部屋はぴんと張り詰めた空気としんと身の締まるような静寂に包まれていた。

筆を置いて息を吐き、机の上に積み上げた書状の山を見つめて自分ができる全ての仕事が終わってしまったことに気付く。
できることならば自分の手で全ての仕事を遂げてしまいたい。家康への復讐に費やす時間が惜しい。
しかし西軍の大将といえどある程度は誰かに許可や同意を得なければならないものもある―――ああ厄介なものだ。

軽く肩を回せば枯れ枝を踏みしめるような音がした。そういえば今日は食事をとっていない。


(まだ夕刻にもなっていない―――今日は仕事が終わるのが早いな。)


いつもならばもう少し手間取っているはずだが、と考えてそういえば朝からその原因を見ていないことに気付いた。

常ならが私に休憩や食事をとらせようとしつこく噛み付いてくるものだから仕事の進みが悪い。
そのことに対して苛立ちを感じてはいたが、刑部にも同じことを言いたいのだと思うと気も重かった。


(・・・・・・は何をしている?どこにいる?)


いつもなら頼まれなくても傍で騒いでいるというのに、なんとなくその不在に苛々とした気持ちになって立ち上がる。

しかしそこまでしてからが行きそうな場所など自分が知らないことに気付いた。
そもそも今、何故ここにいないのかすら私は知らない―――私はについて何も知らない。知ろうとしたことがない。

そしてまたそこまで考えると何故自分がについて詳しくなければならないのかと再び苛々とした心地になった。


「刑部。はどこにいる?」


人気の少ない友人の部屋にまで足を伸ばしたがの姿はない。
どうせ刑部の傍に居るのだろうと予想していたが、ここにもいないことに軽い驚きを覚えた。
何もできないながらも何かをしようとする姿勢は評価してやっていたというのに―――どこで何をしている。

私の姿と言葉を聞いて刑部が包帯に包まれた顔と細い肩を震わせて、枯れ木がざわめくように微かに笑った。


「ヤレ、三成探しものか・・・ひひっまさか主がを探すとはなァ。」

「朝から姿が見えない。怠けているのであったら私が直々に仕置きをくれてやる。」


秀吉様の城で怠惰を貪るなど、想像しただけで刀を握る手に力が入り怒りがこみ上げる。
込められた力に微かに悲鳴を上げた鞘の音はこの部屋には存外大きく響いた。

刑部の手伝いをしているのと言うのなら構わなかったが、ここにもいないとなるとどこかで惰眠を貪っているに違いない。
この胸の内に燻ぶる不快な感情と合わせて怠け者には似合いの罰をくれてやらねばならない。


「・・・・・まァ、我はの場所を知っているが。」

「それはどこだ?髪を掴み引き摺りだしてやる。」

「しかし三成には教えるなと言われておってなぁ・・・善良な我にはそのお願いを無下にはデキヌのよ。
 それにこれは徳川と我しか知らぬことよ・・・・ひひっひひひひひひっ」

「何だと・・・!?」


徳川と刑部しか知らない―――私には知らされていないこと?そして私には知らせるなだと?

意味ありげな含み笑いを漏らす刑部をぎろりと蛇のように睨めつけるが、そんなものはどこ吹く風といった様子で喉を震わせる。
痺れを切らせて激情のままに床に刀を振り下ろせば鞘ごと畳にのめり込んだ。


「三成よ、畳は大事にしろとあれほど・・・」

「刑部。はどこにいる。」


その名を聞いただけでも不快だったが、更に家康と刑部のみが知っていて私は知らされていないというのが更に不愉快だった。
あまつさえ私には知らせるなだと?あの女はどこで何をしている。私に隠すなど生意気だ。


「ひひっ仕方なきこと・・・今までも同じことは何度もあったのよ。主が気付いていないだけで。
 それをいち早く発見したのが誰よりもを気にかけていた徳川で、その次はただ単に不在に気付いた我だったというだけの話。」

「――――今までに何度もあった。」


刑部の言葉を反芻するが全く覚えがない。
がいなくなったことなど―――いや、あったのかもしれないが、そもそも不在が気にかかったのは今回が初めてだ。
なぜ今更になって取るに足らない人間を気にかけるようになったのか。それは傍にいると言ったその口で離れたからか。

先程からの会話で自分がすっかり蚊帳の外に置かれているのだと、それ自体は構わないはずなのに苛々とした感情は募るばかり。
そして何故自分がこんな訳のわからない感情に振り回されねばならぬのかと余計に苛立ちは増していく。

以前はこんなことはなかった。私の心は凪いだ海のように静かだったというのに、何故。

この怒りはにぶつけて解消してやらねばと一層の怒りを募らせるが、しかし、


「アレは今きっと泣いておるのよ。」


溜息をつくように吐き出された言葉にぴしゃりと冷水を浴びせられたような心地になった。

泣いている?が泣いている?何故、貴様が泣く?貴様の泣く理由が分からない。

初めこそは追従の笑みを浮かべてこちらが呼吸をするだけで怯えていたような情けない顔も、最近ではずいぶん生意気になった。
多少の凄みでは引かなくなったしあの気持ち悪い微笑みも浮かべなくなった。泣き顔なんて尚更。


「は時折、家が恋しい恋しいと泣くのよ・・・ひひっ
 我のところにもいない、主のところにもいないとなればそれしかないであろうなぁ。」

「ハッ・・・まさか、家を恋しがるような年でもあるまい。」

「常ならばそうやもしれぬ、がの場合は事情が事情であろ?
 時折、不安が溜まって積もって一人で誰にも見られないよう上手に泣きやる。ほーむしっくと言うらしいが。」


事情が事情、というのはが未来からやってきた人間でここには家がないということだ。
そもそもまだ生まれていないのだから帰る場所がない、というのは当然の話だが鈍器で頭を殴られたような衝撃があった。

が家を、家族を、帰る場所を思い焦がらせてどこかで泣いている。

別に、そんなのは構わないはずだというのに、むしろ静かで仕事ははかどると言うのに、その合理性に納得がいかない自分が居た。


「そんなものは、甘えだ。誰にも言わずに仕事を休むなど、」

「ああそういえば、今朝、我に仕事を休みたいと申し出ていたのを忘れていた。」


うっかりウッカリ、と白々しく付け足す友の言葉にまたちりりと胸の内が焦げ付いた。


「以前は徳川が真っ先に察知して慰めていたようだが・・・・はて、我はまだ仕事があるゆえそうもいかぬなぁ。」

「――――は、どこにいる。」

「自分の部屋の押し入れの中に貝のように閉じこもっているであろ。
 が以前に安心して泣ける場所はそこしかないと言っておった。」


それを聞くや否や、気付けば刑部の部屋を飛び出しての部屋へ向かっていた。

胸の内側からじりじりと焦がしていくような気持ちは、家が恋しいなどという軟弱な理由で怠惰を貪ることへの怒りだ。
この城にいる以上は秀吉様の為に働かなければならないことなど、重々に承知しているはずだというのにそこまで頭も悪いのかと失望した。

そしてに与えた部屋で、言われたとおりに押入れを開ければが中で身を丸めている。
しかしそれはいつものこちらが用意した着物姿ではなく、未来のものだと言うあの妙な着物を身に纏っていた。
子供が宝物にそうするように、未来の道具が入った袋をぎゅうと愛おしげに抱き寄せて眠っている。

目の周りは兎の眼のように赤く髪はぼさぼさで、泣き疲れて眠っているということは明らかだった。

鉄拳で制裁でも加えてやろうと振り上げていた拳は、しかしそのまま振り下ろす気にはなれず行き場をなくす。
怒鳴り散らしてやろうと思っていた罵声も、しかしそのまま吐き出す気になれず空気に融ける。

代わりに穏やかな―――誰かに向けるこど考えたこともないような穏やかな手つきでの髪に触れた。


「う、ぇ・・・・、だれ、」


たったそれだけの事なのに普段とは違い敏感にが反応し黒い目を開ける。
初めはゆらゆらと揺れているだけだった瞳はやっと私に焦点が合うと慌てたように立ち上がり、当然のように天井に頭をぶつけた。


「ぐげぇ!!?・・・・・〜〜っ」


酷い音と共に蛙を轢き殺したような惨めな悲鳴を漏らして、黒い頭を押さえてがうずくまる。
その様子が熱湯をかけられ転げまわる虫のように見えて放置していると、やがて恨みがましげに黒目がこちらを見つめた。
そんな目で見られても私は何もしていない。今のは貴様の勝手で間抜けな自滅だろう。


「みつ、みつなりさま、何でここに、いった・・・なんで、ここに、」

「―――貴様こそ、ここで何をしている。」

「わ、私は、その・・・・」


一瞬だけの顔の部品が再び泣きだしそうな表情に変わるが、一瞬で取り繕うような笑みを浮かべる。
しかしそれが最初の頃に見飽きたあの気持ち悪い追従の笑みだということに気付いて気分が悪くなった。

この女は隠そうとしている―――私に対して取り繕おうとしている。今はそれが何より気に食わない。


「ええと、具合が悪いです・・・・吉継さまにはお伝えしたんですけど、」

「家が恋しいのか。」


刑部に教えられた通りの指摘をしてやればの顔が再び泣きだす寸前の子供のような表情に変わる。
視線を何度もおどおどと彷徨わせて、逃げ場を探しているようだったが退路はない。
いつの間にか無意識の内に襖を握る手に力が入っていることに、の顔が更に青ざめてからやっと気が付いた。


「―――何故、私に黙っていた。私に嘘など許さないと言ったはずだが。」

「・・・・・・でも三成さま、その、怒るでしょう。もしくは馬鹿にしますか?
 私だってこの年でホームシックなんてどうかと思うけれど、でも、私、」


睫毛にじわじわと水分が溜まっていき黒目が水面のようにゆらゆらと揺れる。
そのまま泣いてしまうかと思ったが目に見えてぐっと堪えて俯いた。

どうあっても泣き顔を見られたくないとでも言いたい態度にまたじりりと焦がされるような心地になって、不快になる。


「すみません、私、明日から、また、がんばるので、」


ちらりと目線をやると、すっかり冷めた朝餉が部屋の隅に置かれているのが見えた。
人には飯を食えと五月蠅くまた自身も欠かさない癖に、手を付けないでずっとこのままいたというのか。


「また、がんばるから、だから、今日は、」


お願いですから許してください。

消え入りそうな懇願の声を残して小さな手が襖を閉めようと懸命に抗う。
その姿に、ついに胸の内に渦巻いていた訳のわからないもやもやした感情が爆発しての手を掴んだ。
驚きに見開かれる小さな目が自分を映したのを確認し少し心が静まったが、そのまま押入れの中から強引に引き摺り出す。

そして黒い頭を押さえこむように私の胸板に押し付けて、逃げようと抗う身体を腕の中に閉じ込めた。
抵抗しようと試みるのが不快で、更に強く絞め殺すように抱き寄せてやれば小さな悲鳴が漏れる。


「え、ちょっ、なに、何ですか、何で、」

「五月蠅い。それ以上わめくと斬滅する!」

「ヒイィ!!」


蛙が轢き殺されるような悲鳴を上げてがやっと黙りこむが、こちらを伺うような戸惑った気配が感じられて少し苛立つ。

自分は何をしようとしているのか。
を慰めようとしているのか―――慰めてどうなる?だがこの泣き顔は自分の内の何かを乱すのが不快だ。

そもそも、ごときに自分の心が乱されるのが不快で、しかし放置しておくのも不愉快で、そして時間をとられるのも、


「――――泣くな。」


結局は命令のような言葉を吐き出すことしかできなかった。

誰かを慰めようとしたことがないから、こんな時どうすればいいのか分からない。
喜ばせればいいのかもしれないがが何をされれば喜ぶのか分からない。
他の女ならばまだしも、未来の人間の悲しみなど自分には分からない―――ああ、そう思うとまた不快な感情が首をもたげる。


「。」


前に城下町で泣いている子供を見かけた時、母親らしき女が名前を呼んで頭を撫でていたのを思い出した。
それを再現するように手入れのされていない黒髪を梳いてやると、あまり指通りのよくない髪が手の間を通り抜けていく。
何度も何度もそうやって往復しているとがおずおずと声をあげた。


「・・・・・三成さま、偉そうだけどもしかして私を慰めてくれてるんですかね?」


偉そう、とは心外な言葉な言葉だったが微かにが笑う気配がする。
声も先程の悲壮感に満ちたものではなく、普段通りとまではいかなくても幾分かは回復した声だった。


「貴様が泣くと私は不愉快だ。だから、泣くな。」

「そうですね・・・次回からは、気を付けます。もう泣かないようにするので。」


顔を上げたが笑顔を作り―――それは先程のような愛想を売る笑みではなかったが、まだ私を拒絶するような微笑みだった。

私が「泣くな」と命令するのは簡単だが、どうせこの女はまた陰でこそこそと泣くに違いない。
その事を誰にも知らせず、私に隠して、再びこの未来の着物を着て未来の物を抱いて未来を夢想して涙にくれるのだろう。


「違う―――泣いてもいい。だが、私のいないところで勝手に泣くことは許さない。」

「へ?」


鳩が豆鉄砲を食らったような間の抜けた顔をしてが私を見る。
そのいかにも意外ですと言わんばかりの表情がまた気に入らなくて鼻を思い切り摘まんでやった。


「いっつぅ・・・・!!!」

「今度、私に隠し事をしたらこの低い鼻を削ぎ落としてやる。」

「なっ・・・いや、でも、三成さま忙しいから悪いし、」

「何度も言わせるな。が泣く方が私には不愉快だ。」


が私の言葉を理解しようと瞳を瞬かせ、少ししてから微笑む。
あの気分の悪くなる笑みだったらどうしてくれようかと考えたが、しかしそれは他意のない笑顔だった。

先程まではみっともなく泣き散らしていたというのに何故笑うのかと疑問に思う。


「・・・・・三成さま、私は寂しかったんです。」

「聞いている。」


やっと認めたのか馬鹿め、と鼻で笑ってやるとまだ目尻に涙を残したままの笑みが深くなる。
戯れにそれを拭ってやれば、人肌を吸った液体の生温かい温度があった。


「でも今は寂しくなくなりました。三成さま、ありがとうございます。」


その言葉を聞いてやっと胸の内の焦燥感がやっと晴れて溜息をつく。
自分の心を乱すのも落ち着かせたのものせいだというのは気に食わなかったが、今はどうでもいい。
泣き止みはしたがもう少しこのまま抱き寄せて髪を梳いてやると、夜色の目が穏やかに細められる。

もう少しの気分が落ち着いたら、その時は好きな食べ物くらいは聞いてやってもいいだろう。




































→お好みで後味が悪いのもどうぞ(鬱注意
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あとがき。
碧様リクエスト(三成視点でヒロインに心が動かされる話)でした!リクエストどうもありがとうございます。

コメントの中にできれば鬱じゃない方で、と書いてあるのを見てさすがと思いました。はい、この一文がなければ鬱展開を書く気満々でした。
・・・・・・えっていうかコレ鬱じゃないよね?ヒロイン落ち込んでるけど鬱じゃないよね?(鬱の境界があいまいになっている

文章が稚拙なのは元々ですが、ゆらゆらとした印象があるのは三成視点だからです。
ヒロインはある程度、自分の気持ちを理解しているし理由もつけられるけど、三成は情操教育をすげえ疎かにされている印象があるので。
自分のもやもやした感情に理由が付けられず、整理ができず、原因も分からないので、文章が全体的に足が地に付いていない感じを受けてもらえれば。

どうでもいい主張をすると、私はカントリーマアムは神の作りしアーティファクトの一種だと思っています(キリッ

では、30万打どうもありがとうございました!

 
2011年 2月5日執筆  八坂潤


 
 
 
 
 
 

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