姿見の鏡に映る自分の姿は、ぱっと見るだけならばいつもと変わりはない、気がする。
けれど首を撫でるとさっきまでの自分にはなかった出っ張りがあってその違和感に手が攣れる。
そしてそのまま手は鎖骨の下へと下がっていき、いつもと違って膨らみのない胸に触ってようやく実感する。


「ほ、本当に男の子になってる・・・」


思わずつぶやいた独り言も普段より低くはっとする。

今度の水泳の授業に備えてクルーウェル先生が調合してくれた性別転換薬。
常識的に考えれば無難に見学だと思ったのに、まさか性別を変えて授業に参加するとは思わなかった。さすが魔法の国、こんな漫画みたいな薬が用意できるとは。
いや人魚を人間に変える薬があるんだから性別を変えるのも意外とハードルが低いのかもしれない。

ちなみに過去にこの薬のせいで痴情がもつれにもつれたそうなので、一般的には禁薬の部類に入るらしい。何となく理由の想像はつく。


(すごいなぁ、こんなの普通に体験できなくて自慢できることなのに誰にも分かってもらえないんだよなぁ。
 元の世界でやったら間違いなくドッカンドッカン言わせられるの間違いなしなのに、残念。)


なんせ男子校に性別を隠して通っている身(自分で言っててそんなアホなと思う設定だ)なので、私が男の子であることはここでは普通なのだ。

さて男の子といえば女の子の時ともう一つ徹底的に違う点がある。
さっきからずっと感じている足と足の間にある違和感。自分の体の一部とはいえ確かめるには羞恥心があって、けれどそれ以上に興味が勝るもの。


(い、一応、見てみないとね・・・?いやらしい気持ちじゃなくて、純粋な興味として気になるよね?私じゃなくてもそうするよね?)


誰にともなく頭の中で言い訳を重ねながら、カチャカチャとベルトを外して恐る恐るズボンの中を確かめる。うわ、本当に生えてる。
男性陣にしてみれば絶対の急所であるそれに慎重に触れると当然熱い。人体の一部なんだから当然だけど。


(女が胸の大きさを気にするように、男もこの部分の大きさを気にするという・・・・)


腕を組んで熟考。比較対象を思い浮かべてしまい沈黙。
ついでに傍から見ると自分がアホの変態行為をしていると気付いてしまい、ものを仕舞ってズボンを履き直す。


「・・・・・・・・・・・。」


自然と肩をさすると指先に感じるかさぶたの感触に呼吸が苦しくなった。
つい爪で引っ掻いて剥がすと、抗議の代わりに血が滲んで指先が濡れた感触。治りが悪くなると分かっているのに何度もやってしまう。

僅かに赤くなってしまった指先をティッシュで拭いてから肩に当ててシャツが汚れるのを防ぐ。
暗い気持ちになるのを頭を振って追い払い、自分の今の変化を楽しもうと切り替える。


(友達や家族が私が男になっているのを見たらびっくりするだろうな・・・ってだめだ、また暗くなった。)


友達、と頭に浮かべて真っ先に浮かんだのが元の世界の友達よりも付き合いの短いエースとデュースの顔。
でもその二人にしたって、このかさぶたの原因を知れば私を軽蔑するだろう。
ましてや自分の親が知ったのなら───考えたくもない。想像するだけで血の気がひいて吐きそうだ。


(薬の効果は、ええと2時間くらいだったかな・・早く解けますように。)


はぁと溜息をついてベッドに転がるも、いやこれだと試した意味がないじゃないかと体を起こす。
一歩あるく毎に感じる足の間の違和感にもきちんと慣れておかないといけない。となれば・・・・散歩でもするか。

体格が変わって少し窮屈に感じる制服のまま玄関まで移動して、靴を履こうとして足が入らないことに気付く。
服はボタンを緩めて誤魔化しがきくとしても、こりゃ購買部で足のサイズが大きい靴を買わないと───と思ったところで玄関のノックの音が響いた。


(この姿を見られたら、っていいのかみんな私を男の子だと思ってるんだから。むしろ好都合でしょ。)


友人の少ない私もといこのオンボロ寮を訪ねてくるなんてどうせエースかデュースのどちらかだろう。
ついでに身体が慣れるまで一緒に時間を潰してもらおう。友達と遊ぶ予定を想像して楽しくなる。


「あ、はい、どちらさま、」


確認もせず扉を開けると、予想に反し天を突くような長身が私を見下ろしていて息が止まった。
秘境の湖面を思わせる青い髪に、人の心を妖しく揺さぶる黄金の瞳と腐食した緑の瞳が嵌った瓜二つの美しい顔、そして整然と並ぶ獰猛な牙。

予想外の人物の登場に無意識に肩口に手を当てて後退るが、二人の目は見開かれて感情の揺らぎ。あれ、どうしてそんなに驚いているんだろう。


「あの、ジェイド先輩、フロイド先輩、どうして・・・・ッ」


言葉を発しようとして気付いた時には背中に強い衝撃があって呼吸が一瞬止まる。
口を塞がれて壁に押し付けられている、と理解すると同時にドアの閉まる音と鍵の掛かる音が一拍遅れて響いた。

その意味するところにぞっと心の底から冷えるような恐怖。
額に突き付けられた白銀の魔法石は氷のように冷たく、そしてそれ以上に凍えた双子の表情が私を怯えさせる。


「あ?おまえナニ?なーんで小エビちゃんのところに男がいんの?」

「これはこれは。もしかして監督生さんの浮気でしょうか?だとしたらとても、ええとても悲しいですね。」


違う、と否定しようにもフロイド先輩に口元を押さえつけられたままじゃ弁明の仕様もない。
いやそもそも二人の発するぞっとするような殺気に飲まれて呼吸さえやっとの状態で、まともな返答などできたかどうか。

ゆっくりと私の顔を覗き込んでくるジェイド先輩の瞳には恐怖で涙の滲む自分の顔が映っている。
恐怖映画で序盤に死ぬ被害者のテンプレートのような表情だ。そして二人の表情は殺人者のものによく似ている。


「───そんなに怖がらないで。貴方のことが知りたいんです。」

「・・・・!!」


聞き覚えのある言葉に反射的に目を閉じようとするが無理矢理に上下から瞼を開かされる。
吐息を感じるほど近く、そして視線を逸らすことさえできずに捕食者の笑みを直視させられた。怖い。
視界の端のもう一つの同じ顔もまた獰猛な笑みを浮かべている。疑問だけど、どうして二人はこういう時に笑みを浮かべられるのか。


「齧り取る歯───おや?」

「・・・・・・・・・・・。」


何も起こらない。
そう、どんな秘密をも洗いざらい暴くという便利過ぎるジェイド先輩のユニーク魔法は、しかし一人につき一度しか使えないという制限がある。
逆に言えばそのルールがなければどんな恐ろしい事になっていたか。学園中の人間が神の采配に感謝したに違いない。

───私は以前、ジェイド先輩の魔法にかかったことがある。

片割れの魔法が不発に終わったことをフロイド先輩が訝しみ、大きな手がやっと口元から離れる。
尋現実の時間の流れとしてはたった数分にも満たないはずの尋問は永遠のように長く感じられた。

それでもなお息苦しい。陸の上なのに海の中で溺れているような気分だ。
このままずっとただ肺呼吸だけをしていたいところだけど一刻も早く舌を動かさなければ、命が危うい。


「あ、あの、私、私です、監督生で、えっと、小エビです、」


我ながら情けない自己紹介と、ついで名前を告げると二人が怪訝そうに顔を見合わせて整った指が顎を雑に掴む。
彫像とも見紛うほどに美しい顔が、お世辞にも可愛いと言えない自分の顔をじっと覗き込む───長い睫毛と濡れた唇に目がいってしまい顔が熱くなる。
その上で無遠慮に胸を触られて、男の体といえども羞恥心に呻いた。けれどまだ納得がいかない不満顔が二つ。


「来週、水泳の授業があるからってクルーウェル先生が、男になる薬を調合、してくれたんです、試しで飲んでみただけで、」


そこまで説明してやっと押さえつけられていた壁から身体を解放された。ばくばくと暴れる心臓を両手で押さえつける。
赤の他人に襲われるよりもよっぽど恐ろしい───久しぶりに二人の本気の敵意に触れて足が震えた。


「け、見学希望だったんですけど、男だってことは、定期的に印象付けた方が、例の魔法に効果的らしくて。」


だからこの二人に、そのどちらかでも会いたくなかったんだと内心で続ける。
またいつもみたいにされたら例え性別の壁を乗り越えてもプールの授業どころじゃなくなるからだ。

納得したのなら一刻も早く返ってほしいと目線で訴えるが、ここまで言ってもなお二人は顔を見合わせる。
うう、これ以上何を言えっていうんだ。最後にバイトに入った日?誕生の年月日?はたまた銀行の暗証番号?親の旧姓?

ジェイド先輩の長い指が探るように頬をなぞり、たったそれだけなのに淫靡さを感じてしまいびくりと身体が跳ねる。


「では貴方が監督生さん、とおっしゃるのなら前回僕と交尾した場所を言えますか?」

「ブッ!!!!!!!!!!??????」


あまりにもあんまりな質問に盛大に吹いた。
同時に情景が頭の中で生々しく再現されて全身からどっと汗が噴き出す。指は再び肩口のかさぶたを引っ掻いた。


「え、あ、あの、え・・・」

「えーーー?どうせジェイドの部屋でしょ?いつもそこじゃん。」

「ほら、言ってください。言わなければフロイドが絞め上げますよ。」


めんどくせー、とやる気のない返事のくせにフロイド先輩の白魚のような指が閃いて首筋を緩く掴む。
この段階ではまだちっとも力なんて込められていないはずなのに、再び水中に沈められるような息苦しさに羞恥心が呆気なく屈服した。


「み、店です!!モストロ・ラウンジのカウンターです!!!」

「何日前ですか?」

「・・・・・・・・・三日前です・・・・」


誰か早く私を殺してほしい。

カウンターの机に身体を押し付けられながら後背位で犯されたのを思い出して頬に血が上り背から血の気が引く。
その際に血が滴るほどに噛まれた肩の無残な傷口はやっとかさぶたになりかかったばかりだ。
片手で自分を押さえつけながら、もう片方の綺麗な指が机に飛び散った血と体液をかき混ぜるのを見た時ああ死にたいなと思ったのを鮮明に思い出してしまった。


「ハァ?オレそれ知らねーんだけど。つか順番的にオレだったじゃん。いーなーオレもやっていい?」

「それは駄目です。翌日アズールに叱られましたから。」

「だよねぇアズールそーいうの怒りそうなのによくやるよね。」

「面白そうだったので、つい。」


退屈を厭う人魚は全く悪びれる様子のない様子で妖艶に笑う。
私はというと連動して店の床に正座させられて支配人に怒られたところまで思い出して情けなくて、死にたい。
そういえば最近ずっと死にたがってばかりだというのに、未だこうして息をしている自分の面の皮の厚さには閉口するばかりだ。


「完璧に掃除したのですが、監督生さんの態度でバレバレでしたね。」

「だ、だって、私嫌だっていったのに、ジェイド先輩が、」

「はい。僕のワガママです。監督生さんは悪くありませんよ。」


よしよしと大きな手が優しく頭を撫でられるとそれ以上何も言えなくなる。
何かを言わなければ、何かをしなければならないのに、甘い言葉の前に思考が霧散してしまう───そして霞がかった頭にはいつも幸福感とそれ以上の不安が残った。


「ま、とりあえずこれで小エビちゃんは今小エビくんってワケね。なるほどウケる。」

「というか、別に姿かたちはそんなに変わってないんだから、普通に気付いてほしいんですけど・・・」

「すみません。疑り深い性分なもので。」


ちっとも悪びれない声に、ああさっきのは言わされたのだと理解し顔が歪む。性格が悪すぎる。


「・・・・・ちなみにもし、私が心移りしてたらどうするつもりだったんですか?」


二人からすればただ手の上で転がされるだけの小エビだろうが、せめてもの意趣返しに聞いてみる。
黄金と暗緑色の瞳が瞬いて鏡合わせのように向かい合って、艶然と微笑み悪女のように細められた。


「もう小エビちゃん散々オレらとやらしーことしておいて他で満足できないでしょ。」

「もしそうだとしても知らない仲でもあるまいし、どうなるかなんてお分かりになるのでは?」


フロイド先輩の長い指が面白そうに私の喉仏をなぞると、陸の上なのに溺れているような息苦しさを感じる。
ただ単に首に触れられているからだと自分に言い聞かせてごくりと唾を飲めば、喉の筋肉の収縮に人魚はまた一つ面白そうに笑った。


「えっと、ともかく、申し訳ないんですけど今はこういう状態なので先輩方には帰って頂いて、」

「えーーーー?こんなに面白そうなのに?」


面白いってなにが。

手を引っ張られて立たせられ、ジェイド先輩から肩を押されるがまま自室まで歩かされる。
そしていつも寝起きする粗末なベッドの上に座らされて、嫌な予感に立ち上がろうとするが蛇のように巻き付く長い腕がそれを許さない。

フロイド先輩の尖った顎が肩に乗せられるのは、親に甘える子供の動作に似ていて全く異なる。自分の涼やかに鳴って皮膚に垂れたピアスは氷のように冷たい。
とてつもなく嫌な予感から身を守るべく自分で自分の身体を抱きしめる───それでどうにかなるとは到底思えなかったけれど。


「というか、先輩方はそもそも何でここに来たんですか・・・今日バイトも用事もないでしょうに。」

「今日はお返事を伺いにきました。」


返事、という言葉に身を固くする。


「で、監督生さんは僕とフロイドのどちらとつがいになるか決められましたか?」

「・・・・・・スミマセン、まだです・・・」


世界で一番贅沢な質問に呻く。

───今から1ケ月前の話だ。
2人から同時に告白され(ダメ男の妄想の権化みたいな展開だ)最初は恐れ多すぎて断った。
けれどそれが本音ではないことを炙り出されて、じゃあどちらか決まるまでは二人同時で付き合おうと提案されて現在に至っている。

そこまでならまだよかった、それなら自分をまだ許せた。

けれどその二人からもう既に身体の関係を持ってしまっているのが、正直言ってかなり死にたい。
こんな姿を見たら両親は娘の貞操観念のガバガバさ加減に絶対に泣く。私なら殴る。

親。生まれてからずっと私を見守ってくれた人。血の繋がった心の頼り。
もうしばらく会っていないけれど、今もなお鮮明に思い出せる二人の顔が私の心に僅かな勇気と良心を奮い立たせる。


「・・・こういうの、もう、終わりにしませんか?私には、やっぱり・・・無理です・・・」


震える手を抑えながら弱々しい声で、しかしはっきりと拒絶を口にする。


「今更、都合が良いのはわかってます、でも、もう・・・」


舌の上でもがきながらも必死に這い出ようとする獲物の懇願に、正面のジェイド先輩の唇が半月に歪む。
きっと自分の肩にもたれ掛かって腹を撫でる片割れも同じような笑みをしているに違いなかった。


「だからさぁ別にいーじゃん決めなくても、このままで。オレはジェイドなら別にいーよ?他のやつだったらヤだけど。」

「そう、人魚の世界なら別に不思議な事ではありません。お互いに納得しているのならいいじゃないですか。」

「小エビちゃんは気持ちよくてー、オレらは楽しくてー、それのどこが不満?誰も不幸になってないでしょ?」

「うっ・・・・うう、」


慈母のように慈悲深く、熱に浮かれた娼婦のように都合の良い耳障りな言葉で誘惑されればいとも簡単に心が揺らいでしまう───が、ダメだ。
手の甲を強く捻じって物理的な痛みで何とか再び心を奮い立たせる。このまま流れたらいつもと同じだ。


「だいたい、先輩達は、い、イヤじゃないんですか?二人とも・・私と、その、関係・・してるんですよ?」

「べつに?だってー、好きなものが被っちゃった時は仲良く半分こしなさいって言われてきたし。」

「ええ。監督生さんをハムエッグのように分け合う事ができたのならよかったのですが・・・まぁ僕達は気にしていません。些末な事なので。」

「さ、些末・・・・?」


お互いに気にしていない。理屈は通っている。けれど、同じ対象を愛することを双子だからって許容することなんてできるのか?そういうものなの?

圧倒的な価値観の違いにさっきとは違う意味で鳥肌が立つ。
いくら自分が羨ましい状況にいて、誰も困っていないとしても、けれどぞわぞわする嫌悪感に耐えきれなくなってきた。


(・・・・私がもっと、鈍感で能天気な女だったらよかったのに。)


例え露骨な好意を示されたとしても「え~それってラブじゃなくてライクの意味だよね?」って心の底から勘違いできる女ならよかった。

思うに、ハーレム漫画の主人公達があんなに鈍感なのはそうでなければ好意の量に耐えられないからかもしれない。
個人差はあると思うけれど、やっぱり私のような平凡な人間には一人分の好意しか受け止めることができない。
自分でも断るべきではない贅沢で恐れ多い悩みだと分かっているが、私には荷の重い設定だ。窒息してしまう。


(やっぱりあの場でちゃんと断っておけばよかった。そうすれば二人にも迷惑をかけずにすんだ、だから。)


今からでも遅くない、と二人の顔を見るが舌は動かない。
なんだかんだと言っておきながら二人から同時に愛を請われる自分の状況は気分が良いから手放したくないと奥底では思っているのだ。
こんな自分なんて、言われなくてもとっとと愛想を尽かされるに決まっている。そうに決まっている。

だからその時までは、許されなくなる時まではそれでいいじゃないかと甘い声が囁く。
それは破滅の時だと理解している冷静な自分がいるのに、どっちにも踏み出せない自分のなんともどかしいことか。ああ、また死にたくなってきた。


「あの、ところで先輩たちは・・・」


いつ帰られるんですか、と消え入りそうな言葉で問う。一刻も早くこの双子から、この問題から、逃げ出してしまいたい。
小さな抵抗に人魚達は男とは思えない程のぞっとするほどの色香を湛えてくすくすと小さく笑った。いい予感がしない。


「いや、小エビちゃんがせっかく男になったんなら3人でできると思って。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・なにを。」

「交尾。」

「は!!!!!!!!!!!!?」


立ち上がろうとした瞬間を狙いすましたように長い足と自分の足を絡まれて動けない。すっかり囚われている。
連動して、フロイド先輩の整った鼻筋が甘える猫のように撫でて背が甘く痺れた。露骨に誘う意図を持つ吐息に声も出ない。


「ホントは3人でずっとしたかったんだけど、小エビちゃんヤワだからガマンしてたんだよね。」

「ええ、ですが男の体なら多少の無理強いをしても大丈夫でしょう。ああ、都合がよかった。」


何を、言ってるんだ?無理強いをしても大丈夫?都合が良い?

どれも理解できるが理解したくない言葉の羅列に自分の頬が引き攣ったのを感じた。
目の前の肉がどんな反応をしようとも気に留めないとでも言わんばかりに、ジェイド先輩の優美な指先が蔦のように頬を包む。


「いや待て、待って、私いま男なんですよ!?男同士なんですよ!!?」

「大丈夫です。フロイドとは何度もやっていますから。」

「・・・・・・・・・・・・えっなんて?」


目の前の男が発した言葉が信じられなくてぽかんと口を開けてしまう。は?今なんつった?


「陸の人間の交尾に興味があったので試してみたんです。だから男同士でも慣れていますよ。」

「そうそう。あと小エビちゃん体力ないからさ~足りない時はジェイドとやってんだよね。」

「へ?どっちが上?」


いやなに聞いてるんだ自分。そこじゃないだろ自分。そういう問題じゃないだろ自分。

目の前の麗しい相似形の双子が互いを組み敷く図を想像してしまい、そしてそんな男達が自分とセックスしていたという事実に圧倒的な嫌悪感があった。
男同士だとかそういうものに偏見はないと思っていたが、そこに自分という要素が加わると途端に気分が悪い。今こうして触られるのも耐えられなくなってきたが、狭いベッドに逃げ場がない。


「別に、決めはないですね。その時の気分だったり、コイントスだったり。」

「・・・・・・・・・・・・・、」


あまりにもな答えにさぁっと顔から血の気が引く。聞かなきゃよかった。
私が言えたことではもちろんない、ないけれどこの人達の貞操観念おかしくないか?人魚なら常識なのか?

衝撃の事実に顔面蒼白で呆然としている隙をついて、長い肉厚の舌が首筋を這っていく。
理性は嫌悪感を訴えるが身体は従順に快楽を追おうとする───いやだ、やめてくれ。これ以上惨めな気持ちにさせないでくれ。


「そんなに怯えないでください。」


骨ばった大きな手がシャツの下から入り込もうとするのを全力で阻止しながらジェイド先輩を見上げる。
数多の人間を狂わせてきた黄金と夜の帳と見間違う暗灰色の瞳に、恐怖と雌の成分が等分に配合された自分の顔が映っていた。


「いつも通り気持ち良くしてあげます。」


気持ち良いのすきでしょう?

明らかに興奮を帯びた艶っぽい声と共に染み込んでくる甘くて都合の良い言葉に屈服しそうになる。
色が無くなるまで握りしめていた指をゆっくりと解き、労わるように何度も優しくなぞられても理性をフル稼働して抗う。これじゃいつも通りだ。


「す、すきだけど・・・・でも、いやだ、これは、よくないことだ、」

「ええ。監督生さんは悪くありません。」


柔らかく首を絞めるような許しの言葉で逃げ道を塞いでいく。
正論を吐いているはずの自分がおかしいのだと、狂った持論で倫理観を捻じ曲げようとする。


「僕達が悪いので、監督生さんはいつも通り大人しくしててくださいね。」

「いっ・・・・」


これ以上の反論はするなと言わんばかりに背後から首筋を噛まれる激痛に背を反らす。
みちみちと鋭利な刃となった歯が容赦なく肉に喰い込んでいくのを、悲鳴も上げられずに耐えていた。それが罰だと言わんばかりに。


「駄目ですよフロイド、制服が血で汚れるので脱がせてからにしないと。」

「別にいーじゃん。どうせ汚すんだし。」

「・・・・、・・・・・・!!!」


会話のために離された牙をもう一度、より深く突き立てられる激痛に声なき悲鳴を上げる。
自然と自分の身体を差し出す形になったのを、ジェイド先輩の長い指がゆっくりとネクタイを解いて、ブラウスのボタンを一つ一つ外していく。

膨らみのない胸元、普段の女性的な丸みはなく少し筋張った体の線、運動不足で生白い肌。そして縦横無尽に走る朱の直線と半月の痕。
性的興奮を煽るには程遠いそれらを見つめる四対の瞳は欲望に濡れていた。
自分で興奮されているという恐怖と、同時に求められているという女の悦びに気付いて胃の底を空にしたくなるほどの吐き気───ああ、死なせてほしい。


「噛むの、やめ、やめやめて、ください、」


涙交じりの懇願に歯を肩に喰い込ませたままフロイド先輩が首を傾げ、肉が捻じられる新鮮な苦痛に遂に悲鳴をあげた。
長い指で朱線を愛おしそうに撫でていたジェイド先輩が、聞き分けのない子供を宥めるように頭を撫でる。撫でるだけで、片割れの凶行を止めようともしない。


「ですが、噛まれている時の方が気持ち良さそうなので───つい。」

「は・・・・?ンッ!ぎ、ぃ・・・!!?」


そんな訳がない、と噛みつきかけて足の間を膝で強く擦られて馬鹿みたいに身体が跳ねる、
今まで女の身体でのセックスは何回かやったけれど、男の身体という未知の快楽に歯の根も合わないほど震えた。


「やめて、お願い、お願いします・・・やめてください、」

「大丈夫ですよ。いつも以上に優しくしますから。」


長い指が私のズボンの間をゆっくりと撫でるのを、たったそれだけで背筋がぞくぞくして足の指先が丸くなる。
自分の身体の変化が恐ろしくて手の甲を噛んで堪える───が、自分で突き立てた歯の痛さに一瞬目の前が白む程の快楽。え、なんで?


「ほら、痛いと気持ちが良いでしょう?監督生さんはマゾヒストなので。」

「ちがう、ちがうよ、こんな、いたいのは、いやだ、」


発情した獣じみて荒い呼吸が気持ち悪くて、このまま息ができなくて死んでしまう事を切に願った。
現実から目を逸らす間も容赦なく長い指が淫靡に動いて、目の前でチカチカと星が瞬いてくる覚えの感覚に背筋を反らせて、弾けた。


「あーーあ、ほらやっぱり汚れた。」


足と足の間が濡れる不愉快な感触。肌が粟立つほどの悪寒。そして海の底よりも深い自己嫌悪。
背後の男がまだ牙を突き立てる痛みに喘いで、また気持ちよくなって、する気もないのに何度目かの自殺の方法を考えた。









自分にしがみついて泣きながらフロイドに背後から犯される小さな頭を優しく撫でる。
粗末なベッドが悲鳴をあげるのを、このまま壊れたらそれはそれで面白いとぼんやり考えていた。


「う、うぅ・・・ふ、ぅ、」

「よしよし、良い子ですね。そう、何も考えないで、」


時折泣き言を漏らす口を優しく塞いで、自分達のせいだと何度も囁いて罪悪感を払拭してやる。
罪悪感を払拭する心理的誘導で喘息のような浅い呼吸が落ち着いて、思い出したように唇を噛みしめる。理性と本能で拮抗する様が手に取るように分かって面白かった。

───あの時、迷いながらも「選ぶことができないからこの話はなかった事にして下さい」と答えた彼女は確かに誠実だった。

いずれ迷いからに本心になるその言葉をユニーク魔法でねじまけて秘密をこじ開け、その心の隙をついた。
そして別れてくれと漏らすたびに抱いて、自分達と一緒にいることは気持ちが良いのだと何度も教え込んだ。その度に翻弄される様が哀れで愛しかった。


(監督生さんはずっと自分を責めている───ああ、お可哀想に。)


卑屈さとその裏に期待が入り混じった目で見上げられる度に自分達がどんなに劣情を煽られているのか知らないで、誠実であろうと藻掻いている。
健全で白かった貞操観念はすっかり毒に侵されて黒くなって、けれどそれだけが頼りだと言わんばかりに爛れた手で必死に握りしめている。


「ごめ、ごめんなさい、」

「大丈夫、大丈夫ですよ。僕達は貴方を愛していますから。」


どちらかなんて永遠に決められないように感情が偏らないように綿密にフロイドと言動を打ち合わせてることを知らない。
罪悪感に震える姿もなんだかんだと目先の甘い言葉に釣られる弱い心も、まとめて僕達の大事な獲物。


「・・・・・・ッ、」


何度目かの射精で茫洋とした黒い瞳が天井を眺めている。
うわ言のように唇が動いて、虚しく空気をかき混ぜるだけに終わった言葉を読唇術で解読する。


『お前らのせいで私の人生はメチャクチャだ』


本人も無意識であろう毒の言葉にに口の端が吊り上がる。。
内心では、普段なら決して言わないであろう毒の声が、肉の快楽よりもずっと哀れで愛おしい。

けれどその哀れな姿が僕達の慈悲の心をたまらなく擽るのだと、また一つ愛しくなってその首筋に思いっきり噛みついた。








































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あとがき。
監督生ちゃんはマゾヒストなんかじゃなかったのに、普通の恋愛ができる女の子だったのに、可哀想にもう戻れないねっていう話です。
人魚の世界の常識云々は完全に口からでまかせなので信用しない方がいいと思います。

頑張って書いたので感想頂けたら嬉しいです~!読んで下さりどうもありがとうございました。


2020年 6月20日執筆 八坂潤
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