「お金がほしい。」

「・・・・・・・・・・・・いきなりだな。」


例の絵画の事件を解決してから数日経った午後。
ぽかぽかとした陽気が窓を通して室内に招かれるまどろみの時間。

ダンテとエンツォさんの会話が終わった瞬間を見計らい、事務所の机を両手で叩いて声高に主張する。
机を叩かれる形になった赤い店主は秀麗な眉をひそめて不満を示したがもう気にしなくていい。


「おーかーねーがーほーしーいー!」

「なんだよ、そんなのダンテにもらえばいいじゃねェか。
 おたくら恋人同士なんだろ?」

「笑わせんな。俺がこんなの相手に勃つわけないだろ。」


遠慮もへったくれもなくダンテが指をさして鼻で笑う。

もっともな話だが、むかつくので予告なしの渾身のパンチを喰らわせる。
が、目線も寄こさずに片手で受け止められて流された。その姿も卒がなくてきまっていて、むかつきは増すばかりだ。
そのままもう片方の手でジャブを繰り出すが同様にいなされる。こーのーやーろー

私達の一連のじゃれ合いを見て、エンツォさんの小さい目が軽く見開かれる。


「え?・・お、おい冗談だろ?若い男女が2人住んでりゃそりゃあ・・・・・」

「いや、本当に何もないです。ダンテって基本的にマダオなので私こそお断りです。」

「まだお?」

「まるでダメな男。略してマダオです。」


いかに超絶美形ですっごく強い、と大体の女子が憧れる要素を持っていても生活力と常識が圧倒的に欠けている。
そんなのでは誰かとの関係は長続きしないだろう。特定の女性もいないっぽいし。

次の瞬間、大きな手に頬をつねられて思わずたたらを踏んでしまう。肉が引っ張られて痛い。
手元から目線で辿れば案の定、艶然と笑む赤い悪魔が旅の終着点。


「いひゃい!いひゃひゃひゃひゃ!!」

「誰がマダオだって?お嬢さん?」


すぐさまダンテの手を跳ね上げると、あっさりと拘束が解けた。
もちろん手加減はされている。でないと私の意識と頬なんて微塵も残っていないだろう。
本来は更に怒ってしかるべき行為も許せてしまう。もちろん表情は不満げなままで。


「だってさぁ・・・ダンテってすっごくかっこいいし強いしなんだかんだで優しいけど・・・。
 こう、人間としてはわりとダメな方に位置してると思う。生活力と常識が皆無だよね、マジで。」

「ハッそもそも悪魔にしかモテない女の強がりか?」

「んなっ・・・・!!ば、よ、世の中にはマニアはいるのよ、きっと。
 それにモテるけど長続きしないってのは持続するだけの魅力が足りないんじゃない?」


頬への追撃が来る前にささっと机の反対側に避ける。


こんな冗談が言い合えるくらい。

私とダンテの関係はここ数日でかなり良好なものになっていた。
お互いにわがままをいい、遠慮せず我慢せずに皮肉を飛ばしたり拳を飛ばしたりできる間柄。
多少の諍いもご愛敬。以前からは考えられないくらいに健康な間柄だ。


まぁ、だからといって容赦もしないんですけどね。


ダンテの歴戦の狩人の挑発に対して私は歯を剥きだした百獣の王者の威嚇。
真夏でもないのに蜃気楼が出現し、存在しない火花が両者の間に激しく散ったのが見えた気がする。


「・・・・・・・・なん、っか以前より仲よくなったな。あんたら。」


そんな私達の膠着を断ち切ったのは、エンツォさんの感嘆のような溜息。

自分達でも自覚はあるけれどそれをあらためて他人に指摘されるとなんか気恥ずかしい。
威嚇を止めてエンツォさんに向き直る。


「で、それよりも私お金がほしいんですよ。」

「そんなもん、ダンテにねだれば買ってもらえるんじゃねえのか?」

「それは必要なものだけで・・・まぁ必要だけど、私用だからあんまり迷惑かけたくない、です。」


確かに食事だとか光熱費だとか、そういう生活に関わる必要最低限なものはダンテに甘えている。
名目上は家事を代行しているからということになっているが、言ってみればそれはダンテからの施しだ。
別に私がやらなくたって、彼の為に働きたいという女性は何人もいるだろうから。

今の自分の立場はもどかしい。仲は良くなったとはいえ、だからこそこの人に迷惑はかけたくない。
以前のように申し訳なさだとかそういうのじゃなくて、これは意地のようなものだ。


「化粧品とかは、一応しなくても生きていけるわけだし・・・でも最低限はしておきたいし。何より!」

「何より?」

「私、白米が食べたい!」


ぐっと両手の拳を握りしめてエンツォさんい詰め寄る。
私の熱意とは対照的に二人からは呆気にとられたような反応を返されたがとんでもない、私にとっては死活問題だ。
一度堰を切ってしまえば後から泉のように願望が湧いてくる。


「白米、醤油、梅干し、味噌汁、豆腐、うどん、緑茶・・・日本人はそれらを定期的に摂取しないと、たぶん死にます。」


ああ、なんて甘美な響きの言葉の羅列だろうか!
ちょと前までは当たり前に食していたそれらが今ではどんな高級洋風料理よりも愛おしい。
うっわ少し心臓がどきどきしてきた。恋かもしれない。


「ほ、他はともかく米ならこの間食っただろーが。」

「チャーハンは駄目なのです。白米、何も味付けしなくても食べられるジャポニカ米じゃないと私は認めません。
 タイ米なんて細長くてパサパサしててそのまま食べられないお米を私はカウントできません。」


私のはぁはぁという息切れと熱意にダンテは若干引き気味だ。そんなに酷いのか、今の私は。
でもずっと強制的に洋食漬けにされた後にお椀一杯の白米を差し出された場合を想像してほしい。正直いい年してよだれが垂れる。

もっちりとした食感、それでいて噛んでいると甘くふっくらとした純白の誘惑。

食卓にそれが上らなくなってどれ位経っただろうか。ここに来てから久しくそんなものは拝んでいない。
別に洋食が嫌いってわけじゃないけれど、こうも長く食べ続けているとさすがに飽きる。


「で、日本の食材が売っているお店をこの間発見したのまではよかった。
 でも、外国だからここでお米を買おうとするとすっごく高くなっちゃうんだよね・・・
 日本食が食べたいなんて私のわがままだし、自分で買いたいと思ったの。」

「別にそれくらい好きにすりゃいいだろ。」

「うーん・・・でもダンテって日本食に興味ないでしょ?
 基本的にピザさえあれば生きていけるような不健康な味覚してるんだし。」


それもそれでどうかとは思っているけれど。
普通だったらぶくぶく太ったり成人病にかかったりしそうなものだけど、彼の体は引き締まっていて健康そのもの。
普段からの運動(悪魔狩り)もあるだろうがその身に半分流れる血も関係しているんだろう。便利なことで。


「そういえばダンテはあまりご飯に対して執着を見せないね。
 いっつもピザピザピザピザ、たまにトマトジュースばっかり言ってあんまり他のものに興味がないみたいだし。
 それってすごくもったいないと思うけどなぁ・・・・」

「・・・・・・執着した結果が目の前にいるからな。」

「エンツォさん、ダンテを殴ってもいいですよ。」

「今お譲ちゃんの顔を見・・・い、いや、何でもない!」


エンツォさんが不服そうに「日本のオンナってのはもっと慎ましくねえのかよ」と呟く。
そんなもの、私に言わせれば「日本の女に夢見てるんじゃねえよ」と主張したい。なにが大和撫子だ。

しかし歴戦の仕事人達相手に商売している情報屋をビビらせている私の表情はどんなものだろうか。
女らしさが光の速さで地平線のかなたに飛んで行くのを感じた。

ま、以前は猫を被っていたようなものだから余計にギャップを感じるんだろうけど。


「なんというか・・・恋人じゃないんだしあんまりわがままでお金の迷惑かけたくないんですよ。
 遠慮とかそういうのじゃなくて、できれば寄りかかるだけじゃなくて対等でいたいんです。」


だってそうじゃないと思いっきり殴りにかかれないじゃない、と照れ隠しに続ける。
エンツォさんはうへぇと漏らしたがダンテはにやりと不敵に笑っただけだった。あーあ、気付かれてるなぁ。

以前だったら遠慮どころか言いだすこともできなかっただろう。
こうやってわがままをダンテの目の前で吐き出せるようになっただけ我ながら大した進歩だと思う。


「だから私でもできるような仕事とか・・・ない、ですかね?
 ええと、風俗とか喧嘩とか、そういうのはパスで・・・・・・」

「まぁ、嬢ちゃん売れそうにないしなぁ・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」


自分で言うのならともかく、あんまり親しくない人間にそれ言われると軽くへこみます。
確かに色気も胸も普通(だと思いたい)だし、顔も可愛いわけじゃないし。

視界の端でダンテが小馬鹿にした表情を隠そうともしなかったがそこは大人の度量でスルーする。
が、あとでなんらかの形で仕返しをしよう・・・・どうやってだ。


「あ、そうだ。さっきのアレがあるじゃねえか。」

「ああ・・・アレな・・・・・」


ダンテが興味無さそうに薄氷色の瞳を逸らし、エンツォさんの太い指がズボンのポケットから一枚の写真を取り出す。

差し出されたそれには金髪の巻き毛の少女がウサギの人形を抱えて座っていた。
容姿は普通で内気そうな表情をしている。服装は水色のエプロンドレス。

不思議の国のアリスを彷彿とさせる女の子が虚ろな表情でこちらを見つめ返していた。
案の定、写真を裏返してみると名前はアリスらしい。
わざわざ名前まで揃えたのだとしたら、この子の親は相当な酔狂だ―――それとも偽名だったりして。


「さっきダンテに断られちまったけど、同じ女なら探しやすいかもしれねぇだろ?
 コイツを探してくれって依頼があんだよ。報酬は400万ドル。」

「へー・・・迷子探し400万ドル・・・えっ?」


聞いたこともないような金額に思わず写真を落としそうになった。
日本円で換算すると・・・えーと、とにかく普通の額じゃない。やばいスメルがぷんぷんする。
もしかしなくてもこの子の親御さんはものすごい大物なんじゃないだろうか、それも負の方向に。


「ちょっ・・・それ危険な匂いがぷんぷんするんですけどコレェ!!」

「ダンテに名指しで入ってきてる依頼でよぉ・・・ヤツは受ける気がねえみたいだけどな。」

「迷子は迷子センターに相談するもんだろ?俺は迷子係じゃねえ。」


不機嫌そうに鼻を鳴らしてダンテがトマトジュースを飲み干す。
なるほど、迷子探しなど悪魔狩りから遠く離れた仕事は確かに彼の興味を惹かないだろう。

けれど私の目は写真の女の子に釘付けになっていた。
何故だろう、内容が普通なのに報奨金が異常だなんてどう考えても危険な匂いがするのに目が逸らせない。
磁石のように引き寄せられる。糸を引かれるように唇が動く。


「私、これやる。」


二人の驚いたような声が遠くに聞こえる。
けれど目線も意識も吸い寄せられるようにこの写真を見つめていた。


「?」

「やらなきゃ・・・私が・・・・」


もちろん、この治安の悪い場所で迷子になった哀れな少女を救わなければという使命感もないわけではない。
こんな小さな女の子、きっと家族が心配しているだろうからという既視感からくる正義感もある。

けれどそれ以上に、私はこの依頼に関わらなければならないような気がするのだ。
理由なんて必要ない。そうしなくちゃいけないのだ。そうするのが当たり前だ。そうしなければ私は―――


「い、いやぁ助かったよ!アンタが手伝えばダンテもやるだろうしなぁ!!
 実はおれっちもう前金を使いこんじまってたから助かる・・・」


背後からエンツォさんの悲鳴らしきものが聞こえたが意識の外。

執着の理由を考えようとすると湧いてくる眠気に欠伸を噛み殺す。
うとうととそれに身を任せていると自分が悩んでいたことなんてちっぽけに感じてきた。それよりも眠い。


「不思議の国のアリスかぁ・・・・。」


そういえば私の状況と物語のアリスは似ている。
ふっとした拍子に落とし穴から異世界へ飛び込んでしまう少女の物語。

彼女は夢の世界だったから目を覚ませば現実に帰れた。
では私もほっぺたを抓れば元の世界に帰れるのだろうか。

試しにつねってみたけれど、世界の変化は痛みと二人の訝しげな視線だけだった。

・・・・・・・・・そりゃまぁそうですよね。






































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あとがき。
第二章に進撃。
これからドSなバージルをたくさん書けると思うと胸が熱くなるな・・・
えっ?そんなドM展開を喜ぶのは私だけだって?大体あってる。

二章はバージル編ということで主に彼が出張ってきます、が短いと思います。
たぶん10話未満とかきっとそれくらい・・・とかいいながら伸びるのが私の常です、ええわかってます。


2010年 8月20日執筆 八坂潤
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