「ふんぬ!ぬぬぬぬぬぬぬぬ・・・・」


たぶん男の人にしては軽いであろう(しかし女の私には重い)身体を背負い廊下を遅々として進む。
私に背負われている三成さまは、平生とは違い無防備な寝顔を晒している。
美貌も相まって天使の寝顔だ―――もっともそう評せるのは普段の暴君っぷりを知らない人間だけだろうが。

相手の背が高いために半ば引き摺るような形になり、擦れ違う女中さんや兵士の人達が顔を顰めたのが分かる。
でも誰も手を貸そうとはしてくれない・・・・前は家康さまが手伝ってくれたけど、その人はもうここにはいない。


(吉継さまも、何で私に任せるんだろう・・・もっと力持ちの人にやらせれば、いいのに!)


戦から帰ってきたという吉継さまを迎えると、私に気絶した三成さまの身体を浮かせて寄越した。
人形のように力が抜けた体を受け取り戸惑っている私に「三成の世話を頼む」と言ったのだ。
吉継さまは戦後の処理で忙しいそうで、私達を置いてふより輿に乗ってとどこかへ行ってしまった。


「ついた・・・・」


ぜぇはぁと息を切らせて三成さまの部屋に何とか辿り着く。
こんな時でも刀を手放そうとしない相手に半ば呆れながら、行儀悪く足で戸を開ける。
とりあえず部屋の隅に、返り血で赤く染まった身体を壁にもたれさせて急いで布団を敷く。

初めてこんなことを頼まれたらもっと手際は悪かったかもしれないが、二度目となればある程度は慣れたものである。
今回は家康さまの手伝いはないことに寂寥感を覚えたが、けれどどうしようもないことだった。


「・・・・三成さま、失礼しますよ。」


布団の上に三成さまをできるだけ丁寧に、起こさないよう横たえ一息つく。
そして籠手を留める紫紺の紐を手早く解いてがちゃりと畳の上に置き、武装解除した腕を横たえる。
久しぶりに見た素肌からは幽霊のように冷たい体温と病的に白い肌、骨の浮いた肉付きの悪い腕が覗いていてこっそり溜息をついた。


(また痩せたんだなこの人・・・・秀吉様が亡くなったから、無理もないかもしれないけれど。)


同じ要領で肩当て、羽織、胸当て、脛当てを記憶を辿りながら起こさないようそっと外して横に並べる。
いつ起きて首をかっ切られるか気が気でなかったが、ついに作業が終わってもその長い睫毛に縁取られた瞳が開くことはなかった。


(前に家康さまが言ってたっけ・・・この状態でも三成さまが信用している人間しか近付けないとか。)


つまり一度は秀吉様と家康さまの事で決裂しかけた私との仲も、少しは回復したと自惚れてもいいんだろうか。
それともあれはただの冗談で、本当はそんな事はなくて誰に対しても反応できずにいるだけなんだろうか。

その疑問に答えてくれる人は、今は傍らにいない。私達を置いて敵側へ回ってしまった。


(っていうか生きてる?これ生きてる?死んで・・・ないよね・・・・?)


恐る恐る手首をとり脈をはかると、微かに帰ってきた命の振動に自分でも戸惑う位に安心してしまった。

生きているというのは普段は当然のように享受しているものなのに、この人はなんて綱渡りの人生を生きているんだろう。
なんとなくその冷えた手を温めるように自分の手で包み込みぼうっとしてしまう。
私がどれだけ三成さまを心配しているのか、この手を通じて少しでも伝わればいいのに。


「――――失礼いたします。」


そうしていると、後ろから知らない女の人の声が聞こえて粛々と襖が開かれる。
傍らに水が入っているであろう桶を置いて正座している女中さんは私を見て胡乱な眼をして少し落ち込んだ。
ここの人達が自分に対してあまりいい感情を持っていないのを知っているけれど、でも人の悪意っていうのはいつまでも慣れない。


「後は私がやりますので。」

「あ、お願いします。」


何となくつっけんどんな言い方に、しかし反論する言葉も持たず白い手をそっと布団の上に戻す。
本来なら私みたいな不審人物が城主の部屋で世話をしているなんてあまりいい感情は持たれないだろう。
それを見越しているだろうに、三成さまを頼んだ吉継さまもまったく意地が悪い。

意地を張る理由もなく後はこの女中さんに任せることにして、音を立てないようにそっと立ちあがって場所を譲る。
とりあえず私としては三成さまの無事を確認できたから一安心だ。
次は吉継さまも気になる―――見た感じではピンピンしていたけれど、念のために。

安堵感とここのところの寝不足からこみあげてくる眠気と欠伸を噛み殺し、その場を後にしようとする。
しかし背後から聞こえてきた小さな物音と、蛙を轢き殺したような悲鳴に思わず振り返った。


「ここで何をしようとしていた・・・言え!!」

「ひッ・・・あ、ぁ・・・・」


目前の光景に心臓が止まりそうになった。

灯を受けてほのかに橙色に輝く刃を突きつけ、三成さまが手負いの獣のように荒い息を吐いている。
細い首筋に武器を押し付けられ凶王の殺気にあてられ女中さんが息苦しさに喘いでいた。
その尋常ではない殺意に私も怯えたが、よくよく考えればいつもと似たようなものだと自分を奮い立たせ三成さまの制止にかかった。

恐る恐る武器を持つ細腕を掴んで懸命に声を張り上げる。


「ちょ、ちょっと、三成さま!駄目ですよ落ち着いて!!
 ここはお城ですよ!敵のところじゃないですよ!証拠にほら、私がいますよ!!だから落ち着いて、」

「貴様まで何故ここにいる・・・・?」

「えっと、私は三成さまの装備を外してました!
 そこの女中さんだって返り血を綺麗にしようとしただけで、襲おうとしたりはしてません!!」


宥める私の声が届いたのか、とりあえずだらりと武器を下ろすと解放された女中さんが足早に立ち去る。
引き留める間もなく、かといってみっともなく駆けるわけでもなく、卒のない逃走だった・・・・・見習うべきかもしれない。

なんとなく私も後に続けなくて、制止するために浮かせていた腰を布団の傍らに下ろした。
初めてではないといっても、三成さまが武器を抜くといつも心臓が竦み上がってしまう。
未だに緊張の余韻で微かに震える腕をさりげなくそっと後ろに隠した。


「・・・もしかして三成さまびっくりするかもしれないけれどこういうことするの、初めてじゃないですよ。二回目です。」

「―――貴様がやっていたのか。」

「え、逆に誰がやってたと思ってたんですか。」

「・・・・・・女中が勝手にやっていたのかと思っていた。」


憮然と呟き、自身の咄嗟の反応を確かめるように手を握ったり放したりしている。
あんなすごい拒絶反応を起こしておいて、人の苦労も知らないでか。


「でも前は、家康さまも一緒でしたから、それより前はきっと、・・・・っ!」


刀こそ突き付けられたりはしなかったものの、腕を掴んで容赦なくぎりぎりと力を込められる。
与えられる痛みに顔を呻き、振り払おうと枯れ木のような腕に手を伸ばすが叶わない。
私の抵抗が生意気だとでも感じたのか更に込められた剛力に、痕になるのを諦めて腕を離した。


「家康の名前を出すな!しかも私の世話をしていただと・・・汚らわしい・・・・!!」

「三成さま・・・・」


投げ捨てるように腕をいきおいよく放られ、赤くなった部分にそっと触れる。
少しは配慮とかを感じさせてもいいだろうに、全く遠慮がない―――だからこそ周囲の人達と違って救われる部分もあるけれど。

何にせよ思わぬ形で家康さまのあの言葉が本当だと判明したわけだ。
自分の方が気を許されているのだと少しだけ優越感に浸ったが、そんな自分が浅ましくて考えを追い払う。
きっとこんな感情は相手にとって理解できないもので、そして軽蔑されるように感じたからだ。

内心の醜い感情を三成さまに悟られないよう平然とした表情を全力でつくる。この人に呆れられたくなんてない。


「・・・・まぁいいや、三成さま起きたのなら自分で着替えたりしてください。
 私は吉継さまが無事なのを確認してから、部屋に戻って寝ますので。」

「小姓が主人を置いてのうのうと寝るのか。」

「え、あ、駄目なの?」


布団から半身を起したまま、琥珀の瞳がコイツはアホかと訴えてきて少したじろぐ。
でも考えたら一応は私達は主従関係なんだから当たり前なのか。そういうのに縁がなかったからいまいちピンとこないけれど。

しかしその普段と変わらない不遜さに安堵すると眠気を思い出してしまい、欠伸を噛み殺す。


「でも私ここんところよく眠れてないですよ・・・二人がちゃんと生きて帰ってくるか心配だったんですから。
 おかげで寝付きも悪いし目覚めも悪いし夢見も悪いしで、満足に眠れてないんです。」

「・・・・・私達を心配するほどの繊細な精神を持っていたのか。」

「人の、命の心配をするなんて、前じゃ考えられなかったので。」


遠足前日だってぐっすり眠れる私にこんな繊細な部分があったなんて自分でも驚きだが、事実だからしょうがない。
何もできないと言えど親しい人間の命がかかってるんだから、やっぱり心配はしてしまう。そしてやきもきする。


「――――本当に、心配した。」


珍しく神妙な面持ちの私に対し、私の頬を両手で掴んで視線を合わせさせる。
私の黒い瞳には憎悪を燃やす鼈甲色の瞳があって、ぞわりと鳥肌が立った。


「貴様に心配などされずとも、私は死なない。
 秀吉様の仇をとるまでは地を這ってでも生き延びてやる。」


じゃあ、秀吉様の仇を―――家康さまを殺したら三成さまは死ぬの?

そう感情のままに問いただせたらどんなに気が楽だろう。
けれど家康さまの名前を出すだけでもさっき痛い目に遭ったのに、そんな言葉をぶつける勇気はなかった。


「そうですね、そうしてくれると・・・私も少しは安心できます。」


嘘だけど。家康さまを殺してもらいたくなんて、ないけれど。

どうにかして少しでも家康さまも三成さまとの絆を大事にしていたのだと、気付かせる方法はないだろうか。
そうしたら関ヶ原の合戦の結果もまた少しは違うものになるのか―――いや、ここでの結果など初めから読めないけれど。

互いに無言になってしまった空間で、思い出したように三成さまの返り血を白い布でそっと拭う。
頬に飛んでいた赤も「失礼します」と断りを入れて拭き取って、血を吸って染まった赤髪の部分もきちんと綺麗にする。
その間、三成さまは少しだけ目を鋭くさせたけれど、嫌がる素振りは見せなかった。安堵。


(しっかし相変わらず綺麗な顔してるなこの人・・・)


長い銀の睫毛を伏せて私にさせるがままにしているこの人は、血に塗れていても損なわれず美しい。
女としては嫉妬せざるをえない美貌に触れられることに少し高揚感を得てしまったゲンキンな自分にまた少し呆れる。


「じゃあ、三成さま。血も綺麗にしましたし、私もう部屋に戻りますね。
 鎧以外はそのままなので、ちゃんと寝巻に着替えて横になってください。」

「―――――、」


ぽすり、と軽い音と共に自分の肩口に軽い衝撃を感じ緊張した。
おそるおそる確認すると銀色の頭が私にもたれ、微かに寝息が聞こえて脱力する。

細い肩を卵を扱うようにそっと布団に横たえさせる。
起きている間にあんな目に遭っていても、時折子供のような錯覚を覚えるこの人を憎むことはどうにもできない。
結局、寝巻に着替えていないけれどせっかく寝たのに起こすのも悪いからもう妥協しよう。


「おやすみなさーい・・・・」


小声でそう告げてから立ち上がり、踵を変えそうとすると足首を勢いよく引かれて顔面から勢いよく床に倒れこむ。
コントのように芸術的な転び方に対して審査員は不在なので凄まじい沈黙。いや、むしろ誰も見てなくてよかった!

内臓に満遍なく伝わる衝撃に息が出来ないでいると、そのままずりずりと足から引きずられる。


「うええええええ!な、なななな何!?」


地べたを引き摺られながらも半身を苦労して起こすが、今度は腕を強く引っ張られて布団の中に招かれる。
貞子の仕業じゃないかと目を閉じて身を縮こまらせたがそれ以外は何もない。金縛りもない。

恐る恐る目を開けると間近にあの端正な顔があって、今度は別の意味で身体が縮みあがった。


「三成さま・・・まさか寝ぼけてるとか、言わないですよね?」

「起きている。私を置いていくなと言っただろう。」

「や、それは分かったんで・・・・とりあえず手を離してください・・・・・」


腕を掴んでいた手が解放されてほっと一息を吐くが、今度はぎゅうと肩を抱き寄せられて呼吸が止まった。
もう片方の手がするすると肩甲骨を伝って腰に到達して、こちらも密着させられる。

布団の中でいい年をした男女が抱き合うっていうのは、その、互いにそういう気はないって分かってるんだけどよろしくない。
何よりこんなイケメンのすぐ近くにいるなんて耐性のない私は心臓がもたない。毛根やら何やらが爆発する。
それに私だって寝巻じゃないしまだ吉継さまに顔を出してないし明かりも消してないし、っていうか!何この状況!!


「み、つ、みつなり、さま、」

「うるさい。普段は私に睡眠をとれとやかましいくせに邪魔をするのか。」

「えーっと・・・それは確かに言ったけど、でも、この体勢ってよくないと思う!」


敷布団に背中を押し付けられて三成さまが私の上に屈むように跨る。
長い指が情欲を煽るように首筋をなぞり、端正な美貌に浮かべられた獰猛な笑みすらも妖しく感じられて甘美な鳥肌が立った。


「貴様は、私に抱かれたいのか。」


吐き捨てられるような無感情な言葉に、流されそうになった意識が岸まで戻ってくる。
返事の代わりに三成さまの指にやんわりと爪を立てて全力で頭を横に振って睨んだ。
この人は私が好きで抱きたいとかそういうのじゃないし、ここで頷けば失望されると漠然と感じた。


「そ、んなことをする位なら、とっとと寝て体を、休めてください。
 せっかく生きて、帰ってきたのに過労死とか、されたら、困る。」


精一杯の虚勢で言葉を紡げば、少しだけ意外そうに目を開いてから私の横に身体を転がせた。
正直ここで自分も怒ってもいいんじゃないかと思ったが、そんな気にはなんとなくなれないで、けれど布団から這い出ようとする。
しかし向かい合うように抱き寄せられて一度だけ髪を梳かれる。そんな意外な優しい所作に身体は硬直してしまった。


「―――ならばもとっとと寝てしまえ。」


それっきり返事がぱったりと止み、耳を澄ませると再びあの微かな寝息が聞こえてきて今度は聞こえるように溜息をついた。
こっちはこの体勢にどきどきしたり悩んだりしたというのに、そんな人の気も知らないで呑気なものだ。

それでもそろそろと布団を抜け出そうとするが、逆にますます強く抱き寄せられて三成さまの胸元に頭を押し付けられる。
少し顔の位置を変えて薄い胸板に耳を当てて澄ませると微かに鼓動の音がした。


(三成さまは、生きてる。)


こんな状況で絶対に眠れるはずはないと小一時間位は緊張していたが、頭上から聞こえる寝息になんだか馬鹿らしくなって目を閉じた。
何とか苦労して呼吸が確保できるように体勢を整えて、やっとゆるゆると眠気が迫ってくる。

頬に当たっている微かな胸の上下に相手の生を実感し、久しぶりに心からの安堵と共に意識が溶けていった。








































→溺れた人魚の後日談
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あとがき。
何が書きたかったのかわからん駄文になってしまった・・・・。
行軍帰りって性的な意味で昂ぶってるから、三成はなんとなく抱いてもいいかなと思っただけです。
でもあそこで頷いてしまえばきっと主人公の扱いは他の女中と変わらないものになっていたでしょう。

思ったんだけど、今は「呪いのビデオ」じゃなくて「呪いのブルーレイ」になるんだよね。
なんか・・・あんまり怖くないな・・・・・貞子の毛穴までばっちり見えるんだろうか。
「呪いのDVD」まではありかもしれないけれど、形状としてはそこまで怖くない気がする。
あの黒い長方形という外見にも恐怖は詰め込まれているのか。


2011年 1月9日執筆 八坂潤
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