「ん・・・・?」


ぶるりという寒気と共にうっすらと私の目蓋(まぶた)が開いていく。

しかし目を開けてもそこは暗闇の延長線上で何も見えない。
背中に当たる固い感触からして床に倒れている事だけはわかった。
気温が低く感じるのは窓かどこかが開いているのだろうか。


――――それはともかく


「・・・・・ここ、どこ?」


目の前に横たわる非現実的状況を認めたくなくて、誰かいる事を願いつつ尋ねた。
けれど視線の先に誰もいないどころか、そもそもこの空間に人がいないらしくただの独り言に終わる。


「??????????」


ついさっきまでコンビニ帰りの道を歩いていた女が、何でこんなどこかの倉庫内みたいな場所にいるんだろう。
記憶を辿ってみるけれど、頭がぼんやりとしてはっきりしない。
お酒を飲んでいた訳でもないので記憶が飛んだ、というのは無いはずなのだけど。

あまりの非現実さ加減になんだか怖くなってきた。
周囲には誰もいないどころか何もない、音もしなければ臭いは―――


(そういえば、何か変な臭いがする。)


視覚が殆ど機能しないせいか、嗅覚が敏感になったように感じられた。
いや、この濃い臭気は例え鼻が利きにくくても嫌でも感じ取ってしまうだろう。


(何の臭いか分からないけれど、嫌な臭いだ・・・
 硫黄とかアンモニア臭とかじゃなくて、なんか生理的に気持ち悪いというか・・・・気持ちが悪い。)


とりあえず対応策として鼻を塞ぐが、どうせ口から臭気が浸入すると諦め手を離す。
どうせもうちょっと我慢すればきっと何も感じなくなるだろう。
気持ちが悪いのは、何かに意識を集中させて紛らわせればいいのだ。


「・・・・・・すみませーん、誰か、いませんかー・・・・?」


控え目な、それでいて不安が滲む声で助けを求めた。
しかし数秒待っても何の反応も無く、不安と恐怖はさらに募った。


「す・み・ま・せ・ん!!だ・れ・か!い・ま・せ・ん・かアアァァァッ!!?」


腹の底から出した、いっそ近所迷惑レベルの騒音にも何の反応が無い。
今のを無視できるとしたら相当の猛者であろう、もしそうだったら後で一発殴らせて下さい。


(それにしても暗いなぁ・・・・・何か明かりは・・・・あ、携帯!!)


そうだ、すっかり気が動転していて忘れていたけれど世の中には便利な携帯電話があるじゃないか。
これがあれば誰かに連絡がとれるし、現在地もわかるし、最悪な場合明かりだけでも確保できる!

急いで鞄の中を手で探り、お目当ての固い四角の物体に手が触れる。
ぱあああぁぁぁ、と擬音が付きそうな位の笑顔でそれを開く。
辺りに画面からの光が漏れ、そこにある見慣れた画面に少しだけ落ち着きを取り戻した。

今この瞬間、私ほど携帯電話をありがたく感じている人間はそういないだろう。
自分の視界にはこのちっぽけな携帯電話こそが救世主のようにも感じられる。


(感動している場合じゃなくて、電波は・・・・っと)


瞬間、さっきまで晴れやかだった心が急に曇天の空模様へと変化した。

死んでいる。
いつもの3人兄弟のような棒は姿を消し、代わりに『圏外』の非情な文字が付いていた。
ということは誰かに連絡はおろか自分の現在地でさえもわからないという事だ。


「・・・・・・・。」


脳内を『絶望』の二文字が『遭難』の字と共に仲良く二人三脚を始めるが、なんとか泣くのを堪える。

まぁ、初めの状態から明かりを手に入れられたんだから良かったじゃないか。
これさえあれば多少の視界確保はできるし。


携帯の画面を遠くの外側に向けると、コンクリが打ちっぱなしの床と柱と天井がぼんやりと見えた。
これは明らかに人の手が加えられていない、もしくは加えるのを断念したビルかどこかだろう。


「あれ?」


それはいいとして、明かりを手に入れたにもかかわらずいまいち視界がはっきりしない。
何か黒い霧のような、靄のようなものがかかっていて向こう側が見えない。

床を照らせば赤い液体がぶちまけられたのか、ところどころ赤かった。


(インク、いやペンキか何かかな・・・それでこんな臭いがするのかもしれない。)


誰かが改修しようとしたのを断念した結果なんだろう。

しかしこれで希望は生まれた。
ここはどこぞの洞窟や雪山や密林でもなく、れっきとした人の建造物の中なのだ。
つまり、近くに人が住んでいるもしくは町の中かもしれない。

要はここから出て誰かに助けを求めればいいのだ。


携帯の照明時間が過ぎ、再び暗くなる前に適当にボタンを弄る。
今や立派に懐中電灯としての役割を果たしつつある携帯を頼りに歩き出す。

ペンキのせいで靴が汚れる、とは一応考えたがとっととこんなところから出たい気持ちの方が強い。
靴についてはこんな所に私を連れて来た誰かに請求すればいい。


(それにしても何で私がこんな所にいるんだろ・・・・)


これは、もしかしたらドッキリというヤツなんだろうか。
・・・・・さすがにこんな所に知らず知らずのウチに迷い込んでた、というのもないだろう。

テレビとかで時々やってる海外版ドッキリ企画が日本にも上陸したのだろうか。
けれど私みたいな有名人でもない平民をハメたところで誰に需要があるのか。
「たまには一般人をハメてみよーぜ!」とか企画者がそんな浮かれたテンションだったに違いない。


脳内に湧き上がる疑問と格闘しつつ、『今この状況はドッキリ企画』という方向に話をまとめながら周囲を観察した。
そう考えても不安と恐怖は拭えないが、いくらかは収まってくる。

親切な企画だったらどこかに小道具やら人やらが倒れていてもおかしくない。


(こんな手の込んだ企画・・・どこのテレビ局がやったんだろ。
 素直に驚くのは、誰かがそれを見て爆笑すると思うとムカつくから平常心を保って、落ち着こう)


すー、はー、と息を整えて人の気配を再度窺う―――がやっぱり誰もいなかった。
テレビカメラは巧妙に隠しているのか、見当たりもしない。


「・・・・・何コレ。」


その代わり壁に妙なものを見つけた。
埃にまみれたそこに手をつけたらしく私の手形がばっちり残っていて、その中心にそれはあった。

チョークで書かれた白い文字と、三角形と星を組み合わせたような奇妙な図形。
それを丸く囲むように何だかよく分からない字が書かれている。
 

(うわあ・・・・コレ、何かの新興宗教とかそんなんだったら嫌だな・・・・・
 もしくは御札的なもので、そのせいで放置された場所だったりして・・・・)


そう思うと更に怖くなって、壁の奇妙な図形と文字はそのままに早歩きでその場を通り過ぎる。
今さっきの場所が私から見て右端だとすればそこから真っ直ぐなり壁伝いに歩けば入口の近くに辿り着くはず。


(それにしても何だろう、この霧・・・・いやな感じ。)


これのせいで近くまで行って壁の感触を確かめないと、扉があるかどうかも分かりづらい。
慎重に壁に手を当てながら携帯電話で先を照らして歩く。


(ドッキリでも何でもいいから早く家に帰りたいな。)


そうしたらおいしいものでも食べてとっとと寝ようと決意し、少しだけ早くなった歩調で探索を再開した。














「・・・・・・・・・・おかしい。」


おかしい、絶対におかしい。
あれからしばらく歩いたはずなのにまだ扉に辿り着かない。

携帯の時計を確認すると、15分も経っていた。
ついでに携帯の電池も一つ減っていてものすごく焦る。

15分も歩いてまだ出口に辿り着かないとか、どれだけ広い空間なんだ。

というか、おかしい。


「ん?」


ふと横の壁を見ると見覚えのある奇妙な印と誰かの手形が壁に残されていた。
他に誰かがいるのかと淡い期待を抱いた瞬間、それが自分の手である事と先程の奇妙な図形が同じものだと気付いて戦慄する。
試しに自分の手と合わせてみればそれはぴったりと壁の手形を覆い隠した。


「何コレ・・・・偶然?それとも・・・戻って来てる?」


無限ループ。

己の出した推論が恐ろしくて背中に嫌な汗が伝う。

そんな事がありえるはずもないと首を振るが、もし本当だったら?
こんな非現実的な事が実際に起こっているのだから、また一つ追加されてもおかしくは無い。


「そんな、勘弁してよ・・・何、何なのこれ・・・・・・」


思わず壁に強く手を押し付けるが、まだ希望を捨てるなと頭を振る。

さっきのはたぶん偶然だ、だから新しく目印になるようなものを付ければいい。
それでまた同じものを見かけたら、その時こそ本当にこれが無限ループだと証明される。


壁から手を放し、周囲に何か落ちていないかと見渡した時―――


「うわ!」


――――硝子の砕けるような盛大な音が響き、月明かりが周囲を包んだ。

対して刺激の強くない光でも暗闇に目が慣れ過ぎてしまった私には眩しく感じられる。
思わず目を瞑り、再び細めるとそこには焦がれた外の風景があった。

と言っても朽ちた窓から外の風景が見えただけだが今の私には大きな一歩である。
緑にあふれる自然の中よりも、コンクリートの建造物の方がずっとほっとする。


「た、助かった・・・・!死ぬかと思った、ほんと死ぬかと思った!!」
 

周囲は月明かりで随分と明るくなっていた。
霧も消え失せ奥の方に扉があるのが見えて更に嬉しくなる。

先程の壁を見ると先程の奇妙な模様が薄くなって一部消えていた。
たぶん先程の冷汗で手が溶かしてしまったのだろう。

もしかしたらコレと先程の怪奇現象が関係あったのかもしれない。


(どこかにスタッフが隠れてるかもしれないとか待ち構えているかもしれないとか、この際どうでもいい。)


帰りたい。
もうこんな怖い思いはたくさんだと扉を目指してふらふらと歩き出す。

しかしその足はすぐに止まる事になる。


「・・・・・・ヒビ?」


目の前の、何もないはずの空間に突如として亀裂が走ったのだ。

鏡かガラスかとも思うが向こう側には私は映っていない。
不思議に思って見つめていると、そこから長い刃のような何かが閃めいた。


「いぃ!!?」


思わず後ずさると、そこから異常に刃の大きい鎌とそれを握る骨のような指が現れた。
腕を含めた全身は闇のような黒い布に覆われ体格は分かり辛く、幽鬼のようなふらふらとした足取りでこちらに向かってくる。
更に骸骨のような仮面とその奥の爛々と光る赤い双眸が視線を釘付けた。


「え、え・・・と・・・・・?あの・・」 


怪しすぎる。
やっと会えた人間との出会いに喜ぶよりも、相手の異常さと不気味さとが不安を煽る。

そもそも、あれは、人間、なの?


「―――――」


相手が何を言ったのか分からない。
そもそも言葉だったのかすら怪しい。

今までに感じたこともない最大級の悪寒と共に一歩下がる。
それとほぼ同時に目の前を何かが横切った。

 
「え・・・・・え?」


鎌が、今、私を、狙って?


持っていた鞄が裂けて中身が落ちて派手な音で静寂を乱す。


「あ、ぁ、あ・・・・」


私、今、殺されかけた―――?


がちがちと震える歯を噛みしめながら相手を見る。
私の恐怖に怯えた顔に何を思ったのか、呼応するように鎌を振り上げた。


「や、いや、ぁ、いやああああぁぁぁぁぁあああああ!!」


まるで鬼に怯える子供のような悲鳴をあげて走り出した。
鞄も理性もかなぐり捨てて相手の横をすり抜け扉を目指す。

恐怖で溢れる涙が視界を曇らす。
そんなに遠くもないはずの距離が、今はこんなにも遠い。


「ひぅ、ひっ・・・・」


後ろから床を金属を引き摺るような不快な音が追いかけてくる。

恐怖心で真白になった頭は何も考えず、ただ足に逃走を命じた。
しかし前方にもう一体同じ姿をしたあの殺人鬼が現れ、絶望が足を止めさせる。

どう考えても絶体絶命だった。


「だれ、か・・・誰、誰か・・・・・」


背後にも前方にも鬼が待ち受けている。
鬼ごっこの鬼ではない本物の鬼が私を捕まえようとしている。


「助け・・・・・」

「あぁ、助けてやるよ。」


刹那。

赤い影が涙で滲む世界を横切った。
それと同時にこの世のものとは思えない異形の悲鳴。

何が起こったのか分からず、嫌悪と恐怖とで震えた肩に誰かの手が置かれた。


「いやッ!」

「おっと。」


思わず振り払おうとするが、逆に手首をしっかりと掴まれ離す事が出来ない。
半狂乱で暴れると顎を掴まれ強制的に目を合わさせられた。

視線の先には先程の昏い黒ではなく鮮烈なまでの銀の光。


「落ち着け落ち着け、俺は悪魔じゃない。
 悪魔にこんなカッコいい奴はいないだろ?」


そう言って男は微笑んだ。
続けようとした声は途絶した呼吸に飲み込まれて消える。

月光で青白く輝く銀の髪に、悪戯めいた光を称える蒼い瞳。
大理石のような美しい肌と整った鼻筋、非人間的なまでに整った男の顔。

まるで一流の彫刻家が魂を込めて作り上げた像に命が宿って動き出したようだった。


「・・・・・格好良すぎて人間だか何だか分かりません。」


呆然と漏らした間抜けな感想に男は吹き出し、満足そうな笑みを浮かべ手を離す。


その一つ一つの動作すらも美しくて、
ああもしこの人が人間ではないのなら天使なのだろうかと心の中で呟いた。































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あとがき。
いやーアレですよね、自分のピンチを救ってくれたってだけでも補正がかかるのに、
それを助けてくれたのがダンテみたいにカッコいい人間だったらいっそ神々しいまでに格好良く見えるんだろうなと。

誰でも恋に落ちるわ、こんなシチュエーション。

まぁ冷静になれば賛否が分かれるかもしれませんが。


修正前に比べて主人公の独り言が減って随分とテンションが落ち着きました。
いや、アレはちょっと高すぎたかなという反省からなんですけれども。
携帯で書いていたのをほぼ移植する形だったので、凝れなかった長文を詳しく書けて満足です。
あと展開を急ぎすぎた節がありますからね、今回はちゃんとじっくり書いていきたいです。
伏線もちゃんと貼りたい、今度は計画的に書きたい・・・


余談ですが、1年以上前に書いた自分の文章って核兵器以上の殺傷能力があると思います。
書いている間ずっと「うん、死のう!」とか「よし、死のう!」とか「誰か殺してくれ!」とか叫んでました。
他の短編がいくつか消えているのもその影響です。
またいつかこの文章を読み返すと死にたくなるんだろうなぁ、うん、今の内に死んでおこうか!!!!


2007年 7月29日執筆
2008年 3月29日加筆修正
2008年 10月31日加筆修正 八坂潤
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