飛ばされた洗濯物を探して本丸の北へ。 普段は立ち入ることのないほど奥まった場所に珍しい人物がいた。

鶴の羽毛のように真っ白な服に、流れるような銀糸と美しい顔に嵌る黄金色の瞳。 鶴丸国永が何をするでもなく静かに岩の上に腰掛けていた。 (鶴丸さまだ。こんなところで何をしているんだろう) 線の細い麗人という外見イメージとは逆に、この神様は結構気さくで口数の多い方だ。 本当に黙っていると美人の見本として後世に末永く残せそうだなと思いつつその横顔を観察する。 そうしていると懐から何か白いものを取り出しそっと口付けた。 その正体について窺い知ることはできなかったが、胸を抉るほど愛おしそうな仕草に心臓が止まるような錯覚。 でもあれは一体何なのだろう。遠目には石のようにも見えるけど―――・・・ 「きみ、どうしたんだこんなところまで来て。」 「ヒィー気付かれてたとは・・さすがですね鶴丸さま。」 「俺達が大事な主の気配を取り違える訳がないだろう。」 こっちへおいで、と白魚のような指に手招きされておずおずと近寄る。 一幅の絵画にもなりえたような神聖な場を乱してしまったようで、悪いことをした訳ではないのに妙な罪悪感があった。 そんな矮小な人間の内心など露とも気にしていない鶴丸さまは柔らかい笑みを浮かべる。 巨視的な微笑みにまた居心地の悪さともいえない感情を覚え、逃げるように周囲を見渡した。 何度か視線を往復させても何もない平坦な地面が転がっているだけで、特に特別な場所とも思えない。 こんなところで鶴丸さまは何をしていたのだろう、と改めて疑問が鎌首を擡げた。 「えっと、その、覗くつもりはなかったといいますか、けどなんだか声を掛け辛かったといいますか、」 「うん?何を遠慮することがある。ここは君の庭なのだから君の好きに振る舞うといい。」 今度は頓珍漢な事を言う子供を諫めるようにくつくつと笑い、ああ陽光に透ける銀髪が綺麗だなと思った。 主だの私の庭だの、正直言ってこの間まで一般人だった私にはいまいちピンと来ない。 見目麗しい神様達は私ごときの事を主だと敬いそれはもう大事にしてくれているが、舞い上がり過ぎてもいけないとは分かっている。 就任してそろそろ一年が経つとはいえここは私の庭などではなく借り物。いつか本物の力の強い審神者がいらっしゃるはず。 その時に彼等は私がいたことを思い出してくれるだろうか―――そんな都合の良いことを考えてすぐに振り払った。 最後まで戦いに責任を持つ覚悟など微塵もない私にそんな願望は傲慢だと思う。 「あの・・ここで何をしていたんですか?鶴丸さまにしては珍しく静かでしたね。」 「はっはっは我が主もなかなか言うな。だが秘密だ。」 「ええー結局秘密なんですか。まぁいいんですけど。」 一応の主従関係とはいえプライベートまで根掘り葉掘り把握していたいとは思わない。 たまには鶴丸さまが物思いに耽る時間くらいあったっていいだろう。 けれど何となく、彼が先程口付けてそして今は手の中で弄んでいる白い物体が気になった。 私の視線を察して長い指がそれを私の手のひらの上に乗せる。 つるりと滑らかな面を見せる白いそれは遠目には珊瑚の欠片のようにも思えたが、やはり間近で見ても記憶の検索に引っかからない。 正体を探ろうと色々な面からじっと観察してみたがついぞ正体は分からず、しかし不思議と目を引き寄せた。 「随分と大事そうにしてましたけど、これって何ですか?」 「骨の一部だと言ったら驚きかな?」 「ほ、骨!!!?どこの!!?というか誰の!!!?」 予想の全く斜め上からの回答に身体が大仰に跳ねる。 連動して地面に落としかけたそれを、鶴丸さまは事もなげに受け止めてからから笑いながら懐に仕舞い込んだ。 「いやいや冗談だ。驚いただろう?」 「お、驚いたっていうか、冗談にしてはぶっ飛びすぎているというか、」 まんまと彼の冗談に乗せられてしまった悔しさを感じながら、その麗しい横顔を恨めしく仰ぎ見る。 そういえば鶴丸国永には謎が多い。 何といっても、私が顕現させた記憶がないのに彼は何時の間にかこの本丸にいたからだ。 疑問に思うよりも自然に、そして密やかにこの神様は本丸に溶け込みこうして私の隣にいる。 長年の馴染みのように振る舞う姿はあまりにも違和感がなく、こうして本人を目の前にしていても何故か全く警戒しようという気が起きない。 (普通じゃないんだからそれこそ本人に聞きたいくらいなんだけど、未だに聞けないんだよね) 聞くにはいいタイミングかもしれない、けれど何となく聞けずにいる。その必要はないと思ってしまう。それは何故? そんな疑問の目線を一身に浴びて鶴丸さまは黄金色の目を細めて私の頭を撫でた。 不思議と郷愁を掻き毟られるような想いに疑問は流水のように流れていく。 もしもこの神様が実は私を騙している悪い存在だったのならその時は諦めようと思ってしまうくらいに。 「そんな顔をしないでくれ。俺達はただ君が健やかに在れば他に望むものはない。」 「・・・うん。」 素直に頷けば再び美しい顔が何の変哲もない地面を見つめる作業に戻り、私も何となくそれに倣う。 そういえば彼がここで何をしていたのかも、何を持っていたのかも結局は分かっていない。 けれど聞いても答えてくれそうにないのでそのままにしておくことにした。 死んだ本丸とはかくも荒れ果てるのか。 建物は百年を経た廃墟同然に荒れ、草木は枯れ、水は澱み、住まう生き物はそのことごとくが死に絶えている。 審神者の死の知らせを受けた軍服の男達は境界の隙間から見た光景に言葉を無くした。 だが隊長は怯むことなく手信号を送り、部下達は猫よりも密やかに内部へ侵入する。 土足で無遠慮に踏み荒らされようとそれを咎める者はもういない。いなくなっていた。 「あの、今回の我々の任務は審神者の遺体の回収ですよね。何故こんな重装備で?」 新人の男が装備の重さに喘ぎながらも隊長に問うた。 審神者が死するとその本丸の刀剣男士は全てが刀剣の姿に戻るという。 実際に男達が歩むその足元には無造作に刀が落ちていた。 人の力の及ばぬ化け物を屠る刀の神も、その力の供給を断たれればただの鉄になってしまう。 無造作に散らばる刀を踏んでしまわぬよう注意しながら、だがやけに急かされる行軍に新人兵の疑問は止まらない。 草木の一本まで枯れた世界に、花瓶で活けられた四季折々の花々だけが妙に瑞々しいのが奇妙だった。 「そもそも、なぜ遺体を回収する必要が?」 「死んだ審神者は献体として回収されるのが決定事項となっている。未だ審神者としての力・素養は謎が深く、その研究のためだ。  いずれはより有能な審神者を生み出すためにな。」 「そんな・・・生きていた頃は我々の為に戦っていたというのに、遺族の元へも帰れず、研究材料となるのですか?」 「ああ。だがこれも人類の勝利の為だ。」 未だ人間の尊厳を踏み躙ることを割り切れない青臭い反駁に体調が苦い声で返して間もなくの出来事だった。 数歩先を先行させていた部下の姿が消え、突然の異常事態に行軍が止まる。 月明かりの頼りない光の中、耳を澄ませば闇の底からうめき声が聞こえる―――落とし穴だ。 「またお前達は懲りずにやってきて俺達の主を連れて行こうというのか」 頭上からの声に、天を仰ぎ見れば屋根瓦の上から白い男が見下ろしていた。 一見すれば女性的ともとれるその相貌は美しく、だが金色の眼差しは月よりも冷たい。 端末で検索するまでもない、あまりにも有名な刀剣男士の一角―――鶴丸国永の御姿だった。 「お前達はいつもそうだ。来る度に追い払っても懲りないようだから警告の罠を張らせてもらったが、案の定すぎて驚きもない。  払っても払っても審神者の肉に集るお前達は自分が群がる虫と同じだという自覚はあるのか?」 何故、そんな、ありえない。 なぜ審神者が死んだ本丸にまだ刀剣男士が顕現しているのか。 そして抜かれてこそいないものの片手には刀を提げた臨戦態勢に、刀剣男士は人の味方であるという認識を破られ動揺が広がる。 しかしだからこそこの重装備だったのだと脳の冷静な部分が冷静な判断を下していた。 我々の任務は審神者の死体の回収ではなく、奪取であったのだと。 「一応は人間相手だからと遠慮してきたが、虫ならば潰してしまっても問題はないか。」 その手に持つ刃の色のように冷たい声が静寂を静かに切り裂いていく。 人間には出せない殺意で凍て付いた神の声色は、歴戦の兵士の達の足をも竦ませていた。 ただ一人、この状況を事前に予期していた隊長格の男だけが両手を広げ無抵抗を表しながら喉を張る。 「分かってくれ、鶴丸国永よ。長らくお前の主達の墓を守ってきた神よ。  お前の主が審神者になるのはもう××回だ―――そろそろ運命を使い切られ、人類はまた貴重な戦力を失う。  なればこそ早く優れた審神者を効率よく生み出す方法を見出さなければ、我々人類に未来はなくなってしまう。」 「なら他の本丸を当たってくれ。うちの主は駄目だ。俺の名は鶴丸国永。お前達も刀の逸話くらいはお勉強してきたんだろう?  ―――俺は大概の事に寛容だという自負があるが、墓暴きには一等厳しい。」 か弱き人の子の嘆願を切って捨て、人類の歴史の守護者であるはずの刀剣男士は殺意と共に刀が抜く。 それは闇の中でも美しくきらりと輝き、交渉の決裂を明確に表したが男はなおも食い下る。 「だが、だが、お前の審神者を調べれば次にここの審神者を選ぶ必要はなくなる。  長い目で見ればお前達の主を戦いから解放する手助けになる。それは、主の幸せは、お前達も望むことではないか?」 確かに戦闘になる可能性も考慮し装備を整えてきた、が、いざ目の前にすると『抗えない』という感情に支配されている。 そういえば刀剣男士と人間が交戦した記録は過去にも未来にもないというが―――これは、そういうことなのか? 「何故主を戦いから解放する必要がある?」 「なんだと?」 人としての倫理に則った当たり前の言葉に、神の黄金色の瞳は虚を突かれたように僅かに丸くなる。 「俺は墓暴きには腹を立てているが、お前達が何度も時代を変え彼女を連れてきている点には感謝をしている。  おかげで俺達は何度もあの主に会うことが出来ているからな。」 「だ、だが何度も怯えながらも命と身を削り審神者になる主が哀れではないのか?  確かに非人道的ではあるがただ一度でも見逃してもらえれば、」 「断る。例え戦いがあろうと人の雑踏の中で暮らし心を削るよりも、神に囲まれている方がずっと主の心は平穏だ。  ただ主でいてさえくれれば、俺達は無条件に主を愛せる。人間のように心変わりすることなく、命が尽きるまで、果てなく。」 正に俺がその生き証人だろう、と初めて見せた柔らかい笑みと神の暴論に歴戦の兵士達が背筋がすっと寒くなる。 味方である神から自然と一歩退き男達は理解を拒否し、しかしながら納得した。 任務を受けてからずっと感じていた違和感、非人道的とはいえ刀剣男士達が審神者を戦いから解放する事にここまで頑なな理由。 そう、彼らは主を大事にすると口では囁き隷属しながら、その主を戦いから―――己から解放する気がまるでない。 彼等には審神者自身が幸せと感じるかなど関係はなく、彼らが審神者を愛でることが至上の命題なのだ。 「理解したかな?これ以上食い下がるのなら残念だがお前達を斬ろう。」 「・・・・分かった、引き下がる。もうここに俺達が来る事はないと約束する。」 「それは助かる。さすがに人の子を斬ってしまうのは俺としても本意ではない。」 そうこう話している間に穴の底から仲間が這い出てくるが、それを隙だとは思わない。 そもそも落とし穴の底に竹槍が突き出ていないのは明確な警告だった。次は容赦がないと言いたいのだろう。 隊長の判断で撤退命令が下され、新人の男は最後に一度だけ本丸を振り返り、ここの主を憐れんだ。 もうきっとこの本丸に我々が派遣される事はないだろう。つまり、ここの審神者は、 幾許かの時が巡り、引き続き荒れ果てた本丸の最奥の部屋にて、布団の上に女が寝かされていた。 顔には清潔な白い布が掛けられ、周囲には萎れながらも原型を留めている色とりどりの花が散りばめられている。 「そろそろ別れの時か。」 女の横に寄り添うようにして目を閉じていた白い男が呟き、長い睫毛に縁取られた瞳を開けた。 男には長年の経験でそろそろ自分の存在維持が限界だと分かっていた。だからこそ消える前にやらなければならないことがある。 傍らの面布をそっと暴くと愛しい主の死に顔があった。 閉じられた目は当然ながら開く気配がなく、月明かりに照らされた皮膚は青白い。 何度も見慣れた死に顔の?を愛おしげに撫で、そして死者の体を細心の注意を払って抱き上げる。 触れ合う肌の冷たさに睫毛を伏せながらも、足取りは淀みなく本丸の北を目指す。 そしていつか審神者と会話をした場所に鶴丸国永は辿り着いた。 予め掘ってあった墓穴の底へ審神者をそっと横たえると、敷き詰められた花の香りが死臭を和らげた。 最後に一度だけ名残惜しそうに髪を撫でてから土を優しく被せていく。 死者の肌色が徐々に小さくなり、やがて見えなくなってからもしばらく土をかけ続けた。 やがて墓穴が平坦な地面になった頃に、自らの白装束が土に塗れるのも厭わず地に横たわる。 何度繰り返したか数えるのもやめた儀式。どんなに数多くの刀剣男士が顕現しようとも、長い時の中で近侍でなくなっても、自分だけが執り行ってきた葬送。 ここは己だけが知っている、歴代の審神者達の墓だった。 目を閉じて自分が徐々に指先から消えていくいつもの感覚に身を委ねる。 逸話のおかげか、審神者の力の供給が途絶えながらも動くこの身体も流石に維持が限界だった。 「おやすみ、我が主。」 何度か月が昇り、沈み、そして再び本丸に花が満ちる頃まで。 一陣の風が吹くとそこには刀が転がるのみだった。 本丸が再び芽吹くまで、あとすこし。 ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- あとがき。 鶴丸は自分が近侍でなくとも審神者が健やかならそれでいいし最期を看取るのは自分だしなぁって思ってるけど、 でもやっぱり自分が近侍をした時の審神者は特別に感じるところがある ので自分だけの審神者のお骨を大事に持ち歩いているところ可愛いと思って書きました(告白 2018年9月24日執筆 八坂潤 inserted by FC2 system