『あの、何か用があったんですか?』

『いいや、何もない。』

『・・・・・そうですか。』


それでもなお自分に反論しなかった審神者は今自分の膝の上で寝ている。
敵から身を守る野生動物のように身を丸めながら眠る主の顔は晴れず、唇は音のない謝罪を紡いだ。

それでいい、とその髪を梳いてやっても眉間の皺が増えただけで安らかになることはない。
こうして自分に責められず優しくされることが苦痛だと分かっていてなおその姿を愛でる。

ああ、なんて愛おしい。


「・・・・・君は勘違いをしている。」


閉め切って薄暗い二人だけの部屋で、誰も聞かれないようにそっと耳打ちする。
深く眠る審神者には決して届かない独白が続く。


「君は俺の墓を暴いたことを俺が怒っていると思っているのだろう。」


しかし実はその事を全く怒っていないのだと告げたら、君はどんな表情をするだろうか。

人間がその脆い生にしがみ付こうと必死に抗うのは当然だ。
その為には死者の尊厳も踏み躙るくせに、その罪悪感には苛まれる姿は神の目では愛しくさえ思う。

あの時、俺を土の下の共寝から引き摺りだした北条の家も今は許そう。
俺達は結局のところ人間を許し、愛してしまうものなのだから。


「―――――、」


許す、と言葉には出さずに唇だけを動かした。

もちろん目を閉じている審神者には届かないだろう。
この言葉が耳に入らない限りこの主は永遠に自分に引き摺られる。
例え救われる道があってもそれを拒否し、無制限の贖罪を自らに課し、鶴丸国永に追従する。

あの薬研藤四郎ですら与えなかった許しの言葉。
それさえ告げなければ永遠にこのか弱い主を独占することができると無意識下で悟ったからだろう。

現にきっと俺の次には薬研が優先事項として主の心には刻まれているはずだ。


「可哀想だな。」


心の底からの哀れみの言葉だが、行動を伴わせる予定は全くないのだから薄っぺらい。

自分が呼べば全てを放り、従順な犬のように駆け寄ってくる主。
神が人間を愛おしく思うのは当然―――ならば人の肉を持つ我々はその中で特別でありたいともうのは必然。

勝手な罪悪感のおかげで永遠にこのちっぽけな主を自分の胸の内に閉じ込めておける。
主は俺の墓穴を掘り返したのではない、新しく自分の墓穴を掘っただけだ。


「・・・・・あとはこれだけ。」


目線の先の固く握りしめた拳の中の親指にはあの翡翠の指輪が嵌っている。
無理やりにでも外してしまいたいがそうもいかず、しかしなかなかどうして隙がない。

自分でも理由は分からないがこの指輪はどうにも邪魔だ。


「まぁのんびり待つさ。」


君が自分のいるもっともっと深いところに落ちてくるまでずっと。
遠くないうちに降る僥倖を、その深淵の底で自分は口を開けてただ待っていればいいだけだ。

再び審神者の髪を撫でる作業を再開した神の瞳は普段の黄金ではない―――血のような鮮紅色となっていた。








































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あとがき。
一度は折れ、まして主の血を啜った刀剣男士はもはや邪神や祟り神の類に堕ちている。

翡翠には魔除け・災難除けの効果があるとされてます。
あの指輪がある限り闇堕ちした鶴丸国永はおいそれと審神者に手を出せないのですが、
いつか審神者自らの手で指輪を手放させるでしょう。

自分の身体の一部と言っていいほどに馴染み、かつての近侍から贈られた忘れ形見を自ら手放させるために
闇堕ちした鶴丸国永がどんな汚辱に手を染めるのか考えるととてもハッピー


2015年 7月5日執筆 八坂潤


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