「・・・・さん、・・・せいさん、」

「んぁ・・・・・?」


悪魔との取引から数日経過し、鳥のさえずりが遠くに聞こえる登校前の穏やかな朝────
のはずなのにおかしい、寝起きにグリム以外の誰かの声を聞いているような気がする。

同居人のゴースト達の悪戯を疑いならも身体を起こして目を擦ると、このオンボロ寮にはそぐわない長身の誰か。


「おはようございます、監督生さん。今朝の目覚めはいかがですか?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・何で?」


窓越しの陽の光を浴びて、美しい顔に胡散臭い笑顔を浮かべたジェイド先輩が枕元に立っていた。
こっちはくたくたのTシャツ(デュースのお下がり)で布団の中だというのに、この人はもう糊のきいたシャツの制服をきちんと着込んでいるのが嫌な意味で対比になっている。

もしかしてここは自分の部屋ではないのかと周囲を見渡すが、どう見てもいつものオンボロ寮の私室である。
夢の可能性もあるかと手の甲を軽く抓ってみるが相応の痛みが忠実に返ってくる。え?どういうこと?


「あの・・・・先輩が何故ここに・・いやそもそも鍵とか・・・・」


私の疑問に対し長い指が銀色の鍵を掲げてみせてさっと血の気が引く。合鍵!?いつの間に!!?


「な、何で持ってるんですか!!?いや持ってて使いますか普通!!?私にも、プライベートとか人権とか、あるんですよ!!?」

「連絡手段がなかったもので仕方がなく。鍵は以前この寮をアズールとの契約に使用した際に作らせて頂きました。ええ、まさか貴女がアズールに勝つとは微塵も思わなくて。」


堂々とした不法侵入を謝罪どころかを全く悪びれる様子もないことにがっくりとうなだれた、と見せかけて跳ね起きて鍵を奪取する。
意外にもあっさりと返してもらえてほっと一息。こんなオンボロな建物でも自分にとっては素の自分で居られる唯一の安息の地である。悲しいことにね!


「あ、あれは私が、じゃなくて皆が助けてくれたからで大したことは・・・」

「ですが貴女がいなければ間違いなくなかった勝利です。その点に関して僕達は監督生さんを評価しているんですよ。」

「・・・・・・いや一瞬喜びかけましたがこれ評価してる人間に対する仕打ちじゃないですよね?」


嘘じゃなくて本心として。僕達、というのは片割れであるフロイド先輩も含まれるのか。
でもあの偶然という偶然を重ねあらゆるツテに他力本願しまくった作戦を自分の功績だと思っていいのか、とても複雑だ。


「そのアズールから貴女への伝言ですが『昼食を抜いてください』とのことです。」

「えっこわ・・・何でですか・・・」

「放課後フロイドが回収に行きますのできちんと守ってくださいね。では。」

「会話の!!キャッチボール!!!!」


顔面デッドボールにも等しい一方的な命令を投げつけてジェイド先輩は去っていった。
起き抜けに遭遇した暴風雨のようなやりとりにしばらく放心してから盛大なため息をつく。幸せも裸足で逃げ出す勢いだ。


(・・・・・・相手がどんな美少年だろうが可愛い幼馴染と家族以外のモーニングコールって普通にホラーイベントなんだな・・・)


また一つ全く人生に役立たない知見が増えてしまった。

ちっとも嬉しくない肝が冷えるだけのサプライズイベントで忘れていたが、もうすっかり時計の針は支度の時間を指している。
そういえばさっきから妙に大人しい黒い相棒を見ると、まだぷうぷうと寝息を立てていて一匹だけ平和な世界にいた。怒りを抑えて爪先で軽く小突く。


(いやそもそも置き手紙でよかったのでは・・・・?)


そんな小学生にもできそうな指摘がやっと頭に浮かんだのは制服に着替え終わって寮を出てすぐだった。


































「お前、あのモストロ・ラウンジでバイト始めたってマジ?」

「うん、そうだよ・・・・・」


本日最後の授業が終わったばかりの教室で、机に突っ伏しながら答えた。

頬杖をついて哀れみの目を送るのは焚火のような赤毛に目元にはハートの化粧を入れた美少年、友人と悪友の境にいるエース・トラッポラ。
可哀想に、と続く言葉は哀れみに満ちていながら林檎色の瞳は隠しようもないからかいの光が宿っている。


「それにしても、どうして急に?」


隣にいる黒髪の少年は真面目が服を着て歩いているような絵にかいた優等生、に見えるが元ヤンという面白い経歴のこれまた美少年。
目許にスペードの化粧を施した夏の湖面色の瞳を持つデュース・スペードは純粋な疑問符を顔に浮かべている。

こっちに来てから一番といってもいい友人達の問いかけに言葉が詰まる。
実は君たちの目の前にいる友達は女の子でその弱み握られて働かされてますって素直に言ったらどんな顔をするだろうか。
───本当は、もしもこの秘密を誰かに明かす時が来るのなら二人以外にはありえないと思ってたのに。


『陸の人間はいつでも発情できるのでしょう?この男子校でたった一人の女生徒ともなれば、あのオンボロ寮に毎晩男の行列ができますよ。』


すっとジェイド先輩の凍土のような声とナイフよりも鋭利な言葉が冷たく脳を撫でる。
横目でこの異世界で一番の友人達の顔を伺い、自分にはない首の喉仏を見て「ああ男の子なんだなぁ」と今更な感想を抱いた。


「遊ぶ金欲しさかな。」

「ブハッなんだそれ雑な犯行動機かよ!」

「いやマジで衣食住は学園長が最低限保証してくれてるけど自由に使えるお金はないからね。学園長にも稼いだお金は自由にしていいって許可はとったよ。」


学園での衣食住に関する対価は今まで通り、学園長のおつかい(というには毎回ヘビーな問題投げつけてくるけど)や先生の授業のお手伝いでいい。
「私、優しいので」と恩着せまがしく何度も連呼されたが実際そうだと思う。だからちょいちょい不安に感じることがあっても憎めない。


「でもまずあのオンボロ寮の鍵を変えるところからだわ・・・今朝ジェイド先輩に起こされて心臓止まるかと思った。」

「ゲッ!!何でそんなことされてんの!!?普通に不法侵入だろ・・・」

「誰かさん達を助ける為にオンボロ寮を担保に入れた時に合鍵作られてるんだよこっちは。」


心底苦々しい声で返すとさっと高速で目を逸らす心当たりのある友人達ともう一匹。
鍵はすぐに取り返して一度は安心したけど、よくよく考えると他にも合鍵を作られてる可能性が高いので意味はない、気がするのは本当に怖い。


(その時にお昼ご飯は食べちゃダメって言われてその通りにしたけどどういう意味なんだろう)


突然の謎要求にも素直に従ってしまう自分が恨めしい。素直な性格、ではなく単純に逆らった後が怖いだけだ。
授業中から密かにぐうぐう鳴っていたお腹がいよいよ音量を上げようとしている。フロイド先輩が回収に来るという言葉も憂鬱だ。
逃亡の言葉が脳裏を過ぎるがイメージの中でも自分が逃げ切れる姿が想像できなかったので却下。うう、力が欲しい。


「まぁそれはともかく、バイト代が貯まったら外出許可とってみんなの地元にも遊びに行きたいな。薔薇の王国、だっけ?エース達の国を案内してよ。」

「うん、そうだな。攻め甲斐のある峠とか教えてやるよ。」

「いやそこはフツーにおいしいメシ屋とかでいいだろそこは・・・あーあ元ヤンは嫌だねぇ。」


薔薇の王国、熱砂の国、珊瑚の海、茨の谷、他にもたくさんの耳慣れない地名達。
異世界にあるこの国々はどんな場所なのだろう。友達の生まれ故郷を知りたいという単純な興味もある。


「オレなんか何見ても初めてだからきっと楽しいよ。」


慎重に選んだ私の言葉に二人は顔を見合わせて沈黙。
グリムの青い炎のような目は「だからやめとけって言ったろ」と私を責めていた。ええその通りのようですよ。


「え?なに急に一人称オレとかに変えてんの?キモッ普段は『私』とか言ってんじゃん。うわキモッ。」

「キモッて・・・・エースがいつもカマっぽいとか言うから。」


今まではどうせ魔法があるからバレない、バレても二人になら問題ないだろの精神できたけど、もうそんな能天気な事は言っていられない。
私の性別がバレることは誰であろうと避けなければならないのだ。例え一番信用している相手だとしても。


「別にお前が変なのは今更なんだから気にすんなよ。いきなりイメチェンされてもこっちが調子狂うわ。」

「そうだぞ、監督生。僕達はマブなんだから気にするな。」

「マブってお前な・・・言ってて恥ずかしくなんねーの?」

「な!?べ、別にいいだろ何度も一緒にピンチを乗り越えた仲なんだから。」


エースとデュースがいつも通りにしょうもない言い合いを始めるのを見て自然と口元が緩んでしまう。

ああやっぱりいい奴らだ。
決して純粋な善人ではなく、正直言ってエースは第一印象は悪いしデュースからはけっこう被害を被ってるけど、でも互いに文句を言いながらも今までの危機を3人と1匹で乗り越えてきた。

それだけに自分の立場が後ろめたい。こんなに信頼しているのに───秘密を明かすことはできないのだ。


「はぁ・・・・エースとデュースが女の子だったらよかったのに。」

「は?お前もしかしてマジでそっち路線なの?オレはフツーに女の子好きだからデュース頼むわ。」

「な、ぼ、僕だってゴメンだ。悪いな、監督生。」

「冗談だよ!!!!!思った以上のマジレスどうもありがとう。」


本当は冗談じゃなくて本心なんだけれど。

いやそもそもで言えばこの学校が共学だったらよかったのに、と由緒あるありがたーい名門学校に内心でケチをつけた。
本物の魔法学校で寮生活なんてハリー・ポッターを読んだ・観たことがある人間なら一度は憧れるに決まってる。


(確かにハリー・ポッターの世界に憧れはするけどハリー・ポッターになりたいだなんて一言も言ってないんだよな・・・)


私達3人と1匹、自覚するのも癪だがこの学園を揺るがすような大きなトラブルには毎回出席している。
そろそろもう何事もなく学園生活をエンジョイできる───と思いたい。本当に。切実に。


「ま、何かあったら相談してくれ。マブ、いや友達だからな。」

「デュース・・・お前最高の男だよ。」

「そういえばオトモダチ価格でモストロ・ラウンジのメニュー安くなんねーの?あそこ料理は美味いんだよな~。な?友達だろ?」

「三秒前の感動が台無しだよエース。そもそも私にそんな権限あると思ってんの?無理無理。」


さっきまで感じた感動と申し訳なさを返してくれ、とジト目で友人の顔を眺めているとふと自分の体に影が掛かった。
エースとデュースがぎょっとした顔で身を引き、何だろうと見上げると見覚えのあるあの顔があって意識が飛びかけた、のを何とか堪える。


「アハッどうも~小エビちゃん回収に来たよ。」

「コンニチワ・・・・・・・」

「ちゃんとハラ空かせてきた?空いてなければ吐かす。」


一つの台詞の中に世間話のような気軽さと同等のバイオレンスさを混ぜるフロイド先輩との会話は何度経験しても心臓に悪い。
誰に聞いても美形と答える綺麗な顔、の一部である口から覗く歯は鮫のように凶悪で恐ろしい。いやこの人の正体的にはウツボだったか。


「ちゃんと言いつけ通りにしてま、おっぶ」


突然、予告もなくお世辞にも引き締まってるとは言えない自分の腹の肉を容赦なく掴まれて精神が死んだ。
「これじゃ食べてんのか分かんないね」という容赦のない追い打ちの言葉が更に念入りに乙女心を折りに来る。私が何をしたって言うんだ。


「・・・・・分かりにくかったら・・・・申し訳ないですが・・ちゃんと抜いてます・・・」

「そぉ?ちゃんとアズールの伝言守っててえらいじゃん。いい子いい子。」


自分達に従順な獲物がお気に召したのか上機嫌で頭を撫でられる。力加減など生温いブレーキはなく、首がもげそうな勢いなので当然痛い。
もうどうにでもなってくれ、と諦めの境地に達しかけていたところを急に体が浮いて脳みそがフリーズする。
まるで畑の野菜を収穫するように羽交い絞めにされて持ち上げられている、という事実を受け入れるまでにたっぷり数十秒はかかった。


「お、下ろしてーーーー!!?」

「あ?何でオレが小エビちゃんの言う事聞かなきゃなんねぇの?」

「ヘルプ!ヘルプミー!!エース!グリム!デュース助け、」


飼い猫を持ち上げるような気安さと気軽に横暴を振るう先輩から救いの手を求めようと助けを呼ぶ、が、時すでに遅し。
あんなにも頼もしさを感じていた友人達はとっとと逃げ出していて姿かたちもなかった。
「ゴメン」と短く走り書きされたメモが窓からの穏やかな風に吹かれて床に落ちていく。


「は、薄情者・・・・・もう誰も信じられない・・・」


私の分の教科書もなくなっているのが唯一の良心の名残か。
砂の城よりも儚い友情と己の無力さで魂が抜けて脱力する私を、「可哀想だね~」と元凶からの心にもない慰めの声が下りてくる。


「じゃ、いこっか。モストロ・ラウンジ。」

「はぁ・・・って先輩まさかこのままじゃないですよね?先輩?・・・・先輩????」


結局、借りられた猫より大人しく、そのままの状態で周囲からの好奇の視線を一心に浴びながら連行される羽目になったのであった。
もっとも、鏡の間の前辺りで突然「飽きた」と言って容赦なく地面に落とされたが、もっと早く飽きてほしかった。


































「逃げずにちゃんと来て偉いですね、監督生さん。」

「逃げられるものなら逃げたかったんですけどね・・・・?」


もはや慣れつつあるモストロ・ラウンジのVIPルーム。
高級感のある革張りのソファー席で不満をぶつけると、アズール先輩の艶のある唇からくすくすと愉快そうな音が漏れた。
ちなみにフロイド先輩は私を部屋に放り込んだ後にとっととどこかへ行ってしまった。気まぐれの極致に過ぎる。

「そういえば、貴女にかかっている魔法を解読したのですが、どうやら『男子校に女生徒がいるわけがない』という思い込みからくる集団心理、催眠に近いもののようですね。
 タネを明かしてしまえば手品レベルの単純さですが、強固かつ限定的な場所に嵌ると強い。ですが一度見破られると認識が一新されるので効果が無くなる。」


まるで一流大学の講義のように朗々とした声で、自他ともに認める怜悧な頭脳の持ち主の指が指揮棒のようについと動いた。


「秘密を知る人間が増えれば増えるほど効果は脆くなり、そして学園の外では効果が薄い。機会は少ないでしょうが、外出する際は気を付けなさい。」

「へえ・・・・そうなんですか・・・。」

「そうなんですかって、その魔法は監督生さんにとって生命線でしょう。そんな理屈の分かっていないものに命を預けていたんですか?まったく・・・」


深窓の令嬢のように美しい顔に呆れの色を浮かべ、ため息交じりに出来の悪い生徒を咎める。全くもってその通りだ。


「僕にも使えないものかと調べてみましたが、効果が限定的過ぎて有用性は低いですね。応用できるなら使い道は色々とありそうなのに・・・残念です。」

「それは・・・・よかったですね・・・?」


先輩がその魔法まで使えるようになったら色々と末恐ろしいから使えなくてよかったです、という言葉は飲み込んでおく。
が、本音を削減したにも拘わらず私の同意にアズール先輩は美しい眉を顰め、形の良い唇がむっと尖った。


「どこがですか。その為に方々から文献を取り寄せて調べたというのに、とんだ無駄足です。」

「えっタコだけにですか?」

「・・・・・絞めるのはなにもあの二人だけの特権じゃないんですよ?」

「生意気言ってすみませんでした。以後気を付けますのでどうか許してください。」


そういえば執務机の端に分厚くていかにも難しそうな本が高く積まれているのはその関係だろうか。
いかにも挿絵がなさそうな辞書レベルの書物を数日で読み込んで、他人の魔法の理論を解読するってもしかして凄く大変な事なのでは・・・?
ページの端から猫の舌のように覗く付箋の群れが並々ならぬ労力を物語る。


「はい難しい話はそこまでー。」

「お待たせしました、監督生さん。ちゃんと朝の言いつけを守って偉いですね。」


いつもの格好良い寮服に着替えた双子がドアを開けて部屋に入ってくる。
そして両手に持った料理を手際よく目の前のテーブルに並べていった。

色とりどりの野菜と蒸した鶏肉が飾られたサラダに、飴色に焼けた肉と添えられた香草の匂いが鼻をくすぐる名前の分からない肉料理。
赤と白の大きな身が鮮やかな海老のパスタ、デザートにはチョコレートソースが幾重にも花を描いた上に鎮座する大粒のイチゴのケーキ。

自分が空腹であることを差し引いても目の眩むようなご馳走の山だった。


「さぁどうぞ、監督生さん。貴女の為に用意しました。召し上がって下さい。」

「・・・・・・・・・・た、対価は?」


料理を目の前にしていよいよテンションが上がってきた腹の音を押さえながら警戒心たっぷりに問いかける。
私の言葉に満足したように商人は細い顎が引き、艶のある唇が悪い曲線を描いた。


「話が早い人は好きですよ。」


ずいと差し出された教科書みたいな分厚さの紙の束にやっぱりかと内心で溜息をつく。
パラパラとめくれば、それぞれの料理の見た目や味や食感などのチェック項目がびっしりと羅列されていて眩暈がした。なんだこれ。


「なんとなく察したんですけどこれは?」

「ナイトレイブンカレッジは年に数回、イベント等で外部のお客様を招きます。当店としても更なる売り上げ躍進のために女性客の声を聞きたくて。
 ああもちろん、相応の対価はお支払いしますよ。試験対策でも気に入らないクラスメイトの弱みでも気になるあの人の私生活でも、何でもどうぞ。」

「しれっと他人のプライベートを侵害するような発言はともかく、女子力ならポムフィオーレ寮の人の方が高いでしょうに。」


このチェックリスト、めくってもめくっても上から下までびっしりと所感を書くスペースとチェック項目があるんだけど、まさかこれをずっと?最後まで?


「確かに貴女よりもポムフィオーレ寮の方々の方が適任ですが、せっかく本物の女性がいるのだから使わない手はありません。」

「むっ・・・・・・」


自分から言っておきながら返ってきた正確な分析と腹の立つ肯定には素直にむっとする。でも否定はできない。
突き付けられたとんでもない重労働を後腐れなく断る理由を探して天を仰ぎ、はたと気付いた。


「このチェックリスト、アズール先輩が作ったんですか?」

「ええ、もちろんです。それが何か?」

「この量を・・・・・」


どんなに複雑で難しいパズルでも、解く側と製作する側のどちらがより大変かなんて考えるまでもない。

改めて学園内で生徒が自主的に営業を許された唯一の店、モストロ・ラウンジのオーナーであるアズール先輩をじっと見つめる。
経営者とその補佐を務める双子には黒い噂は絶えない、けれどそれを抜きにしても学園内での店の評判はすこぶる高く足繁く通う生徒も多い。


(なぜか、なんて簡単だ。アズール先輩が頑張ってるからだ。)


天才ではなく秀才。
ペテン師、詐欺師、腹黒商人、なんて散々な言われようだがそれでもその努力だけは真摯で、本物だ。
翻って、自分がここまでの労力を費やして何かを成し遂げたことがあるか?こんなに情熱を燃やして何かを努力をしたことがあるか?───いや、ない。

大きく息を吸い込んで目を閉じ、瞼の裏の宇宙を感じて数秒。よし、覚悟は決まった。


「いいですよ、やります。けれど対価は要りません。ああ、安心して下さい真面目にはやります。」

「?・・・どういうことですか?この僕に貸しを作りたい・・・そういうことですか?」

「いや貸しも要らないので安心してください。タダでやります。」


よし、と気合を入れてチェックリストをもう一度読み直し、評価すべき・気を付けるべき項目によく目を通す。
こういうモニターみたいな真似は初めてだけれど、うん、ちゃんと貢献できるように頑張ろう。

用意された清潔なお手拭きに手を出そうとする、がその前にアズール先輩の白い指が持って行ってしまった。美しい顔には珍しい動揺が浮かんでいる。


「な、何を言ってるんですか貴女は・・先に対価を提示してください。何が目的ですか?」

「だから要らないって・・・・言っても不安なんですね、分かりました。」


普段は余裕さをたっぷり湛えた才人が、目の前の凡人の考えを本気で理解できないという顔で睨むのが少しだけ気分が良い。
成績優秀で心理戦にも長けている頭脳でも分からないことがあって、その原因が私なのだ。ちょっとだけ出し抜いてやった気持ちになる。


「アズール先輩ってすぐ弱みに付け込むし、がめついし・・・正直言って良い人ではないと思うんですけど・・でも先輩のこういう真面目な努力家なとこって推してるんですよね。」

「推し・・・・?」

「うーんと、色々な使い方があると思いますけどこの場合は『真面目な努力家なとこは好きで尊敬してるから応援したい』ですよ。」

「は・・・・・・・・・・・?」


相手の白い喉が言葉を嚥下したが意味を理解できず、そしてお手本のような信じられないという表情を作った。
ぽかん、と銀色の目と口で綺麗な三つの真円を描くのが面白くて少し笑ってしまう。

そんな私達のやり取りをジェイド先輩とフロイド先輩は興味深そうに口の端を吊り上げて眺めている。すごく悪役顔だな・・・・。


「・・・僕をおだてて対価を吊り上げようったってそう簡単には、」

「そのつもりなら前半でけなしたりしませんて・・・・素直な気持ちですよ。ほら、お手拭き返してください。」


硬直したアズール先輩の手からフロイド先輩がお手拭きを取り上げて私に渡してくれる。


「小エビちゃんやっぱ良いねぇ。ウンウンわかるよぉオレらもアズールのそういうとこが好き~。」

「ええ、アズールと組んでいると飽きません。子供の頃からずっと、ね。」


アズール先輩の理解者にして手足ともいうべき双子が上機嫌で肯定する。
そこでやっとこの二人に対して共感が生まれた。ああ、この人達って私と似てるんだ。


「まぁ、私もグリムに対して同じような気持ちなので・・少しわかるというか。」

「と言いますと?」

「グリムって人間じゃないしあんなだから、凄い魔法士になんてなれっこないってみんな言うし思ってるのに、メゲなくて本気でなるつもりなところが好きなんです。」


いつも私の肩に乗っている黒い相方のことを思う。
まぁ、正直言って憎たらしいことも多々あるしもう付き合ってられないと思ったことは一度や二度ではすまない。
こいつさえいなければもっとまともで穏やかな学園生活が送れたんだろうなとは常々考える───でも。


「私ならあんなに否定されたら無理かなって諦めちゃうんですけど、でもグリムはちっとも諦めてないんです。そういうところをすごく推してるんですよね。」


二人一組じゃないと学園には置いてもらえないから仕方がない、なんて建前の底にはグリムに対する尊敬と好意がある。
だからもし元の世界に戻れる時が来たとしても───卒業までならまぁ付き合ってやってもいいなんて、思ってしまうのだ。



「───ええ、とてもよく分かります。」
「だから対価は要りませんし貸しにつけなくてもいいです。けど真面目にやります。・・・ってアズール先輩、聞いてますか?」


アズール先輩がわなわなと細い肩を震わせて俯いていて、その表情は伺い知れない。
もしかして失礼だっただろうか、素直に適当な対価でも要求しておけばよかったと後悔し始めた頃にフロイド先輩がニヤニヤ笑いながら言った。


「大丈夫だよ、アズールってこういうストレートな誉め言葉に弱いんだよね。」

「普段は面と向かって誰かに褒められることなどまずないですからね。照れているのでしょう。」

「へえ・・・・そうなんですか・・先輩ってすごく優秀だから誉められ慣れてるかと思った・・」


本人を目の前にした堂々とした人物評価に割り居るように勢いよくボールペンを突き出される。
表情はすっかりいつもの余裕を取り戻していたが、少しだけ上気した頬だけはどうも隠せなかったらしい。
いつもは余裕綽々で厭味ったらしいアズール先輩の照れた姿はちょっとだけ可愛いと、思ったがさすがに本気で怒られそうなので黙っておく。


「そこまで仰るのなら存分に働いてもらいますよ、僕のために!覚悟してくださいね?」

「ふっ・・・・任せてください。私もなけなしの女子力ってやつを見せつけてやりますよ。」


よく磨かれた銀のフォークを剣に、目の前の料理に果敢に挑む。
初の試食会とその評論は夜まで続きそれはもう疲れたが───「またお願いします」と少しぶっきらぼうに告げられた言葉には笑顔で同意したのだった。








































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あとがき。
私はもちろん皆さんオクタヴィネル寮のハイパー強い顔面がお好きだと思うのですが、
アズールが超努力家なとこ推してるしそんな友人を推してる双子を推してますよねっていう気持ちで書きました。


2020年 5月16日執筆 八坂潤
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