静かだった。 さっきまで自分がエンツォに電話していた音が、それが終わってしまえばただの沈黙。 いつもうるさく存在主張している音はなりを潜めた。 そこに住んでいる主人の機嫌の良い鼻歌は気分にならない。 大の人間が2人いるのに会話が始まる様子もない。 俺と、そしてもう一人この空間にいる人間は黙ったまま膝を抱えてソファーに座っているだけだ。 このデスクの椅子からはその顔は見えないが、その背中は怯えるように、何かを堪えるように見える。 こっちを気遣ってか、ただ静かに、嗚咽もなく、震えもせず、ただじっとしている。 東洋系独特の黒い髪の毛を横目に、に聞こえないようダンテは小さく溜息を吐いた。 (命を狙われる位でそんなに怯えるモンかねぇ・・・) 酒の代わりにトマトジュースに口付けながら、不思議に思う。 にも勧めてはみたが、丁重にお断りされた。 たぶんさっきの血溜まりの事でも思い出したんだろう。 俺にとって、命を狙われる事は子供のころから常に付きまとう日常だった。 悪魔の襲撃で母と兄を亡くして以来ずっと死の危険は後を追ってきた。 だからこそこの血にも助けられつつ自衛の術を常に磨き、それが高じてこの仕事に就いている。 死の危険も日常の一部。 だから命を狙われていると知った時のの怯えっぷりには不思議にさえ感じた。 「どうしてその程度の事で今更怯える必要があるのか」と言ってやろうかとも思った。 というかそもそも、この俺が守ってやるんだから外の悪魔に怯える必要は全く無いはずだが。 それでもの表情は晴れない。 まぁ、よく考えればは自分とは違う人生を歩んできたのだから、アイツは家族と平和に包まれて生きてきたのだろう。 常に誰かの血に塗れてきた暗い道のりではなく、真っ当で明るい道のりを。 だからは慣れない血と死の臭いに恐怖する。 向こうが普通の人間の感覚で、こっちが普通でない人間でない感覚。 同じ形をしているのに立っている位置はまるで真逆。 (本当に、を見てるといかに自分が異常かってのを思い知らされるよなぁ・・・) 先程、無理やりアイスを口に含ませても、の手がまた止まるものだから見かねてこっちが難なく残りを平らげてしまった。 それを見て「私がもらったアイスなのにー」と不満げに言うものの表情は少し安堵していたのを覚えている。 食欲が無いのに渡されて困っていたのが見え見えだ。 俺は別に、血を見ても命を狙われていても食欲がなくなる事は全く無い。 むしろこれから喧嘩を売りに来るであろう相手の為にいつもより食べて力を付けて備えておく。 その方が怯えて時間を無駄にするよりもそっちの方がよっぽど効率的だと思うからだ。 だからの行動はどう考えても効率が悪い。 しかしそう感じるのも俺の人間性が希薄なのか、と柄にもなく考えてしまう。 ――――考えれば考えるほど、半分とはいえと同じ種族である事を疑問に思う。 もう半分の方が濃いと言えば納得だが、それは人間より向こう側に近いと認めることになる。 今までこうして人間として人間の中で人間であろうと生きてきたのに、はそれをひたすら否定する。 其処で黙っているだけで座っているだけで近くに居るだけで自分の悪魔の部分を暴こうとする。 目を閉じれば思い出すあの例えようのない高揚感。 いつものつまらない仕事がこれ以上ない喜びに似た情に染まったあの瞬間。 あの色気のない廃ビルの中で悪魔に追われる女を見た刹那。 を見た瞬間、誰かが頭蓋骨に殺意を囁いた。 (だからそれを横取りしようとした悪魔を殺して見せた) を保護すると決める寸前、誰かが頭蓋骨に好機だと囁いた。 (だからもう横取りされないようにと懐に仕舞い込んだ) が流した血の香りを嗅いだ刹那、誰かが頭蓋骨に甘い香りだと囁いた。 (だからもうそれが自分の手の内にあると思うと気が昂った) そのわずかな間、俺の目には人間ではなく、ただの肉塊として写っていた。 すぐ手の届く範囲にある美味しそうな食糧、しかし手を伸ばしてしまえば何かが砕ける禁断の実。 もし口にしてしまえばその瞬間に、自分が築き上げてきた脆い城壁が崩れてしまう。 自分が人間ではなく悪魔なのだと認めなくてはならなくなる。 (悪魔が狙う理由、本人にゃ適当にぼかしたけど確実にこれだよなぁ・・・・) 実在の疑わしかったこの理性で抑えられる俺ならともかく、理性もへったくれもない下等な悪魔にとっては絶好のごちそうだろう。 だから俺という脅威さえ無視して牙を剥こうと追い求める。 戦う力もなく、逃げる力もなく、皿の上でしか逃げられない極上の生き餌。 そういえば東洋には踊り食いとかいう食い方があるな、と他人事のように思った。 (そして問題は―――俺はをどうしたいかという事かっつーわけで) そこまで悪魔じゃなかったらしく、を可哀そうだと思う気持ちはある。 家族からも居場所からもいきなり放り出されるさみしさは実体験でよく知っていた。 ここまで関わってしまった以上、知り合いが殺されるのは慣れていない訳じゃないがやっぱり夢見が悪い。 けれど、俺がを助けたのは果たして純粋な善意だろうか。 ひょっとしたら単に自分は獲物を口に含んだだけじゃないだろうか。 偽善でを飼い慣らして籠絡して、そして。 そ し て ? そ の 後 は ? 「・・・・・・っ」 俯き気味だったが弾かれたように顔を上げ、はっと我に帰る。 それから警戒するよう小動物のようにきょろきょろと周囲を見渡している。 今まで考えていた内容がアレだけに、軽く驚いた。 「・・・・・どうしたんだよ、その鳩がバズーカ砲喰らったような動きは。」 「それ鳩死んでない?既に。しかも跡形もなく。」 黒髪が落ち着きなく動いて、なんか日本の映画にこういう有名なのがあったよなぁと思う。 何だったか・・・家族そろってた頃の記憶だから全くもって曖昧だ。 こう、悪魔みたいに暗闇から一斉にわらわらと飛び出してくる――― 「なんかね、今、鳥肌が立った。」 「・・・・・・・・・。」 「嫌な予感が、した。過去進行形で。」 ずいぶんと鋭い事で。 内心で嘆息しながらそのまま生暖かく見守るが、は原因を探して首を傾げるだけだった。 どうやらこの状況で危機察知能力が鋭くなってはいても、それだけでそこから発展する事は出来ないらしい。 まぁ、せっかくだから利用させてもらうか。 「悪魔がそろそろ騒ぎ出す時間だから、それに反応してるのかもな。」 嘘。結界を張っている以上、が外の危険にここまで敏感に反応する事はまず無い。 「そうかぁ・・・うーん、何でだろう。私、霊感とかそういうのすごく疎いんだけども。」 「環境の変化だろ。」 しれっと言い放ち疑問の矛先を曲げ、指先は外していたアミュレットを手にとる。 いつものように首にかけると、先程までの高揚感に似た感情が静かに冷却されていくのを感じた。 以前の持ち主だった母さんを思い出して心が落ち着くのか。 それともその持ち主が悪魔に殺されたことを思い出して心が冷えているのか。 理由はおそらく両方。 「じゃー俺は近所迷惑なヤツらを黙らせてくるかな。 このままじゃ白雪姫がいつまでたっても安眠できねえ。」 「え?行くの?」 が不安そうな、今にも泣き出しそうな顔でこっちを見た。 行かないで、と言葉に含まれているのは分かったが行かない訳にはいかない。 それがにとっての安全であるし、何より俺の心が傍にいることを拒否した。 は俺の立ち位置を曖昧にさせる。 人間と悪魔の境界線を歪ませる。 ―――はっきり言って、人間側としては傍にいると迷惑だ。 いつものように淀みない動作でコートに袖を通し、リベリオンを肩に担ぐ。 「そうしないといつまでもが寒い思いをするだろ?」 「寒いっていうか、まぁ、そうだけど・・・・でも」 「悪いな。ベッドは好きに使ってくれ。」 言葉遊びも早々に打ち切り、振り返るような真似はせずドアノブに手をかける。 ああ、まったくもって俺らしくない。 アイツは容赦無く俺を揺さぶってくる。 しかし追い出すのも俺の善意だか悪意だかが身を捩って拒否する。どうしろと。 「・・・・いってらっしゃい。気を付けて。」 一瞬、相手の言葉の意味が理解できずに固まった。 長くご無沙汰していた言葉である事を思い出して苦笑する。 「いってくる。」 縋るようなの視線が凶器となって背中に突き刺さる。 が、すぐに治るので気にしない―――フリをした。 NEXT→ ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- あとがき。 ダンテは今でこそ人間の味方をバリバリやってますが3の時はちょっと曖昧だった気がします。 いや、曖昧じゃなくてちゃんと人間の味方をしてましたがけれど少し自分の立ち位置を不安がっていたような。 ふっきれたのは3でバージルが魔界に、自分が人間界に残るのを決めた時じゃないでしょうか、と妄想。 だからまだ人間になりきれていない彼は不安定に。 もーあんな体質の人間が傍にいるもんだから思いっきり揺さぶられるわで大迷惑。 けれど今更追い出すのもかわいそう、けれどそれも善意じゃなくて悪意だとしたら。 そんな疑心暗鬼状態です。書いてて楽しかった。 なんというか、更新の誤記から一週間以内には書きたいと思っていたのですがこんなに遅くなってしまって申し訳ないです。 べ、別にライドウが面白過ぎて我を忘れてたとかそう言うのじゃないんだからねッ!書生とか超萌える。 あーやべえ本当にやばいコレたまんない抜け出せない。なんなの、ライドウかっこいいしゴウト可愛いし鳴海に読心術したい(ry DMC3のあとがきに書く話じゃないね、仕方ないね。 そういえば背景の天使像、首をよく見ると自分で自分の首を逆に掴んでるのが怖いですね、うん。 2009年 3月2日執筆 八坂潤