放課後、授業が終わった学校の廊下を歩く。
今日はバイトもないしエースもデュースも部活で居ない。グリムは昼寝をするらしい。
せっかく校内に植物園があるのだから私もたまには日常を忘れて、草花を愛でて心穏やかに過ごすのも悪くないかもしれない。

自分の行動が決まりかかった頃に、よく磨かれた見覚えのある革靴が視界の端に現れる。
ついで視線を上げると糊のきいたシャツに塵一つ付いていない制服を着たアズール先輩がにっこりと微笑んでいた。
新雪のような銀の髪に、眼鏡の奥には氷河を削り出したような薄氷色の瞳、それらが完璧に嵌る気品のある顔はいつ見ても表面上だけは誰もが納得する優等生だ。そう、表面上だけはね。


「こんにちは、アズール先輩。授業終わりですか?」

「ええ。さきほど魔法史の授業が終わったばかりで・・監督生さんもですか?」

「はい、今日はもう予定もないのでたまには植物園でゆっくりしようかと、」


自然な会話の流れで私の予定を喋った途端、眼鏡越しの氷雪の目が一瞬鋭く光ったような気がした。
そして人気舞台役者のように胸元に手を当てて大げさに嘆いて見せる。


「それはちょうどよかった!実は僕とても悩んでおりまして・・・監督生さん、どうか僕の相談にのっていただけませんか?」

「えっ?アズール先輩が?私に?」


いつもとは真逆の意表を突いた言葉に間抜けな声が出る。
眉目秀麗、運動と飛行術は苦手らしいがそれと性格以外は付け入る余地のない優秀な人が一体何を私に相談するっていうんだ。
そもそもこの人は他人からの相談を受ける怪しい商売をする側で、魔法も使えないぱっとした特技もない自分の何を頼るというのだろう。


「たぶん無理なので他当たってください。」


素直に本音を即答した私を一体誰が責められようか。
安易に引き受ければ最後、天使のような笑顔と唇で内臓を売れと言い出しても私的には全く不思議ではない。
むしろ「あっそっかー私って何にもないけど内臓なら持ってるもんねー」と納得してしまうくらいだ。売るかどうかは全く別問題として。


「そんな!いつも助け合う仲じゃないですか僕たちは!」

「助け・・・合う・・・・?」


そんな感動的なシーンなんて記憶の箱をひっくり返しても全く身に覚えがないですけれど。

いつもとは逆の展開に警戒心のゲージがもりもり上がっていく。
本能の自分は大仰に悲しんでみせるこの詐欺師を置いて今すぐ逃げろと言ってくるが、それを遠慮なく実行する勇気はない。
そもそもそれができる神経の太さなら問題に巻き込まれて毎回ヒィヒィ泣いている事態にはそもそもなっていないと思うのだ、が、ここは負けるな、頑張れ自分。


「えっと、急にお腹痛くなったので失礼します。」

「お腹が痛い?それは大変です。店で休んでいった方がいいでしょう僕の調合した薬もありますよ。」

「ウウッ・・・・逃げられない・・・」


具合の悪い後輩を心配する優しい先輩という完璧な演技をこなしながら、がっつり肩を掴まれてモストロ・ラウンジまで半ば強制的に連れていかれる。

その間「内臓ってやっぱりこの世界でも需要あるのかなぁ」などと考えて怖くなっていると、店の椅子に座らされて頼んでいもいないドリンクまで出てきた。
オレンジの爽やかな香りが鼻をくすぐり、華奢なグラスの中で氷がカランと軽やかな音を奏でる。ちなみに一向に薬は出る気配はないので仮病はバレているらしい。

向かいの席に座ったアズール先輩は黒い皮手袋に包んだ長い指を組んで優雅に微笑む。
ともすると柔和な顔立ちはこれから目の前の獲物をどうしてやろうかと思案する悪女にも思えた。ウワ自分で言ってて肝が冷える。


「まぁまぁ、話だけでも聞いてください。」

「既に話を聞くだけで絶対にすまないと思うんですけど・・・」


あの守銭奴の先輩にウェルカムドリンクまで提供させたのだ、よっぽどの内容なのだろう。
でも逆に言えばこの優秀な問題児を悩ませるその中身に単純に興味が湧いてきた。わざわざ私を指名したその理由にも。


「今度、モストロ・ラウンジで仕入れる食材を贔屓してくれている取引先でパーティがあるんです。」

「取引先って普通の学生が付き合う相手じゃないですよ。」


まぁこの人は実際にこのカフェを経営しているオーナーでもあるのでそういう付き合いはもちろんあるだろうが。

ところで今の話の流れに全く関係はないけれど。
学校で一番頭が良いのは誰かといえば、真っ先に浮かぶのは首席のリドル先輩とそれを争うアズール先輩だ。
思うに、学業は前者が勝っていても後者の方が儲けの才能が強いと思う。両者ともずば抜けて頭が良いという事実は変わらないが。

昨日の魔法解析学の小テストでもヒィヒィ言ってる愚民からすれば雲の上の話だ。いや別に羨まくなんてないですよ?嘘です羨ましいです。


「僕は優等生であり有能な経営者でもありますからね。この手の付き合いは避けられないんです。」

「なんか漫画みたいな話ですね・・異世界っていう時点で今更ですけど。」

「あなたにとって漫画みたいな話でも僕にとっては現実ですよ。───で、パーティは一週間後にあるので僕達は3人とも出席します。」


ははあなるほど、読めてきた。その間のモストロ・ラウンジのシフトのについての相談事か。

なーーんだ変に身構えて損した!誰かが欠けるだけならまだしも、トップの3人揃って抜けるとなると当日は休業の可能性もある。
もし予定が急に空くのならエースとデュースと遊びたいし、もしくはジャックを拝み倒して今度こそあの毛並みをもふもふさせてほしい。
あの硬派なオオカミ少年はもちろんガードもお堅いので、未だに耳と尻尾を触らせてもらえていないのだ。


「そのパーティにあなたも出席してくれませんか?」

「・・・・・・・・・・・・・・へっ?」


アズール先輩の予想の斜め上を行くお願いにびしりと固まる。
脳が理解を拒絶して忘れようとするところをひっぱたいて再起動。え?いや?んんん?なんだって?


「監督生さんはご存じないでしょうが、ああいう場では女性も同伴していた方が好感触なんですよ。
 けれど残念ながらここは男子校で僕達はまだ陸に上がって一年と少し。知り合いで頼れる女性はあなたしかいないんです。」

「り、理由は分かったんですけど私目立つの苦手だし・・・あ!そうそう、ドレス持ってないしマナーもよく分からないので、私には無理かと・・・・
 いやーーーー残念だなぁ尊敬すべき先輩のお力になれないなんて!」

「ああ、ドレスとメイクはこちらで手配するのでご安心を。マナーには期待していないので立っているだけでいいです、それならあなたでもできるでしょう。他に問題は?」

「わぁ~~福利厚生が手厚いですね~~~最初のメンタル面はスルーされましたけど。」


さすが秀才というべきか、私がぱっと思い浮かんだ断り文句程度など予め潰してあるらしい。
勝利を確信する白皙の美貌には「他に言い訳があるなら言ってみろ」と油性マジックで大きく書いてあるようだ。更に考える、考えろ。


(私みたいな凡人が華やかなパーティなんか行くのはもちろん嫌なんだけど・・・そもそもこの顔面偏差値ぶっ壊れ3人と並んで歩くのが絶対にいやだ・・・!!)


私にも女のプライドというものは一応ある、露骨に顔面偏差値の違う男を連れて変な関心を集めたくない。

それなら美に対する執着が並々ではないポムフィオーレ寮の誰かに性転換薬でも飲んで女性になってもらった方が現実的ではないだろうか。
元の世界の人が聞いたら鼻で笑いそうな反則技だけど、ここには魔法が実在するワンダーランドなので。


「対価は・・そうですね、今度の1年の試験対策ノートでいかかでしょう。」

「うぬ・・・・・・・いやでもダメです、この前クルーウェル先生に『真面目でえらい』って褒められたばっかなので・・・・!」

「それ、逆に言えば他に褒めるところがないというありきたりな誉め言葉では?」

「グッ───今ので余計に受けたくないというかもう絶対に受けません今決めました。」

「そんな!あの真面目でえらい監督生さんが困ってる人を見捨てるんですか?」


こ、この男、許されるのならはっ倒してやりたい。
しかし闘志は報復が怖すぎるのですぐに萎え、自由な想像の世界ですら委縮して何もできなかった。あまりにも心が弱すぎる。

とりあえず断るとしても出されたオレンジジュースはしっかり飲んで(美味しかった)、立ち上がろうとすると更に追撃がかかる。


「本当に困っているのに引き受けて下さらないんですか?ああ、なんて慈悲のない方でしょう!」

「うう・・・うううううう、」


アズール先輩の眼鏡の奥の麗しい緑柱石の瞳の端には光る雫、が見えた気がする。
泣き落としなんてありきたりな手だと分かっているけれど、そもそも絶対に嘘泣きだろうけど、でも普段強気な先輩にされると少し罪悪感。

それこそが相手の思うつぼだと分かっているのに強く振り切れない自分にもどかしさを感じる。


「だ、だって先輩方ならむしろ金払ってでも一緒に行きたい女の人なんてたくさんいますよ!?他当たってくれません!?」

「フロイドがアダ名を付けるくらい認識している女性は監督生さんくらいなので・・他の方だと名前すら覚えられず存在を忘れてしまうんですよね。」

「えっ!?」


自分だけは特別!なーんて甘くて都合の良い響きに喜ばない人類はそういないだろう。例に漏れず私もそうだ。
舞い上がって「ハイ喜んで!」と即答しそうになるのをすんでのところで思いとどまって深呼吸。冷静になれ、そもそものハードルがかなり低いと、気付け!


「ええと、その、説得は嬉しいんですけど私やっぱり・・・」


今度こそ思いとどまるものかと心を鬼にして立ち上がろうと、した私を左右からステレオ再生で責め立てる聞き慣れたあの声。


「あーーーーあ、アズール泣いちゃった、かわいそ~。」

「ええ、大事な友人が泣き崩れていると僕達まで悲しくなります・・ああ、なんて可哀想なアズール・・・・」

「ううううううう・・・・・!!」


いつの間にか背後にいたジェイド先輩とフロイド先輩から更に罪悪感を刺激されようとも負けてはいられない。
が、双子の手がやんわりと私の両肩に置かれている。そう、置かれているだけで押さえつけられてはいない。

───押さえつけられてはいないけれどこの咬魚の束縛を凡人が振り払うことなどできようか、いや、できない。


「わ・・分かりました・・・やり、ます、やりますが、期待しないで下さいね!?」


もう何度目だろうかこの白旗宣言。
最近ではもう無駄な抵抗をするなと頭の中で偉そうなおじいちゃんが悟りを促してくるが、でもこの抵抗はしたという事実は大切にしていきたい。


「ありがとうございます!ああ、無償で僕のお願いを聞いてくださるなんて、なんて慈悲深いんでしょう!」

「えっ無償?いや、やるならちゃんとノートが欲しいんですけど、」

「さすが真面目でえらい監督生さんです!ええ、このご恩は忘れませんとも!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」


しまったこの流れはタダ働きだ。
けれど試験の不正行為ギリギリライン(と私は考える)を「真面目でえらい監督生さん」という手前、それ以上追い縋ることもできない。

やっぱりこうなるなら最初から素直に受けておけばよかったと苦い顔をする私とは対照的にアズール先輩が春の陽気のようなにこやかな笑顔を浮かべる。
さっきまでのしおらしい態度はなりを潜め、それどころか涙を流した形跡すらないので───うん、やっぱり心を強く持つべきだった。


「では、諸々の準備はこちらがするので監督生さんのスリーサイズ身長クツのサイズを教えて下さい。」

「ゲッ!!!!?それ女にとっちゃ国家機密なんですど!!!!?」

「大丈夫です、個人的な興味は一切ありませんので。分からないのなら今この場で計ってください。」


どこからか取り出したメジャーを威嚇するようにビッと広げられてヒッと小さな悲鳴が上がった。
ただの布製の計測道具が今の私には絞首台の縄のように見える。


「あ、いや、私もね、ほら、さすがに女子なんであんまりそういう個人情報知られたくないっていうか、」

「でも分からなければ何も用意できないでしょう。ああ、守秘義務はちゃんと守りますよ?よくご存じでしょう?」

「・・・・・・・・・・・あは、はは・・・・。」


もうだめだ、この悪徳三人組にどう逆らっても私ごときでは到底勝てない。

海よりも深い溜息をついて観念してその場で色々と計ってから血を吐く思いで紙を提出する。
親友にだって打ち明けにくい機密情報を書いた紙を見ても3人が何も言わなかったのは幸いだ。何かコメントしようものなら刺し違えてでも大暴れしていたところだけどね!


「もうお嫁に行けない・・・」

「じゃあ海に来れば~?尾びれの分だけ身長のびるし。」

「・・・・・・それ尾びれの分も体重増えるじゃないですか。」


フロイド先輩の人魚式ジョーク(慰め?)もそこそこに、当日は謎の奇病で欠席することを切に願った。




























後日。パーティという死刑決行予定日。

一応の抵抗として、オンボロ寮のクローゼットの中に隠れてみたのだが、呆気なくフロイド先輩に引き摺り出されて店の前にいる。
水底に指す柔らかい光を受けた先輩の横顔は格好良くて、やっぱり華やかな社交場で隣に並ぶのは憂鬱だと溜息が漏れた。


「そういえばフロイド先輩が私を回収に来ること多いですね。」

「どうせ逃げらんないくせに小エビちゃんって毎回律儀に逃げようとすんのおもしれーし。」


逃げるほど嫌がっているなら逃がしてあげよう、という優しさの全く感じられない言葉だった。
この期に及んでも店のドアの前で渋る私を、宥めるように大きな手が載せられて先輩の顔を改めて仰ぎ見る。

大地を彩る優しい緑というには深みが足りない暗緑色の瞳と、海底に沈みなお光を放つ財宝のような金色の瞳。
澄んだ海色の髪と同色の整った眉、端正な顔に浮かべられた笑みは無邪気でいて、その口端から覗く鮫のような人外の歯が奇妙なバランスを保っている。


「ホラホラ、パーティのごちそう食べれるんだからいーじゃん。」

「ごちそうは食べたいですけど人前に出るのイヤなんですよ・・私可愛くないし・・・」


191センチという学校内でもトップクラスの高身長が背を屈めて私の顔を覗き込む。
テレビ越しに見ることになっても違和感のない綺麗な顔が、私の平均的な顔(自己申告)をじっと眺めて真珠色の鋭い歯を見せて笑う。
たまに見せる邪悪なそれとは違い、広い海岸の砂浜でどんな砂の城を作ろうかを考える無邪気な少年の笑顔だった。


「だいじょ~ぶ、小エビちゃん。オレらが可愛くしてあげっから。」

「え・・・・、」

「ベタちゃん先輩達ほどはムリだけどね。」

「・・・・・・・・・・。」


そうですよね。元の素材が悪いですからね。いや持ち上げるつもりなら今の要らないと思うんですけど!?

複雑な気持ちを大人しく飲み込んで自分の手で店の扉を開く。
澄んだ青い海を窓越しに背負い、いつもの寮服に着替えたアズール先輩とジェイド先輩がこちらを振り向いた。
薄氷色、金色、暗緑色とそれぞれの瞳の色は違えど、宝石のように美しい視線に晒されて少したじろぐ。美形の眼差しは何度浴びても心臓に悪い。


「こんにちは、監督生さん。本日はご協力頂けてとても嬉しいです。」

「こんにちは・・・えっと、先輩方は寮服なんですね。」

「ええ、学生は制服がフォーマル衣装ですから。男子校である手前、監督生さんはそうはいきませんが。」


女子用の制服の有無以前に、そもそも性別を偽って入学している身なのでそうなるだろう。
こちらとしても先輩方のマフィア───いや失礼、紳士然とした完璧な着こなしを見た上で私もオクタヴィネルの寮服を着たいとは正直思わないが。


(そういえば、本当に色々任せちゃったけど大丈夫なのかな・・いやまさか手は抜かないだろうけど・・・)


今更ながらドレスアップの内容については一応は要望を出しただけで詳細は分かっていない。

どうしたものかとじっとしていると、アズール先輩がカウンターバーに乗っていた白くて大きい紙袋を渡してきた。
何かのロゴが金の箔押しで印刷されていて、こちらの洋服事情には疎いけれど(そもそも元の世界でも疎かった)どこかのブランドものかもしれない。


「ドレスはこちらで選んでおきました。着替えたらジェイドとフロイドのところへ。」

「あ、ありがとうございます・・・えっと、お代は、」

「僕達の都合ですからもちろん不要です。さあ、どうぞ。」


さらっと言ったけれどお金は不要って。ちゃんとしたドレスって買おうとするとかなりお高いのでは。
あのケチで有名なアズール先輩がここまで気前よく振舞うことに内心で慄きながら大人しく紙袋を持って控室に入る。


(こうなったら腹を括るしかないな・・・この学園に来て何回括ったんだろ。)


まずは渡された深い海を思わせる色のドレスを手に取ると、普段のペラペラの安っぽい部屋着に比べて格段に布の手触りが良くて驚く。
宝石に触れるように恭しく手に取って、ハンガーに掛けて眺めたデザインはすごく素敵で自然と感嘆の溜息が漏れた。
元々、女性的な服装に思い入れがある方ではなかったけれど、着るなと制限されて長く過ごせば、意外と自分は女の子であることに飢えていたらしい。


(本職の女である私よりも断然にセンスが良いのが我ながら情けなくなるけど、そういえば陸のファッションについては勉強したって言ってたっけ。)


実際に見てきた感想として、生活様式がそもそも違う海と陸ではファッションももちろんまるっきり違う。
なのに違和感がないどころかむしろセンスが良いと感じさせるアズール先輩の努力の賜物には素直に感服した。さすが努力家。

久々に女心が浮かれるのを自分でも楽しみながら、男子校の制服からドレスに着替えて姿見の鏡の前で一回転。
派手過ぎずに上品で清楚なデザインに自然と笑顔が漏れる。久々にとてもいい気分だ。

ああ、損するだけの取引だと思っていたけれど久しぶりに女の子らしくするのってすごく楽しい!足が無粋ないつもの革靴のままなのが残念なくらい。


「き、着替えました・・・・」


一通り堪能してから、親にテストの結果を報告する時よりもずっとドキドキしながらドアを開ける。
が、肝心のドレスを選んだという張本人の姿は残念ながら既になく、代わりに双子がにゅっと顔を覗かせた。


「わ~~~似合ってんじゃん、小エビちゃんからニシキエビちゃんくらいになったかも!」

「ええ、アズールが散々頭を悩ませていた甲斐はあったようですね、お似合いです。」

「あ、ありがとうございます・・・・」


あのマフィアのボス(ではない)が悪巧み以外の理由で、しかもそれが自分のため悩んでいたという事実が気恥ずかしい。
いやこれもパーティの成功もといモストロ・ラウンジの経営の為だっていう事は分かっているんですけどね!やっぱり女子としてはね!?

好意と勘違いしてみっともなく舞い上がらないように目を閉じて気持ちを落ち着けていると、いきなり頭から布をかけられて心臓が跳ねる。
突然のことに目を白黒させながら頭が出口を探して抜けて、開けた視界にはジェイド先輩が長い指で黒い飾り箱を掲げていた。
手招きされて寄ってみると、箱の中にはブラシやらリップやらのメイク道具が整然と並んでいる。ん?つまり?


「ちょ、ちょっとまってジェイド先輩メイクするんですか?というか、できるんですか!?」

「ええ、簡単なものしかできませんがポムフィオーレ寮の方に教えてもらいました。それに式典のアズールとフロイドのメイクもしているので多少は慣れていますよ。」

「・・・・・えっ待って待って待って待って待って豪華すぎない?これ金とれますよ?」


見た目は(強調)最高に顔の整った男三人がドレスアップしてくれる企画、どう考えてもド素人で貧乏人で残念フェイスの私が受けて良いレベルの企画じゃないのでは?
これを売り出せば世の女性が茶色くて分厚い札束を叩きつけてでも受けたがると思う。いやこの場合はマドル札か。


「そうですね・・・僕とアズールならまだしも、フロイドが難しいでしょうね。」

「ああ・・・・・確かに。」

「ねーーえーーー?ナ二話してんの?小エビちゃんもボーッとしてないで早くここに座ってくんね?」

「あ、はい、」


いつの間にか控室の足の長い椅子に座っていたフロイド先輩の焦れた声に急かされて隣に座る。
慌てて座ったけれど一体何をされるのだろう、と身を固くしていると大きな手が予告なく自分の髪に触って呼吸が止まった。
しかし乱暴に引っ張られる訳でもなく鼻歌交じりで木の櫛で丁寧に髪を梳いていく。油断すると攻撃されそうで、正直いって落ち着かない。


「テキトーに髪の毛いじるからジッとしてねぇ。」

「その間、僕が顔を触るので大人しくしててくださいね。」

「・・・・・・・・・うっす。」


なんかすごいことになってきてしまった。
もはや顔の良い男にドレスアップしてもらえるという嬉しさよりも気恥ずかしさが圧倒的に勝っている。うう、逃げたい。

正面のジェイド先輩が長い指で私の頬に触れて、なぞって、金と暗緑色の瞳でじっと見つめてくる。
長い睫毛に縁取られた目に映る表情は分かりやすく引き攣って怯えていて、捕食者の形の良い唇が柔らかい弧を描いた。


「───そんなに怖がらないで。じっとして、目を閉じて。」


幼子を寝かしつけるように優しい声で、いつものユニーク魔法を使う時とは真逆の言葉を囁く。
言われるがまま大人しく目を閉じて、長い指が自分の顔を触るのをされるがままに任せる───これでたぶん一生分のイケメン運(いま命名した)を使い果たしただろう。




どれくらいそうしていただろうか、緊張と喜びを通り越した恐れ多さで体調が悪くなり始めた頃にやっと「いいですよ」と許可が下りて目を開ける。

正面のジェイド先輩の端正な顔が私を見て、軽く顎に手を当てて左右に小さく傾けて芸術家のように自分の作品を確認する。
満足いったのか、少し頷いて傍に置いてあった銀色の貝の装飾が施された手鏡を捧げ持って渡してくれる。

小さく切り取られた丸い世界の中には、目を閉じる前よりもずっと綺麗になった自分の顔があった。
信じられなくてそっと指先で自分の頬をなぞって、やっと息をつく。女優やアイドルほど可愛いだなんてさすがに思わない、けれど確実に可愛くなっている。


「す、すごい・・・・天才か・・・・?」

「その第一声は監督生さんらしい、というのはともかく満足頂けたようで何よりです。こちらとしても弄り甲斐があって楽しめましたので。」


キラキラ空間を台無しにする自分の第一声も、ジェイド先輩の嫌味だか素直な感想だか微妙なラインの言葉も気にならない。
少し鏡を傾ければ丁寧に編み込まれた自分の髪と、それを飾る真珠の髪飾りが美しくてそちらにも驚いた。傍目にはプロの所業に見える。

気分屋の天才にもお礼を言おうと振り向くが後ろには誰もいなかった。そういえば頭の方は少し前から触られている感触はなかった気がする。


「アクセサリー類は流石にレンタル品なので傷付けないようにして下さいね。」

「も、もし何かあったら?」

「卒業までモストロ・ラウンジでタダ働きしても足りないかと。」

「こっっっっっっわ・・・・気を付けます・・・・」


いつの間にか首元に下げられた綺麗な宝石のネックレスと耳飾りにそっと触れる。ほ、本物の重み。

座っていた椅子から下りようとすると、大きな手に軽く肩を押されて戻される。
頭に疑問符を浮かべて綺麗な顔を眺めると、整った長い指先が少し待てとジェスチャーをした。

そしてジェイド先輩が部屋の外へ出るのと入れ替わるようにして同じ顔が入ってくる。傍から見ると手品みたい。
鼻歌交じりに白い箱を持って私の前まで来ると、とっておきの宝箱を自慢する少年のように蓋を開けてみせた。


「ジャーーーン!どぉ?これ小エビちゃんに似合うと思ってオレが選んだんだけど!」

「わぁ、綺麗で素敵、・・・・・・・、」


そう、素敵。素敵なんだけど、確かに素晴らしいデザインなんですけれど。

貝殻のように柔らかいベージュ色のパンプスは、特に踵部分の銀の装飾が凝っていて素直に綺麗だと思う。
けれど問題はそのヒールの細さと高さで、ずっと底のすり減った古い運動靴で過ごしてきた私が上手く履きこなせるかどうか。


「・・・・すごく好きなんですけど、このデザインは、私に、履きこなせるかどうか・・」

「気合でがんばって。」

「う・・・・・・、」


実際に履く側の要望を一切無視した無慈悲な根性論に言葉に詰まる。
どうしたもんかと考えているとジェイド先輩が何でもないようにしゃがんで、そして足首からいつもの履き古した靴を雑に引っこ抜いた。
そして私の足首をそっと捧げ持って勝手にパンプスを履かせて実に満足そうな顔を浮かべる。


「・・・・・・!?・・・????」


いや待て今何した?何された?

びっくりして硬直する私を他所に、もう片方の足首からも古い靴を脱がせて、自分の選んだ綺麗な靴に履き替えさせる。
息をするように自然に行われた王子様のような所作に喉奥で声なき声が漏れた。え!?そういう事しれっとする!!!?


「はい完成~。立ってみて。」

「ウオオオオオオ!!!!!!?????ま、まって、これ、慣れるまで!時間かかる!!」


生まれたての小鹿、なんて表現は生温く無様にガクガクと足を揺らしながらフロイド先輩の逞しい腕に必死にしがみ付く。
さっきまでのキラキラドリ~ム空間はどこへやら、そこには歩行もままならない哀れな哺乳類の必死の嘆きがあった。


「アハッ去年の陸に上がりたてのアズールを思い出してウケる。小エビちゃんももしかして海出身?」

「わ、笑っとる場合か!!?これ、こんなんじゃ、パーティなんて無理、無理でしょうが!!?どうしてコレ選んだ!!!!?」

「ンーーー、だって小エビちゃんに似合うと思ったからしょうがなくね?」

「そ、それは、しょうがない、ですね・・・・?」


素晴らしく顔の整っていらっしゃるフロイド先輩にそんな風に言われて断れる人類がいるだろうか、いや絶対にいない。

よっぽど機嫌が良いのか、その場で見捨てることもなく私の両手を引いてゆっくり後ろ向きに歩く。
まるで赤ちゃんに歩き方を教えるような動きに恥ずかしくなるが、大人しく慎重に絨毯を踏んで足を動かした。こ、怖い。


「歩く練習、まさか小エビちゃんにするとはねぇ。なつかし~。」

「・・・・・・・。」


今では想像もつかないくらいに自然に振舞っているけれど、かつてはこの人魚達もこうして歩く練習をしたのだろうか。
それは私が今感じている苦労とは比べ物にならないほど大変で、けれどそんな素振りを微塵も感じさせない彼らが改めてすごいと思う。

さりげなく調整された歩調を懸命に辿って少しずつ歩く、鏡に映った自分達は不格好ながらもまるでダンスを踊っているようだ。


「・・・・元々、おしゃれが好きっていう訳じゃないんですけど・・女の子をするのって、楽しいですね。ありがとうございます。」

「ウンウン、オレらも図工の時間みたいで楽しかったからいいよぉ。」

「図工・・・」


それは粘土なのかキャンパスなのかで反応が分かれるところだ。いや分かれないかも。まぁいいか。
片割れと同じく嫌味だか素直な感想だか微妙なラインの言葉も気にならず、大人しく手を引かれてついていく。

と、音楽のない小さなダンスホールは外からのノック音で唐突に閉店した。


「フロイド、遅いですよ。早く例の魔法を掛けますから出てきなさい。」

「はぁ~~い。」


練習で少しマシになりながらも、手を離されればたどたどしい歩みでドアの外へ出る。
ドアの外で待ち構えていたアズール先輩の緑柱石の瞳が少しだけ見開かれて、すぐにいつもの表情になる。


「ボロ雑巾も繕えばテーブルクロスくらいにはなりますね。」

「・・・そりゃどうも・・・・・」


美しい声で発せられたいつも通りの言葉に、まぁ称賛の言葉を頂くことは期待していなかったので大人しく頷く。


「では僕の前に立って。今から転倒防止の魔法を掛けてあげますから。」

「転倒防止?」

「?聞いていないのですか?どうしてもフロイドがその靴が良いと駄々をこねるものだから、歩きやすいように魔法を掛ける手筈になっていたのですが。」


いや聞いてねえよ。
じゃあさっきの歩く練習はなんだったんだと思いながら、爪先まで隙なく整った白い手が掲げる銀嶺の魔法石を見上げる。
フロイド先輩の気分屋の行動に今更突っ込んではならない。たぶん自分の選んだ靴を履かせて楽しかったのだろう、つくづく無邪気さと凶暴性が同居した不思議な人。


「肩の力を抜いて、リラックスして。防衛魔法の授業で習ったでしょう?受け入れる気持ちがないと良い効果の魔法はかかりにくくなります。」

「・・・・・習ったっけ・・・」

「・・・・対象への拒絶や警戒は最も原始的な防衛魔法の一種です。もちろん、何の準備もなくてもかかりますが基本は押さえておきなさい。」


不出来な生徒の返答に呆れながらも朗々とした声で講義を終え、何事かを呟いて私の額に軽く石を押し当てる。
体感としては何も変わらないように感じるが、恐る恐る歩いてみると普段通り問題なく歩ける。たったそれだけのことなのに素晴らしく感動的だ。

自分の魔法の出来栄えを当然のように見届けてから机の上に置いていた帽子を被り直す。
フロイド先輩はジェイド先輩にボウタイとボタンしっかり締め直されて唇を尖らせているが流石に今夜は大人しくしているらしい。


「服、どうもありがとうございます。久しぶりに女の子らしい服装ができて、それは素直に嬉しいんです。本当にありがとうございました。」


深々と頭を下げて今回のお膳立てをしてくれた3人に素直に感謝の言葉を述べる。

正直言って全く気乗りのしないスタートだったけれど、私自身が一番楽しんだかもしれない。
そう自覚してしまえば、この後の憂鬱なお仕事も頑張ろうと素直に思えるわけだ。


「───喜んで頂けたようでなによりです。」


そう返ってきたアズール先輩の声は柔らかく、再び頭を上げた時には元の秀麗な顔立ちに戻っていた。


「それにこれは、先行投資ですから。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」


先程までの良い雰囲気はどこへやら、アズール先輩の現実的な言葉にびしっと固まった。
その意味するところに口の端を引き攣らせる私に対し、深海の商人はにこやかに話を続ける。


「これからもこういう機会があればもちろん協力して頂きます。ええ、その為に一式揃えましたので。」

「先輩・・・・先輩、ほんと、私の感動返してくださいよ・・・・」


これからもこんな心臓の悪い体験をさせられるのかと嘆くべきなのか、いやいや最高の黄金体験ができるのだと喜ぶべきなのか。
どちらだろう、とふと視線を落とした先の自分の爪先を眺める。いつもの古びたお下がりの靴ではなく、新品で艶のある綺麗な自分だけの靴。

ああ、でもこれが自分のものになったのなら頑張るのも悪くないと思える程度には女の子だったらしい。


「・・・ヨッシャ!いっちょ頑張ってさしあげますわよ!!」

「・・・・あなた本当に口開かないで下さいね。あとマナーが分からないのならパーティのご馳走はお預けです。」

「えっ?嘘でしょ?・・・・・・・えっ?マジで・・・?」


途端に静かに抵抗し始めた私を、ジェイド先輩とフロイド先輩ががっつり脇から固めて連行される。
なんだかこれもすっかりいつもの光景だなと諦めつつ、けれどいつもとは違い新しい靴を傷付けないよう自分の意志で歩いたのは前向きな変化だろう。








































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あとがき。
とんでもなく素晴らしい感想絵を下さる絵師さんのリクエストで書きました。感謝の気持ち・・・
作中に入れそびれましたが、それぞれのチョイス担当は
アズール→ドレス
ジェイド→アクセサリー
フロイド→靴や小物
です


2020年 6月1日執筆 八坂潤
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