それから、どうやって店に帰ったのかはよく分からない。 「・・・・いたい。」 店に帰ってダンテが何事かを言っていたような気もするが、反応する気力もなくただ全て聞き流していると、ソファーの上に投げ捨てられた。 か弱い女の子に対して酷い扱いだと思ったが、無視していた立場の人間が言える言葉じゃなかったので何も言わない。 別にそういう立場じゃなくても喋らなかっただろうから。 自力で起き上がる気力も湧かず、投げ捨てられた体制のままぼんやりと虚空を見上げる。 目に入る景色が、自分を取り巻く現状全てが遠く感じられた。 (何だか・・・大変な事になってきたなぁ・・・・・) 儀式だの異世界だの、人柱だの悪魔だの、そして電話の声が言っていた『多大な犠牲』。 正直言って私にはちんぷんかんぷんな上に荷が重すぎる。 いや、今まで築き上げてきた常識さえ捨てれば全てが理解できるがだから何だというのだ。 時間は巻き戻ったりはしないのに。 失ったものも戻ってこないのに。 「目を開けたまま寝るなんて器用だな。」 「うん、そうですねプロテインですね・・・・」 ダンテが声をかけてきたがろくな返事もできず、力の抜けた身体はずぶずぶと革張りの海に沈んでいく。 何も考えたくない。 自分の浅はかで下らない願望が引き起こした今回の事も。 そしてそれをこれからどう解決するのか、いやそもそもできるのか。 ――――それを考えた先刻、咄嗟に死にたいとすら思った。 そうでなくてもいずれこの罪の重さに圧殺されてしまう事は容易に想像が付いたから。 「電話の内容、聞こえてました?」 「まぁな。」 「そうですか。」 否定しないという事は聞こえていたんだろう。 あまり聞かれたくない内容ではあったが、自分の口から説明する手間が省けたのでよしとする、しかない。 「さっきの話・・本当なのかな・・・・異世界、だとか・・・・・・生贄とか。」 「本当だとすりゃある程度は説明が付くが、としては変態の悪戯説を信じたいんだろ?」 「変態説もいいですが、むしろ全部が窓の無い病室から見てる自分の夢だと思いたいです。」 あらゆる現実を拒否したくて、耳を塞いで目を閉じてみたが何も変わらない。 ただそこには瞼の裏の暗闇と靄のかかったような物音が聞こえるだけ。 何も変わらない。 何からも逃げられない。 「・・・・驚かないんですね、さっきの話を聞いても。」 「悪魔退治なんて仕事をやってるからそんなに現実味がない話でもないな。」 現実逃避を諦め、視線を上げると何故かダンテがコートを脱いで半裸になっていた。 一切の贅を省き代わりに筋肉を纏った逞しい胸板と腹筋、そして広い肩から伸びる腕の太さも私の倍はある。 あんな危ない仕事をしているにも関わらずその芸術的な肉体美には、首筋から指先に至るまで傷一つ見当たらない。 あれ、違和感。 しかしその違和感よりも、予想していなかったサービスシーンに喜びを通り越して軽く引く。 普段だったら「こっちに目線下さいーいいねいいねーもう一枚脱いでみようか―」とか言ってみるかもしれないがさすがに今は嫌だ。 惜しげもなく晒される美しい肉体に内心で「空気読め」と思ったが突っ込む気力もなく目を逸らす。 ふと自分の頬を触ってみるとやっぱり発熱していて、こんな時に何照れてるんだと切なくなった。 実際、ときめいてる場合じゃないんですけどねえ。 何よりタチが悪いのが、ダンテも別に悪気があってやっている訳じゃないという事だ。 本人は素の顔をしているし、自分は彼の家にお邪魔させていただいている赤の他人なのだから家主に文句など付けられる訳が無い。 「そもそも・・・悪魔はこことは違う世界の魔界ってとこから来てる。」 「え?悪魔も異世界から来てる?」 思ってもみなかった言葉に、逸らしていた視線を戻す。 が、そこにダンテの姿は無く更に視線を移動させると冷蔵庫を漁る後姿のみが見えた。 ・・・・他人事だし荒っぽい仕事をやってるからだろうけど、あんな光景を見た後によく食欲なんて湧くなと正直思う。 「だから今更違う世界がもう一つあった位で驚けるか。」 いや、そこは素直に驚いてもいい。 それにしても、ダンテはさりげなくその可能性を否定してくれたけれど。 もしも異世界から悪魔がやってくるのだというのなら。 そして人の命を犠牲にしているというのなら。 「そっか・・・・私も、悪魔みたいなものなのか・・・・・」 自分で言った言葉が胸に突き刺さる。 胸に突き刺さった見えない刃は透明な血を流した。 唐突に突き付けられた非現実。 家に帰れないかも知れない不安感。 友人や家族にもう会えないかもしれない絶望感。 何よりたくさんの人が死ぬ原因を担ってしまった罪悪感。 『現実が嫌だから、非現実に行きたい。』 今まで認めたくはなかった、胸に秘めていた形のない願いをはっきりと言葉にしてみた。 電話越しの声と今の状況を照らし合わせるとこれしかない。 そう、私は繰り返される日常が嫌で「異世界とか画面の向こう側とか行けたらいいのになハハハ」とか思っていた、のだろう。 そして実現されるはずのない願いが叶ってしまった。 それも最悪な形で。 何であんな事を望んでいたんだろう。 もしこんな恐ろしい事態になると分かっていたら、私は望まなかったのに。 (私がいなければこの、何かが起こる事は無かったのだろうか・・・・) いや、世界は広いんだから同じようなことを望んでいる人も少なくはないのかもしれない。 だったら私じゃなくても誰かが呼ばれていて、結果は変わっていなかったのかもしれない。 (それでも・・・・) 一度感じてしまったこの罪悪感は簡単には拭えない。 小さな嗚咽が漏れ、自分という存在への嫌悪感から握った手の爪を肉に喰い込ませる。 痛い痛いと悲鳴を上げるのを無視していると、血が流れる感触がした。 まだだ、まだ足りない。 この程度の痛みでは償う事なんて許されない。 自分の勝手な都合で人を死なせてしまった悪魔など、いっそこのまま、死 ん で し ま え ば い い の に 。 涙が革のソファーの上に小さな湖を作った頃、首筋に冷たい何かが当てられた。 「&P&’%&*#ッ!!?」 言語化できそうにもない悲鳴と共に跳ね起きると、呆れたようなダンテの顔があった。 右手には先程の冷たさの原因と思われるアイスのカップが握られている。 「な、なななななな・・・・」 「―――血の臭いがする。」 普段とは違う、冷たいダンテの声。 ぞわり、と鳥肌が全身を伝い反射的に逃げ出そうとするが呆気なく両腕を掴まれる。 そこには予想通り血が滲んだ手のひらがあって、ダンテは溜息をついた。 「お前な、どう見ても嫁入り前なんだからもっと自分の事は大事にした方がいいぞ。」 「どう見ても嫁入り前って・・・」 それってどう見てもけなしてますよね?え、卑屈? 長い指が固く閉ざされた私の指を丁寧に一本ずつ解き、それ以上に爪に喰い込むのを防ぐ。 その手には代わりにアイスを握らせて、もう片方にはプラスチックのスプーンを握らせた。 ・・・・・あれ、私の為だったのか。 「えーと・・・・」 「悪魔は泣かないんだよ。」 「え?」 涙で滲む視界の奥でダンテが微笑んだような気がした。 彼の指が私の目尻をそっと拭う。 その仕草が驚くほど丁寧で、壊れ物を扱うように優しくされたものだから。 思わず、更に涙を零してしまう。 「だから、は悪魔じゃないから安心しろ。」 それを聞いた瞬間、何かが決壊して年甲斐もなく泣きじゃくった。 ダンテの両肩を掴んで頭をその胸に押し付けて、けれどこれ以上泣き顔は見られないよう地面に顔を向けて。 鼻水をすすり、涙を流し、嗚咽を漏らし、盛大に泣く。 あまり親しくない人間のマジ泣きという情けない姿にも関わらず、頭をあやすように撫でるダンテは優しい。 それは私を落ち着かせるどころかどんどん涙を流すきっかけになるけれど、とても嬉しかった。 「わた・・・わたし、っぅ・・・・か、帰れなかったら、ど、どうしよう・・っく・・・」 「帰る方法なら一緒に探してやるから。」 「でも、でも・・・あの人、生贄がって・・・・私のこと、人柱って、言った!」 私も、殺される? 嗚咽交じりに小さく吐きだした不安は、ダンテが慰めてくれていても消えない。 顔を持ち上げられ、ぐずぐずと泣きやまない私の黒い眼とダンテの青い眼が見つめ合う。 「守ってやる。」 飾り気のない真摯な誓いの言葉。 だからも泣き止め、と大きな手が私の頬をつまむ。 「ほら、俺に依頼しただろ?」 「でも、私、お金が・・・・」 「ここまで来て見捨てる訳が無いだろ。ま、狭いところだけどゆっくりしていけよ。」 「いや、でもそこまで世話になると申し訳むぐ」 ダンテがカップアイスの中身をスプーンで少しすくい、私の口に突っ込む。 濃厚なバニラの味が舌の上に広がり、「外国のアイスは甘ったるいなぁ」と場違いな感想が漏れた。 「俺がいいっていってるんだからいいんだよ。ほら、コレ食って落ち着け。」 「ちょっ・・・そんな一気に!?」 「があんまり焦らすから待ち切れずに溶けそうになってるだろ? お前、朝からほぼ何も食べてないんだからせめてコレでも食っとけ。」 スプーンに乗せられる限界量にまで盛られたアイスも口の中に再度つっこまれる。 「ぎゃーーー!」という悲鳴はバニラの荒波にのまれて消えた。 ・・・・このシチュエーションって俗に言う「はいアーン☆」的な甘いものなのに、全く、楽しむ余裕が無い! 普段だったら超が付く美青年に物を食べさせてもらうなんて萌える場面なのに!シット!! ダンテが鼻歌交じりに第二弾をスプーンに持っているのを見て急いで口の中のバニラを咀嚼する。 うげ、甘ったる過ぎて逆に頭が痛くなりそう。 「・・・・・泣きやんだな。」 「あ。」 口の中のアイスを消費するのに一生懸命で気付いていなかったけれど、いつの間にか涙は止まっていた。 もしくはそれどころじゃないと胃の危機に本能が反応したのか。 涙の残滓をごしごしと擦る私に再びアイスとカップを握らせて、ダンテが電話の受話器を手にとる。 「どこに電話するの?」 「が本当に違う世界からやってきたのか調べてやるよ。」 「そんな事できるの!?」 いや、まぁ確かにここまで不思議現象が起こっておいてなんだけど、やっぱり信じたくない思いはある。 けれどそれでもし本当にそうだとしたら、それをはっきりさせるのは少し怖いような気がした。 それでも知らなければならないだろうけど。 「情報屋っていう便利なもんが世の中にはいるからな。そいつにお前の事を調べさせる。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・え?何で。」 ちょっと待て。 そんな事をされたらあーんな秘密やこーんな秘密がバレてしまうじゃないか。 もしパソコンのフォルダの中身を誰かの目に触れられるとなったら死にたくなるほどにヤバいんですけど。 そうでなくても履歴とか部屋の秘密スペースとか、うわ、うわーー・・・・ 「異世界って事はこっちの世界にゃお前は元々いないってことだろ。 だからそれを調べて、もし何か手掛かりが見つかったらの勝ちって訳だ。」 「なるほど・・・・何に勝つかはしらないけど。」 「ついでにと会った夜、あの妙な依頼をしてきたヤツを調べさせる。 その情報屋はあの仕事を紹介してきた奴でもあるからな。 というか元々、仲介屋と情報屋を兼ねているクセに依頼人の素性を知らねーなんてマヌケ過ぎる。」 金さえ入ればそれでよかったが、そう言う訳にはいかなくなったからな。 ダンテの呟きにこくこくと頷く。 その依頼人とやらの正体は是非とも知っておきたい。 流れ的に考えて、その依頼人は電話の変態とつながりがあるような気がする。 でも。 「あのさ、ダンテ・・・・何度でも言うけれどお金が無いです。 そういう情報屋、とかってすごくお金がかかりそうなイメージがあるんだけども・・・・」 「いーんだよ。」 ダンテが受話器片手に、そう、例えるなら悪魔のような笑みを浮かべる。 「大体、アイツの落ち度なんだからそれ位タダでやらせるに決まってるだろ。」 「うわぁ・・・・」 制止しようと一度は手を伸ばしたが、お金が無い立場としてはどうしようもないので止めておく。 静かに両手を合わせ、合掌。 それが今の私にできるせめてもの救いだった。 NEXT→ ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- あとがき。 書いていくごとに私の脳内で設定が塗り替えられていくのを感じます。 え、何これ、当初の予定通りの結末に終わるの? 誰にだって秘密スペースってあるよね!という話。 昔はそこに同人誌隠してましたが入りきらなくなったので今では堂々と本棚に入れてます。 18禁のはあまり趣味じゃないので買わないのですが、好きな話のものだけはあるのでそこに隠してます。 更なる真・秘密スペースには・・・・おっとここまでだ 2009年 2月11日執筆 八坂潤