あれから気付いたら2日も経っていた。

自分が命を狙われる危機のまっただ中にいるという恐怖。
今いるこの場所は違う世界である違和感。
そしてそのせいで人が大勢死んでいるかもしれないという事。

そのどれもこれもが今まで感じた事のない感情で処理に困っていた。


食欲はわかない、眠る気には当然なれない、何もする気にはなれない。
ここまで無気力なのは初めてで、自分でもどうすればいいのか分からない。どうもしたくない。


とりあえず1階にあるテレビを付けてみたものの、流れる映像も声も私を置き去りにして流れていく。
けれどこれは私以外に人の気配が無いこの家において(ダンテは仕事ばかりだ)、ほんの少しだけ寂しさを紛らわせてくれる唯一の手段だ。

自分以外の誰かの声を聞く、ただそれだけで孤独ではないのだと思える。

だからひたすらテレビを眺めながらソファーの上でじっと膝を抱える時間が過ぎていく。

かろうじて時間の間隔を伝えるのはダンテと一緒にピザを食べる時位だ。
そればかりは1日に3回あるので、その度に「ああもうこんな時間だったのか」と思う。


(私、痩せたなぁ・・・・・)


ここに来る前より少し細くなった腕を見て他人事のように思う。

けれど嬉しくない。
体重が落ちるのは大体の乙女にとって喜ばしき事態なのに、今は喜びの代わりに危機感が少し募るだけ。

運動をして痩せた訳ではないので不健康なやせ方をしている―――要はやつれてしまったのだ。


(このままだと、悪魔に殺される以前に他の原因で死んでしまう)


まさか自分がこんなに繊細な神経を持っているとは思わなかった、と感心(?)しながらソファーから立ちあがる。
食事や風呂などの必要最低限以外の事でこの場所から動くのは随分と久しぶりだ。

床に降りる際に、何の障害もないのに軽くよろけてしまった事に少しショックを受ける。


「何とかしないと・・・」


視線の先には、今まであまり気に留めていなかった(目を背けていた)この家の汚さを象徴する台所跡地。
昔は綺麗だったであろうその場所は、今や王蟲が住んでいないのが不思議なくらいの腐海の森っぷりを呈している。
王蟲は住んでいなくても黒光りする例の虫くらいなら確実に潜んでいるだろう、考えるだけで鳥肌が立つ。

それでも。


「これだ!」


瞬間、頭上に豆電球のあのマークがピコーンと音を立てて出現したような気がした。







 









「で、掃除をしてるって訳か。」

「そーゆーこと!・・・・・・迷惑、ですかね?」


簡素な台所で皿にこびり付いた何かをごしごしとスポンジで擦る。
数週間―――否、恐らくは数か月放置されたであろう汚れは落ちる気配をなかなか見せない。

・・・・・そんなにこの皿と仲良くしていたいならいっそ叩き割って心中してもらうか。

汚れと皿の仲人を立派に務めた当の本人は、他人事のように頬杖をついて私の戦いを眺めている。
手伝う素振りは全く無いけれど、初めから戦力として数えていないので問題ない。

だって、この人に任せたらお皿割りそうなんだもの!


「いや、別に?見られてまずいもんは堂々と置いてあるから問題ない。」

「それは別方向に問題だと思います。」


シャワールームの扉に貼られた金髪美女の水着ポスターが視界に入る。
あと表紙の肌色含有率が異常に高い雑誌とかも床に転がっているけれど特に気に留めない、けど後で捨てる。


「ダンテは料理するんですか?微妙に使われた形跡があるんですが。」

「テュラスやニーニア、後は・・・・・忘れちまったが前に飯を作ってたような気がする。」

「・・・・・・・・」


女の人がご飯をダンテに作ってあげてるんだから多分、そういう事だろう、うん。
名前が複数挙がっているのも気になるが敢えて地雷原をバイクで突っ込む勇気も興味も無かった。

ダンテって女慣れしてるっていうか、言っちゃ悪いけど遊び人っぽい。
もしかしたら最近仕事で帰ってきていないっていうのも半分はそういう事情があるのかもしれない。

いや、さすがに後半の勝手な勘繰りは失礼か。


「えー、あー・・・ごめんなさい。」

「どうした?何かやらかしたのか?」

「うん、いや、その、何でもないです。」


何でもないという事は無い。
ただ、もしも私のせいで女の人を連れ込めていないなら悪いような気がして、一応は謝っておこうと思ったのだ。

でもこれはこれで平和に一役を買っているとも言えるのか。
とりあえずこの会話を続けると18歳未満のお子様は耳を塞がなければならないような話題になるので速やかに話題転換。


「まぁ、さ。うん、とりあえず掃除とか料理とか、家事をすれば運動になる。
 運動したらお腹も空くし疲れて眠れるようになると思う。」


それに動いていれば余計な事も考えずに済むから。


「だからここで私が家事をする許可が欲しいのですが、よろしいでしょうか。」

「別に構いやしねえよ。むしろ俺はそういうの面倒でやらないからやってもらった方がいい。
 それに吐きそうなツラしてソファーの上でじっと石みたいにしてるよか健康的だしな。」

「そんな顔してましたか。」

「女に振られて自暴自棄になって賭博で全財産スッたような不景気ヅラだった事は確かだ。」

「例えがリアルでなんか嫌だ・・・」


皿と汚れとの熱い仲を妨害する作業を諦め、溜息を吐く。
また一枚、と私との戦いに勝利した汚れたお皿が重なっていく。

・・・・・お皿は新しく買った方がいい。そっちの方がずっと建設的で楽だろう。

鞄から手帳を取り出してメモ欄に「皿」と書き加える。
既にこのページは真っ黒で埋まりそうだ、この家には生活感が無さ過ぎる。


「あの・・・・すごくふつつかな事を聞きますが、ダンテさんってお金どれ位あるんですか?」


覗きこんできたダンテにメモ欄を破って手渡す。

ここのところずっと仕事に行っているし、借金してるって聞いたけど特に切羽詰まっている様子はないし。
日用品をそろえる位の蓄えはあるものだと信じたい。


「さぁ?帳簿なんてめんどくさいもん付けてないしな。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」

「ま、コレ位なら大丈夫なんじゃねーの?」


固まる私を置いて、ダンテがデスクの引き出しから乱雑にまとめられた分厚い札束を取り出す。
外国のお金だからよく分からないけれど、たぶん大金の部類に入るだろう。


「し、信じらんない!適当過ぎる!!」

「いいじゃねーか。気楽に行こうぜ。」

「お金は!気楽に!!行くな!!!」


どこへやっていいのか分からない憤りを込めて机を叩きつける。当然痛い。
じんじんと痛む拳を震わせ、生理的に出てきた涙が視界を滲ませる。


(駄目だ、この人本当に駄目人間だ・・・・人間として大切な何かが欠けてる、人間失格!)


数日の付き合いで、「いい人ではあるがちょっと駄目人間疑惑」という印象を抱いていたがその通りだった。
むしろその斜め上を自分で折った柱の上に乗って飛んでいくような人間だったのだ。


「・・・・・・ダンテ。」


彼の名を呼ぶ自分の声は、地獄の亡者の囁き声のような昏い声だった。
地から這い出てきたような声を気にも留めず、ダンテが頭に疑問符を浮かべてこっちを見る。


「私、この事務所の帳簿計算とかするので・・・・やった事ないけれどやってみます。
 多分お金周りをきっちりするだけでツケとか借金とかは何となる、かも?」

「別にいいさ、面倒だろ?」

「面倒だとか、そういうのじゃ、無くて・・・・!!
 大体!今までどうやって生きてきたんですか・・・信じられない・・・・・・」

「勘で。」

「ここはアマゾンの秘境じゃないです。コンクリートジャングルです。
 本当にマジで頼むから人間らしい会話をさせて下さい。」


言いたい事(99パーセント文句)が多過ぎてうまく言葉にまとまらない。
頭の中は信じられないという思いと夏の日差しより強い非常識さ加減が気持ち悪く混ざって本当にカオスな状態。
気持ちの悪いマーブル模様が目の奥でちかちかと点滅する。


「やります。私この事務所の部外者だけど、命預けてるのでこれ位はやります。むしろやらせて下さい。」


言いたい言葉の整理がつかなくて、結局は諌めるのを諦めた。

ああ、これがきっと悟りってヤツなんだ。
見えないけれど私の背後には全ての苦難を受け入れる仏が立っている。
「よくやりましたね・・・そこからキリスト教の道は開かれるのですよ・・・」とかいう幻聴まで聞こえた。 

仏様なのにキリスト教とか言っている辺りが私の現在の混乱っぷりを端的に表している。


(あーあ、この人って顔はすごく綺麗でとても強いし優しくしてくれるのに・・・いい人なのに!
 完璧な人間はいないっていうのは聞くけれど!でも、どうしてこんなに駄目人間なんだろう!?)


さっき、女の人名前が複数挙がる理由が垣間見えたような気がした。
フリーダム過ぎて誰も付いて来れないんだ。身を寄せても彼のこの駄目人間っぷりに呆れて離れて行ってしまうのだろう。

私だったらたぶん無理です。

いつか現れるかもしれないダンテの相手を思い、少しだけ涙した。嘘だけど。


「そうか?そこまで言うんだったら頼む。」

「うん、ありがとう・・・・」


天はダンテに与えるべき物を偏り過ぎたと思います。
他の何を犠牲にしてでも、もっと『常識』と『危機感』を授けるべきです。
けれど顔だけは本当に綺麗で格好良いのでそのままにしておいて下さい。

遂に2枚目に突入したメモ欄に新たに「家計簿」の文字をそっと書き加える。
これだけは他の何を差し置いても真っ先に手に入れるべきだと思った。


「で、今日からもう料理できそうなのか?」

「無理ですね。」


掃除を始めて数時間経ったと言えど、この病は相当に根が深い。
王蟲が居そうな気配はさすがに無くなったけれどまだまだ腐海の森だと言っても差支えが無い。


「でも・・・まぁ、明日までに何とかします。」


そろそろピザ以外の食べ物を見たいし、と内心で付け加える。
ダンテの好物にケチをつけるようで悪いけれど、もうピザはこりごりだと主張したい。
ずっとピザしか見ていない生活を送っていると和食が恋しくなるのだ。米!味噌汁!!焼き魚!!!


「すみません、こんなこと言う立場じゃないのは分かってるんですが今日はピザ以外で・・・」

「ん?」


ダンテの手には既に受話器が握られていた。
どうやら私が精神世界にトリップしている間に既に注文は終わっていたらしい。


「また・・・・」


ふらり、と見えない衝撃に身体が揺らぎ机に手を付く―――と思ったらずるり、と滑って視界が天井で埋まった。
続いてがしゃんと何かが割れたような盛大な音がして、倒れる身体と後頭部を受け止める何か。


「―――――あれ、わたし」

「おい、大丈夫か?」

「あー、たぶん。」


視界の先のダンテの端正な顔から視線を少し横にずらせば、粉々になったお皿の残骸が見えた。
後頭部を支えてくれていた大きな手に支えられ半身を起こす。


(ああ、間違えてお皿に手をつけちゃって、それが崩れて、倒れかかってたのか。)


元から不安定気味に積み重ねていたから(いくらか軽くなったとはいえ)私の体重を支えられなかったに違いない。
くらくらと揺れる頭で状況を整理し、「床掃除めんどうくさそうだな」と他人事のように思った。


「すみません、なんか立ちくらみしました。」

「ってもしかして病弱で儚かったりするのか?全くそうは見えないが。」

「まさか、バリバリの健康体ですよ。」


こっちに来るまでは、という言葉はダンテのせいではないので胸の内にしまっておく。


「もう大丈夫です。ありがとうございます。」


正直あまり大丈夫と言える状態ではなかったが、この体勢は何だか気恥かしい。
今度は自力で身体を起こし、床に散らばった大きい欠片を拾い集める。


「浜に打ち上げられた魚みたいな青い顔してよく言うな。」

「・・・・・え、それってどっちの青いですか。」

「ほら、大人しく座ってろ。そんなツラでいると間違えて埋葬されるぞ。」


無理やりに私をデスクの回転椅子に座らせ欠片を集め始めだした。
欠片を拾おうと丸める背中が何だか可愛らしくて少し和む。

とりあえずデスクの上を漁り、食べ終わったピザの空き箱を探し当てる(台所もそうだけどここもカオスだ


「ダンテさん、とりあえず細かい破片は後で何とかしておくから大きい破片だけここに集めて下さい。」


幸い、ここだとベッド以外で靴を脱ぐ習慣が無いから多少の破片はあまり問題にならない。
自分が底の薄いパンプスを履いていない事に少し感謝した。


「あー・・・面倒くさいから銃で粉々にしていいか?」

「え、何それ私の仕事増やす気ですか。というか床!床に穴が空くから駄目!!」


拾い始めて数秒で飽きるなよ、と内心で呆れ自分の集めた破片をピザの箱に移す。
自分の手を切らないように慎重に移しつつ割ってしまったお皿に軽い黙祷を捧げる。


(ま、どうせ買い換えようとしてたしそこまで問題にならないか・・・・・ん?)


破片を箱に入れる指が止まった。
手に持つ皿の欠片にほんの少しだけ赤色が付いていたのだ。

たぶん、これは血だ。


(おかしいな、注意してるしどこも痛くないから切っていないはずなんだけれど。)


ちらりとダンテの手を盗み見るがどこも切っている様子は無い。
ハーフフィンガーの手袋が少し裂けているけれど傷跡が見えないからたぶん違う。

ちなみに確認するまでもないけれどこの部屋には私とダンテの二人しかいない。


(じゃあ、だとしたらこの血は誰の・・・・)


破片の赤い部分をなぞってみるとぬるりとした感覚。間違いない。


「ダンテ、切ったりしてないですよね?」

「俺はみたいにどんくさくないから問題ない。」

「・・・・・そう、ですか。」


その時、なぜか私は詳しく追及せずにその破片を箱に入れた。
たった一言「この破片の血は誰のもの?」と聞けば気が済むのに、敢えてそうしなかった。


「――――――」



それが最初に感じた違和感。





































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あとがき。
こっちの世界についてから直感、もとい危機察知能力が格段に進化しているようです。理由はまた後ほど。
豆電球といえばやはり「パリィ!」とトリケラトプス。
恐竜の巣でじりじりと恐竜が近寄ってくるのはもはやトラウマとしか言いようが無い。


2009年 4月26日執筆 八坂潤
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