「はっ・・・は、っひ・・・・」


頭上から照り付ける夏の太陽を一身に浴びながら、運動不足の身体を懸命に動かす。
全力疾走など、学生には当たり前でもニートになってからはずっとしていなかったから足が笑ってしまう。
乳酸が砂時計のように溜まり足が鉛になっても、しかし立ち止まることはできなかった。

理由は簡単―――足を止めれば、死ぬからだ。


「う・・・・ぅ、・・・・」


突然の襲撃に私を守ってくれたみんなはやられてしまった。

近侍の薬研くんに背を押され飛び出したまま、本丸の敷地の端に辿り着いてしまった。

八方塞がりだ。もう逃げ場はない。
ひんやりと冷たい壁に、運動して熱くなった背を預けてずるずると座り込む。


(門は塞がれてた・・・この塀を乗り越えることも、できない・・
 できたところですぐに追いつかれて殺されるに決まっている・・・・・、)


検非違使。

通常ではありえない色の青い熾火を両目に宿し、歴史の守護者を語る謎の異形の集団。
それらに突然攻め込まれた脆弱な私の庭はただ翻弄されるしかなかった。

本丸のあちこちでは戦闘状態に入っているのだろう、怒号と剣戟が遠くに聞こえる。
今までの日常では聞いたことのない恐ろしい音に耳を塞いで蹲った。
恐怖の音源を断ってもなお、物事は何にも解決していない。

誰か私を助けてほしい。
どうかこの場から救ってほしい。
都合の良い優しい物語のように私を助けてくれる王子様、どうか。

現実逃避と他力本願とを兼ねた言葉が泡のように浮かんでは現実に打ちのめされ消えていく。


「どうすれば、どうすれば・・・・・、」


救いを求めて彷徨った視線は、やがてここがとある場所だと気付いた。
つい先日も私はこの場に来たのだ―――あまりにも似合いの運命の皮肉に吐き気がする。

しかし、だからこそ。


「――――――、」


目当ての盛り土を見つけた手はしばし躊躇い、それでも本能のまま生を求めて土を掘った。
スコップなんて気の利いたものはここいにはない、爪の間に土が入ってくる嫌な感覚も捨て置き柔らかい地面を拙く引っ掻く。


ここはお墓だった。

死ねば折れた刀身だけを残し、塵も現世に残さず消えてしまう刀剣男士の墓場。
墓といっても中に遺体はなく、折れた刀身を葬り、土を被せその上に花を供えただけの簡素なもの。

今まで必要とすら考えなかった、新しいこの場所にはつい最近埋葬された刀がある。
この本丸で唯一人破壊された刀剣男士、隊の仲間を助けその身を砕かれ死した優しい神様。


(鶴丸さま・・・)


仙禽の名を冠す傑作の太刀―――鶴丸国永。
幾人の手を渡り、墓を暴かれてまで求められたという宝刀。

今更自分が武器を、まして折れた刀を手にしたところでどうにかなるとは到底思えない。
大切な人が殺された悲憤で、密かに封じられていた力が発動してこの場を切り抜けられる都合の良い展開もない。

しかしただ座して高潔に死を待つことができなかったゆえに、何かをせずにはいられない。


「ごめんなさい、鶴丸さま・・ごめんなさい・・・・・」


墓を暴くという死者の尊厳を踏み躙る自分の行為がおぞましい。
ましてそれがあの鶴丸国永の墓場とは悪意のある運命すら感じる。

普段は飄々としていた彼が生前、唯一はっきりと嫌悪感を滲ませながら自身の墓暴きの逸話を語っていたことが脳裏を過ぎる。

私は彼にとって相応しいどころか、最も望ましくない主になってしまった。


(でも、死にたくないんです・・許してください、どうか、許して・・・・・)


嫌悪感とも恐怖感とも罪悪感ともしれない涙が頬を伝う。
死への恐怖で鋭敏になった聴覚は近くに物音を感じた―――ああ、きっと敵が迫っている。

だが今更この手は止められない。
あの優しい神様は、しかしこの墓暴きだけは許してくれないだろう。

それでも愚かしいことに、この手はみっともなく生に縋って動く。
死者の意思とその尊厳を踏み躙ってでも生き残りたいと思ってしまった自分の弱さと浅ましさ。

今の私の姿を彼の人が見たら何と言うのだろうか。
そんなのとっくに決まっている―――許さないに決まっている。


「あった・・・・・」


やがて暗い土の下から現れた白銀の刀身は、泥に塗れてもなお美しかった。
その清冽なまでの美しさに自分の行いを責められているようで、一瞬だけ目を閉じる。

しかし迷いつつも、朝露を払うように冴え冴えとした輝きを見せるその鋼をそっと拾い上げた。
死者の眠りから呼び起こされた刀は死体と等しく冷たい。
触れた指先から心臓まで凍えていくようだ。


「・・・・・鶴丸さま、ごめんなさい。」


根元から無残に折れているため、刃の部分を直接握るしかない。
怪我をしないように懐から布を取り出してくるくると巻きつけるが、ほとんど意味はないだろう。


(けれど、どうしよう・・・・こんなことやったって、所詮私は・・・)


みっともなく墓を暴いてはみたけれど、でもだからといって私が戦ってこの場を切り抜けるというハッピーエンドは訪れない。
恐怖のままに敵に殺されるくらいならば、いっそこの刃で安楽な自死を選ぶべきか。

刃物を握る手が震え、しかしどちらも選ぶことができず、ただ冷たい汗が背筋を伝う。


「――――!!!」

「ひっ・・・・っつ!」


がさがさと茂みを乱暴にかき分ける音と共に、敵が私の目の前に現れた。

驚いた私は反射的に鶴丸さまの刀を強く握りしめ、連動したその痛みに地面に落としてしまった。
慌てて拾い上げる自分の手のひらには浅く真っ直ぐに朱線が刻まれ、感じた事のない痛みを伝えてくる。

私が武器を持っていても彼の敵は全く動じる気配がない。

両手に構えた薙刀から滴る赤い雫は誰のものか―――そこに自分の血も添えられるのか。
死の予感がゆっくりと爪先から毒蛇のように這いあがるのを感じていた。


「あ、ぁ・・・・やだ、しにたくない・・・・、」


壊れた玩具のように機械的に、がくがくと震える手で刀を構え、新たに手のひらに傷が増える。
なりふり構っている場合ではないというのに、強く握り込み過ぎると痛いので添えることしかできない。

鼠の抵抗に応じるように敵が緩慢な動作でその薙刀を上段に構えた。
この威圧感と殺意の前では、私の持つ折れた刀身など子供遊びの枝に等しい。


無駄だった。
結局、墓を暴こうが何をしようが―――無力な人間には何もできなかったのだ。

こんな事になるなら審神者なんてやらなければよかった、と今更思う。
就職口云々以上に、見目麗しい神々に囲まれて慕われていい気になっていた自分を否定できない。

凡人が分不相応な非日常なんて望んでしまったから、ぴったりの報いが牙を剥いてやってきた。


「たすけて、しにたくない、どうか、どうかたすけてください、」

「――――――」


私の懇願など聞く耳を持たず、ゆっくりと恐怖を与えるように刃が自分めがけて降りてくる。
中世の死刑囚が最後に仰ぎ見る光景はこのようなものだろうか。


「っ・・・・!?」


と、途端にぐんと自分の内側の何かが引っ張られるようなあの感覚がした。
手の中の刃の感覚が消え、見慣れた白い光が私の目を灼き、傍らに誰かが降り立つ小さな音。

何度も体験してきた神降ろしの感覚。


「・・・・・鶴丸、さま・・・」


光りにもやっと慣れて恐る恐る横を見ると、そこにはあの鶴丸国永がいた。

鶴のように細い身体、羽毛のように広がる白無垢、女人に見間違う細面と流れる美しい銀糸。
見慣れたあの姿に、まさかの奇跡に安堵の声をあげようとして―――しかし決定的に違う部分に気付く。

紅白。
清廉なまでに白かったその着物はところどころ斑に朱が滲んでいる。
まるで血痕のように見える模様は、ああ私の血なのだと一拍遅れて理解してしまった。


「・・・・・・・、」


ゆっくりと開かれた黄金の瞳が私を見た。
逸話と同じく自身の墓を暴いた咎人の姿を神の目はどう捉えているのだろうか。

どこか夢心地のような表情からはその深淵を窺い知ることはできない。


「たすけて、ください・・・・」


口を突いて出た言葉に吐き気がした。

謝罪でも釈明でもなく、真っ先に自分の身の安全を請う言葉。
墓を暴き、死者の眠りを妨げ、それでもなお自分の生に縋ろうとする浅ましさを。

また一つ、自分の内側から罪を重ねる音がした。


「――――分かった。」


その細い顎を引いて肯定し、腰に提げた自身―――鶴丸国永をすらりと抜く。
先程まで折れていたはずの刀は、すっかり元の姿に戻り以前と変わらぬ輝きを見せていた。

突然の事態に止まっていた敵が再び動き出すのを、庇うように私の前に立ち塞がってくれる。


しかし敵に向き直る前に私を見た、彼の黄金の瞳は墓土のように冷たかった。
























「よう大将、俺が薬研藤四郎だ。よろしくな。」

「う、うん・・・よろしく。」


身に纏う軍服のような服は深い海のような紺。すらりと伸びた白い脚は牡鹿のようにしなやか。
少年といっても差し支えのない年齢の顔は精悍そのもので、その紫電の瞳からは意思の強さを感じさせる。

いつもの聞き慣れた声で、見慣れた姿で話す彼は、しかし別物だ。
常に私の近侍を務め最も長い時間を共に過ごした薬研藤四郎が、いつか交わした挨拶を一字一句違わず告げるのに眩暈がした。

いや、眩暈とは些か美しい言い方だ―――気味が悪かった。


(神様だから、厳密にその死はない・・・例え折れたとしても別の彼がやってくる。)


また会えたという喜びはもちろんある。
しかしそれ以上に、以前と寸分違わない外見で初対面の挨拶をしてくる彼が空寒かった。


今までの思い出が蘇る。
審神者になるのが不安だという私を支えてくれた彼。
恐怖に震える私に指輪を贈ってくれた彼。

いつも、いつも傍にいて私を助けてくれていた。

が、しかし彼にはその記憶がないのだ。
私を助け逃がすために身を挺し、そして折られてしまったがゆえに。


「大将、どうした?具合でも悪いのか?」


勝手に悲しんで身勝手に泣きそうになる私を、彼は具合が悪いと受け取ったらしい。
自然と俯いた私の顔を心配そうに覗き込む。

あの力強い紫電の瞳はいつもと変わらないというのに。
しかし、彼はもう私の頼れる守り刀ではないのだ。


「うーん、悪いなぁ。主は神降しで疲れてしまったらしい。
 俺達の主は他の審神者よりも力がか弱いからな、気にしないでくれ。」


ぽんと頭を軽く手を乗せられて、緩く撫でられる。
おずおずと視線を上げれば、黒の手袋に包まれたたおやかな手が私に触れていた。

鶴丸国永。
私と視線が合えば元気付ける様にその黄金瞳を柔らかく細める。


「初対面の挨拶もそこそこで悪いが・・・また後ででいいか?」

「そうか・・・うん、分かった。じゃあ大将、またな。」

「うん、また・・・」


私の暗い表情に気分を害した様子もなく、薬研藤四郎は立ち去る。
かつての彼だったらこんな風にあっさり別れたりはしなかっただろう。
過保護に私を布団に押し込み、私が完全に寝付くまで傍を離れなかった守り刀は、彼ではない。

そう、彼はもう私の近侍ではない
今の私の近侍は―――この傍らに立つ鶴丸さまだ。


「うん・・・しかし本当に具合が悪そうだな、横になった方がいい。」

「そう、ですかね・・・久々に神降ろししたから疲れたのかも、しれませんね。」

「だろうなぁ、ただでさえここのところ失った戦力を取り戻すために連続して神降ろしをしているだろう。
 一刻も早く現状を回復したいのは分かるが、君の力では無茶をし過ぎだ。」


ちがう、私が取り戻したいのは戦力なんかじゃない。
かつての日常を、鶴丸さまが甦ったのならと再び同じ奇跡で取り戻したかっただけだ。

しかし現実は非情である。
都合の良い奇跡は一度きり、折れた刀にいくら縋ろうともその神が戻ってくることはなかった。
ならばと新しく鍛刀しても当然ながら今の薬研藤四郎と等しく、同じ姿かたちをした別の彼らがやってくるだけだった。

彼らが初対面のように挨拶をしてくる度に、変わらず慕ってくれる姿に、しかし罪悪感で胸が締め付けられる。
以前と変わらない、そしてまるきり違う彼らの言葉は喪失を如実に伝えてくるからだ。

最後に残ったかの近侍でさえも、私を初対面の人間として扱った。


「おっと、顔色が本当に悪くなってきたな・・・大丈夫か?横になった方がいい。」

「・・・・すいません。そうします。」


気遣わしげに私の手を引く彼の着物は、しかしその白の中にところどころ赤が浮かんでいた。
あの神降しをしてからしばらく経つというのに、その血痕は酸化することなく鮮やかに紅白揃うのが不思議だった。


(汚れているのにどうして着替えないんだろう・・・ずっとこのままのつもりなのかな。)


鶴丸さまの紅白は自分の墓暴きの罪を見せつけられているようで、正直気分はよくない。
しかしそんな事を言い出す権利は私には更々ないわけで、喉元まで出てもそれを言い出せずにいる。

このままずっと、私はこの鶴に囚われたままだろうか・・・いつまで?
付喪神にはもちろん寿命などないだろう、つまりいつかわたしに飽きるまで?

あの日命が助かったというのに生きた心地はまるでなく、自身への嫌悪感と嘔吐感に常に苛まれている。

そんなことをつらつらと考えていると、もう既に私の部屋の前まで戻ってきていた。


「酷い顔色だな・・・布団を敷くか?」

「いや、いいですそこまでして頂かなくても・・・適当に床に転がってます。」

「うんうん、そうかなら俺の膝を使うといい。」


畳の上に正座をしてぺしぺしと自身の細い膝を叩く。
軽い調子で自身の膝の上を勧める彼には、正直いって調子を狂わされる。

許されているのでは、怒っていないのでは、そんな都合の良い希望すら抱いてしまう。


「いや、だから・・・・」

「遠慮しなくていいぞ。な?―――それとも、俺じゃ前の薬研の代わりにはならないか?」

「そんなんじゃ!そんなんじゃないです!!」


前の薬研の代わり、という言葉は狙ってか私の胸の喪失を的確に射抜く。

彼はことある毎にこうして私の心を抉るが、しかし今の薬研藤四郎を以前のように頼ろうとは到底思えない。
もちろん望めば十全に応えてくれるだろうが、そんなのはとても私の心には耐えられなかった。


(誰も私を責めない。折られた刀剣男士も、折れなかった刀剣男士も、誰一人として私を責めない。)


あの時に他の折られた刀剣男士も以前と変わらず温かい言葉と手を差し伸べてくれる。
しかし以前のように無邪気にその手をとることは、どうにもできなかった。

卑屈な私にはその優しさこそが私に無制限の償いを求めているようにすら感じる。


「どうした?主。こっちへおいで。」


彼の言葉に逆らえず、犬のように従順に畳の上に身を横たえてその膝を借りる。
主と呼ばれはするがしかしこれではどちらが主だというのだ。

彼は決して私に強く命令などしない、今の言葉だってその気になれば拒否ができた。
しかし私は一度も彼の言葉を拒絶できずにいる。


「鶴丸さまは――――、」


どうしたら私を許してくれますか?

そのたった一言がどうしても聞けずにいる。
答えなんて問う前に決まっている、自身の忌まわしい逸話を再現した私をきっと許さないだろうから。


「ん?どうした?」

「・・・・・なんでも、ないです。」


何でもないように問うてくる黄金の目が、しかしかつて冷たく細められたことを覚えている。
力なく転がる私の手のひらの傷を、鶴丸さまの手がそっと愛おしそうに触れた。

彼はことある毎に私のこの傷に触れたがる―――かつて自身が傷をつけた痕を、罪を確認させるかのように。

しかしそれだけだ。
私にあの罪の証を意識させるだけさせて、彼は私に何も望まない。


(ああ、なんて苦しい。)


罰を受けることは恐ろしいことだと思っていた。
しかし実際に何の鉄槌も下されない事の、なんともどかしいことか。

いっそ口汚く責めてほしかった。
罪の償いを、代償を、対価を、求めてほしかった。
しかしこの紅白揃った神はその一切を私に求めることなく、こうして傍らに寄り添う。


許されているなどとは到底思えない。

何故なら、あの冷たい眼差しが未だ私の心を凍えさせてやまないのだ。







































→死人が笑う
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あとがき。
常々鶴丸は墓暴き以外は許してくれそうだなー→じゃあ実際に暴いたらどうなるか、という好奇心から書きました。

あ、今更ながらBADエンドとか銘打ってありますが、当本丸はマルチバッドエンディングシステムを採用しているので
グッドエンディングを書く予定はいまのところ特にありません。

嘘みたいだろ?こんなクソ暗い話なのに後日談をつけるつもりなんだぜ・・・

2015年 6月29日執筆 八坂潤


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