柔らかい月明りと夜空に浮かぶランプの温かい光に照らされて、会場は大盛り上がりだった。
そこかしこで祝いの花火があがり、白い清潔なテーブルクロスの上にはご馳走の皿が並ぶガーデンパーティー。
祭りの雰囲気にはしゃぐみんなの声と夜とは思えない熱気に包まれ、栄えある名門学園の校舎は普段の学び舎としての顔を潜ませる。
生徒達の乱痴気騒ぎに今日ばかりは教師も目を瞑る───そう、今日はナイトレイブンカレッジのプロムの開催日だった。


「あーあ、せっかくのプロムだってのに女子っ気ほぼなし。兄貴から聞いてた通りだわ」


会場の隅っこの椅子でケーキをつつく私の隣にはエースが手に顎を乗せてつまらなそうに会場を眺めている。
彼の服装はいつもの制服や式典服でもない、深いワインレッドのスーツに茶色の髪もきちんとフォーマルにセットされていた。
チェリーレッドの瞳の目許を飾る、ハーツラビュル生の証拠であるハートのメイクも数日後にはしなくなるのだろう。当然だけど、ちょっと物足りない。

ちなみにいつも一緒のはずのグリムはご馳走の食べすぎで一足先にオンボロ寮に戻っている。4年経っても成長しないのは好ましくもあるがこの先不安である。


「そんなに言うならエースも誰か誘えばよかったのに。ほら、前に行ったホットドッグ屋の子可愛かったじゃん」

「はーーー、分かってないねー監督生は。ロイヤルソードアカデミーのお坊ちゃん方のプロムもこの時期なんだぜ?こんな狭い島で。この意味わかる?」

「・・・・狙ってた子が先にとられちゃったの?」

「ち・が・う!!アイツらのお下がりやお揃いなんてぜってーイヤってはなし!!」

「なるほどね・・・・」


ご存じの通り、ナイトレイブンカレッジとロイヤルソードアカデミーは長年のライバル校で生徒達もその精神がしっかりと浸透している。
ケッと足を行儀悪く組むエースを横目に視線を会場に戻した。私は向こうの学校のこと嫌いじゃないけれど、特に反論も同調もしない。

共学ではない、男子校のプロムでは外部の女の子を誘うのが一般的らしいが、会場内にはほとんど女の子は歩いていない。
たまに男女で腕を組んで歩いている姿も見受けられるけど、地元で元々付き合っていた恋人だろう。
恋人を連れてくるなんて名目で闇の鏡の使用許可が下りるはずもなく、彼女達はわざわざ交通機関を乗り継いで恋人のプロムに駆けつけているのだ。愛だね。


「みんな可愛い格好してるよね。あ、あの水色のドレスの女の子可愛いなぁ。あっちの黄色いドレスも刺繍がすてき」


ドレスは女の子を綺麗にするというけれど、本当だと思う。
普段とは違う特別な衣装に胸を躍らせて、とびっきりのおめかしをして、いつもより高いヒールで踊るように跳ねていく。
整形なんてしなくても、魔法にかけられなくても、たったそれだけで女の子は世界で一番のお姫様になれるのだ。


「・・・・・お前だって、ドレス着てもよかっただろ。カタログに付箋貼ってずいぶんと悩んでたみたいだし」

「バレてたんかい・・・まぁね。正直、憧れはあったんだけど」


自分の格好を見下ろす。隣の友人のご指摘通り、素敵なドレスではなく黒いスーツだ。しかも時間がなくて適当に選んだやつだから私も気に入ってない。
胸元に挿したブートニアが動きに合わせて少し揺れる。女の子は綺麗な花を腕に巻いてプロムコサージュにするけれど、私は巻いていない。

ナイトレイブンカレッジのプロムのスーツは持参するのも島のお店で選ぶのも自由だけど、事前にサムさんが用意したカタログで外部からレンタル・購入するのが大多数だ。
自分で手配すると輸送費が高くて、この狭い賢者の島の店で選ぶとあっという間になくなるし、RSAの皆さんとデザインが被るのは断固として拒否したいらしい。

そんな中、サムさんは私にドレスとスーツのカタログを両方用意してくれた。
日本でプロムに参加する機会なんて滅多にないと、もちろん最初は私もドレスのカタログを真剣に吟味して、期待に胸を膨らませていた訳だけど。
直前までどっちの服装で出るのか迷って───結局は男の子として出る事にしたのだ。


「でも、やめちゃった。いやードレスのレンタルってスーツよりも高いんだわ。ヘアセットも化粧もアクセサリーも。もうちょっとバイトしておくんだった」

「・・・・・・・・・・・・」


エースのチェリーレッドの瞳が視線に気付いた。遠くから私も見て、つまらなそうに去って行く男の子。
私のことが好きだから声を掛けたいけどエースがいたから辞めた、のではなく。私が女の子の格好をしていないからだ。

お金がないなんて嘘だ。有難いことに学園長はドレスのレンタル代金は払ってくれると言ってくれた。
でもマナー授業の一環としてプロムのワルツのレッスンをした時、ダンスの相手に私に殺到した男の子達を見て怖くなった。
私がモテるとかではなく、『男子校で唯一の女の子』という肉に群がる虫の群れだった。


「───そっか、金がないんじゃしょうがないよな」

「うん。お金がないからね」


話を合わせてくれる隣の友達も、グリムもデュースもジャックもエペルもセベクも私が感じた気持ち悪さに気付いている。
だからプロムの最中は誰かしらが必ず傍にいてくれた。元寮長が睨みを利かせれば変な事を考える連中は近寄らないというわけだ。
私としては助かるけれど、他にも付き合いがあるエース達にとっては色々と挨拶したい相手はいるだろうに。ちょっと申し訳ない。


「あ、エース、いたいた!こっち来いよ!デュースとお前の寮長&副寮長コンビが呼ばれてんぞ!」

「あーーーーー、そうね。俺は、」

「いいよ、エース。行ってきなよ」


最後のケーキを食べ終わって立ち上がる。エースが何か言いたそうな、心配そうな顔をする。その気持ちはとても嬉しい。


「私もちょうどオンボロ寮に戻ろうと思ってたところだし。アフターパーティーの準備があるから」

「なら、先に寮まで送るか?」

「大丈夫。気を遣ってくれてありがとう。でもいいの、元々プロムよりもそっちの方が楽しみだし」


前々からプロムの後に開催しようと打ち合わせていた、いつものメンバーだけで開く内輪のアフターパーティー。今日の私にとっての本命はそれだ。
本当はもうとっくに準備は終わっているから事なんてないんだけど、ここでウンザリしているよりも仮眠をとる方がずっといい。


「じゃあね、エース。また後で」

「まっすぐ帰れよ。なるべく人通りの多いところで」

「過保護か!でもありがとう!!」


これ以上気を遣わせたくないという気遣いを察したからエースは引いた。彼のこういうところが好きだ。
セベクとデュースだったら行く・行かないでもう少し問答する羽目になる。二人のそういうところも好きだ。

心配そうに去って行くエースを笑顔で見送り、空になったお皿を返却して最後にコップの水を一杯飲み干す。胸のモヤモヤが少しだけ晴れた、気になって帰路につく。


(そうだ、別にプロムに期待なんてしてない。この後みんなと集まる方がずっと楽しみ!あーあ、もっと早く帰っておけばよかった!)


オンボロ寮への道を大股で歩いている間も時折感じる粘着質な視線に辟易する。
『あんなにモテなかった私にも需要があるなんて!』と思ったのは最初の内だけだ。向こうは『私』じゃなくて、『女の子』なら何でもいいのだ。
きらきらと眩しく憧れていたプロムも素敵なドレスを着るせっかくの機会もどうでもい。とっとと着替えて不貞寝してやる。


「見つけたぞ、仔犬」

「───先生」


生徒への呼称として親から抗議ギリギリなこの呼び方をする教師はこの学園に、いや、世界中を探してもこの御方くらいだろう。
呼ばれた方角を見ると、予想通りの人物がこちらに歩いて来るところだった。粘着質な視線も恐れをなしたように気配ごと消える。私の背筋もぴんと伸びる。

艶のある黒髪と月光を戴く白髪の下には妥協なく整えられた柳眉、洗練された化粧に飾られる銀灰色の瞳。
美しく通った鼻筋と唇は男の印象に玲瓏な美女の片鱗を与えながらも、迂闊に触れる事すら躊躇う鋭利な雰囲気が柔和さを裏切っていた。つまりとんでもない美形だ。
いつもの独特ながらもハイセンスな黒と白のコートとベスト、ではなく見るからに仕立ての良さそうなスーツを着ている。まるで高級テーラーの広告をする俳優のよう。


「こんばんは、先生も正装なんですね」

「ああ。いつもの他の連中はどうした?」

「みんなそれぞれ部活や寮の付き合いがあるので・・・私はもう帰ろうかと。この後みんなでパーティーする予定があるので、そっちは楽しみなんです」

「───なるほど。つまり仔犬は暇なわけか、ちょうどいい。俺に付き合ってくれないか?」

「へ?」


ちょうどいいから付き合ってくれ、という言葉が教師の口から出されて嫌な予感がしない生徒がいるだろうか。いや、いない。

反射的に一歩後退る私を見て、ふっと微笑む。いつものようなサディスティック成分たっぷり、ではなく優しい笑みだった。
くるりと背を向けて歩き出すクルーウェル先生からは理由を付けて簡単に逃げ出せそうだが、自然とその長身を追いかける。


「プロムは楽しかったか?」

「ええ、はい、ご飯も美味しかったですし、私のところにはない習慣なので勉強になりました」

「生徒の答えとしては及第点だが、嘘だな。本当なら途中で帰らないだろう」

「あはは・・・・・まぁ、そうですね」


無難に返したつもりの社交辞令をあっさり看破されて、気まずさに頬を掻く。言い訳を重ねるのは無意味だ。


(そういえば先生は私をどこへ連れて行くんだろう。この期に及んで説教はないとは思うけど・・・)


その答えはすぐに分かった。
ガラスで覆われた巨大なドーム状の植物園の周囲は会場の喧騒とは程遠く、しんと夜の静けさを保っていた。夜間は開放されていないから当然だ。
にも関わらず、クルーウェル先生は当然のように懐から銀の鍵を取り出して扉を開けてしまう。


「い、いいんですか?開けちゃって・・それとも何か忘れものとか・・・?」


生徒の当然の指摘に、教師はその長い人差し指を口元に当ててふっと笑ってみせる。悪い笑みだった。
にしても年端のいかない少女みたいな動作を大の大人の男がやるのはどうかと───いや、たいへんお似合いです。正直ドキドキしました。


「・・・・おじゃましま~す・・」


先生の引率があるというちゃんとした言い訳があるのに小声になる。
男の人と二人きりになる事に抵抗がないわけではなかったけれど、大人と子供、教師と生徒、ましてや麗しの月が醜いスッポンを相手にすることなどあるまい。
煉瓦で舗装された道を歩くとやがて園の中心の開けた場所に出た。昼間の顔とは違い、月と星の光と僅かな誘導灯だけが頼りの花園は幻想的な光景だった。


「夜の植物園ってきれいですね。昼間の明るい雰囲気も好きですけど、夜の静けさもまた違って好きです」

「ああ。薬学室の薬品の匂いもいいが、ここはまた違う。俺も気に入っている」

「・・・ここを去る前に見られてよかった。あと、先生にもきちんとお礼を言いたかったので」


足の爪先を揃えて手を重ねてゆっくりと頭を下げて丁寧な一礼。そして顔を上げる。


「私に魔法以外の授業もしてくれて、どうもありがとうございました。おかげさまで、元の世界に戻っても授業に遅れずについていけそうです」

「教師だからな。魔法であろうと、そうでなかろうと、生徒が学びたいというのならそれに応えるのが仕事だ。俺もいい機会になった」


みんなはインターンで忙しくなる四年生の時期に、異世界での就職の予定がない私はというと・・・賢者の島の普通科の予備校に通っていた。
私が元の世界に戻っても学力に問題がないようにという配慮だ。正直言って勉強が好きでもない身としては苦しかったけど、どんなにありがたい事かも分かっている。
予備校がない日はクルーウェル先生とトレイン先生に教えてもらった。時間外にも関わらず快く教えてくれた。

おかげで元の世界に戻っても問題はないくらいにはなっている、はずだと思う。歴史系は全滅だろうが、元の世界に帰ってから頑張れば・・・頑張れば、頑張ることができれば。


(本当は憂鬱だけど・・・元の世界に戻ってもうまくやっていけるのか、授業にもついていけるのか。だって元の世界的に二浪は確定だし、友達も家族も4年近く会ってなけりゃ、色々変わってるだろうし)


あんなに元の世界に戻りたいと願っていたはずなのに、いざ帰れるとなると尻込みしていしまう。不安だ。怖い。今さら何もかも元に戻れるのか?
正直言って私は元々ポテンシャルもスペックも高い方じゃなくて、むしろ低い方で、だから、自分がきちんと頑張れるのか───自信がない。

だから学園長に『元の世界に戻れます』と言われた時も、嬉しかったはずなのにすぐに帰ると即答できなかった。
「卒業まではここにいます」なんてもっともらしい言葉で引き伸ばして、本当はこのままこっちに居た方がラクなんじゃないかとか色々考えて、でもやっぱり帰りたくて。


(・・・・ワガママで、いやなやつ。恩知らず。ここまでしてもらっておいて、何を言ってるんだか。でも・・・)


きっとあの頃とは変わってしまった元の世界も、かなり変質してしまった自分自身にも。自信がない。苦しまない方に身を置きたい。元に戻りたい。もう元通りにはならない。
こんな自分勝手でわがままでどうしようもない不安なんて誰にも話せないけれど。ちゃんと、やっていけるのかな。嬉しさよりも不安が勝る。


「にしてもなんだそのつまらん服は。この数年間で俺から何も学ばなかったのか」

「それは本当にすみません・・・まさか先生がいらっしゃるとは思わなくて・・・」


唐突なクルーウェル先生の言葉に内心で戸惑いながらも、美しく鋭い銀灰色の瞳に睨まれて薄っすらと背筋を冷や汗が伝う。
先生と外出する際の厳しいファッションチェックを思い出し、体が勝手に反応しているのだ。躾の成果ともいう。


「───サムの用意したカタログからは選ばなかったんだな」

「え、ああ、はい、今さら私がドレスを着たって、似合わないですし・・・変な目で見られそうなのでやめちゃいました。男物のスーツで正装するのも、これはこれで悪くないです」

「・・・・まぁ、気持ちは分かるが」


さっきの男の子たちの無遠慮な視線を思い出すと気分が悪くなる。私が特別に可愛いとかでもなく、たかだか男子校唯一の女子という希少価値だけで。


「だが、せっかくのプロムの思い出をそれだけで終わらせるのはもったいない」

「へ?」


思考と共に自然と顔が俯いていた私は、やっと先生がいつもの教鞭を手に持っていた事に気付いた。
真っ赤な首輪と銀の鎖の先で揺れる、眩く輝く銀嶺の魔法石。何やら魔法を使うつもりらしいが、悪いことをした記憶はさっぱりない。いったい何だって言うんだ。


「じっとしていろ。悪いようにはしない」


それは一般的な悪役のセリフです、先生。

どうしようかと迷っている時間が既に手遅れ。教鞭が私を指すと眩むような強い光に灼かれて強く瞼を閉じるが、それでもなお薄い肉の窓越しに白光を感じた。
やっと収まった頃に恐る恐る目を開けながらしぱしぱさせる。いったい、この御方は何をしたのだろう。確かめるのがちょっと怖い。


「先生、あの、何したんですか?」

「自分の目で確かめてみろ」

「確かめてみろって・・・・ん!?」


スプリンクラーで出来た遠くの水溜まりに映る自分の姿に違和感があった。自身を見下ろすとさっき自分が着ていたスーツではなくドレスを着ている。

驚いて胸元を触ってみる。腰から上半身は綺麗な黒いレースに包まれていて、その下は柔らかい象牙色のドレスが透けている。
前から後ろにかけてふわりと揺れるフィッシュテールの裾に、ご丁寧にその内側の裾にも蔦植物を思わせるような黒いレースで縁取られている。
足元の靴は銀のストラップとヒールが美しい白のパンプス。私が着たいと思って諦めた、女の子の素敵なドレスだ。


「せ、先生!これ!!?なん、何で!!!?」

「そんな雨に打たれた仔犬のような情けない顔でナイトレイブンカレッジのプロムを終わらせるのはもったいない。分かったらそこに座れ、髪を整えるぞ」


いつもは授業で使ってる椅子を指されて、言われるがままに大人しく座る。
まだ自分の身に起きたことが信じられなくてじっと見下ろしていると手鏡を渡された。鏡に映る自分もその恰好も本物だ。


「一応聞くが、希望はあるか?と言っても俺はプロのスタイリストでもないから大して応えられないが」

「えっと、その・・ないです」

「そこは『とびっきりの女にしてくれ』くらい言え」

「・・・・、と、とびっきりの女にしてください!」

「任せておけ」


今まで自分が会ってきた、いやもしかしたらこれから先も含めた大人の男の人の中で一番格好良くて色気のある男の人に、そう言われてしまえば指先一つ動かせない。
銀の瞳が真剣に自分を見つめて、その口元にピンを加えて、長い指先で私の髪を丁寧に編み込んでいる。いつまでも見ていたいような、でも格好良すぎて見ていられないような、そんな相反する気持ちでどうにかなりそう。


(もうこうやって先生に髪をいじられるのも最後か・・・)


たまにクルーウェル先生は他のみんなに内緒で私を町に連れ出してくれた。
必要なものは事情を知っているサムさんが全部手配してくれたけど、でもそれだけじゃ足りないもの。美容院だとか、おいしいスイーツを食べられるカフェとか。
その際は『この俺の隣を歩くんだからお前もしゃんとしろ』と言って最初の内は髪や化粧を直されたものだ。自分で多少はできるようになってからは久しいけれど。


(まぁ、こんな格好良くて素敵な人にそんな風に扱ってもらえたらも、もちろん自惚れそうになるんだけど。でも先生はそういうのじゃないんだよね)


二人きりで補習をする時も、街を歩く時も、先生はそれ以上の事はしてこなかった。
ただ私を一人の生徒として、女の子として。教師として大人として大事にしてくれた。まるで親戚のおじと姪のような距離感が嬉しい。


(おじさん呼ばわりなんてしたらぶっ殺されそうだけど、でも、先生のそういうところが好きだな)


もちろん私も愛情ではなく親愛だけど。
先生もそれが分かっているからこうして接してくれるのだろう。お互いに口にはしないけれど、その距離感が心地よいのだと分かっていた。


「できたぞ、仔犬。鏡を見てみろ」


ぼんやり考えている内に終わっていたらしく、改めて鏡を覗き込むと緻密に編み込まれた髪が白い花で可愛らしく飾られている。
崩さないように慎重に花に触れると、造花ではなく生花の感触がした。その辺に咲いていたものを使ったのかもしれない。


「すごい・・・・・先生、天才・・・・」

「当然だ。化粧は───少し直す程度でいいか。悪くない」

「エースに色々教わったんです。エースはそういうの得意だから」

「化粧を覚えるのはいい事だ。自分を美しく飾る事は自信になる。自信は更に己を輝かせる」


瞼にいつもより濃いアイシャドウを載せて、そして全体に軽く手を加えていく。そして最後に赤い口紅を乗せられた。
男の時には基本的にしない口紅は、なんだか自分が大人の女性になったようでドキドキする。


「色、濃くないですかね?」

「こういう時は少し濃いくらいがいい。ほら、立ってみろ───うん、さすが俺の見立てだ。よく似合っている」

「おお・・・さすがあのヴィル先輩も感服したクルーウェル大先生のセンス・・・」


手を引かれて立ち上がって、改めて手鏡を覗いてみる。先生の言う通り、色が濃すぎる事なんてなかった。むしろ似合っているくらい。
さすがあのヴィル先輩をも感服させた美意識への高さである。私も見習っていかなければ。

そして先生の胸元に挿していたブートニアを抜いて私の手首に巻いてくれる。即席のプロムコサージュだ。葉と花が肌に触れる感触が少しくすぐったい。


「女の子になったみたい」

「みたい、じゃなくて元からそうだろうが。───では」


月明りの落とす影すら美しい男がその長身を屈めて恭しく手を差し伸べる。誘うような仕草に首を傾げると、柔らかく微笑んだ。


「プロムでは最後の投票でキングとクイーンを選んで、ペアで踊ってフィナーレを飾る決まりがある。───お手をどうぞ、クイーン」

「・・・・・、・・、クイーン!!?私が!!!?あ、いや、あの、先生がキングなのは、そりゃ、納得だけど、」


でも、という否定の言葉をぐっと飲み込む。視界の端には揺れるドレスの裾と、さっき鏡で見たいつもよりも可愛くなった自分の顔。先生の言葉。


「────、」


お姫様を誘う王子様のように差し出された大きな手。この場には他に誰もいない、私だけのための。
いつもの自己否定をやめて、俯いた顔を上げて、先生を見る。キングは、何の含みもてらいもなくただクイーンを待っていた。私を一心に見つめている。


「・・・こんにちは!クイーンです!今日はよろしくお願いします!!!!」


半ばヤケクソに帰して、握手をするようにぐっと力強く握り返すと、堪え切れなかったようにキングがくつくつと笑った。そして私の手を引いて自分へと引き寄せる。


「プロムのレッスンでやったワルツのステップはちゃんと覚えているか?」

「女の子役のは、途中からやめちゃったけど・・・でも実はオンボロ寮の鏡の前で練習したりしてました」

「上等だ。俺が合わせるから動いてみろ」


オンボロ寮で踊った時はゴーストが付き合ってくれたけど、生きた人間、しかもこんなにかっこいい人と踊る事になろうとは。

長い睫毛に飾られた白金の瞳は麗しく、象牙の肌は女性的な艶めかしく、完璧な形の鼻梁も全て同じ人間という括りに入るとは思えない程に美しい。
ほとんどの女性を一目見ただけで虜にするような、こんな美しい人が自分を気に掛けてくれる事に堪らなく心が震えた。

緊張で騒がしく、いっそ止めた方が楽になりそうな心臓を抑えながら大きく息を吸って、吐いて、恐る恐る一歩踏み出す。
最後まできちんとレッスンを受けたわけではないから間違っているかもしれないけど、先生は何も言わない。私のぎこちないステップに合わせて動いてくれる。


(・・・・すごい。楽しい・・・・・・)


観客もなく、音楽もなく、煌びやかな照明も飾りもない。舞台は日常の授業でも使う植物園。
でも月と星がガラス越しの天井を美しく飾り、周囲からは花々の香りが漂い、私達の靴音だけが静かな世界に響いている。二人だけのダンスホールだ。
性愛も恋慕もなく、一心にこの時を楽しみ踊る。一歩一歩ステップを踏むごとに、記憶を刻んで、美しい思い出が頭の中に記されていく。


「すてき、夢みたい」


自然と呟いてしまった浮かれた言葉に恥ずかしくなるが、聞こえているはずの相手はそれを笑ったりしなかった。
誤魔化す言葉がついて出そうになった赤い唇を閉じて、再び足はステップを刻む。静かな靴の音だけが世界と記憶の中に深く響いていた。


















どのくらい踊っていただろうか。


「あ、」


ドームのガラス越しの夜闇。その遠くから響く鐘の音はプロムが終わった事を告げていた。
つまり友人達とのアフターパーティ─の時間が近いということだ。この夢のような時間も終わりなのだ。

その音を合図にステップを踏んでいた足が止まって、自然とお互いの目が合う。
自分でも恥ずかしくくらいハッキリと『名残惜しい』と顔に出ている自覚があるが、するりと先生の手は離れていった。残念だけど当然だ。


「先生、ありがとうございました。私もそろそろ行かないと、」

「その前に仔犬。最後の授業の時間だ」

「へ?・・・・エッ!!?このタイミングで!!!!?」


めちゃくちゃいい雰囲気だったのにいきなり授業!?なんで!!!?

ガーーンと、さっきまでの夢見る時間はあっという間に凍り付き、裏切られた気持ちで顔が渋くなる。シンデレラだってもっと夢を見る時間があっただろう。
露骨にショックを受ける私をよそに、先生は私の前に黒い小瓶を翳して見せる。一切の光の反射もない、闇の不吉さがそのまま形をとったような瓶には見覚えがあった。


「それって・・・確かヤバい薬とかを保管する用の特殊なやつじゃ・・・何入れてきたんですか・・」

「正解だ。中に入っているのは『ミダス王の指先』という、触れたものを黄金に変える禁薬だ。その材料の調達もさることながら精製も困難を極める」


私の腕に巻いていたプロムコサージュを解くと、漆黒の瓶の中へ花の先端を浸す。
すると、みるみる内に浸された先から花が黄金へと変わっていった。魔法の作る不思議な光景に、口を開けて間抜けに見入る。


「だが、今日ではこの薬を作るもの好きはいない。何故だか分かるか?」

「えっと・・・魔法で作った黄金の流通は厳しく制限されているから、作っても流せない・・・割に合わないから、でしたっけ?」

「そう、『採算が合わない』のだ。そもそも申請のない金の錬成は違法で、魔法鑑定ですぐにバレる」

「はぁ・・・・」


よくできました、と上機嫌そうに先生の艶のある唇が微笑む。生徒の私としてはまだまだ幻想の余韻に浸りたいのに、急な現実に頭がついていけていないのだが。

しかしまぁ、触れたものが黄金になるなんて夢のある話なのに、経済が絡んでしまえば夢のない話だ。魔法と幻想の世界でもお金は厳しい。
───あと今の話だと、しれっと犯罪行為を目撃している事になる気がするのだが。なんで?もうすぐ消える人間だから犯罪に巻き込んでもOKだと?

いまいち意図が分からずに首を傾げる私に柔らかく微笑み、まるで紳士が淑女にそうするように黄金になった小さな花束を差し出す。


「この花を、今日と、そしてこれまでの記念に。永遠に枯れない花だ」

「・・・・、えっ!!?」


反射的に差し出された花を受け取ってしまう、が内心では頭が混乱している。
きらきらと月明りを受けて金色に光る花はまるで名匠が作り上げた精巧な黄金細工のようで、とても生花だったようには見えない。でも、これは。


「思い出として飾るもよし。そしてお前がもし、これからさき生活に困るようなことがあれば売ってしまうのもいいだろう」


友達と悪戯を共有する幼い子供のように、私の耳にこっそりと耳打ちする。


「そっちの世界に魔法鑑定士はいないのだろう?」

「────、それ、犯罪ですよ」


当然だ、と悪い笑みを浮かべる先生に対し私もきっと悪い笑みを浮かべていただろう。
黄金になった花に頬を寄せるともう芳香は感じられないがまだ温かく、そこに人々を惑わす欲望ではなく枯れない魔法の記憶を見出した。
まるで子供の頃にもらった偽物の金と宝石のブローチのように、価値を越えた尊い宝物を大事に抱き寄せる。


「だから一生大事にします。手放してしまう羽目にならないように。帰ってからも、頑張ります」

「いい返事だ。さすが俺の生徒だな」


きっと先生は言葉の通り、私がこれを売り払ってしまっても構わないのだろう。
だからこそ大事にしたい。この人は私が元の世界に戻っても思い出を手放さないように頑張れるという期待もしてくれているのだ。こんな私なんかに。


「寮まで送ってやろう。その姿で仔犬たちの度肝を抜いてやれ。それからはお前達だけの時間だ」

「はい!」


麗しの恩師の手をとって外の煉瓦道を歩くと、何人かの生徒がぎょっとしたような目で見てくるがちっとも気にならない。
この植物園に来るまではあんなに憂鬱だった世界も、そしてこれからの想像も、今ではこの黄金のように輝かしいものに思えた。

不安に俯いていた顔を上げて逃げ出したくっていた背筋を伸ばして後ろ向きだった目は前を見て、羽根のように軽い足で、未来への道を歩いていく。
























私の祖母は少し変わっている。
請われれば魔法や空想の話を、まるで見てきたかのように真実味をもって語る。
最も顕著なのは、なんと今の私と同じ年くらいの頃に行方不明になっていたと思ったらひょっこり帰ってきたことだ。

それからは、世間と周囲の好奇の眼差しと、学業と生活に苦労しながらもなんとか生きて、そして今は病室のベッドで眠る時間の方が長い時を過ごしている。


(・・・・あ、)


いつもの通り、祖母の見舞いに病室を訪れるとフードを被った血の凍るほど美しい男性が傍に座っていた。
血色の悪そうな美しい唇には笑みを浮かべて、まるで長年の友人のように談笑していた。おばあちゃんも薄くなった色の唇が微笑んでいた。

切り出されたばかりの宝石のように深い緑の瞳が私を見る。針のように細い瞳孔は、どこか非現実的な美と空気を纏っていた。


「ふむ、客人か。なら僕は失礼しよう」

「あ、でも、私はその、また後で来るから気にしなくても、」


私という第三者の登場で二人の世界を壊してしまったのだという理解は申し訳ないという気持ちをもたらした。

いや、そもそもこの男の人は何なんだろう。おばあちゃんの友達にしては年が離れすぎているし。
病院の中なのにフードを被りっぱなしというのも失礼なんじゃ、いや、どうして血縁者の私でも知らない人を病院の受付は通したのだろう。

怪訝そうな表情を浮かべる私をしばらく深緑の瞳で眺めていたが、やがて柔らかく微笑んだ。唐突な行為の表現だが、不思議と悪い気はしなかった。
祖母たっての希望で置いている姿見の鏡の前を横切って、病室のドアへ向かう。


「あら、そっちからちゃんと帰れるの?」

「僕を誰だと思っている。───また日を改める」


長身が部屋の外に消えて、自然と詰めていた息を解放する。祖母は皺だらけになった手をひらひらと振っていた。


「おばあちゃん、今の人、誰?」

「私の友達。忙しいのに、こうして会いに来てくれるの」

「へぇ・・・・・」


どこであんな美人と知り合ったんだとか、どういう繋がりなんだとか、聞きたいことはたくさんあったけれど何となく口にできない。それを聞くのはなんだかまずい気がしたのだ。
気まずくない沈黙のあとに、血管が薄く浮いた生白い手が金色の花を握っていることに気付いた。これも祖母の宝物だ。


「おばあちゃん、それ本当に大事にしてるよね。まさか本物だったりして」

「実はそのまさかなの。でも、私にとってはそれ以上に価値のある宝物だわ」

「またまた!それが本物の金だったらとんでもない価値になるじゃん。そんな高価なのがウチなんかにあるわけないでしょ!」


祖母の冗談を聞き流して、鞄からノートとシャープペンを取り出す。
ぱらぱらとめくる髪にはびっしりと文字が書かれている。私の空想を膨らませ、留めてきた大事な紙の束だ。


「ね、また不思議なお話を聞かせて。ネタの参考にするからさ」

「───そうね、じゃあこの枯れない花の話でもどう?」


いつものように、まるで思い出のように語られる空想の話に耳を傾ける。お話をしてくれる祖母は少女の笑みを浮かべていた。
本当はその内容よりも、この表情が堪らなく好きだ。だからこうして小学生みたいに何度もせがんでしまう。

うららかな春の陽気と花の匂いが僅かに漂う病室の中、金メッキのはずの花束からは香しい思いが咲き誇っていた。









































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あとがき。
お誕生日のリクエストを頂き書かせていただきました。
リクエスト内容は「クルーウェルとプロムに出る監督生」「憧れの先生と卒業直前に最後の思い出作り」「恋愛より尊敬や親愛の感じが強め」です。

女バレしている→
元の世界に戻る魔法の儀式や諸々の準備・リソースの捻出に伴い学園長の認識阻害の魔法は同意の上で解けている。
女バレしてからは(下心ありきで)持て囃す生徒と性別を理由に見下す生徒が出てきたが、エース達を始めとする元寮長組が色々と手を回しまくったので無事に済んだ。

クル先と外出→
自分にとっては将来性のない魔法の勉学に腐る監督生とクルーウェル先生の話を書きたい!と去年あたりから思って結局書いてないネタ。
勉強にやる気を出す代わりに美容院などに連れて行ってもらうという約束があり、その際に必ずファッションチェックが行われていた
(「例え生徒でも俺の隣を歩くのなら妥協は許さん」という考え)(仕方がないとはいえ、初回は安物ブランドの服を着て行って先生を卒倒させかけ、そのあと服屋に直行した)

(クル先の)ブートニアの花→
監督生は花の種類がよく分かってないけれど、良い男は花言葉に詳しい(決めつけ)ので門出を祝福する花言葉の花で編んでいる。ガーベラとかスイートピーとか。
でもそれをわざわざこういう意味だよなんて言わない。監督生は元の世界に戻ってからその意味に気付いたと思われる。

やべー魔法薬の瓶→
瓶の中に魔法がかかっていて、液体が瓶に触れない特殊な造りになっている。劇薬専用保存瓶。

ミダス王の指先→
触れたものが全て黄金になる祝福を望んだ王様とその顛末はあまりにも有名な神話。

黄金→
ラギー先輩のウキウキぶりを見るに、もしかしたらちゃんと採算はとれるのかもしれない・・・

後日談→
蛇足かな・・・と思いつつ、でもあの花を結局どうしたのか書きたくて加えた。
プロットの段階ではマレウスはいなかったけれど、離別の悲嘆に暮れていない理由として行き来できる風の匂わせ。
姿見の鏡は元々監督生の部屋にあったもの。異世界への出入口。入院が決まってから勝手にマレウスが置いた。
でも病院関係者の誰もその存在を気に留めていないし、誰も疑問に思わない。そういう魔法がかかっている。


2021年8月22日執筆 八坂潤
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